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Posts Tagged ‘デザイン意図’


01月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 9th, 2018  Posted 12:00 AM

01月09日 先負(辛丑)

造形言語=designing language
形態言語=designed language

designing language=デザイン意図
designed language=デザイン内容



川崎和男の発想表現手法


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『水陸両用飛行機の造形言語と形態言語』


   


     1月 8th, 2018  Posted 12:00 AM




自動車が飛行機になるという発想は目新しくはありません。
まして、映画で登場したスタイルがまるで未来調和論的だとしても、
デザインいまいちとか思うと、私の予想はかなり当たることがあります。
これは見るからには「未来なんだろうか」?と私は思っていました。
そうしたら、事故が起こっていたようです。
きっとこのデザインに未来性は欠落していたのでしょう。
そう言えば、米空軍、それも沖縄駐留の空軍は最近事故ばかりです。
あれでは流石に米空軍は何をしているんだと言いたくなります。
比して海上自衛隊の海自救難機US-2はあのかたち=形態言語が安心安全。
これを物語っています。
小学時代には、絶対に、大人になったらジェット機は持っていると、
そんな自分納得の予定調和論を持っていましたが、
笑えるほど無理だったようですが、新作の飛行機、特に小型ジェットや、
今ではスティルス機は詳細に、まずはデザインから調べてしまいます。
この水陸飛行機は映画で登場した時点であのデザインは失敗。
見事に的中していたと思います。どこがだめかというと、
フォールディング形態からトランスファクターする時点で時代遅れでした。
水上飛行機には、なんといってもフロートと船体のスタイリングが問題。
日本にとっての水陸には不可欠の形態があると思っています。
それは特に島国日本だからこその造形言語と形態言語の完全一致性、
これがとても重要だというのが私の意見です。
つまり船体の部位としてのフロートその造形言語(デザイン意図)は、
飛行機として特に主翼と均衡した尾翼との形態言語(デザイン内容)が、
完全一致する必要があるのです。
それは多分、「サッチャースパイラル」という形態の新しい発見だと、
私は確信しているのです。


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『「炊く」を事例に、再度、IoT・AIの美しさを』


   


     10月 21st, 2017  Posted 12:00 AM




日本人はお米を食べます。
それはご飯を炊いての日常的な主食です。
私は山岳部時代は飯盒炊飯から浪人時代はコッヘル炊飯で、
お米を炊く、という手続き、手法を覚えました。
また東芝時代のデザイン部長I氏は、
日本で最初の電器釜(左)を間近で見、
日本人の主食、そのお釜のスタートを知りました。
最近は、電気製品も産業経済的には、
電気炊飯器の様々な工夫やマイコン制御など、
もう本当に大変な競合を見ています。
また、伝統的には、鋳物鍋から陶器鍋など、
これらも大変な「ご飯の美味しさ」競争をしています。
自宅ではワイフは、真空電気炊飯器から陶器鍋から、鋳物鍋なども、
料理での「炊き」分け方をしてもらっています。
そして、私は毎年の電気釜や単純な陶器から鋳物、
さらには新素材適用を見ています。
おそらく、今ではお米毎の炊き方までが制御されている時代です。
主食ゆえの炊き方器がこれほど選択肢の豊富さは日本独特でしょうが、
中国や韓国からも日本製の素晴らしさはアジア圏には
すっかり定着もしてきました。
しかし、最初の電気釜は、主食炊飯の問題解答でしたが、
現在の全ての炊飯器は「応答」商品、あるいは「回答」商品だと思います。
したがって、デザインするという造形言語でのデザイン意図と、
デザインされている形態言語ではデザイン内容を、
私は改めてもう一度、炊飯器のもっともっと発明から解答商品が、
全世界の料理体験=料理の四辺形にデザインが関与すべきと思っています。
そして、これは炊飯器を事例にしていますが、
インダストリアルデザイン、プロダクトデザインにおいては、
電気炊飯から素材毎炊飯だけではなくて、
いわゆるIoTやAIでの技術革新がデザインそのものに関係していると
私は判断しています。
書き置きますが、技術革新がイノベーションではありません。
正直、デザイン、デザイン判断での商品価値での
私が最も大事な美しさがIoT・AIとの関わり方が
さらにデザインのデザインが希求されていると判断しているのです。


* 『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』
* 『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
* 『美学性を語れる講師を「KK適塾」は選ぶ』
* 『盤という人類文化にAI相手は無意味である』
* 『「天然物」?という価値観を確認する』


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『サイドビューと製品カラー決定の造形言語』


   


     8月 31st, 2017  Posted 12:00 AM



ブラウン管からコンピュータのモニター(ディスプレイ)の表示素子、
それが液晶・プラズマ・有機ELへと変化してきました。
その中心での自分デザインは、一時はプラズマにも関与しましたが、
様々な欠点と欠陥からプラズマは全否定し、それは私非難も受けました。
しかし、プラズマは結局TVでも一切無くなりました。
今ようやく有機ELが大きな進化をし始めています。
私は相当の多様さあるモニターをデザインしてきました。
特にEIZOブランドでは、製品カラーには、
金沢=加賀の歴史文化での和的色彩を重要視してきました。
それが、加賀群青=ラピスラズリであり、加賀弁柄=ベンガラでした。
加賀群青は、前田藩時代、日本に入ってきた群青色はそれこそ、
おもてなしの貴賓部屋・成巽閣(せいそんかく)の壁色と弁柄を使いました。
コレは国内の市場性では危険色でした。
しかし、私は造形言語=デザイン意図が明快であればという信念でした。
新しいデザインとして成功しました。
特に、FORIS.HDは画面16:9、パソコンながらTVも、
それだけにたった400cc空間にスピーカーユニットは最低周波数80dbをと、
PinP(Picture in Picture)を実現。
自分デザインでは、ともかく、サイドビューでの造形言語には、
一つ自分なりの言素=形素づくりをしてきました。
そこに、ベンガラ=弁柄というこれは日常性や、
人類が最初に見つけ使用してきた朱色を彩色したのです。
正直最近の製品カラーはなんとなく流行色=経営色のそのまま応用が多く、
自分デザインでは絶対に選ばないほど乱雑になっています。
私はあらためて次世代デザイナーには、
色彩学ではなくて、色彩論、
つまり、学はすでに知っておかなければならないような事項ですが、
論ならば、学という知識をベースにこの色であってほしい見識と悟識を
反映させるということです。
加賀群青と加賀弁柄の色彩論としての製品カラーとサイドビュー、
そのデザインをFORIS.HDとして果たしました。


* 「最小リモコン=徹底的な黄金比の適用と実装設計」
* 「プラズマTV商品問題に例示される未然技術」
* 「大好きな画家・これが私のまなざし」
* 「カラーの決定のために・HSB色空間」
* 『200年ぶりの「青色」発見は大興味がある』


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『美しさの判定は言語判定での倫理に宿っている。』


   


     6月 21st, 2016  Posted 12:00 AM



おそらく現代も、特に「イノベーション」をとか、
「デザイン思考」だとか、
「ソリューション」という言葉が多用されています。
そこには必ず「コンセプト」という、あたかもデザイン効果があるという
そのような企画が大氾濫しています。
しかし、これらでは明らかにデザイン成果はゼロだと断言します。
企業経営とデザイン=企業デザインと経営のイノベーション、
あるいは
伝統工芸とデザイン=産地活性化のデザインイノベーション、
この二つが明確に自分には見えています。
ところが、これらの成果・成功を、デザインで意図している背景には
「コンセプト」・「ソリューション」・「イノベーション」が
必ず存在していることを最も自分は危惧しています。
「イノベーション」の原意とそこからの歴史を思い出していただきたい。
「ソリューション」のテーマは「問題」でなければなりません。
ところが、ソリューションでの答は応答であり、回答に過ぎず、
そうした答えがイノベーションに成ることは決してありえません。
それらのデザイン成果をあたかも生み出すであろう、
それこそ「デザイン思考」には
ぴったりと「コンセプト」が張り付いています。
観自在からの概念や観念ではなくて、
あくまでも言語性と記号性の問題です。
そこにはstory:物語、argument:議論というライン性が明確にあります。
すなわち、思考のブラックホール、論理の対象性、
これらを破壊する発想は決して「コンセプト」には存在していないのです。
この感性を強化しているのは知性でも理性でもありません。
それは倫理性・倫理観という健全な想像力です。
この想像力は限定された人間にのみ存在していることを判定すべきです。
デザイン意図とデザイン内容に、
「造形言語」と「形態言語」によるデザイン、その造形手法は決して
「コンセプト」や「デザイン思考」はありえないのです。
最大の理由は、デザイン造形でのイノベーションとは、
「美しさ」を判断する倫理性があるかどうかだと思っているからです。

*『デザインは解である』
*『デザインは記号論的な『造形言語と形態言語』での論理化』
*『「形と性能」・デザイン成果=造形言語と形態言語』
*『盤・盆・膳」という文化は木に宿る』
*『現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ』


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6月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 21st, 2016  Posted 12:00 AM

6月21日 先負(甲戌)


ライン発想は
コンセプトでの曖昧性を
厳格な言語で判定可能である。

造形言語という
デザイン意図のライン性
形態言語という
デザイン内容のライン性である。



川崎和男の発想表現手法


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『デザイナー能力の格差が拡大している』


   


     4月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM



デザイナーの能力が想像以上に低下しています。
これはデザイナー教育の教員能力が低ければそのまま学生に反映、
デザインコンペも審査委員能力が低いと、受賞は低レベルです。
ところが反対に、熊本の収束が見えない連続する大地震に、
直・現場の崇城大学のデザイン系教員と学生、
九州大学のデザイン系教員(レジリエンスデザインがテーマ)と学生は、
目の前で起こっている被災状況に必死で取り組んでいます。
あるデザイン系大学では「防災もデザイン?」とか、もう呆れかえります。
自分は「コンシリエンスデザイン」を昨年、正式に訴求してきました。
しかし、大企業のデザイン部門では、
「デザイン思考」が社内では理解されているわけではないけれど、
他部門は、企業ビジョンとか、イノベーションがデザイン思考で改善する、
かもという期待感が最もらしくブームになっているとのことです。
とても、造形言語=designing language、
形態言語=designed languageによる、形態デザインと制度デザインが、
デザイン意図・デザイン内容で、その社会的なプライミング効果がある、
このような論理展開はまったく通じないことだと思わざるをえません。
あるデザイン事務所が小冊子130号出版をやり終えていました。
この中身は、それこそ、言語論であり、記号論でした。
素晴らしい小冊子を発行されてきましたが、
この書籍を読了不可能なデザイナーがリスペクトされないのは当然です。
40数年デザイナー、そしてデザイン学者として生きてきて、
果たして、まもなく動物実験結果がわかり、
製品と論文と、そして制度設計が待ち受けている
プライミング効果としての期待をされるデザイナーが育成不足です。
デザイナー教育に大問題があるのでしょう。
デザイナー能力格差が激化しています。


*『記号論でのコンシリエンスデザイン』
*『かたちの意味・造形言語と形態言語』
*『『007』形態言語を変更した新たな造形言語の失敗事例』
*『『形と性能』・デザイン成果=造形言語と形態言語』
*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』


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『この秋からコンシリエンスKK塾開講』


   


     9月 4th, 2015  Posted 12:00 AM



デザイナーはデザイン意図とデザイン内容で、
自分のデザインを発想・表現・伝達しなければなりません。
勿論、オリジナリティは矜持すべき
最大のデザイン、デザイン言語だと言ってきました。
デザインと格闘をしてきて40余年、私はデザイナーとして,大学人として、
この基本的論理化を、デザイン思考での不十分さを
デザイン記号論=デザインすることとデザインされたことで補強しました。
この二つを
造形言語=designing languageと
形態言語=designed languageによって、
デザイン意図はデザインする意味性であり、
デザイン内容はデザインされた意味性としました。
この論理化を、造形言語+形態言語=問題解決には
三つの答で、
応答・回答・解答をデザイン記号論から
コンシリエンスデザイン記号学であるという実務展開をしています。
結論も明確になり、問題解決で答を出すことは
まさしく解放されることでした。
これは解放=「ほどける」ということになります。
日本文化の素晴らしさは、この「ほどける」ことが
人生=死ぬこと。
すなわち「ほとけ=仏」の世界観です。
40余年デザイン界で、デザイン実務とデザイン教育によって、
なぜ、あの柳宗悦が白樺派にて最終は仏教思想になり、
わが恩師である柳宗理先生は、
民藝を乗り越える、
アノニマス・アンコンシャスビューティ・ゲマインシャフト、
この三つで私たちを鍛えていただいたかを大学人になって少し知りました。
確かに、柳宗悦は刀剣を民藝には加えませんでした。
しかし、私はその刀剣=武器=戦いをさせないモノに
自分は深く入りこんできました。
そこには、生命を守り、危機解決が日本人には必要ゆえに、
勾玉・鏡・刀こそ、モノであり日本文化のシンボルだからです。
刀=農業革命、勾玉=工業革命、鏡=情報革命だからです。
もっと詳細に付け加えると、
刀は鎌をつくり、勾玉は研磨=トライポロジーであり、
鏡は通信技術につながっているからです。
この秋から、KK塾は大阪だけではなく、
霞ヶ関の大阪大学東京オフィスでも開始します


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『デザイン思考には造形言語論と形態言語論が欠落』


   


     9月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM



デザイン思考ということばと発想手法が普遍化してきました。
しかし、この普遍化でデザインの意味論は、
今回、あのエンブレムやコピー(盗作)で、デザイン界そのものが
大きな疑念に包まれてしまい、デザイナーとして大迷惑でした。
私は、すでにデザイン記号論として、
造形言語=デザイン意図=designing language=デザイン意味表現と
形態言語=デザイン内容=designed language=デザイン意味伝達を
コンシリエンスデザインとして論理構造化してきました。
つまり、デザインは、造形言語でデザイン意図の説明を
どれだけデザイナーがプレゼしたところでデザイン義務は半分です。
デザインされたモノやコトを受け取るのは形態言語です。
デザイナーはデザイン思考の二つを完備する義務があるのです。
デザインプレゼは、造形言語と形態言語を伝えないかぎり、
デザインとそれこそデザイン思考は納得されません。
それゆえに、私はデザイン思考の不完備性を主張してきたのです。
おりしも今回、大迷惑となってしまったエンブレムデザイン審査では
審査委員会の最初の応募者制限から審査委員長周辺の商業主義を
全面的に批判してきました。
だからそれが正当だったと言うわけではありません。
まして匿名投稿している電子掲示板などは、匿名に寄りかかっている
その本当のことが理解されていません。
匿名投稿者は、
匿名であることが真実無意味になっていることを知らずに
匿名だから個人情報が知られていないという認識こそ危険です。
私は美大卒業からプロとして,デザイン界で生きてきましたから、
デザイン界が汚れることには喧嘩を仕掛けてきました。
それは造形言語と形態言語、問題解決=デザインを糧にしてきたからです。
私はあくまでも世の中が性悪説になろうとも、
性善説=『デザインは社会に対する態度』で生きていく覚悟です。


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『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』


   


     8月 25th, 2015  Posted 12:00 AM



私が「鏡」に最も興味を抱くことになったのは、
宮川淳の現代美術評論によってでした。
具体的には最初、「プラトンのオルゴール」で、
曲面鏡を組み合わせて、空中に物の虚像を展示計画の核心にしました。
以後、私にとって鏡面は実像と虚像で、
確かに「鏡の背後には冥府がある」というほぼ虚像的な実感があります。
もちろん、金沢21世紀美術館の展示計画には、鏡を多用しました。
が、展示撤収では鏡を割って、と聞いたときに、震えがきました。
そのためかどうか思いすごしでしょうが、
敗血症・多臓器不全死に陥り、重篤状態までを経験しました。
それ以来も鏡面にこだわっていて、鏡面のキーボードを商品化しました。
そのことでは相当にノウハウを積み上げてきたと自負しています。
今はデジタルサイネージでの鏡面とLED照明の組み合わせで、
それこそ「陰影礼賛」にまで届かないだろうかというテーマを発見。
これを自宅にまで設置してWiFiコントロールを狙っています。
丁度、まもなく照明学会全国大会で、この紹介というより提案をと
その図解制作をしながら、多分、このデザイン意図では
必ず限界があることもこれまでの経験で解ります。
それは、かつてアクリルミラーを受験生に与えて入学試験をし、
その時もシミュレーションをしたところ、
それは想像を超えた印象を与えてしまっていることを確認しました。
この印象は金沢でも床面と天井面そして壁面に実物を展示したところ
実際には天井と床は永遠かと思えるほどの高低差を見せました。
まさしく、
視点は「どこを見ているか」という虚像の連続性を生み出します。
もうひとつの視点「どこから見るか」という自分の存在を消します。
鏡・鏡面・鏡面の立体化はとても怖い存在になるだけに、
鏡の魅力は果てしなく、まさに冥府なのかもしれません。
自宅にはなるだけ鏡を存在させずに、
もし鏡面があるとしたらという制御、コントロールが、
日常環境で自在になれば、映像という虚像と、
自分の関係から、冥府を知り尽くすか、解放されるだろう。


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