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Posts Tagged ‘ファッション性’


『ひさしぶりにiPhoneを変えたけれど・・・それって当然のこと』


   


     10月 4th, 2014  Posted 12:00 AM

モバイルホンをこれまでどれだけ変えて使ってきたでしょうか。
しかし、iPhoneになってからは迷わずにこのシリーズです。
iPhone5も5Sになっても5まま使い続けてきたのですが、不便なく、
買い換えもせずに、iPhone6 Plusを直ぐに申し込んで、
売り出し翌日には、私もワイフもこれを使い始めています。
「大きすぎるのでは」とか、「iOS8でトラブルが」とか、
巷はうるさく批評論議をしていますが、私には全く関係ありません。
肝心なことが見えていないのです。
それはモバイルホンは、機器そのものがその性能と機能が先進的、
これがまず大事です。そして効能性は「持ち物」であることです。
つまり、身体とともにしかもいつも身につけているわけですから、
私には最高のハンカチや最高の筆記具と同質のモノであるべきです。
そういう意味では、やがて電話機販売企業も整理されるべきであり、
電話回線も社会的なインフラですから、
このインフラ価格競争そのものが変です。
もはや水道水は飲まない人類になってしまったように、
ペットボトル化すべきモノかもしれませんが、これはまず機器です。
その機器と回線=ネットワークというインフラがあるわけです。
私はこの大きさでこそ、ほとんどの情報携帯が可能になっています。
また、幸いにしてLVのグラファイトがケースになってます。
当然のことに、これには印鑑と呼び笛が必須であり、
edyをつけておけばほとんど日常的なツールは十分のようです。
万一を考えて、充電器、これは様々に楽しむためにもっています。
そうして、今のところ気に入っているヘッドホンで
それなりにはHiFiが楽しめる、その環境具になっています。
私独自のKeynoteづくりも、この大きさになって楽になりました。
ともかく、最近はネクタイをしない風潮が当たり前ですが、
それでも、そのファッション性は着心地を観察されてもOK?
このセンス的な効能性では、この大きさOKであり、
むしろ時代遅れなモバイルホンを持っている人にはセンス零でしょう。
似合わないメガネをしていたら、ただ滑稽な存在でしかないのです。


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9月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

9月8日 壬午(仏滅)

工業デザイナーの「業」かもしれない、と
私は思い込んでいることがある。
「モノ」を大切にし、
「モノ」の神髄を信じることだ。

その現れが、
「モノ」の選び方と
日常化するモノと
そのファッション性を
育むことだと確信している。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『本当のモノは信じられることにつながる』


   


     1月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

巷では何を間違ったのだろうか、
安易なPCメガネが一時的に流行しました。
LCDモニターは可視光線の青色が目に悪いということで、
PCモニターには必須のメガネアイテムが登場しました。
これはとても安易な発想ですと私は発言を繰り返しました。
と同時にすでに6年前の発想で一度は商品化した「ドライアイ」対策、
その再商品化を試みました。
PCを凝視すると、極端に眼球が乾燥することの方が問題です。
「ドライアイ」、つまり、眼球の角膜には三つの層があります。
油層・水層・ムチン層があり、眼球層が凝視を連続して乾燥することが、
最も角膜を痛めることにつながります。
私自身、当初はモニターの凝視がドライアイを促進すると考えていました。
だから、モニターを時々シャットさせる実装を考えていましたが、
モニターが故障している印象があるということで、
眼鏡に液晶をシャットダウンする方式でアクセサリー化を考えました。
それが、安易なPCメガネで登場したとき、
これらのメガネでは単に青色カットだけではドライアイを防げないという、
その結論に達しました。
すでにPCメガネは100円ショップにもあるぐらいです。
青色カットもそれなりの理由を認めないわけではありませんが、
PCモニターとの関係性は「ドライアイ対策」が本当に必要な効能性です。
この性能を実装で解決をして、身体・眼球・角膜との効能を果たしてこそ、
PC眼鏡レンズの機能性が効用をもつ機能性になるのです。
最近はようやくそのことが認められ始められたようです。
若者雑誌に登場するようになりました。
「ドライアイ」を防御する機能性はさらにここから進化させられそうです。
そのような技術は、液晶モニター特性・ドライアイ症因防止効能、
そしてより未来あるヘッドマウントへの進歩を導くでしょう。
すでに、そのメガネデザイン開発に入っています。
しかし、「ドライアイ」が角膜を痛めることの防御効能を性能化し、
その機能的でファッション性のあるデザインが求められ始めました。
そのデザインの効用と効能を日本の技術で国際化させたいと考えます。


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「デザインすることの勘違いは大間違い」


   


     9月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

私も腕時計はいくつかデザインし商品化してきました。
今でも悔やまれるのは、
自宅マンションに泥棒がバールでドアを壊し、
腕時計などを盗難されたことです。
見事に、腕時計は当時大きな仕事終了が出来だして、
ようやく買い集めた数十万のブランド時計だけでした。
このショックは今も心に残っています。
そして、そのとき時計の価値は知られた時計ブランドのみでした。
スウォッチでも限定モノなどまったく泥棒価値ゼロでした。
中国製の偽ブランド、その超安物も今ではよく出来たモノになり、
あらためて偽時計から、私の偽ブランドモノを考えます。
それはメガネも同じですが、安物はやはり要を欠落しています。
最近デジタルツール、特にスマホのウォッチ化が競合現象です。
しかし、私には、これはカメラデザインが銀塩のスタイルを、
全く一新できなかったデザインの能力不足を再び見る思いです。
・・・デジタルツールで電話なら、
・・・デジタルツールで時計なら
・・・それらが、スタイルとして「腕時計なら」、
最大にぬけおちているのはブレスレット性とファッション性です。
「ブレスレット+ファッション+デジタル」なら、
その「問題解決」がいわゆるデジタルウォッチであったとしても、
根本の再検証と一新されるべき発想の未熟さのまま、
デザイナーはこのウォッチスタイルに逃げています。
そして、メーカー経営者には儲けはあっても文化啓発力は無く、
かつてのブレゲの壮大さには及びません。
すなわち、ガゼットとしてのデザインで終わるでしょう。
しかし、いわゆるデジタルツールを日常化してきた私たちの
「なくてもいい、なければ困る」時代との共時文化での
生きがいツールの「問題発見」が必要です。
ガゼットデザインは勘違いを大誤解に変貌させます。


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「ブランド の表現統一には、センスと見識あるディレクターが必然」


   


     9月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

このブランドのグラフィックス表現力は一流です。
パリ本店で、一枚のシャツを見つけました。
私の大好きなクロッキータッチの素描画が描かれているシャツでした。
美大入学当時は、クロッキーは相当に鍛えられました。
だからたまらなく私の物欲に直線的に飛び込んできました。
そのシャツの素描画が、バッグの内面ファブリックにも使われました。
そのバッグは
英国鞄ブランドのグローブ・トロッターとのコラボ商品であり、
「ヴァルカン・ファイバー」と呼ばれる
伝統的な紙を多重層にした素材を
さらにこのブランド用に協同開発されたモノでした。
軽量さは格段に改良されていました。
そのバッグの内装生地にはシャツと同柄の素描が描かれていました。
もちろん、シャツと裏地は別生地でしたが、その接着あるいは圧着技術は、
このファイバー素材を見事に活かしていました。
このブランド組織においても、
シャツ部門とバッグ部門は異なっているはずです。
だから、ディレクターの存在を感じます。
このコラボ的な商品開発において、
自社ブランドのクロッキー描画グラフィックスを選んだことです。
つまり、ブランドは、モノづくりの根本的な理念を表現するには、
「何が、そのブランド表現の核心なのか」は、合議制ではありえず、
「一人の決定者」が必要だということです。
国内企業では、センス無き経営者の趣味趣向が優先され、
価値観は「好き・嫌い」だけでしかなく、
デザインを「たかがデザイン」としか見ていない経営者が
本当に日本は増殖し過ぎました。
エンジニア出身であろうが営業経験者であろうが、
その人の「ファッション性」を見るだけで、野暮ったい経営者が、
デザイン=ブランドの核心の決定者であっては企業は衰退するだけです。
私は、このバッグとシャツのグラフィックスの素描画を統一し、
このブランドが「馬具製造からのメーカー」であったことを
さりげなく表現する決定をしたことに注目しています。
日本のメーカーが「ブランド化」するには、
まず、経営者のデザインセンスそのものが大問題だと指摘しておきます。


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「博多で一息・キャナルシティ博多の賑わい」


   


     3月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

有田・唐津での出張を終え、
6年ぶりに博多で2日を過ごしました。
かっては、特別老人ホーム(唐津)や健康機能商品開発のアドバイス、
同時に歯の治療で毎月滞在していました。
その時は、新設される札幌市立大学設置委員会にも出席していたために、
札幌・博多を何度も航空機で通うほどでした。
札幌市立大学は学長辞退という大事件も経験しました。
私の生涯での大事件の一つかもしれませんが、
今となっては「大変だったけれどとても良い経験」になりました。
真相は多分、語ることは決してないでしょうが、
学長辞退には一方で激しく罵倒されながらも、
本当に私の事を考えてくれた人たちには今なお感謝しています。
さて、博多ではグランドハイアット福岡に泊まりますが、
私のホテル評価では5本指の一つに入るほど、
国内では最高ランクのホスピタリティがあります。
6年ぶりでしたが、スタッフの皆さんは覚えていただいたようで、
車椅子対応の準備の周到さは日本でトップです。
そして何よりも興味深いのは、
隣接する「キャナルシティ博多」というショッピングモール街です。
私自身はここではそれほど私の物欲・購買欲はありませんが、
子供から大人まで、そして商品アイテムはまさに百貨店ですが、
百貨店を上回るマーケッティングを現場観察することができます。
今回、店頭でテレビゲームに夢中の女の子をしばらく見ていました。
あまり見ているとロリコンに見られるよとワイフから忠告受けるほど、
この子の存在は興味深かったのです。
もうこの子には自分ながらのファッションセンスが
自分自身に育っています。
そして、
このようなゲームに夢中になれるという発見がいっぱいありました。
キャナルシティ博多はさらに拡大し、
博多駅との競合で激しいマーケッティング競争をしていると聞きました。
博多に九州が一極集中している現実がありましたが、
その「活況ぶり」には、
あらゆるファッション性が
百貨店を超えたエンターテイメント性が見事でした。
ただ、競合する店舗同士を見ていると、
「なぜ、こちらの店舗が人気か」というのは、
店舗店頭や店内動線に「拒否記号」と思えることがいくつかあり、
「やっぱり」と確認することができました。
この店頭にテレビゲームは、この子にはたまらなく面白いのでしょうが、
この店舗の「拒否記号」=ショッピング・衝動買いでの
バリアーになっていることは確かでした。
キャナルシティ博多はさらに拡大し、
海外の人気ブランドショップをワイフの付き人になって周りました。
まさにデザイナーとしての視点で楽しむことができました。
そして、これほどの盛況を
なんとしても東日本被災地復興に図るべきでしょう。
「までい-Project」のことが脳内いっぱいのイメージになりました。

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「問題解決なのに「応答」商品の氾濫」


   


     12月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

今、日本のデザインは方向を間違っています。
誰かが指摘しておかなければならないでしょう。
私は、「応答商品」が氾濫し過ぎていると思います。
デザインは問題解決の手法です。
そして、問題には三つの種類があります。
話題・課題・問題です。
だからそれぞれに「答」がありますが、
これも三種類の答があることを認識すべきです。
話題に対しては「応答」
課題に対しては「回答」があります。
もちろん、話題に対する答としてのデザインは、
造形として、かわいいデザインであったり、
その商品存在が話題になるべき流行やファッション性、
これは不可欠のことです。
社会的な課題になっていることの「回答」商品も必要です。
そして、元来、根本、極めつけは、
何が問題であるかを見つけ出し、その解決「解答商品」が最も重要です。
どこか日本のモノづくりが歪み出しているのは、
「解答商品」を新商品で見かけることが少なくなってきました。
まだ、課題に対して「回答商品」ならば、
国際的な競争力があります。
しかし、ともかく社会的な「話題」だけを追い求め、
あたかも共時性があると錯覚している商品は、
「応答商品」にすぎません。
そのような商品づくり・モノづくりは、
頭脳集約産業の「答」商品ではないことを確認しておくべきです。
どの分野のどの領域かは明言できますが、
まずは、「応答商品」を話題にしている産業は、
確実に国際的競争力を喪失するのです。
私は自分が「買う」と判断するときには、
必ず「問題解決」を果たしているモノを選びます。
日本の再生として、ともかく「問題解決」がデザインであり、
その答としての「解答商品」づくりに
集中させなければならないと考えます。

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「メガネフレームはまず自助具でありき」


   


     11月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

メガネフレームのデザイン、
懸命に取り組んでもう25年以上になります。
インダストリアルデザインでの設計が、
産地に受け入れられてもらえたのは、
メガネフレームメーカー・増永眼鏡の指導と支援、
これがあったからだと思っています。
増永眼鏡は、フレームメーカーとして100年以上の歴史、
日本での眼鏡枠製造老舗、海外にはKOKIブランドとして、
最も信頼のある企業であり、技術力ではトップメーカーです。
メガネフレームは、ファッションであり流行に左右されます。
しかし、ファッション=自分演出のおしゃれ道具ですが、
根本的には視力支援器具、
いわば医療器具であることは免れません。
したがって、3プライスと言われるビジネスモデルでの
低価格商品は常にファッションというより、
「流行」だけをテコにした市場でありますが、
これは日本独特の市場展開なのです。
なぜなら、海外では度数の無いサングラスは、
どこでも買い求めることができますが、
医療器具としては、眼科医の処方箋が必要です。
眼科医というよりは、
「オプトメトリスト」=6年の大学専門教育と国家資格と、
「オプティシャン」というフレームとレンズの加工技師資格、
この二つの資格がなければ眼鏡ショップは経営できません。
日本だけがこうした資格無しでメガネが販売されているのです。
単なる広告宣伝でファッション性だけで語られる眼鏡は未完成です。
メガネフレームそのものがレンズが無ければ、
それはキーホルダーのようなモノにすぎません。
最近は、素材・重量(レンズ無し10g)・形態、
この形態がデザインだと受け取られていますが、
顔の形、耳、鼻などとのフィッティング=かけごこちは、
「性能デザイン」になっていなければなりません。
安易なデザイナーブランドや建築家が片手間デザインは、
「遊びのデザイン」として楽しめますが、
これをファッションとしてのメガネフレームだというのは、
生理的、倫理的、美学的には、私は認められません。
私は、いわゆるブランドフレームでも、いい加減なモノは、
それを着用しているユーザーの社会的存在性を自らが貶めています。
フレームの形態は、造形性能と造形機能が、
ある意味での「形態言語」になっていなければなりません。
私の提示した「アンチテンションスタイル」=レンズに応力無しは、
すでに「不易流行」のフレームデザインの一つの様式になりました。
メガネを着用している人、コンタクトレンズの人、
レーシックをしてしまった人、その手術を考えている人、
あらためて「視力」と「メガネ」、
この「造形言語」を読み直してください。
メガネフレームは「自助具としての性能・機能」が、
「効能」として、視力を支援し目を保護するモノです。

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