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Posts Tagged ‘ホテル’


『とても高額だから素材・仕上げ・使用と利用が出来る』


   


     11月 8th, 2019  Posted 12:00 AM



先般の「商品発表会」に、作家・政治家 田中康夫氏が来場してくれました。
その時に、様々な著作類をいただきました。
それで、私はブランドを知ったきっかけを思いだしたのです。
『33年後のなんとなく、クリスタル』は一躍、
旋風を巻き起こした『なんとなく、クリスタル』の続編。
『もとクリ』と『いまクリ』としてコメントや評価を受けるらしいのです。
『もとクリ』の頃、1980年代には、私は、福井を拠点として、
東京での定宿は東京プリンスホテルで、泊まる、会議、面談、食事会と
滞在中はホテルの中を転々とする出張を
20年余り続けていた頃がありました。
その地下には、ファッションのフロア、
西武PISAのとってもラグジュアリーな店舗ばかりでした。
ある時、Tシャツを買いにいきました。
3000円だと思って支払いをしたら、
実際は3万円で、とてもビックリしました。
それがランバン、ミッソーニやマーロ、それからエルメスでした。
一流品の余りの高額さで驚嘆しながらも、
素材や仕上げ、そして商品力を学びました。
そのエルメスの店員さんとは同い年で、
「絶対にこれは借金してでも買いなさい」とか、
「これはもう出ないから」と薦められました。
銀座、丸の内と店舗を移動されてもお付き合いは続き、
今は定年をむかえられましたが今も付き合っています。
そのおかげで、
生地、素材、ついつい最高のモノから手に取ってしまうのです。


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『論語からの吉田茂の書が大好きです』


   


     10月 25th, 2019  Posted 12:00 AM



「子曰く、学び手時に之を習う、
また説ばしからずや。
朋遠方より来たる有り、また楽しからずや。
人知らずして慍みず、また君子ならずや。

これは「論語」の書き出しです。
実際的には、孔子の死後に言行録として今でも語られています。
そして、「論語」は経済的な指南書になっています。
「朋遠方より来たる有り・・・・」の書は、
私の東京での定宿のひとつでもある六本木のホテルに飾られいてる
吉田茂の書です。
一流ホテルには、時に心落ち着く植栽や香りの演出、
非日常空間へ導く仕掛け、
あるいは気持ちが高揚する現代美術がありますが、
このホテルには都市の真ん中にぽっかりと空いた大きな緑の庭と
そして吉田茂の書があります。
ここの書がとても大好きです。
帝国ホテルも季節毎の大きな花がエントランスを彩りますが、
パリの FourSeasonsジョルジュサンクの
花の演出には毎度惹きつけられます。
見つめずに通り過ぎるなんてできない圧倒的な存在です。
また、篠田桃紅氏の「人よ」があるコンラッド東京が大好きです。
今回の滞在でも、
吉田茂の書がちょうど心地良く、長めの滞在をしました。


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『技術はいつでも歴史的にも「戦争」が革新する?』


   


     3月 31st, 2019  Posted 12:00 AM



技術が格段に進化するのは、歴史的にも戦争であり、
これは革新=INNOVATIONと言います。
この言葉で、主たる理論を構築したのはヨーゼフ・シュンペーターでした。
そして彼の発言なのかどうかであり、第二次世界大戦が始まりました。
私は革新では無く、TRADITION=伝統とその「裏切り」だと考えています。
絶対に乗りたいと思っていたコンコルドは、
いつもケネディ空港で見てはいましたが、今は乗れません。
このモデルがあるホテルを知っています(笑)。
コンコルドはマッハ2.2で飛行しました。
マッハは相対速度を音速で割った値ですが、
大西洋を横断する速度だと言われています。
JAXAが、マッハ5クラスの極超音速旅客機の実現を目指し、
研究開発を進めていることを発表しています。
この研究開発は、米国のボーイング社も競合に乗っています。
それこそ、戦闘用のエンジン技術では無いことを願いつつ、
太平洋を2時間で横断できるその旅客機という革新に期待しています。


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『ロートレック出身の町で、入院経験のPFM』


   


     12月 25th, 2018  Posted 12:00 AM



フランスのトゥールーズ(航空宇宙産業)から
約1時間半でアルビの町です。
ここでもいくつかの思い出があります。
フランスと日本の交流記念となるイベントで
私は「産業とデザイン」の日本代表として講演等に参加しました。
アルビでは、国立の鉱山大学を見て回った後、
ロートレックの美術館に案内されました。
この美術館はお城で、
ロートレックの石版まで見せてもらうことができました。
そして、そのアルビ県の知事官舎で、どういう訳か私も表彰されました。
しかし、当時は失業率が4.0%で、デモが起こりました。
危険が及んではと、知事の官舎、といってもお城跡で
その抜け道の地下道を通り町の市場に出て難を逃れました。
このルートは秘密とのことでした。
そこで、過密なスケジュールをこなしていた私は倒れてしまいました。
心臓発作が起こったのです。
ホテルでホームドクターの診察を受け救急車で大きな病院に運ばれました。
何としても役割を引き受けたトゥールーズでの講演はやり切り、
ドクターにお願いし10時間もたせる注射をしてもらい講演会を終了し、
後は、私はその大きな病院で、通訳二人とスタッフたちは
町のホテルで、20日間ほど滞在して日本に戻りました。
海外での入院生活はニューヨークとアルビでその入院環境を知っています。
この経験で、患者へのPFK=ペイシャント・フロー・マネージメントの
説明や開示、看護や食事と客観的にも見つめていました。
医療環境ならニューヨークより、日本よりフランスのアルビでした。
昼食後は、必ずワインを一杯ひっかける
そんな二人のドクターの対応を受けることになりました。


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『「年暮る」を見ながら京都の景観は誤っている』


   


     10月 29th, 2018  Posted 12:00 AM



正直、日本画が念頭から離れないとは思いがけないことでした。
ボストン美術館で岡倉天心(福井藩士)を見てからです。
当然のごとく、日本画家に惹かれていきました。
なんといっても、東山魁夷の特に緑色や青系には心が引かれています。
「年暮る」という京都の雪景色があります。
丁度、京都で定宿としているホテルに、絵の風景が
見事に見える部屋があるので底冷えの季節は必ず滞在します。
ところが先月の滞在時、台風21号の影響から
ブルーシートが屋根にかかったままでした。
そもそも、かっての京都の風景がそれこそ川端康成が書いていた風景は
残念ながら見事に壊されていました。
どうして、東山魁夷の風景などを大切にしない街づくりが進むのでしょうか。
一方で環境を守る厳しい基準や制度があるのも事実で、
ワイフが京都に平屋建ての本当に京都なりの見事な建築ですら
それらに阻まれて結構制限されてしまいました。
京都の友人の建築家に依頼したのですが、
建築家と工業デザイナーとの闘いと
折り合いの日々は楽しい期間でしたが、
京都の景観づくりはやっぱり駄目でした。
そんなことに比べると、「年暮る」の風景をどうして守れなかったのか、
そんな気持ちが思い上がります。
きっと今では単なる土産物屋になってしまった著名なお店ですら、
立派な店構えとは裏腹な配慮ない出入り口の仕様に一言申し上げたら、
「京都のバリアフリーです」。
そのようなユニバーサルデザイン(私が持ち込んだ)はどうしようもありません。
京都だけではなくて、
東京大学で改修工事で現代画を処分、燃やしてしまったという
一件がありました。このような状況が現代では連続しています。
京都のこれだけの景観づくりは、行政だけでは無理なんだろうと思います。
私の部屋の窓から見える、「風景」・「情景」・「光景」と、
目と心で見る景色を大切にしていきたい。
それこそ、全国の景観づくり狂っている実例のひとつにすぎない
東山魁夷の一枚の絵ですら、一辺して変わっているのです。


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staffblog 9月18日


   


     9月 18th, 2018  Posted 11:55 PM

9月18日


本日は、ホテル名古屋ガーデンバレスにて、
2018年度合同講演会にて
講演させていただきました。


名古屋の企業の方のご縁で、
文具やプラスチックなど様々なメーカーの
方々の前でお話しする機会をいただきました。


年に一回行われる講演会とのことですが、
開場満杯のお客様にお越しいただきました。


モノづくりの基本に関するお話から、
今、話題のキーワードに至るまで、
実務としてのデザインについて、
展開させていただきした。


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『葉巻はやっぱりダビドフNo.2ならパジャマもあるのでは』


   


     8月 11th, 2018  Posted 12:00 AM




私は決してグルメではありません。
しかし、まずいモノには「好き嫌い」があるから決して食べられません。
「好き嫌い」というのは、人間の中でも味には最高かも知れません。
それでも、高校時代に初めて、キュウリやナスが食えましたが、
トマトは今でも、どうしても生では食べることが出来ません。
そういう意味では、自分がグルメだからとか言う人のことは、
私は認めることはありません。
たとえば、蕎麦であって有名な店に行って、「これが最高?」と言って、
若い頃、そこのご主人と大口論になったこともあります。
なぜなら、体質的にも12歳から17歳までで、その人の好みは決定しています。
今年に入っても、それほどのグルメが良いというのはありません。
むしろ、車倚子になってから、しかも心臓障害になってからは、禁煙しました。
60歳になってから「葉巻」を吸っていますが、自宅では吸うことは禁止です。
決まって、ホテル内で決定しているところだけです。
ただ、大学にいた頃は自分の教授室でだけは試すことができました。
今回、ここに取り上げているのは、葉巻でも多分には代表的なモノです。
一番のダビドフNo.2はありません。
そういう意味では、ハッジャマがあります。
よく言われているシルクのモノはたいしたことはありません。
しかし、よく言われているパジャマでいいのは、
エルメスからダビドフ、もう一つあるホテルのモノが最高です。
葉巻だけでなく、パジャマでは今後は睡眠時の自力の体温のことは、
パジャマでないと、とることができません。
それと睡眠時には睡眠負債と言われいますが、
私は「睡眠サイクル」と「寝具での体温調整」だと考えています。


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『外部の空気が吸える渡り廊下』無知識のデザイナー発想


   


     7月 16th, 2018  Posted 12:00 AM




外部の空気を吸うこと、というある建築誌で読んだせいなのでしょう。
この病院には、一端、全く空気を吸える場があります。
別病棟に居れば、全員この「外部の空気」を吸わないと
いけない渡り廊下があったのです。
まず、横桟で建築的にも大間違いです。
猫は平気で登ってきます。泥棒などはうってつけの建築用途でしょう。
私の身体での体温調整には全く無理でした。
それよりも、車倚子の患者を雨の中ではどうするんでしょうか?
と、看護師さんやスタッフの人は「雨傘」でその人を護るということです。
大雨の時は、と聞いたら、スタッフ達おおぜいでで護ると言われました。
ハッキリと言えば、外部の空気を吸うということは、
体調調節で外部空気を吸うということは医学的にも絶対に無駄なのです。
ちょうど、私自身で言うと、体調温度に違いがあって、
2月には、何度かとても寒くて、ベッドで寒さと闘いました。
おそらく、患者も仕方無く病院のテーマというか、そんな建築なので、
精一杯従っていました。
私などはプロのデザイナーなので
個室にあった水面器は絶対に使えませんでした。
この水面器は高額なモノであり、
車倚子の人ほど使ったほしいというデザイナーの意気込みでした。
「何を言っているんですか!」と言うことでした。
それこそ、排水溝すら調べていないのが
「デザイナーが何を言えるんだ」、怒りがありました。
この病院は確かに世界の良いデザインがありましたから、
日本ではこういうモノ=倚子とか照明器具がありました。
日本の病院ではとても値段が安っぽいモノが多いです。
でも私がフランスで入院したときは
とても良いデザインが選ばれていました。
「デザイナーの知識」がとっても低い発想でした。
私の怖れているのは、病院らしくないホテルのようだったという発想、
これが病院発想になることでした。
もちろんデザイナーや建築家あるいはユニホームが
加わることは正しいのです。
しかし、「何の医療環境化が出来る人」が必要だと思います。


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『今できることはやりつくすことだ!』


   


     11月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM




車イスになってまだ30代のころ、
国交省にいくつかの団体に応援していただきながら、
新幹線ホーム、まず東京駅にエレベーター設置を談判に行きました。
「そんなたかだか数名のためにエレンーター設置なんて・・・」
若かった私は、やがて100名が車イスの時代が来ると怒鳴っていました。
最近では、東京駅1ホームに80名から200名、とんでもなく400名の対応。
にもかかわらず、新幹線に乗るために駅員さんがスロープ対処です。
どうして、新幹線からホームにスロープ設置の発想が出来ないのだろう、
担当デザイナーどの!気づいてほしい!
銀座で最近オープンしたまあまあ1.5流クラスのホテルに、
是非ともスロープがほしいと申し出ました。
とりあえず、借りのスロープから、本格的なスロープが出来上がりました。
このスピード、そして、ホテルマンの方々が真剣に話を聞いていただき、
しっかりと出来上がってしまっていました。
こうなると、公的道路の舗装状態が悪いと言わざるをえません。
しかし、申し出たら、確かにホテルは客商売かもしれませんが、
この迅速な対応には心から感謝するばかりです。
おそらく、2020年オリンピック以後には、日本は貧しい国家になるでしょう。
しかし、今だからこそ準備をすべきです。
正直私は2050年以後には、この世にはいないでしょう。
ともかく2050年まで、いや 2300年には、ケルト民族のごとく、
日本民族はいなくなるかもしれません。
だとするならなおさらのことに、今でも想像の限りを創造に向かわせること。
私は28歳で車イス生活を余儀なくされ、40歳までと言われながら、
68歳、40年間車イスに乗って生きてきました。
しかもデザイナーです。できる限り自分の想像力を創造に向かわせたい、
だから、執拗に説得していますが、このホテルのごとく、
直ぐに対応していただけたホテルが銀座に、それは歌舞伎座が目の前です。
ユニバーサルデザインを日本で展開してきた最初の一人ですが、
今頃、ユニバーサルデザインを超えたヒューマンセンタードデザインに、
絶対に向かって実現していくべきと書き置きます。


* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』
* 「少数派のためのデザインから・再度、再検証」
* 「随分改善された車椅子対応までのエピソード」
* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』


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『福井時代は運転手付きのボルボで移動しつつも』


   


     9月 14th, 2017  Posted 12:00 AM



マジソンアベニューにあるモーガンズの裏にキタノホテルがあります。
30代の頃は、NewYorkにはよく行っていました。
キタノホテルには日本料理店がありました。今は知りません。
丁度、夕焼けの時にシルバーのステーションワゴンが止まって、
まさに映画のように、北欧の人達がその車から7人降りて来ました。
夕焼けに照らされたその車は、とても美しくてくっきりと記憶に残し、
帰日すると、カーデザイナーだった後輩に、記憶の車を告げると、
それはボルボのステーションワゴンだということにが分かりました。
この車はその当時、日本のGマークグランプリにもなったほどです。
周囲が私に運転させないようにと運転手を募集してくれていたので、
車はこの車ということに決めました。
運転手募集から選ばれた一人と会うと
ズーッとタクシーの運転手だったのです。
その車で輪島に行ったら
帰りには大変な雪で道路が凍っていたのですが、
とても安全運転であり、彼は間に合わないという時も一定の高速で、
絶対に間に合い、眠りたいというと眠れる運転でした。
5年間彼にはお世話になったのです。
カマロはズーッとありましたが、
一度BMWのiシリーズも改造して乗りましたが、
全く自分の運転には合いませんでした。
そして、よく金沢美大の後輩たちが、アウトビアンキに乗りたいということで、
この車を手に入れてもいましたが、これほど故障する車はありませんでした。
それで、ベンツS320が一番良さそうということになり、
カマロとS320は個人的に福井時代に乗っていた車です。
結局、名古屋市大にいくことになり、S320は名古屋に持っていったのです。
このS320が一番長く乗った車だと思います。
名古屋市大時代には、またまた色んな車に乗ることになるのです。
運転手付きでのボルボ時代に、
彼はダッシュボードにガラスの水入りコップで、走っていたこともあり、
おそらく彼の運転が最高でした。ハイヤーの運転手も彼より下手で、
よく、下手くそな運転だと私は面と向かってよく言ったのです。
名古屋に着いて来ないかとも言いましたが、
家も建て小学生の子どものことも考えて福井に残りました。
名古屋時代にはまたとんでもない車遍歴をしたのです。


* 『New Yorkでのホテルから海外のホテルを決めてきた』
* 「10年使用すると、そうだったのかということ」
* 「モンテカルロ、そして車載携帯電話もあったカマロ」
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『ヘルメットとヘッドライト、デザインの見直し』


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