kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘伝統文化’


『「茶美会」は茶道であり、私の「茶杓」です』


   


     1月 4th, 2019  Posted 12:00 AM



これは私がデザインした茶杓です。
この茶杓は裏千家「茶美会(さびえ)」のために制作したもので、
故・田中一光先生が企画構成された活動でした。
空間構成、音楽、衣装、演出と著名なデザイナーが参画し、
工業デザインは、もうすべて知り合いで
伝統文化と対峙、融合しデザイン提案しました。
茶杓は茶道では大変な役目を背負います。
一定の制作費が決まっていたのですが、当然持ち出しで
背一杯の茶杓を制作し、一式を裏千家に納めました。
私のデザイン資料にもう一式つくりました。
茶美会にて、私の道具でお点前のインスタレーションがなされ
その時間、空間は圧巻でした。
茶道は、母が裏千家でしたが、義母は小堀遠州流でしたから
お作法やお点前の違いを見ることができたと思います。
「茶美会」では、香合や棗など会を重ねて開催されていましたが
田中先生が逝ってしまわれてから、それをやろうという人がいません。
まだ、とても私がやるという主体性は持っていませんでした。
茶道での伝統を現代に活かすという主題でした。
そんなこともあり、茶道をワイフがやるたびに、
茶美会での茶道具を思い起こすというわけです。
正月は、まずは一服こういったひと時を過ごしました。


目次を見る

『墨汁が護っていてくれた文字=言葉の伝統文化』


   


     8月 30th, 2016  Posted 12:00 AM



小学校1年生でした。書道の筆はやたらに太く、
祖父や父が使っている筆より太くてこれで練習?不思議でした。
そして、明日書道の時間があれば、
母に手伝ってもらい墨をすり、マヨネーズのガラス瓶に入れて、
学校に持っていきました。
書道ではなくて「書」をやりなさいと教わったのは、
禅宗第一道場の吉峰寺の住職からでした。
道がつくのは命をかけるものゆえ書に命をかけることはないとの教えです。
まだ、インクほどの知識はありませんが、今では墨汁が各種一杯あります。
現在は墨をするきっかけに、自分はこれら3種の墨汁を使っています。
簡単に書を書くなら矢立を使っていますが、矢立の筆の軸その長さは、
通常のボールペンと同じ140mm程度ということで、
筆記具の軸長さとの関係に驚きます。
識字率が武士は100%であり一般庶民が江戸後期には45%だったらしく、
このことは日本民族が筆文化、矢立を持ち歩いていた素晴らしい、
書の伝統が現在もひきつがれているということです。
墨汁というのは、実際は、墨をするといういう硯石と硯ですが、
この文化は菜の花から生まれて、菜の花の黄色が黑=墨色になるという
その美しさの見事な反映だと思っています。
自分の墨汁には全くの光沢ある墨色、茶系の墨色、紫系の墨色です。
今では日本のインクは顔料が万年筆に入る時代にまで進化しました。
日本の墨、墨汁は矢立とともに日本のことばを引き立ててきたと賛美します。



* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『森羅万象悉紙也』=ペン先メインテナンスの紙
* 『万年筆で顔料インクがありえるのだ』
* 『ブロッター・インクと吸い取り紙の関係』
* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』


目次を見る

『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』


   


     12月 17th, 2014  Posted 12:00 AM



「和食」はユネスコ認定されましたから、
ともかく日本の食文化全体が伝統文化としてグローバルな認定でした。
しかし、「和紙」でユネスコ認定されたわけではありません。
ひたすら和紙産地が、国内の中でも「自分たち」だけを
官僚経由でユネスコ認定を勝ち取って自分らが本物と主張しただけです。
厳密に言えば、1300年の歴史は1500年の越前和紙との、
私が絶対に許せない「差別化」謀略を完成させただけのことです。
したがって、「和食」は農林水産省の仕事であり、
「三つの和紙産地」認定は文部科学省の仕事だったことです。
日本人だって、ユネスコ認定での日本国内の取り決めなどは全く、
私たちは知るわけがありません。
私も、福井県選出の国会議員と一緒に文科省のお役人から、
詳細を聞かされて知ったというわけです。
認定された和紙も楮に限定されています。これが文科省の仕事?
雁皮の困難さ、土佐楮は選ばれず、溜漉き、黒漉き無視なんて
本当の和紙技能は選外ですから。
冗談じゃない!、申し上げたい、お役人に何が分かっておられるのか、
しかも、マスコミのバカどもは、和紙でドレスが出来る?って、
それは和風紙(純楮ではない紙パルプの草紙)です。
知性無き文科省の官権を、絶対に認めない人間がいます。私です。
それは私だけでなく、極めて悟性ある多大な仲間がいます。
ユネスコ認定自体を、私は実物と歴史性そして伝統的制度論で、
海外アピールする覚悟でいます。
なんと言っても、越前和紙から和紙が全国各地に伝承されたことを
私自身が熟知と経験から、文科省のこの認定を海外から壊します。
海外のデザイナー仲間は絶対に私を全信頼しますから。
なぜ、私がこの覚悟と決意をしているかは、
文科省の認定に関わり、私に説明した担当者の偉いさん達、
じっくりと再考を真摯に、そして激烈に私は求めます。
メールも平然と無視できるそのような人たちです。
もちろん、この認定を取り付けた産地は和紙づくりに真剣でした。
この認定を知った後で、あわてふためいた産地は猛省を、そして、
首長の知事や市長は、全く伝統には無知だったと指摘しておきます。


『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』
『越前和紙に私専用を特注、なぜなら伝統の技能だから』
『享保の手帖から私が学び直したこと』
「伝統は熟知必然・実例としての和紙か和風紙か」
「越前和紙から名塩和紙への悲しい物語り」


目次を見る

『箪笥・小タンス・ダンシング』


   


     10月 18th, 2013  Posted 12:00 AM



これは、長年私が温めてきた企画展のタイトルです。
したがって、箪笥を所有し使用するのも拘ってきました。
一番に拘ってきたのは、かつて母の実家の蔵にあった箪笥です。
日本の箪笥は平安時代から江戸時代には格段の進化をします。
そしてこれが壊されるのは明治期に欧州の家具や、
敗戦直後からGHQにデザインを依頼されて米国流になったこと。
したがって、日本に有った「船箪笥」は優れたモノづくりでした。
船が難破しても沈まないとか、桐箪笥は水をかければ燃えない、
このような話がまことしやかに語られました。
しかし、火災になっても現代は高温になることや、
船箪笥・桐箪笥は沈み、燃えます。
しかし、現代もなお「岩谷堂箪笥」のモノづくりには、
日本の箪笥、船箪笥・桐箪笥の詳細で緻密さが息づいています。
たとえば箪笥は移動体だったため箪笥車が台輪についていました。
これはドイツの収納箪笥同様に移動が簡単でした。
さらに、泥棒よけや、隠し引き出しがあることなどの細工です。
私が、生きている伝統文化としての箪笥には、
木材の頑丈さや狂いよけの細工、仕上げの漆塗り、金具工作です。
そうして、これらがすべて完成度を持っているのは、
「岩谷堂箪笥」です。
おそらく、日本の箪笥をデザインで「岩谷堂箪笥」までの復興を
私はまだ見いだしていません。
昨今は、伝統工芸品として、木工工作の箪笥を認定していますが、
私には肝心要の素材・引き出し工夫・金具・仕上げの漆など、
こうした技術が継承されなくなってきています。
それだけに、新素材・新仕上げ・新金具、そして工夫木工が大事。
私は、自宅では「岩谷堂箪笥」を大事に所有し、
「箪笥・小タンス・ダンシング」展を考えています。


目次を見る

「扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている」


   


     5月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM


以前、ファンの方から私の著作を絵柄にした扇子をいただきました。
それも京都の老舗、「宮脇賣扇庵」の物でした。
この「宮脇賣扇庵」で様々の扇子を見ていて、また発見しました。
自然描写で特にまた葉っぱの写実性が崩れているものが多少ありました。
私はこの「扇絵」という日本の伝統的なキャンバスには憧れがあります。
そこで、展示してある「正確」なものと駄目なものを見分けていました。
大声で「あれ、間違っている」と言ってワイフに叱られました。
「また大きな声で、駄目でしょ」って。
「間違いは指摘しておくべきだ」と。
お店の方と話をしたら、その通りです、との回答をいただきました。
時折、プロの日本画家、日本画画材でないと扇制作は不可能、
膠が扇制作では大きく影響しますが、
日本画家の先生でも間違いが多くなってきている、とのことでした。
このところ陶磁器での自然写実とデフォルメも間違いが余りにも当然です。
いづれ、私も「扇子」を特注して作品化したいと考えていますから、
「宮脇賣扇庵」さんには
徹底して「絵の制作での注意点」を講義していただきました。
「扇子」はまさに日本の発明品です。
本来ウチワ的な風をしかける調度品は
エジプトから中国と世界的にありますが、
「折りたたみ」=foldingの形態にしたのは、
まさに「日本らしさ」であり、
「携帯性」と「凝縮性」は、日本のモノづくりを端的に表しています。
要は(この漢字も扇子の部品名にあり)
いわゆるfolding ・mobileは
デザインの一つの造形のあり方だと思っています。
しかし、こうしたモノが文房具には大変に多くて感心しますが、
家電やその他の機器にはまったく欠落してきている風潮が
増加しているように思えてなりません。
文房具のダウンサイジング(凝縮性)・ミニチュア化・折りたたみ性は、
多分日本は最高に進化を遂げています。
にもかかわらず、機器設計において、
このモノづくり精神性は壊れてしまったのかもしれません。
その象徴が、自然写実でのデフォルメであっても基本を崩していることは、
日本の伝統文化を壊しているものと指摘しておきたいと思います。
デザインの世界から、さらに新たな表現領域への興味は強まっています。
もちろん、デザイン本来での、「補助人工心臓」や「透析医療器」などの
ダウンサイジングは、今、一番追いかけているテーマです。


目次を見る

「盤・盆・膳」という文化は木に宿る」


   


     3月 19th, 2012  Posted 12:00 AM


漆の地場産業に関わっていた頃、
私がたどり着いていたのは「木地師文化」でした。
歴史は惟喬親王の伝説に始まります。
これが日本の山岳民族・山の民=「山彦」伝説に繋がっています。
そして、私なりの漆と木地の関係は、
「盤・盆・膳」の日本の文化文脈史でした。
したがって、ふるさと福井県には河田塗りがありますが、
そこでの最初のモノづくりは「盤」から始めました。
すでに30年ほど前のことですが、
兵庫県には50余りの地場産業があり講演をしたことがあります。
兵庫県には播州算盤があり、当時、
東京のデザイナーたちがいい加減な産地活性化を持ち込んで
メチャメチャにしていました。
算盤玉を巨大にした電話台など
全くとんでもないモノづくりを持ち込んでいたのです。
だからその頃は東京のデザイナーが地方産地に入ることを
徹底的に敵にしていました。
さて、算盤は中国から長崎に入り、滋賀で産業となったのは
惟喬親王による木地師発祥の地で算盤玉が作られ、
やがて播州に移ったのではないだろうか、
というのが私なりの解釈です。
その時に「盤」に算盤があり、
それは将棋盤や双六盤ではなくて、
算術の道具があることを知りました。
旭川を拠点にする親友・蛯名紀之氏から、
フリーになって20周年の記念品が届きました。
それは、本来は家具デザイナーの彼が
「播州算盤」のデザインに関わっていました。
すぐに20周年のお祝いのメールを送りました。
それは、彼がとてもいい出逢いの仕事を成し遂げていることに
感激し感動しました。
「盤」、それはいまならPADもしくはPLATEです。
算盤は、盤上に数字のシンボル算盤玉が並んでいます。
加算・減算・乗算・除算までが算盤は可能です。
そのイメージを持てば、暗算が得意になる才能を開花させます。
算盤がプラスチックに一時期なったとき、それはソロバンでした。
だから、生活には電卓が入り込み算盤文化は失われたのでしょう。
彼の作品は流石に家具デザイナーだけあって、
木材が見事に使われていました。
私は言われ無き、「木の温もり」などということには否定的ですが、
なるほど、算盤は木でなければならないと確信しました。
算盤、とりわけ播州算盤は
日本の知的道具の伝統文化=宝だと改めて知らされました。
算盤文化をもう一度見つめ直すべきでしょう。


目次を見る

「杉と桐と、そして琴に成る」


   


     1月 25th, 2012  Posted 12:00 AM


日本の植林行政での大失敗は杉の木の植林でした。
全国どこでも杉の木はメンテナンスフリーの樹木です。
結果、必ず花粉症に悩まされる国民性を引き込んでしまいました。
さらに、間伐材の問題も生まれました。
間伐材利用のためにデザイン導入も随分と試されましたが
すべからく失敗しています。
これは関与したデザイナーの力量不足だったと指摘しておきます。
そして、桐の木もかつては箪笥素材として日本の代表的樹木でした。
しかし、桐箪笥は着物文化とともに市場は縮小しています。
桐材でのデザイン開発をした経験がありますが、
桐箪笥流通ルートでモダンデザイン流通は困難で失敗しました。
私は杉と桐との伝統的な素材観が失われたことが、
行政の安易な伝統文化への知識無さだと思ってきました。
それを象徴しているのは「琴」、「琴づくり」です。
琴の素材は桐です。
そして伝統楽器である「琴づくり」においては、
杉と桐との育成に伝統技があったことです。
つまり、杉は向日性で真っ直ぐに育ちます。
ところが桐の木の向日性は自由気ままに育ってしまうのです。
そこで、杉林の中で桐の木を育てると、
桐は周囲の杉の木の向日性に支配され真っ直ぐに育つのです。
この桐の習性を利用します。
よく育成した桐の木を伐採して、水に浸けておくと、
桐は本来持っていた曲がりくねる習性が表れてしまいます。
その曲がり具合で楽器・琴にする形態を選び出すのです。
そうして最適カーブをもった桐の木をくりぬいて
琴の音質を決定していくという伝統技です。
私は、杉林の中にある一本の桐の木をイメージすると、
杉林という環境が一本の桐が周囲環境で育成します。
ところが水に浸されて本性である桐の向日性が
出現するということに注目します。
すなわち日本の伝統技には、
素材の本性を自然環境のままに制御する人工技があることです。
私が自然との人工を対比するとき、
自然との調和などは元来ありえず、
むしろ自然をこよなく観察しその自然性の本性性能を、
人間技が徹底して制御運用してきたことが重大だということです。


目次を見る

「陰翳復帰・明るさへの反省は文化再認識」


   


     4月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

省電力はこの数年のある種の義務でした。
これまで私たち日本人の義務意識は建前だった、
社会的な言い訳かもしれない、と思います。
具体さを、まったく欠落していたかも知れません。
ところが、
フクシマ原電事故がこれを覚醒させてくれたようです。
原子力発電所という大規模な施設発電から解放をめざすこと。
これから大きな哀しみを抱いて解決していかなければなりません。
それは具体的義務感としての「節電意識」です。
「想定外」には、デザイナーとして相当の反論があります。
しかし、これはひとまずおいておきます。
さて、東京から「ひかり」が薄暗く、闇を受け入れ始めました。
東京オフィス環境は750ルクスと言われます。
しかし、米国でのオフィス環境でも450〜500ルクスでした。
商業施設では1000ルクスが求められてきたことも事実です。
もちろん、病院や作業環境での明るさの必然性は遵守当然ですが、
「節電」=節約電力が私たちの日常下意識になりつつあります。
いわゆる陰翳、夜空の星、月明かりが大都市に戻ってきました。
戦後、高度経済成長とは、私たちが「ひかり」ある生活こそ、
進歩の証拠として都市文明を希求してきたのかもしれません。
かって、ある有名な照明器具メーカーのショールームが完成し、
そのショールームで、気分が悪くなり、吐き気すらするのです。
よくよく考えてみたら、そのシュールームに影が無かったのです。
だから照明というのは、影あるひかり=あかりだと理解しました。
東京の夜空に星が見える、月明かりに感動すると聞きました。
「陰翳礼讃」は、日本の伝統的な美意識であり伝統文化です。
「節電」という作法を日常化していくことは、
これまでの日本が本当の豊かさは「あかり」にあって、
決して「ひかり」では無かったことを気づかせてくれました。
人類が生命をも危うくする光とは光線です。
その極みである放射線を求めることへの大反省です。
だから、私は「脱・原発」というより、
「解・原子力」での「あかり」を求めたいと思っている次第です。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
    「小さな空間としてのローカル」


   


     10月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

小さな空間
マルキストとして著名なリオタールは、
「大きな物語」と「小さな物語」を歴史論から、
ポストモダニズムの提言にしたことはもう忘却されているでしょう。
私は、この分析・解釈、そして新しい時代づくりへの思索的考察が、
耳鳴りになっているのかも知れません。
しかも、反マルキストですから、かえって彼に囚われているのでしょう。
そこで、今、瀕死的な状況にある地方都市の再活性化を、
東京=大きな空間との対比も、この耳鳴りの質が変化する気がしています。
しかも、東京が小さな空間になりつつあることも自覚しなければなりません。
なぜなら、国際的には、気づいたら東京はローカルになりつつあります。
ソウルがあり、上海があり、マレーシアがあり、シンガポールが大きな空間になってきました。
だから、私はことさらに「小さな空間」から再出発です。
その高密度性能、充実した機能、確約された効能をデザインし直すことが、
もっとも大事だと意識しています。
ローカル「越前市」を変える
私が、小学校高学年、中学時代をすごした街、
「越前市」=武生市+今立町の合併)に、デザイナーとして、ここで育った人間として、
「ローカル」の再興を伝えたいと帰省しました。
「0.5次産業化up」
一次産業はすでの1500人、二次産業は19000人、三次産業は24000人、
このデータを見ながら「小さな空間」の近未来産業をデザイナーとして提案したいと思います。
簡潔に、結論は一次、二次、三次を0.5次産業化upしていく具体デザインです。
それは街の伝統文化を「大きな物語り」にする方法を、まずは発想しようということになりました。
一つは、「情報」での価値性アップです。
それは私が取り組み始めたアンビエントアライアンス=ロボット+原子力+情報を視覚化します。
そうすることで、 I see ! とみんなが参画してくれるデザインアイディアだと考え着きました。
これから、この具現化の活動を開始するでしょう。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 *緊急考察!・人類の存続は家畜とともにある!*


   


     5月 23rd, 2010  Posted 12:01 AM

動物疫病
21世紀に入って、いきなり、家畜を襲ったのは、
「狂牛病・BSE」=牛海綿状脳症でした。
私はこの事件をLANCET(英国の医学専門誌)で読んだときには、
何らその後、日本でも大変な事態になるとは思いもつきませんでした。
以後、LANCETの予測は的中していきます。
鳥インフルエンザが、
万一、マラリアとの間で突然変異が起これば、という予測も知りました。
人類の滅亡が予測されていました。
そして、日本の「温暖化」が予想以上のスピードで、熱帯にいるべき蜘蛛の出現です。
とうとう鳥インフルエンザが襲ってきました。
インフルエンザがとてつもなく強力で多種になりました。
思いもよらぬ「豚インフルエンザ」が起こりました。
これは人類が豚を差別していたことの結末だと私は思いました。 
「馬インフルエンザ」もあるのです。
しかし、馬へのワクチンは相当に万全だったと思います。
なぜなら、馬はサラブレッドという競走馬という存在があるために、
防疫と治療方法があったと聞きます。
しかし豚は食用家畜という産物扱いだったわけです。
さらに鳥インフルエンザにはまだまだ不確定要素があります。
口蹄疫
ラングがパロールになる制度
そうしたら、「口蹄疫」です。
私たちは、病名とか疫病名というラング=術語が、
会話=パロールの中に入ってきて怖さを知るのです。
これはラングがパロールになることは「危険」であり、
「安全破壊」があるという実例です。
会話=日常生活に入ってくる言葉の重要さを、
持って知るべきひとつの制度だと判断します。
日本列島は、島国ゆえに、
これまで世界的な疫病の流行からは遮断されてきました。
しかし、鳥インフルエンザはもとより、
国際的な流通往来、グローバル化は、
疫病流行は巨大な安全崩壊を招き入れています。
宮崎県で起こってしまった「口蹄疫」は、
ある種の細菌兵器のようなものです。
毎日、宮崎県の苦しみを見聞し、
国家的対策の後手後手を知るとき、
わが国に国家防衛は確実に欠落した制度であることを
再確認させられているだけです。
国家防衛
政府という機関、政治家という職能、
この権力義務と権力判断力、権力知識、権力戦略の無力さは、
「和牛」と「和牛の伝統文化」が喪失されていく報道、
そのジャーナリズムの批判性が、いかに無力であるかを知ります。
家畜
家畜というのは、「畜」という漢字には、
「好」という漢字と同列の意味性があります。
つまり、母が赤子を大事にする形象がこめられています。
だから「家畜」なのです。
「家畜」は、人類の家族だと考えることができます。
よって、家畜にここまで頻発する疫病は、
人類の存続性に連鎖しています。
細菌兵器
緊急に、
「疫病」は細菌兵器です。
ある意味ではテロだと判断対処するべきです。
その国家防衛・危機管理・安全維持制度が、
デザインされるべきでしょう。
そしてこのデザインには強靱なリーダーシップが不可欠です。


目次を見る