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Posts Tagged ‘体験’


『「ミラーワールド」とのデジタルアッサンブラージュ』


   


     9月 20th, 2019  Posted 12:00 AM



AXISでの展示とKeynote Liveを開催できました。
中央の展示は、天井・ステージ・正面で、いわゆる3面の鏡面。
これは、それこそよく見れば6面の反射で虚像化を図りました。
それは虚像というより「ミラーワールド」になりました。
結局、この鏡面の展示では、12層分を突き抜けた世界でした。
「ミラーワールド」という具体的な物証を見る、体験してもらえたのです。
そしてプレゼの時間には、前面のスクリーンだけでなく、
観客に向けては、私の講演を皆さんのスマホで各々が会場回りで
見て聞いて頂けるスタイルとしました。
今後、Keynoteでの講演やプレゼではLiveを聞くことになりそうですが、
まだ動画が重なった時の動きなど同期は十分とは言えないようです。
「インテリア・ドメイン」と「インテリア・フェーズ」で、
映像と音響が今後のインテリアでの無線でつながる状況は、
私のデジタル・アッサンブラージュの作品にもなっています。
展示で、こういったデジタルの断片的な提唱ができました。


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『車は凶器で問題解決のデザインでこそ制度設計が出来る』


   


     5月 15th, 2019  Posted 12:00 AM



令和になって、まだ生まれて2年だけの幼児が
巻き込まれた悲惨な交通事故でした。
報道番組では、この問題解決には、
何の対策も語られていませんでした。
どうやっても、自動車は凶器にもなってしまいます。
以前、私立大でのデザイン課題にこの種の問題解決が出され 、
人間と車の関係が論じられていました。
結局は、水タンク、道路の整備、自動車のハードウエア改善でした。
おそらく、この程度でしか対応がとれず、
保育士さんのこれまで培われた
ノウハウやシステムでの徹底保護でも無理でした。
日本は車優先の道路づくり=道に人間だけに車が進み、
欧米諸国との馬車と人間だけの歩行者への対策対応が遅れ、
道と車のデザイン解決が全くつながっていないのです。 
自動車が凶器である以上、「倫理観」だけでは解決しません。
大きな制度改革が必要です。
なんとしても、デザインが車と人間との関係調和に
全力で貢献できるよう交通被災者の一人として、
いつか、私の体験を書き、デザイナーとして望んでいます。


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『ディフューザーは音響の実は要だと思っている』


   


     4月 12th, 2019  Posted 12:00 AM



ディフューザー=Diffuserにはとっても興味があります。
と言っても、私の指すディフューザーには興味が無いと思います。
ほとんどの人は「何?」と聞かれます。
ディフューザーと言えば、
今では空気の清浄あるいはアロマに使われています。
正確に言えば、硫気である気体・液体のエネルギー運動を、
特に音速の場合は、まず狭くしてして
それが広くなる流路を作るためのモノなのです。
音響機器のスピーカーには、
背面の音圧を効果的に拡散させる事が出来、
これが役立つことが多いのです。
さすがに、これを駆使した設計を、
評価や理解することは音響評論家でも難しいと思います。
これはJBL4343 のモノですが、
EIZOで片側400ccの最小容量のスピーカーユニットで
最高の音響を可能にするために使ったことがあります。
まず、これだけのユニットでという難題だったのですが、
当時のBOSEその社長に話を聞いたことや、
JBL4343での体験があったので、実現可能でした。
これが「ナビエ・ストークス方程式」の、
一つの答えなのかも知れません。


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03月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 31st, 2018  Posted 12:00 AM

03月31日 仏滅(壬戌)

自分の体験から出た
ひとりよがりの
「思いつき」のアイディアを、
世間と共有し、
なるべく多くの賛同を得るために、
「思い込んだ」言葉と話題を選びながら
「伝達」を続けていくに違いない。



『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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03月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 15th, 2018  Posted 12:00 AM

03月15日 仏滅(丙午)

「発想・表現・伝達」を
同次元で考えていくとは
どういうことなのか。

実は、これまでの人生の中で、
僕たちは知らず知らずのうちに
この感覚を体験しているはずだ。

それは恋愛である。



『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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11月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

11月17日 先勝(戊申)

思い出という記憶は、
ときに現在の心情を慰めたり
勇気づけるものだが、
現在を明日につないで
希望や期待を膨らませるには、
記憶や心の痕跡などよりも、
どれだけ未知の体験に
自分を対応させていけるかどうかである。



『デジタルなパサージュ』タブラ・ラーサにできるかどうか


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『デザインでの形態論・空間論は知見の極めつけである』


   


     10月 12th, 2017  Posted 12:25 AM




先般、AM社の新車が大阪にも運ばれてきて、AM車オーナーほぼ30名ほどが
副社長・デザインディレクター・Marek Reichman (マレック・ライヒマン)氏から
直接のプレゼンテーションとともに、
世界販売150台、日本販売10台の実物を触って見ることができました。
おそらくガソリン車では、これが多分最終になる車だと思います。
私はカーデザイナーを育成もしてきましたし、教え子は国内メーカーで、
ほぼ、デザインマネージャーにもなっています。
こうして、カバーで覆われた新車がもたらすデザイン事例を見ました。
そして思い返してみると、現在、デザインを取り囲んでいる言葉、
イノベーション、クリエーションなどを強く意識してきたのは最近です。
美大時代に、君たちはクリエーションの世界にいる、とか、
あるいは、イノベーションが必要と言われ出したのは、
いわゆるデザイン解釈が一般的にはほとんど間違っているからです。
デザイン=問題解決というのは、私はすでに美大時代には、
手の訓練で自然と身についたことです。
そして東芝に就職が決定しても、それはポスターでも描くのかと、
これは本当に良く言われたものでしたが、
改めてデザイン=問題解決とは言いませんでした。
未だにデザインとデコレーションの区別がついていません。
まして芸術工学部が新設された1996年でも
他学部にはデザイン=デコレーションでした。
ようやく旧帝大のほんの一部にだけ、
デザインの本質である問題解決や価値創出の理解が生まれてきました。
とりわけ日本は、服飾からデザインという言葉が一般化したからでしょう。
呆れかえる馬鹿さやセンス無しをどれだけ多く見てきたでしょうか!
そこにまたデザイン思考=design thinking が経営論として蔓延しています。
改めてクリエーションとイノベーションは語り直さなければなりません。
私は、形態論・空間論を知見で語ってきましたが
その理解まではまだまだあるようです。
極めつけで断言すれば「センス」で語るイノベーションが間違っているのです。
しかも、美しいというよりも「かわいい=kawaii」とかが蔓延っています。
イノベーションとはコンバイネーションであり、
イノベーションを技術革新と邦訳したときから間違いが発生していたのです。
そういう意味でも、この新車プレゼンテーションは面白い体験でした。


* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『AM社のヴァブキュリーを見る夕食会に和服で参加』
* 『美しいデザイン成果が減少している気がする』
* 『「KK適塾」は日本からのデザイン思想と実務の発信』
* 「光造形から3Dプリンター時代に来ただろうか」


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12月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 28th, 2016  Posted 1:00 AM

12月28日 仏滅(甲申)


使用感と所有感は、
最も自分の体験が居る。
そして
何が使用感で、
所有感で、
何が可能かを
確かめることだ。



川崎和男の発想表現手法


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『手話通訳という職能はボランティアでは無い』


   


     10月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM



まだまだ自分には不明なことが多いのですが、
確かに、この専門分野がプロフェッショナルであるべきと思いました。
昨日、研究室に「手話による医療通訳士」の方々が見えました。
正直これほど大変な仕事があるだろうかとビックリした次第です。
最近は「手話」が報道や講演会などでは見かけることが多いのですが、
なんだか、「手話」というのはボランティア活動に見られてしまいます。
かくゆう自分にとっても、ボランティアに思えていたことは確かです。
果たして日本語世界での手話なら聴覚障害者にとっては有効なことです。
日本語の世界観の中ではようやく見慣れた風景にはなってきましたし、
それらはボランティアだという認識が自分にもありました。
しかし、医療場面で、それも多言語であれば、
医学用語もあれば、聴覚障害者の外国語を手話で理解し、
医師なり、医療従事者に通訳をして、再度、患者の方の言語に、
それを手話で伝えるという職能が、プロフェッショナルであることは
絶対的に当然のことです。つまり、それなりの報酬が認められるべきです。
自分自身が身体障害者・心臓障害者として、障害者差別を受けてきた、
その体験は数限りなく持っています。
そうしたことから、PKD=Peace-Keeping Design で、
具体的には、ワクチン接種や途上国へのメガネ配布などを
クリントン財団やオクスフォード大学との共同研究によって、
新しいメガネ開発をデザイン対象にしてきましただけに、
この手話通訳の職能育成には協力どころか、
やっぱり存在している既得権問題を露わにしていく覚悟です。


* 「メガネ革新の核心がはずれた商品は不可」
* 『ワクチン経鼻デバイスから社会システムの変更を』
* 「PKDの途中報告
* 『非常事態宣言の街=パリにて、決意!』
* 『デザインディレクター・職能名の定義をしておきたい」


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『熊本県シンボルをレジリエンスデザインが表現する』


   


     6月 30th, 2016  Posted 12:00 AM



九州は今、また豪雨がやってきます。
熊本は地球環境の温暖化どころか、
日本列島の天災を集中的に受けています。
「レジリエンスデザインチーム」で、デザインの役割を実務化。
調査も地道にしながら
建築基準法や気象情報などを根本的に変えるべきでしょう。
これまで「強靱化プラン」は
机上の論理という自分の指摘は間違っていませんでした。
デザイン実務は熊本震災での支援を、たかだかマークとかワッペンですが
これが大きな力を持っているとデザイナーは確信しているはずです。
とりわけ「レジリエンスデザイン」は、
万一、天災あるいは人災があってもそのプレッシャーやストレスには
決して屈しない、負けない、心理的な精神面を支えます。
「レジリエンス」という言葉を知ることによって、
人間一人一人が精神的に強く、それこそ強靱になるのです。
人間が強靱になるには
国土としての土木面を強靱化することも大事ですが、
最も大事なことは「シンボル」を持つことです。
熊本にはいわゆる「ゆるキャラ」と言われるくまモンはありますが、
お役所仕事としての認可など待ってはいられないのです。
その変わりとしての熊本県シンボル=楠・竜胆・雲雀がありました。
コピーは「負けるな・泣くな・生きるんだ」に、
このシンボルを合わせて利用することで、熊本での体験こそ、
わが国にとって、さらに先進国家として、
地球環境上での「生きのびること・最悪な事態」に
自分自身のレジリエンスを
強靱化していくことができるはずです。
私たちは熊本での被災への哀しみを日本全体の経験として、
それを国際的に訴えていくのです。
楠・竜胆・雲雀それぞれの熊本シンボルはまさに一つのシンボルです。
レジリエンスデザインはたかがワッペンですが大きな力を持っています。

*『レジリエンスデザインを熊本に差し出す』
*『東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から』
*『権威権力者を「演じる覚悟」を見せた建築家』
*『泣くということ・喜怒哀楽の基礎感性行動』
*『稲穂と麦穂、どちらを選ぶか』


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