kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘健康’


『喫煙文化を支えたタバコデザインが基本』


   


     6月 13th, 2017  Posted 12:00 AM



おそらく喫煙が健康上での問題になる、
このことを人類は考えてもいなかったでしょう。
これはデザインにとってもいわゆるグラフィックデザインの問題なのです。
戦後、日本はタバコ「ピース」、そのデザインを米国から導入、
まさに戦後敗戦で平和に、
大変に高額なデザイン対価を支払ったことです。
このデザインはレイモンド・ローウィでした。
日本人すべてがこのデザイン対価に仰天したデザインという伝説です。
ところが最近では、このタバコがデザイン導入であり、デザイン対価が
これほど高額だということは忘れ去られています。
と同時に私はグラフィックデザインが大きな転換点であり、
それはグラフィックデザインの終焉をも象徴していると断言も出来ます。
私はこのブログで自分のタバコ喫煙史を述べてきました。
父から与えられたのは英国のロスマンズであり、
学生時代はピースでなければなりませんでした。
一時期は映画「雨上がりの天使?」だったかでマルボーロにしました。
というのも、デザイナーの数人の先輩たちが、
ラッキーストライクのグラフィックデザイン、その美しさに惚れて、
職能としてデザイナーを選んだ数人を知っています。
今では喫煙は禁煙となりあの北朝鮮ですら禁煙キャンペーンを行ったとか。
すでに禁煙という社会悪になっていますが、
タバコのグラフィックデザインは次段階に入ってきています。
大御所であった故・長友啓典氏にもこの会話が最後でした。
つまりグラフィックデザインの代表的なメディアだったタバコデザインは、
デジタル系となって、デザインメディアが転換してしまったことです。
したがって、グラフィックデザインでの
画像デザインと映像デザインが開始してきたことなのです。
これはたとえば企業C.Iは、画像と映像、ともにビジュアルデザインとなり、
デザイン表現そのものの変革、その基本が大事です。
その基本としてはきっちりとタバコでのデザイン表現を知見とすることです。



* 『タバコ・喫煙再開せず』
* 「酒とタバコと、そして・・・」
* 「酒とタバコとゆで卵」
* 『葉巻文化と筆記具文化の統合性は凄いのだ!』
* 『光陰へはただ祈るだけだと思い想っています』


目次を見る

『応量器のモノからコトへがデザインの完成形』


   


     3月 1st, 2017  Posted 12:00 AM



五つの器が重ねられた食器を「応量器」と言います。
が、これを実際に使ったことが無ければ不明なことが多いようです。
応量器を考え出したこのデザインは、生きることと悟るためのこと、
こうしたことを食事の作法にしてきた曹洞宗のいわゆるコトのデザイン。
正直なところ、応量器の周辺が何であったのかとかは忘却されています。
例えば盤・盆・膳とのつながりや、箸・匙・刷の存在というモノのデザイン、
このモノのデザインによって食事の作法は最も優れたコトのデザインです。
黑漆仕上げの応量器は、普段の食器であり朱色は儀式用と言われています。
コトのデザインとして重大なことは、
食事をなぜするのかとか、食べることすべての御礼があるということです。
・食事が賄われるまでのすべてへの感謝があり、
・この食を出来るだけの自分であるかという反省、
・正しい生き方をしているかという自分への問いかけ、
・食することは良薬であり、身体の健康を保つことの確認、
・だからこそ、この食によって、自分の生き方を成し遂げること、
この五つのコトがモノのデザインになっていることです。
道元が「典座(てんぞ)教訓」を残していかれたこのモノとコトこそ、
私はモノとコトのデザイン、その完成形だと考えています。
しかし今や漆芸の産地においてもこのことはすっかり忘れられています。
ただ、中学と高校時代に永平寺の第一道場で、
この応量器で食事をしていた私には、二つの思い出が残っています。
まず、お粥はとてもおいしかったのですが、漬け物は苦手でした。
そして、とても毎日が空腹だったことです。
そして食事後にこれを洗うのですがそれは使い古された日本手ぬぐいであり、
この手ぬぐいだけで、顔も洗いしかも板張りのトイレ掃除もしたことでした。
そして、確かに応量器を見本とした漆仕上げ?、いやウレタン塗装の食器が、
選別されたデザイン商品コーナーにあると、
私はこのデザインには、デザイナーの知見不足ととても強い怒りを覚えます。



* 「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」
* 「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」
*  「水に支えられている命・杓底一残水汲流千億人」
* 『「●●とは何か?」、質問形式とその答えは能無しである』
* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


目次を見る

『看医工学としての介護のコンシリエンスデザイン』


   


     4月 4th, 2016  Posted 12:00 AM



医工連携はすでに論理的には無理です。
この考え方をデザイン手法にして「看医工学」を提案。
そして、
「反健康」=病気そのものであること、
その問題解決としてのデザイン。
「半健康」=一病息災といわれるように、
時には医師の医療看護が必要とされます。
これは人としての存在価値を効能として、最も重要になるのは
介護までの環境でしょう。
「範健康」=健康を望んでの模範的な生活環境が必要です。
それこそ、未来、明日ある自分の健康の維持デザインです。
公的な国家プロジェクトの資料によれば、
特に、2010年から2025年には、
65歳以上が709万人増加というデータが出ています。
僕たち団塊の世代が、基本的な社会構造、少子化と高齢化国家になり、
わが国がデザイン対象に「看医工学」を成し遂げれば、
他の先進国家からこれからの地球のあり方、
そのモデルケースになることは間違いありません。
高齢化による介護者が2012年には170万人が必要とされ、
2025年には250万人が求められるということも明らかになってきました。
この世代がどれほど社会を破滅させていくかを正直に自覚してしまいます。
そこで僕の使命は「コンシリエンスデザイン」で
「看医工学」の実務を
これまでの経験で即応できるかということになります。
僕は改めて、看医工学での介護に焦点を当て、
医療にはメディカルケアを
介護にはヘルスケアを
健康にはライフケアをデザイン、デザイナーとして、
コンシリエンスデザインに集中させなければと提案し実施しています。
そのためのスマートハウスよりは、
スマートシェルターが正しいと思っています。
それは、衣・食・住がfood, clothing and shelterだと考えるからです。


*『講演テーマで最近もっとも多い医学とデザインの「範」』
*『病院という悲しみの日本語に「もてなし」という意味は無い』
*『滋賀医科大+EDGEで紹介をKK塾でも紹介』
*『医工連携など妄想である!』
*『「コンシリエントデザイン」・・・新しいデザイン定義』


目次を見る

『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』


   


     12月 27th, 2015  Posted 12:00 AM



学術と芸術が分離あるいは分担されてきた教育、
このわが国の教育システム・制度の歴史はとても長いと思います。
幸いにして、私は学術と芸術、それも芸術に派生してきたデザインを学び
プロのデザイナーになることが出来ました。
人はいずれ長じれば自分の職能的な経験値を伝える使命と義務があります。
このことは、すでに大学の恩師達には分かっていたのかも知れません。
私が想像もしていなかった交通被災で車イス生活を余儀なくされた時、
恩師たちからは、大学に戻れと言われ、その大学を辞した時には、
別の大学で、教育系では情報デザインとデザインを、建築系でもデザイン、
こうした教育側の訓練を受けていたのでしょう。
私が大学人を選んだ時には、「やっとその気になったか」と納得を受け、
大学人とデザイナーとして今日を迎えています。
そして、芸術と学術、文系と理系の融合化統合化によって、
私は「コンシリエンスデザイン」と「レジリエンスデザイン」を知り、
デザインを看医工学に焦点化した時には、
学域のデザインは人間の社会と時代、生涯に向かいました。
結果、健康と福祉は「命」=生きることを支えることを明確にしました。
これは私が芸術=美術大学時代の教授達が今なお私に、
プロとしてのデザイナー、その経験に基づく新たなデザイン、
その手法を発見させて、次世代への教育目標を創らせたのでしょう。
私は素直にニュートン的なベクトルの合力によって、
作用点に人間の思考・知識を置いて、その合力が人間に向かえば、
明らかに、健康と福祉が命を支えていること、
この支援力には、
レジリエンスという、例えば自然や社会からの
抑圧に抵抗する力をレジリエンスデザインとし、
レジリエンスデザインを充分に知り尽くしているからこそ、
コンシリエンスデザインが人間の支援力になるということを
明確に確認させてくれているのです。
学力・デザイン力を「コンシリエンスデザイン」とし、
まして私は、身体障害者であり心臓障害者ゆえに
「命」とデザインの関係を相反させて伝えていく使命と義務があるのです。
そして、すでに、このニュートン的な力、合力だけではなくて、
量子力学的な相互作用的、重力的、電磁力的な隠喩としての
新たな「コンシリエンスデザイン」を定義して、
次世代デザインを提唱していくことになるでしょう。


目次を見る

『コンシリエンスデザイン学域の統合図解』


   


     8月 18th, 2015  Posted 12:00 AM



学問・教育の領域を図解化したのはバウハウス時代が鮮明でした。
私は大学人になって以来、芸術工学という学術と芸術に、
デザイン、その実務性、職能性、デザイン学、デザイン工学を整理。
私自身は美大での産業美術学科からプロになっての経験母体と、
大阪大学大学院では、
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学・デザイン政経学と、
四つにそれぞれの学域を設定し、なおかつ、より大きな統合化を目標。
それは、安全・安心・防災・防犯で健康と生命を囲んできました。
周縁に配置した学域も、信頼学・価値学・保健学・防衛学になりました。
そうして、学術と芸術、文科系と理科系、その統合も、
機能的統合・伝達網的統合・規模的統合・文化的統合で解釈を可能にし、
コンシリエンスデザインにて、直接的には看医工学を焦点にしました。
名古屋市立大学に芸術工学部が新設され、芸術工学研究科完成にて、
私は大阪大学大学院で、この体系化を積み上げてきたと思います。
この大きなきっかけは、March 11.2011・東日本大震災でした。
現代日本は、戦後70年であっても自虐史観とともに拉致問題を抱え、
それでも2020年のオリンピック・パラリンピックに期待がありました。
しかし、東日本大震災どころか、気候異変と感染症増大など、
本当は学術も芸術もコンシリエンスされ、しかもデザインが主体でした。
しかし、性悪説に陥った連中には、日本の問題は破壊されています。
私は、性善説がインターネットの誤ったコミュニケーションや
マスコミの商業主義で台無しになっていることへ喧嘩をしかけます。
その大前提に、学域の体系化をこれまでのプロ経験から組み立てました。
あくまでも、この学域論理に従って私は自分の活動に経緯をもたせます。
それがプロフェッショナルなデザイナーであり大学人だと思います。


目次を見る

『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』


   


     8月 1st, 2015  Posted 12:00 AM



元来、デザインは応用美術とか図案や装飾美術からという源流があり、
意匠になり、設計になり、そして策略や資源と時代変遷してきました。
しかし、私は美大時代、工業デザイン専攻では、
すでに、発明の設計実務学、問題解決学として
学習と訓練を受けてきました。
美大卒業し、家電入社したときには意匠部でした。
したがって、デザインの真意論・本質論・技術論・文化論では、
ようやく、産業から健康、文化として
文理融合と学術芸術の統合として、
「コンシリエンスデザイン」にたどり着きました。
ところが、楽しみにしていた東京オリンピックでは、
建築とグラフィックに、統合的なディレクター不在と経済効果での
アスリート興業商業主義の悪用としか思えないデザインの大勘違いが
横行し始めています。
建築コンペも狂い、エンブレム選別も知識不足の商業デザイナーでは
コピーだ、ジェネリックだ、せめてアプロプリエーションぐらいの
ハイレベルにも到達せずに、
情報社会で低レベルマスコミに混乱させられています。
そこで、かって35年前に私が伝統工芸産地で包丁、
キッチンナイフの「一体化」と新素材開発、刃先アール寸法など、
問題解決の解答デザインをしました。
ところが、たとえば、ほとんど最初に素材でダマスカス鋼風が、
あたかも刃物という恥ずかしいほどの
能なし刃物産業が世界的に流行しています。
オリジナルデザイナーの没後に、
デザイナー名を騙って自分デザインとは、
ジェネリック家具で氾濫を始めています。
そこに、TPPでの著作権問題を米国主導にするとは、
多くの官僚と議員たちの権力志向の能無しレベルを加速しています。
やがて、私、没後には
私のオリジナル=問題解決=デザインは消滅するのでしょう。
せめても生きているときには、恩師の作品やオリジナル性には
脳外喧嘩師でありたいと決心しています。
ともかく、官僚と議員からデザインの離脱を宣言しておきます。
つまり、オリンピック・パラリンピックを支えるべきデザインが
根本で間違ったがゆえに、夢は消えたのです。


目次を見る

『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』


   


     4月 14th, 2015  Posted 12:00 AM




INTERMOLD 2015=金型展・金属プレス加工技術展で特別講演をします。
今年に入ってからの私の講演テーマでは、
必ず「コンシリエンスデザイン」を基軸に話をしています。
最大の理由は、世界的にも学術と芸術の融合であり、
学際化は語られているほど具体的に実行されていないことと、
この学際化にはデザインがいわば接着剤になるということです。
大阪大学大学院医学系研究科に、私はこの講座を新設しました。
特に、看医工学という学際化で、二つを目標にしています。
危機解決学で安全と安心を、健康と生活での危機を産業的に解決です。
そのために、修士課程という教育と具体的な共同開発での
デザイン開発と制度デザインを果たしていくということです。
このまま博士課程になるでしょう。
こうした目標の一つとして3Dプリンターの世界観を日本戦略化する、
ということについては、機器開発・ハードウエアでの3D-Printerと
技術開発・ソフトウエアでの3D-Printingがあります。
私は、光造形をやりたいがために大学人になりました。
光造形でトポロジーをまず制作しました。クラインボトルです。
最もこれは数学的には、擬似クラインボトルですから、
これを空間論に持ち込みましたが、光造形の経験もない輩には、
未だに「トポロジー空間論なんて・・・」ですが、
3Dプリンターブームでは、この光造形が基盤ですから、そのうちに、
私の提唱が認識されるでしょう。
なぜならモノが空間論的に実証されるからです。
昨年は大阪で製造生産領域でこの話をしましたが、今年度は東京にて
コンシリエンスデザインでの特に、機能性を話すつもりです。
その理由は、デザインというと即、機能的が評価軸になりますが、
私は、この機能論が、哲学的に語られてきた機能主義からも
さらに詳細に実務、それこそ3D-Printerという製品と
3D-Printingという技術を学際化効果としてなら、
「コンシリエンスデザイン」で語れることを明らかにするつもりで

*INTERMOLD 2015
http://www.intermold.jp/seminar/sp/4/


目次を見る

『コンシリエンスデザイン事象を創出する職能』


   


     3月 17th, 2015  Posted 12:00 AM


Phenomenaは私がComputer Graphicで実体験した現象・事象です。
バーチャルで夕陽朝陽、火炎、水蒸気、水の様々な動きでした。
この過程を米国で私は間近に見護ってきた経験があります。
したがって、その体験は現象や事象を現実視できることです。
私はこの過程では必ず記号論的な、
意味すること=designing languageと
意味されること=designed languageが働いていることを知っています。
だからこそ、コンシリエンスデザインという学際化の過程、
その「大切さ」は誰が、いやどのような職能が果たすべきかです。
「大切」ということがコンシリエンスデザインの要です。
それは、危機解決による安心安全である解答と
生命と健康を愛護できうる解答であるためには切断仕切ることです。
その覚悟を常に持ち得るプロフェッショナルは、
学術的背景・芸術的背景・文科系的基盤・理科系的基盤を持ちうる、
デザインディレクターであり、それはデザインテクノロジストです。
デザインディレクターという職能は数名が決めました。
しかし、今では、それがなぜそのような職能名が出来たのは、
忘れられていますから、あくまでも、どれだけの見識・胆識を
護り抜いて大切に出来うる能力が実績としてあるかどうかです。
ましてや、これからデザインの革新と変革は、
コンシリエンスデザインを少なからず看医工学が基幹です。
現象と事象を創造できるプロフェッショナルには、
大切さの覚悟を学際的に統合できる才能を私は求めます。
その才能が学際化して融合・結合・統合を仕切る覚悟が不可欠です。
学際化を基盤と背景にしたからこそ、簡潔に切り捨てる覚悟、
私がコンシリエンスデザイン看医工学で育成された職能家は、
デザインディレクターからデザインテクノロジストとして、
地球存続とエネルギー創発を求めます。


目次を見る

『葉巻文化と筆記具文化の統合性は凄いのだ!』


   


     2月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM


絶対禁煙を心がけてきた私でしたが、
喫煙風習と人類の文化性を否定することは出来ないものでした。
そこで、60歳を過ぎ、しかも心臓障害者でもあることからも、
全否定論者でしたが、ドクター、訪看ナースに止められてしかも
このコトを記すれば、ワイフは勿論、数名に叱られます。
けれども、文化の神髄に潜む私なりの美意識については、
なんとしても見識の深度を求めに求めました。
ところが、流石に風邪にやられて体調もおかしいともなれば、
反省の極みにまで引きずり込まれてしまっていました。
にもかかわらず、とうとう、「そうか、ここまでの展開が!」、
ということで、ヨーロッパから葉巻そのままのボールペンが来てました。
ベッドで寝込みながらも、このボールペンを使ってみたいまでに、
私は葉巻の書籍を徹底的に読みあさっていました。
コヒーバ銘柄を選んでボールペン化したセンスの深さには、
キューバ産独特の歴史性があり、隠れ知られた銘柄歴史こそ、
私は葉巻文化と筆記具文化とのことこそ「統合性」の証を認めます。
確かに、煙草文化は健康的な大問題での全否定は確実であり、
だから葉巻ならというのもすでに科学的には否定に向かっています。
そうした時代的科学性の否定をも包み込んでも、
私は、この筆記具の文化的な背景には美学性を認めざるをえません。
そうなれば、なおのことあらためて健康を求めざるをえないのです。
風邪をひいても38.5の高熱でも本は読めるのですと、かってはOKが、
今回はとても無理だと知らされました。
葉巻に関する本を読みあさり、それこそそこまで読まなくてもとかを
プロからまで言われて、しかも、筆記具発見をしていることでは
大いに呆れられる有様でしたが、私は大満足のなかで、
なんとしても元気にならなくてはいけないことを、
コイーバの葉巻伝統の文化ゆえに、この統合的な展開を
本当に「身をもって分かった」と言っていい経験のモノでした。
この筆記具の性能性は、
スタイラス重量感の最適性を完成させていることを知りました。


目次を見る

『講演テーマで最近もっとも多い医学とデザインの「範」』


   


     1月 21st, 2014  Posted 12:36 AM



私は大学人になった最大の理由は医学とデザインの関係でした。
理由はいくつかありますが、
デザイナーは「体の外のモノばかり」から「体内へのモノ」を
と考えてきたのは、交通被災で背骨にステンレス補強したから。
これが大きな理由でしたが、
母から言われていた、
「赤い血を見るより(医大)
赤い絵の具を見る方(美大)が似合っている」という言葉でした。
だからデザイナーになって、オーディオ専門のときには、
東芝の音響研究所の所長は生理学の医師であり、
音響生理学の薫陶を受けていたことも大きな影響でした。
決定的にしたのは「人工臓器・特に人工心臓のデザイン」でした。
しかし、医工+デザインが絶体に必要だと主張を始め、
さらには、「反健康・半健康・範健康」を大学理念にしてきた
名古屋市立大学芸術工学部でのデザイナー養成に関わったことです。
したがって、「反・半・範」には一つの思想理念があります。
そのことは3.11ではもっと明白になりました。
たとえば、「脱原発」というのはいい加減過ぎます。
「脱原発」には、反原発=原発に反対ということから、
半原発=まだ原発依存しなくてはいけないけれど、
取りあえずは再生エネルギー(この言葉そのものが間違い)も。
こうした表現では、発想の限界があるということです。
私は「範」という言葉を大事にしたいと思っています。
つまり、「範健康」とは、健康な模範的な革新性を表します。
同様には、「範原発」があります。
模範的な原発の運用こそ創造されてしかるべきという思想です。
私は、「反健康・半健康・範健康」のための「範原発」デザイン、
これこそが、現代に生きる人間の「義務」だと考えています。


目次を見る

1 2