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Posts Tagged ‘勇気’


11月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

11月17日 先勝(戊申)

思い出という記憶は、
ときに現在の心情を慰めたり
勇気づけるものだが、
現在を明日につないで
希望や期待を膨らませるには、
記憶や心の痕跡などよりも、
どれだけ未知の体験に
自分を対応させていけるかどうかである。

『デジタルなパサージュ』タブラ・ラーサにできるかどうか


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『若手デザイナーの海外個展を応援する』


   


     11月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

私が自分のデザイン活動をようやくニューヨークで
発表したのは30代中頃でした。
それは、いつか、海外で発表をと思っていた時期に、
米国のギャラリーからも誘いをいただきましたが
資金もなくて1年間待ってもらった経験があります。
そしてニューヨークでの個展から、
ようやく私も海外での仕事ができるようになりました。
日本がバブル経済で東京が浮かれているのを私は見ていて、
何か、変だと思っていたときは、
Apple本社でいくつかのコードネームでデザイン提案をしていました。
だから、最近は、次世代デザイナーの一部の
海外での活躍ぶりには目を見張るものがあります。
しかし、海外での日本人デザイナーの仕事は、
明確にはっきりとしつつあることが起こっています。
海外でのアドバンスデザイン展でのプロトタイプをコピーし
まさに盗作。
この情報も私には届いていますが、
先般の盗作問題もあり、
私はこうしたことが一般化することを反対しています。
これは正当な海外進出ではありませんから、
やがて国際問題にならないことを願いますし、
この事実は黙秘せざるをえません。
しかも海外評判を国内に逆輸入しているデザイナーには呆れます。
それを助長しているマスコミには大きな疑問があります。
国内の雑誌などで、いかにも国際的活動だという取材を見ると
残念でなりません。
しかし、このところインテリアデザインを主体に活躍している
Yasumichi Morita氏が、今度はインテリアを超えて、
写真家として、しかも写真表現そのものを
モノづくりに向けて、パリで発表することを以前から聞いていました。
丁度、パリには行こうと考えていた時期と重なり、
その個展を見にいくつもりです。
欧州には、教え子たちが何人かいます。
フランスにはインターン生だったフランス人もおり、
彼の仕事ぶりが心配なので会ってこようと考えています。
また、教え子たちでも車関係・カーデザイナーを目指す子は
企業留学しています。
私の時代、何も分からずに米国から出発しましたが、
最近は、なんとか次世代のデザイナーに
私に出来ることはないかということを自分に求めています。
なにしろ、最近は海外を目指す若者が減少しているだけに
そのことが不思議でたまりません。
Yasumichi Morita氏の国内外の仕事は、かえって海外での評価が高く、
そうした仕事は、海外からの依頼かと思っていましたが、
すべからく自分でそうした仕事を求めて行くという勇気を
私は絶賛しています。
彼がパリで、写真家、そしてそのデザイン応用の個展は
ほとんど国内で宣伝をしていませんが、
私自身、その個展を見てくるつもりです。
幸い、教え子たちにも会えそうです。


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『ファッション誌で知ってさらに自分ファッション』


   


     9月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

高校時代は丸坊主が校則でした。
ようやく丸坊主から解放されたときにファッションが気になり、
最初の男性ファッション誌は「メンズクラブ」でした。
美大入学時には母が指輪とブレスレットを男なのに買ってくれました。
以来、私は指輪もブレスレットも母からの命令だと思って収集し、
身に着けていますから、デザイナーで良かったとさえ思っています。
車いすになってふるさと福井で仕事をしているときには、
白いワイシャツ、髪も短く、必ず、イタリア製ダブルスーツでした。
東芝時代は、東芝マンでしたがアロハシャツで出勤する態度でした。
ダブルスーツに拘ったのは、今もそれほど変わりませんが、
車いす姿、若いことで明らかに差別感を受けてしまっていたからです。
福井でも毎日デザイン賞を受賞してからは、
ワイシャツもカラーにし長髪にしたようなものです。
もっとも最近では明らかに差別感を感じたら周りにスタッフがいても、
必ず暴力沙汰寸前になるようにまで、
それこそヤクザさんにも絡みます。
というわけで、逆差別のやり方さえ覚えてしまいました。
ごめんなさい。
今、ファッション誌はワイフの女性モノが面白いですが、
60になってまた「メンクラ」を読むこともあり、
今回なんぞは40になったらなんて記事に、
そうか、自分の40代はこの程度をファッションなんて呼ばない、
ファッションは、浪費と勇気の見栄=見栄えだと思っています。
見栄というのは,浪費できることやその程度でも揺るがない自己表現です。
一所懸命と一生賢明がファッションの哲学であり、
それこそ浪費する自分が一所懸命と一生賢明であることの見栄です。
ちょうど私の世代は、アイビースタイルに憧れ、
それこそ大学時代にネクタイをするフォーマル性を磨きました。
カジュアル性の根本としてのジーンズも、徹底したモノの価値観があり、
昨今では、高級ブランドからファストファッションまで、
それぞれの価値観への浪費性に使用感と所有感があると考えています。
幸いにして、メガネは自分ブランドがありますが、
自分が最も興味を抱いている分野で自分デザインができる幸運さ、
これこそ自分のファッション価値観だと思っています。


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『「ぬいぐるみ」の意味する現代軽薄感覚主義の再熟考』


   


     5月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

「かわいい」=「kawaii」は現代の感覚主義として風潮を制御し、
国家戦略にまで投企==現代風潮的な理解になっています。
「かわいい」という感覚が政治戦略化されることについては、
相当の準備が必要であるものと考えざるをえません。
私流の形態論では、「かわいい」には、形容詞要素は明快であり、
決して人間には脅威や凶暴性を与えないかたちがあります。
それは獰猛な動物をモデルとしても、受け入れられる形なのです。
したがって、私が最も危惧することは、
モデル化されて消去された獰猛さ=かわいさと直結していることは
再熟考をしなければなりません。
ところが、「かわいさ」には社会的に大容認されている安心さ、
そのものが担保化されて風潮を超えた曖昧性まで消滅しています。
私は、軽薄さまでを受け入れる感覚の程度を、
敢えて全世界のバランス感覚であると論理化しておきます。
このバランス感覚こそ「度量衡」の「度」と「衡」、なのです。
それが結局はファッションの軽薄さを裏付けているものでしょう。
この軽薄さには実際は勇気の源泉があるものと考えるべきです。
たかだか「かわいいライオン、そのぬいぐるみ」には、
凶暴性も獰猛性もまったくありませんが「かわいさ」があります。
結局、このかわいさは勇気を真に裏付けているからこそ大切です。
人間世界が知的な軽薄さを見過ごしている勇気の存在こそ、
実は、自分をかわいい存在にしたいという、
ぬいぐるみを所有し顕示する軽薄であたかも無知的ささえ、
実際は大きく擁護していることを制度だと断言すべきことです。
私が問題にすることは、無知な軽薄さに耽溺している感性です。
そのような感性の対象に流れているぬいぐるみの効用性です。
つまり、知的で風潮化されている軽薄さに「かわいい」が、
明白に勇気となっていることの制度化を再容認すべきでしょう。

『キャラクターのデザイン=かわいいデザインの再定義』
「アイドル・キャラクターのメタ・アンビエントへのコンテクス」
「キティちゃんにて確認できる『安全と安心』」
「『きれい』にすることが『美しい』こと」
「物質・形容されるモノの価値とモノの形容価値」


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8月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 6th, 2013  Posted 9:30 AM

8月6日甲辰(大安)

奇天然なモノやコトは、
それ自体が目立っているから
発見するのはたやすい。
しかしそれに近づいていくには、
実は真の勇気が求められる。

『デザインの極道論』好奇


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「デザインが新産業MADE IN JAPANを創成させる!」


   


     2月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

人間の存在は、天災と人災に毎日、そして日常さらされています。
つまり、人間の存在=生きることそのものが危険いっぱいなのです。
それこそ、3.11という大天災は、
一瞬にして同胞達が消滅してしまいました。
連日、日本国中のどこかで人命は「危険」と共にあります。
天災であろうが、まして人災であろうが、
私たちには「想像し創造する力」があります。
天災も人災も、人間には多大な問題ですが、
そうした問題解決には、
人類は永い歴史の中で大きな知恵を見つけだしました。
それは、どのような問題・問題意識に対決するには、
あきらめることや批判し非難することではありません。
何と言っても、問題と対決するならば、
「想像し創造すること」=問題解決をいつも念頭に置くことです。
それこそ、問題解決の実務は「デザイン」に他なりません。
私は、3.11対策で1年間、
デザイン実務で何としても問題解決に向かいました。
しかし、この問題解決を図るには、政治的な力が不可欠でした。
つまらない「政治ごっこ」の政権などに図れるはずがありませんでした。
力無い大企業も全くあてにならないことを思い知りました。
だから日本国家思いの大組織と「危機管理デザイン賞」を新設しました。
そして、丁度、阪大退官時と重なりました。
それなら、新たなMADE IN JAPANでの新産業エリアを、
デザイン主導で開拓していくことに気づきました。
研究室を引き継いで、新産業=危機管理産業そのものを、
最初から、この関西から発信しようと考えました。
しかも、インフルエンザを経験して、
どれほど単なる風邪であっても生命の危険を想い知らされました。
地球環境問題には、Peace-Keeping Designとも重なりました。
原発問題も、相当に思考を深めなければなりません。
俄然と勇気を出して、私の人生の最終章をかけて、
新産業開発をデザインで主導していくことを決心しています。
あくまでも、「モノづくり」で問題解決を成し遂げるつもりです。
このwebsiteにて、新たなアイディアをいっぱい発信していくつもりです。
そのためには、インターンとしてのデザイナーを求めたいと考えています。


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「『あさっての美術館』・兵庫県立美術館イベントと同窓会」


   


     12月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

兵庫県立美術館が開館して10周年。
そのイベントにて、講演とフォーラムで対談をしました。
蓑豊館長の就任によって、年間動員数は83万人と聞きました。
これは、館長の著作
「『超<集客力>革命』・人気美術館が知っているお客の呼び方」
でその詳細を知ることができます。
日本科学館との共催ゆえに、毛利館長・宇宙飛行士と、
阪大ロボット学者・石黒教授と私は、
阪大医学部とこの美術館で二日続けて講演をしました。
正直、このテーマはつかみ所が難しくて、
私の個展体験、
それも蓑館長によって
金沢21世紀美術館から掘り起こすことにしました。
30分でまとめることでは、朝方までKeynoteづくりになってしまいました。
私の手がかりは、
「美術館の作品」対「作品の美術館」
「美術館という制度とその担保である作品の美と存在」
結局は、
「デザインとしての私」対「私としてのデザイン」にまとめました。
そして、何よりもより深く石黒教授とは
議論をこれからもしていける二日間であり、
阪大同僚として、これから協働しようという話を深めることができました。
毛利館長は、宇宙飛行士時代にはヒューストンで
従弟があのプロジェクトのディレクターだったこともあり、
今後のエネルギーの話を立ち話ですが、
これも協働できそうな話題になりました。
当然、蓑館長には、35年デザイナーとしての記念個展を金沢で開催し、
「プラトンのオルゴール」は作品すべてはもとより、
スケッチもインスタレーションまでが
金沢の美術館に永久収蔵していただいた仲です。
折しも、
恩師・平野拓夫元金沢美術工芸大学学長は蓑館長とは親友であり、
すべてのイベントを見まもっていただきました。
そして、このイベント終了後には、
「平野先生を囲む会」金沢美大関西支部同窓会には、
先輩から、平成生まれの後輩までが集まりました。
金沢美術工芸大学の同窓会は、
Facebookにおいてもすでに900名でやがて1000名にもなる、
伝統的な先輩後輩の「元気・勇気・覇気」ある関係です。
恩師に来阪していただき、
私の研究室・自宅、そして美術館のイベント、同窓会という
濃密な日々でした。
先輩はもとより、特に、後輩たちに感謝です。
もちろん、兵庫県立美術館のスタッフの皆さんにも御礼を申し上げます。
そして、このイベントは開場満席でした。
聴衆の皆様、ありがとうございました。


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「ともかくこの本に戻ります・勇気の源泉」


   


     7月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

フランスで見つけた私の蔵書の中で最大に大きい本です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿を
編集し直した画集と言ってもいいでしょう。
海外で書籍を買っても私は船便や航空便で日本に送りますが、
この本は携えて持ち帰りました。
もう何度も何度も読んでいるというより、見てきた本、
見つめてきた彼のスケッチでいっぱいの本です。
もちろん、彼の有名なスケッチは網羅されていますが、
そうしたものよりも、見かけないスケッチ、
特に、解剖図はほとんど収められているでしょう。
本物の手稿本は、ビル・ゲイツ所蔵ということですが、
ビル・ゲイツも、自宅手元には無くて、
いつも世界のどこかの美術館で展示されていると言っています。
解剖図では、
当時は内蔵のその部位がどのような機能だったか、
不明がいっぱいあったはずですが、
極めて丹念に描かれています。
日本で出版されている、
ダビンチの手稿・スケッチ本も収集するように持っています。
そして、この本にはあるけれど、これはやっぱり載っていない、
そんなことを楽しんでいます。
丁寧に1頁づつを私なりに評論をいつか書いてみたいと思っています。
そして、
スケッチこそ思考の最大・最適・最良の発想法だと確信する私なので、
この本には、私への勇気をみなぎらせてくれるバイブルです。
それをまさに象徴するほど、おそらく出版される最大の大きさは、
与えてもらえる、私への勇気の大きさと同値です。


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「一本の松の木が示唆する未来」


   


     12月 25th, 2011  Posted 12:00 AM

3.11が破壊し尽くしたこと。
陸前高田市には高田松原という海岸線に防風林、
それは7万本あったと聞いています。
10mの津波と言われていますが、
実際は28mから52mに及んだ場所が数多くあります。
その高田松原は全滅でしたが、
たった一本の松の木が残りました。
被災した現地の人には、その痛たましい姿ながら、
「希望」のシンボルになりました。
あれだけの大津波の中で、気高く生き延びてくれた姿に
現地の皆さんは「復興」への勇気と元気を回復しました。
しかし残念ながら「塩害」はこの松の木を日毎弱らせてしまいました。
それでもなんとかこの一本の松の木の再生を試みておられます。
松ぽっくりから発芽の試みと、接ぎ木の方法を
滝沢村にて現在、その再生を試行されていると聞きます。
3.11の記憶をシンボルとして残す一つの代表例だと私は考えます。
そして、あらためてこの海に囲まれた日本列島の海岸線、
そして防風林や防潮林の新たな新技術を早急に準備しなければなりません。
私のふるさと北陸の日本海岸の防風林も、
中国からの黄砂だけではなくて酸性雨で絶滅に瀕している現実があります。
3.11で「自然の威力」を同胞の死で思い知らされた訳です。
高田松原の素晴らしい景観を失いましたが、
たった一本の松の木が、
未来を示唆してくれていることは忘れてはならないでしょう。

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「災難犠牲=幸不幸の原則なり」


   


     7月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

災難がふりかかれば、
多大な犠牲を余儀なくされます。
天災さらに人災、
いずれも不幸極まりないことです。
この不幸は幸運と幸福の反極にあります。
東洋思想では「幸不幸」が古代すでに設定と認識されていました。
私たちが生きていることの証として求めるのは、幸運と幸福です。

しかし、「幸」という文字漢字には、
人間の不自由さがすでに象形化されていました。
この漢字は、「両手を縛られた形象」になっていることです。
人間は生まれながらにして「幸」の状況であることを知る存在です。
まさに、この不自由さとは「死」は平等であり、
ここから人間は逃れることは全く不可能だということです。
したがって「幸不幸」の状況が区分されます。
それは崖から誰か、おそらく神という存在があれば、
神は突き落とします。
結果、生きながらえればこれを「幸」と呼び、
突き落とされて死を迎えれば「不幸」ということは定義されていました。
「幸不幸」を決定づけている存在を私たちは知ることができません。
したがって、生きながらえれれば「幸運」だったということです。
しかし、死を迎える不幸さとは背中合わせだということになります。
現在、大震災という天災は「幸不幸」を明確に区分しました。
ところが原発事故はまだ連続しなおかつ放射能の影響は、
日毎にその拡大と不幸状況を増大し続けています。
この事態にあって不幸になる予測はさらに想像力の中で、
常に最悪不幸を予測しておかなければなりません。
しかし、予知可能な最悪状況=両手をさらに縛り上げられていること、
この状況から脱出する知恵をめぐらし、
「幸不幸」に決着をつけることが人間には可能なはずです。
特に放射能のそれこそ想定外の被災影響の拡大から、
どのように私たちは不幸を幸に変換できるのかが突きつけられています。
毎日、牛肉はすでに食べることかなわずになりつつあります。
ホットスポットの拡大は想像力を超えています。
立ち上げること不可能かもしれないほど、
多大な犠牲=不幸の中に閉じ込められました。
歴史はすべからく不幸状況の連鎖煉獄にあったと言えるでしょう。
しかし、私たちは多大な犠牲への鎮魂を勇気に変えて、
こうした事態を乗り越えてきたから幸運と幸福を一時でも、
手に入れることができたのです。
原発事故の反省から、さらにこの事故原因を辿ることで、
新たな幸運と幸福の手立てを見い出す存在が「生ある人間」です。
「幸不幸」の狭間で何を学び取るかということになります。

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