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Posts Tagged ‘印象’


『顕微鏡の思い出』


   


     11月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

阪大の若いドクターが、こんなことを言いました。
「先生、先ほど患者さんから、お前は!って言われました」と愕然。
かって、ドクターは、
お医者さま、お医者さん、医者の先生、
先生、それが「お前」ってどうなの?
まだ私が幼稚園の頃、かかりつけのお医者さん先生(そういう意識でした)、
その机の上にはガラス製のカバーの中に、
顕微鏡が入っていて、お医者さんっていうのは、
顕微鏡と聴診器を持っている頭のいい人という印象がありました。
福井は足羽川を挟んで嶺南と嶺北になっています。
足羽川の足羽橋、その嶺南にある医院のお医者さん先生の顕微鏡が、
まだ幼稚園児の私には凄い機器であり、その先生に覗かせてもらったことを
今でも鮮明に覚えています。
そして、小学校の理科では準備室から顕微鏡を持ち出し、
パレットに挟めば何でも大きく拡大して見れることを知っていました。
だから、欲しくてたまりませんでした。
祖父に頼んだこともありますが、多分高価だったのか、
Zゲージの鉄道模型と同様に、
「大人になって自分で買いなさい」と言われました。
ところが、なんと、父が警察大学に入った直後に、
私にペン型の望遠鏡でもあり、顕微鏡にもなるモノを買ってもらったのです。
ともかく、それを持ち歩くコトが楽しくてたまりませんでした。
だから、遠足で金沢の兼六園に行った時も、
胸ポケットに差し込んで持って行きました。
ところがなんと、兼六園の池にそれを落としてしまったのです。
もう裸足でズボンを上げて足先で探りましたが、見つかりませんでした。
小学校4年の時でした。もう悲しいやら父に叱られるとかで、
家では、母から「ごめんなさいの手紙」を書きなさいと言われました。
それから、なんと金沢美大に進学して兼六公園は当時入園は無料でした。
その顕微鏡を落とした場所は覚えていたので、
美大生になって本格的に探しました。
公園の管理の方にまで叱られましたが、理由を話すと、
そんな昔のこと、水を入れ替えているから無いよとも言われましたが、
それでも、裸足で沼底にもしかしたらと何度も探したものです。
顕微鏡を見ると、いつもこの二つの思い出があります。
そして、せめてお医者さんが今ではお前になるというのはどうかと思います。

* 『メルクリンの世界も私の憧れのコレクションだ!』
* 『手首測定の電子血圧計はもっと進化が必要だ』
* 『虫メガネでの拡大は絶対に役立つ方法だ』
* 『コンピュータ制御ベッドが示唆していたこと』
* 『防衛戦術は敗戦といえども硫黄島からの寛容慰霊』


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『羽毛は徹底して廉価商品に騙されないこと』


   


     10月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

子どもの頃には近所に綿を打ち直すお店というか工場がありました。
ともかくその工場は綿毛だらけという印象が残っています。
そして、布団は綿を打ち直して、母がコーナーは真綿で包み、
年に一度、仕立て直していました。
そんなことはもはや遠い思い出になっています。
最近では羽毛布団が全盛期ですが、
フェザーあるいはダウンという羽毛でもこの二種があることを知りました。
羽毛布団になっていることは当然であり、
それほど興味があるわけではありませんでしたが、
今ではインテリア用品でも寝具関係は市価があまりにバラバラであり、
羽毛布団と言いながらも、これほど市価に違いが多いのはインチキ臭く、
私にはデザインでの誤魔化しが絶対にあると思っていました。
一般的にはこうした情報不足がとても気になっていたのです。
私自身、寝ることから眠ることはもっと慎重であるべきと思ってきました。
そして、最高級品はいわゆるフェザーではなくてダウンであり、
私はすべてが鳥の羽=フェザーだと思い込んでいました。
先般、羽毛布団の最高級品を初めて知りました。
もう最高級品というと値段のつけようもないほど高額らしいのです。
羽毛布団のランクも次のようだということです。
ダック→グース→マザーグース→アイダーダウン。
このアイダーダックというのはアイスランドで、
卵を温めるアイダーダックの胸の毛を卵を温めるだけの
羽毛であり、アイダーダックの巣に残されたこれを越える羽毛は無いことを
生まれて初めて、しかも本物を触って実感したのです。
羽毛はフェザーで真っ白というイメージは、深夜のTV通販程度の情報で、
私たちは間違っているのです。
私にとっては、座るというのは毎日車イスなので、
そのシートデザインにはもう40年も拘ってきました。
そしてただウレタンフォームで包まれているだけのソファーが、
その製品性能が根本的に間違っていること、
ウレタンフォームは経年変化があって廉価なモノづくりではこうしたモノが
氾濫し過ぎていると思います。
こうしたことを特にデザイナーは要注意すべきです。
そうした意味でもアイダーダックの羽毛を触って実感したことは、
デザイナーにとって大変な経験でした。

* 『泡=うたかたの機能性には確約がある』
* 『経年変化無し素材開発と道具使用を次世代に』
* 『枕革新をねらう羽二重からの新素材デザイン』
* 『ブランドならばスター商品=カネのなる木商品です』
* 『ツバメの巣、それが福祉の象徴です』


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『ハサミを鋏から「刃裟美」としての相対論の記述』


   


     9月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

ここ5〜6年、ハサミの進化はめざましいと言っていいでしょう。
これは日本文具大賞の審査委員長としての明確な印象です。
刃先=ブレードの形、その素材質、仕上げから、
指かけリング形状、ダブルインジェクション(二色同時成形)での
そのプラスチック性質の質感が
極めて明確さがあり、授賞を認めて表彰してきました。
それは、日本文具大賞に選ばれれば必ず大ヒットすることになっています。
けれども、私には、私がデザインで最も追い求めている美しい性能、
美しい存在という効能、
その性能は越前打刃物が750年でのビッカーチ硬度は世界トップ、
幾何学的には、簡素で簡潔な形態で、
素材はブレードはステンレスサンドイッチされた高品位ステンレス鋼、
そしてフィンガーグリップは、ステンレスのみを「刃裟美」として商品化。
もう30年前の作品で商品です。
どこに売っていますか?という質問を受けますが,
そういうことは分からないのです。
だからタケフナイフビレッジにあの商品これだけ送って?とかで電話すると
「今は造って無いよ、半年後だったら」と言われる有様。
しかし、これがハサミを「刃裟美」としてデザイン史に歴然残すことでした。
なぜ、人類がハサミを必要としたのでしょうか?
それは紙を切ること、あるいは何らかの対象物を切る使い勝手を
知恵で現代にまで進化させてきたのです。
それは紙では無くて体毛、人間ならば髪の毛だったことです。
さらに、刃物の切れ味は、段ボールを切ること、
そのためにブレードにアール形状は進化の一つです。
むしろ、ティシュペーパーのような薄紙をぬらして、
下方から上方に5mm程度切れば、
詳細な検分をすれば、5mm+1〜2mmは裂けているのです。
これが性能と効能であり、使い勝手基本の機能性なのでしょう。
この原点に、最も簡素で簡潔な形態の最大公約数はデザインに
しっかりと私は引き出したという、その形態だと確信しているのです。
おそらく伝統工芸での歴史的な技を、
現代の科学的にも行き着いた素材での回答事例を
かたちとことばにして、記述したことです。
それこそがハサミ=鋏に美=刃裟美としたことです。
このブログ記載も
ささやかなかたちとことばの相対論的な記載だと伝えます。
ハサミの原点の回答はこれであり、
今商品としてのモノはまだまだ応答商品でしかないのです。

#『日本文具大賞・機能部門グランプリが示していること』
# 「まだまだ見つけ出すことがある、ようだ。」

* 『伝統工芸での和包丁には間違いがあり過ぎる』
* 『親方二人目の褒章受勲・タケフナイフビレッジ』
* 『腕時計というモノの機能性、その反射・代謝・照射ゆえ』
* 「モダンデザインによる製造の完成度アップ」
* 「伝統とは『裏切る』ことへのアプローチ」


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06月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 13th, 2017  Posted 12:00 AM

06月13日 大安(辛未)

想像は印象として、
いわゆる目印の記憶である。
designとは目印をつけること、
その意味もある。

川崎和男の発想表現手法


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『既成概念は次々と革新されている、海外から。』


   


     9月 24th, 2016  Posted 12:00 AM

シューズと靴紐の組み合わせは永久・・・?。
これは既成概念になっていることをスペイン製のエラストマーベルトで?、
シューズそのものの印象を機能的にも大きく変えてしまったのです。
こうしたシューズ3足ともに、最高級ブランドの製品です。
したがって、シューズ性能はコスト的にも最高級ですが、
性能から、靴紐=布製をこのエラストマーベルト?に変えて
さらに格段に機能性を向上させました。
こうしたシューズの靴紐をどう結んでいくかということは、
生活習慣を工夫様々でしたが、この新たなデザイン提案によって、
驚愕の機能進化を見せてくれています。
デザイナーの自分としては、「やられた〜・・・」と言うのが印象です。
しかも、海外製が日本人の創意工夫を完全に打ち負かしています。
最近では、カーボンファイバーが欧米ではリサイクル不可能で、
軽量素材の大きな見直しが世界的にもテーマ化されています。
それどころか、フランスではプラスチック食器の全面使用禁止令が発動、
生分解性プラスチックのみがOKになりました。
これがこれからの世界の生活感を変えるでしょう。
今、自分の研究開発からの自分デザインも新素材や、
伝統的素材=絹織物の経年変化の防止をねらっています。
さらにこの素材開発をというアイディアを結局大メーカーに依頼発注中です。
「新素材の開発」での性能からの機能向上こそ、時代的な効能性、
つまりは確実に21世紀を決定すると考えています。

* 「こういうのは『デザイン』ではありません」
* 「スニーカーは進化しているだろうか?」
* 「赤い靴はーいてた♪・・・靴紐は赤に!」
* 『赤・この色がブランドを決定づけている』
* 『念仏さしはピタットルーラーにまで進化した』


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『商品価値のための特徴と特長のイコン=アイコン』


   


     9月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

自分の記憶が曖昧なのですが、
「アイコン」をパソコンで知ったときに
ある小説と、もうひとつはロシアの美術学校で伝統的なイコン制作を
TVドキュメントで見たときでした。
したがって、今なお、イコン=icon=アイコンを連鎖させているのは
ロシア正教やカトリック教での正教像、そこから画像や図像、イメージで
パソコン画面上でのアイコンに結びつきます。
この源は似姿、印象、イメージが米国での哲学用語として、
ピクトグラムがアイコンとなって、一目でわかるということになりました。
改めて、正教画であった図像では平面図表現に透視図法までの歴史は
アイコンとして、コンピュータ画面上での動画に変化していくことに、
とても似ているように思います。
自分デザインでは、あるメーカーの16×16のアイコンは16進法で制作し、
やがてこの手法から32×32のアイコンづくりをした経験があります。
ところが、コンピュータ画面上でのアイコンは、
今ではすっかりとブランド商品の
「特徴と特長的なかたち」表現になっています。
昨夜は、万年筆でモンブランとペリカンを取り上げましたが、
このアイコン、すなわち、「かたちの特徴=特長」の明確さが
商品価値になっていることを日本のモノづくりはすっかり忘れています。
TV-CFであろうが、単なる応答商品や回答商品であっても、
アイコンの重要性をあらためて、こうした正教画像とともに再認識が
とても大事と思っています。

* 「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」
* 「健康自己管理としての血圧計の見直し」
* 「手旗信号、モールス信号、子供の頃から現代まで」
* 『忘れるなかれ、デザインは正面にあらず』
* 『デザインは解である』


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8月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

8月19日 大安(癸酉)

回路化された
「手」と「脳」の関係は、
視覚化された手が表現することと
脳内に浮かぶ印象を
「手」が自然と表示する。

川崎和男の発想表現手法


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8月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

8月15日 先勝(己巳)

正確な鉛筆デッサンの訓練、
これは
見詰めて、その印象を
脳内に留める。
これは脳内への視覚把握だ。

川崎和男の発想表現手法


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『「手・掌を清潔に」するモノとコトのデザイン実務』


   


     7月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

「手あるいは掌」をきれいにすること。
手を洗うことは外出したら必ず、これは感染症を防止する日常的な常識です。
ここ数年で、病院はもちろんのこと公の場所や店舗などでも手の消毒剤を
どこでも目にすることができます。
しかし、病院ですら、これを常に使っているのは、
医療従事者、医師や看護師さんは当然ですが、来院者が使っている、
その現場は、自分は常に意識して見てきましたが、ゼロです。
企業の入り口にも必ず設置されていますが、これを使用している人を
全くみたことがありません。
理由は、面倒なこともありますが、何と言っても「手が濡れる」という
この印象が強いからかも知れません。
自分自身は、こうした手の消毒剤を全て使ってきましたが、
高級な消毒剤は、直ぐに乾燥してしまいますが、これではまた、
手を洗うコトと手を消毒するという日常性には大きな隔たりがあります。
自分にとっては、やはり、自動的に手をかざせば、消毒剤が掌に乗り、
それでも水でしっかりと洗い流すことが「手洗い」になります。
わが研究室は「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」であり、
基本は「完全無菌と抗体保健」をデザイン対象にしています。
無菌に拘れば、身体は弱体化するというこの矛盾への難問解決が、
コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザインを実務化する目標と目的です。
したがって、この「手洗い」の革新をこの3年狙って、
「全く新しい日常的な手・掌の清潔」を目指してきました。
この実装は7月28日に正式に記者発表をすることになりました。
これまでも多少、このブログで紹介してきた「動物実験」でのエビデンス、
これは医療関係での学術的な証左事実の確認です。
そしてこれを学術論文として発表をデザイナー自身がやります。
このデザイン実務は明白な「ビジネスデザインモデル」になるでしょう。
そして、こうしたことに次世代デザイナーが向かってほしいと願っています。

*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『デザインはすでにここまでが必然となっている』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
*『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』


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『Line発想により倫理性としての機能が明確化する』


   


     6月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

Lineと言えば、
現代はSNSの一つの代表的なスマートホンの手法です。
しかしこれ以前に、米国の日常語=ほぼスラングに登場したlineには、
”a story or argument used to seduce someone”という意味があります。
この現代的な使用語の登場こそ、これまでのconceptでは到底困難であった
イメージや印象をすべて捨て去ることが可能です。
特に、「美的」であることの包囲性がconceptにあれば、
それは論理を超えた倫理性の必要性を再訴求することでした。
つまり、プラトンが「美しさ」を判断の決定要因に用いたということは、
論理ではなくて倫理的な判断によるものです。
倫理的な判断は、それこそカントの「純粋理性批判」で、
ようやく「感性」と「理性」を同格とした判断基準が最重要視されます。
デザインにとって、
「感性」と「理性」の合致性は「倫理性」になるわけです。
それは間違い無く「機能美」とデザインの再考を余儀なくしています。
まさに機能論はデザインの登場で語られる以前から論議されてきた
実際的な美学的な理性判断であったということです。
その理性判断の曖昧さを感性的な見方には理性判断と同等と決定した、
それこそカントの判断すらconcept発想は破壊してきたと断言しておきます。
もはや伝統となったことを曖昧にしてきたことがconcept発想であった、
というのがデザインでの美の創出で明確になったのです。
黒は全てを飲み込むブラックホールであり、
それは思考・論理をも飲み込むでしょうが、
ブラックホールとホワイトホールに設けた境界ラインに、
実は倫理としての「美学的な」決定ラインが表れていると主張します。
コンセプトという境界が、物語性すなわちアフォーダンスの配置は
決して登場させられない機能の再構成と構造を決めるでしょう。
その決定によって、性能・効能、そして機能として個別的、複合的、
さらに、統合的な倫理感覚をLine発想が可能になります。
それこそ、初めてコンセプト発想を解放することとなり、
その拡大的かつ深度を知ってもらいたいと自分は真剣に考えています。

*『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』
*『SF映画が示唆していること=その真実性と想像性』
*『モノの神話性から物語り性がアフォーダンスを超えていた』
*『難問解決の大ヒントは「素材」開発デザインの美です』
*『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


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