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Posts Tagged ‘商品価値’


『ブランドならばスター商品=カネのなる木商品です』


   


     8月 11th, 2017  Posted 12:00 AM



先般、次世代のもう著名なデザイナーながら、
1999年ワインをセレクトして夕食をした彼へのプレゼントです。
おそらく「エルメス」と言えば、
高級ブランドとしては最高級品を商品展開しています。
が、このブランドこそ多分、商品展開ではお手本にすべき企業目標でしょう。
モノとしては、千代紙をランチョンマットに過ぎませんが、
いわゆるブランド戦略としてのモノづくりの上手さは見習うべきでしょう。
しかし、このブランド展開では知られていないことが結構あります。
企業のデザイン戦略としては、
何と言っても「環境保全」へのメーカー支援はほとんど知られていません。
それはブランドとしての皮革製品での皮革が地球環境を大事にしながらも
とても危うくなっていることです。
さらに特許件数は数年前もフランスではトップ企業です。
そうして世界の伝統工芸、その技量表現を必ず彼らは商品へ持ちこみます。
若い頃、Tシャツを買い求めて仰天したのです。
 3000円でも高いと思っていたら、
「お客さま、これがお値段です」
「えっ、30000円?」
これがこのブランドとの最初の出会いでした。
したがって、私デザインの伝統工芸への品質完全はこのブランド方式を
徹底的に守ることにしています。
商品は四つに分類することが出来ます。
スター商品=そのブランドを決定する商品であり、売れる売れないは無関係
金のなる木商品=このメーカーの経営を成立させている企業利潤を決定
問題児商品=時代性を失っていく商品で、大抵はバーゲン商品になります。
負け犬商品=もはやブランドでは在庫品になってしまう商品価値皆無です。
エルメスはスター商品がそのまま金のなる木商品なのです。
したがって、単なる千代紙的なこのマット商品ですが、
この商品価値と商品展開の情報化と環境保全は学ぶべきでしょう。

#designはジャンポオロ・パニ

* 「ブランド の表現統一には、センスと見識あるディレクターが必然」
* 『スイスの時計業界のしたたかな強さについて』
* 「『青の物語り』陶磁器の精彩な仕上げ進化」
* 「世界の伝統工芸技術を取り込むブランド姿勢」
* 『ロラン・バルトの言説の断片は章立て連続の時代だ』


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『「天然物」?という価値観を確認する』


   


     2月 8th, 2017  Posted 12:00 AM




街が街らしくその活気を最も感じるのはこうした回転焼き屋さんです。
小学生時代はよくのぞき込んでその作業を長く見ていたものです。
私が今最もよく知っているのは新大阪駅の「御座候」という今川焼きと、
月に一度は必ず映画を観に行く京都寺町の鯛焼き屋さんです。
改めてこのブログに取り上げたのは、
鯛焼きでも、これは「天然物」という名称があると知ったからです。
確かに鯛焼きゆえ、その鯛も回転焼きにすぎないにもかかわらず、
「天然物」?、この名称に心惹かれました。
そして思い起こすと鯛焼きでもこの寺町で月に一度は食べるのですから。
先般京都で確認してみると回転鯛焼きのその道具で明解に分かりました。
(そうか、天然物だったんだ)と凄く嬉しくなったのです。
つまり、鯛焼きの型はすべて一匹一匹を回転させるのです。
これは労働量は相当なものですがあんこが確実に鯛焼きの尻尾までです。
店先にはなんと「天然物」と銘記がありました。
なんだかとても嬉しくてしかもこの「天然物」とした商売にとても喜び、
流石、天然物だから凄いというほど、自分を納得させたのです。
「鯛焼きは天然物に限る」というもはや私の理念が決定してしまいました。
このアナログ性は生き残ってほしいと思います。
それこそ、最近はご当地名物がEコマースや「ふるさと納税」で入手出来ます。
この便利さは淘汰されるはずでしょうし、そうあってほしいのです。
それは商品価値の問題です。
価値とは「望ましいコトと好ましいコト」です。
しかもこの価値には信頼と安全と安心が必ずなければなりません。
それは人間という不完全な存在だからこそ、
人間のしかもアナログな手づくりには、
信頼性・安全性・安心性では不足していることを
デザイナーは再考すべきと考えています。


* 「実演販売を見るのは大好きだから、道草文化が必要だ」
* 『PPMはすでに図表表現が異なっている=KK適塾』
* 『ゲームコールセットの信用と信頼にある価値』
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


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『PPMはすでに図表表現が異なっている=KK適塾』


   


     10月 27th, 2016  Posted 12:08 AM



一般的にはPPMという、
市場成長率と相対的市場占有率の図表があります。(左)
おそらく、プロダクトデザイン教育においても当然ながら、
一般的なメーカー企業でも詳細に語られているのは僅かなことでしょう。
自分は、まず、現状の企業商品がこの図表(左)で、
いわゆる「金のなる木」Cash Cow、これによって企業成立の安全性を確認し、
もはや「負け犬」Dogという、商品価値が無くなっているモノを
どうするべきかを考えていわゆるデザイン戦略を立てることがルーチンでした。
「問題児」Problem Childは、常に企業には、
もう市場価値を失ったモノがあります。
これはこれまで、企業を成立させていた商品価値が失われたり、
やがてはバーゲン商品、あるいは廃棄する要素商品です。
さて、ここでの問題は、正方形の分割ラインが、
すでに誤っていることを明解にすることで、
商品による企業存在を「コンシリエンスデザイン」で視覚化可能なことです。
そしてもっと重要なことは、時代とともに商品価値での「スター商品」Starが、
どこにあるべきかを明確にすることだと考えます。(右)
いわゆるPPM=Product (Project) Portfolio Management、
プロダクト・ポートフォリオマネージメント、あるいは、
プロジェクト・ポートフォリオマネージメントが、
これからの新たな資本主義=公益資本主義で、
プロダクトデザインにどのような影響をあたえていくかという、
その提案を「KK適塾」で提示していくことになるでしょう。
重大なことは、スター商品=金のなる木商品を
見事に提示しているブランドが「ある=効能」企業の存在です。(右)


* 『「ブランド」論を語る無知なコンサルタント信ずるなかれ』
* 「ブランドを語る前に、ブランドマーケッティングの大欠点」
* 「C.I.デザインの源流としての思想」
* 「常に目周りは気になる」
* 『商品価値のための特徴と特長のイコン=アイコン』


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『商品価値のための特徴と特長のイコン=アイコン』


   


     9月 8th, 2016  Posted 12:00 AM



自分の記憶が曖昧なのですが、
「アイコン」をパソコンで知ったときに
ある小説と、もうひとつはロシアの美術学校で伝統的なイコン制作を
TVドキュメントで見たときでした。
したがって、今なお、イコン=icon=アイコンを連鎖させているのは
ロシア正教やカトリック教での正教像、そこから画像や図像、イメージで
パソコン画面上でのアイコンに結びつきます。
この源は似姿、印象、イメージが米国での哲学用語として、
ピクトグラムがアイコンとなって、一目でわかるということになりました。
改めて、正教画であった図像では平面図表現に透視図法までの歴史は
アイコンとして、コンピュータ画面上での動画に変化していくことに、
とても似ているように思います。
自分デザインでは、あるメーカーの16×16のアイコンは16進法で制作し、
やがてこの手法から32×32のアイコンづくりをした経験があります。
ところが、コンピュータ画面上でのアイコンは、
今ではすっかりとブランド商品の
「特徴と特長的なかたち」表現になっています。
昨夜は、万年筆でモンブランとペリカンを取り上げましたが、
このアイコン、すなわち、「かたちの特徴=特長」の明確さが
商品価値になっていることを日本のモノづくりはすっかり忘れています。
TV-CFであろうが、単なる応答商品や回答商品であっても、
アイコンの重要性をあらためて、こうした正教画像とともに再認識が
とても大事と思っています。



* 「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」
* 「健康自己管理としての血圧計の見直し」
* 「手旗信号、モールス信号、子供の頃から現代まで」
* 『忘れるなかれ、デザインは正面にあらず』
* 『デザインは解である』


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『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』


   


     9月 7th, 2016  Posted 12:00 AM



作家にとって万年筆は商売道具です。
はっきりと明言すれば、万年筆は一般的には、
モンブランかペリカンかどちらが優れているのだろうということになります。
これには自分が様々な作家の結論はペリカンがいいということです。
そしてさらに万年筆の「アイコン」性がこの二つのブランドにはあります。
モンブランにはいわゆるモンブランマークがあり、
ペリカンの軸には縦縞があります。
これを今では「アイコン」と呼ぶようになっていますが、
アイコンというのは、本来は「イコン」のことでした。
元来は宗教画の「図像」、ピクトグラムの源流になっていますが、
これがGUI=Graphical User Interfaceが生まれると
イコンがアイコンになりました。
そして現代商品にとってかたち=図像イメージがブランドを決定しています。
モンブランとペリカンは万年筆では筆頭のよく知られたメーカーであり、
メーカーとしての性能は作家たちにも好まれ、道具機能の代表的なモノです。
ブランドとしての効能は商品のイメージすなわちアイコン性を決定しています。
このアイコン性が認識されない限り、機能的な商品価値としては、
ブランド価値が無いということになります。
それこそ、かつてはスーツの胸ポケットに万年筆というのは
野暮なファッション、
これが定説でしたが、今では胸ポケットに挿します。
その時、万年筆のキャップトップにアイコン性が必要なことです。
残念ながら国産の万年筆にはこのアイコンがありません。
性能は極めて優れていますが、アイコンが無いこと、
すなわち元々のイコン性が大欠落しているのです。



* 『神仏像をもっと知っておきたいと考える』
* 「丸ポスト・街角のアイコンから貯金アイコン?」
* 『赤・この色がブランドを決定づけている』
* 『「ブランド」論を語る無知なコンサルタント信ずるなかれ』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」


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『最高級品=最高価格であるべき万年筆の登場の意義』


   


     8月 7th, 2016  Posted 12:00 AM



「弘法筆を選ばず」という有名な言葉が残っています。
素直には、弘法という達筆者は筆という道具などはどれでも構わない、
という、拘りなどには屈していないという意味です。
「拘る」ということなどは、両刃の剣だという解釈が成立しています。
しかし、自分は「拘る」ということではなくて、「こだわる」ことには、
大きな意義を見いだしています。
その最大のことは人か物か自然かということへの哲学性かも知れません。
とりわけデザイナー、デザインというモノと対峙して生きる人間にとっては、
「こだわり」=「木垂れ」からの原意ある伝統的なモノづくり観は不変です。
自分自身も筆記具その集大成である万年筆はコレクションの対象。
国内の万年筆メーカーのモノは世界的にも素晴らしいのですが、
どうしても海外の万年筆ブランドに「価格で負けています。」
文具大賞の審査委員長もさせられていますから、ことさらに日本の文具は、
世界で最高のモノにしてがほしいという日本人としての拘りがあります。
そう思っていたら、日本で最高、それは最高価格であるということ、
この単純ないわば公式ですが、見事な提案がありました。
自分にとってはようやく日本の万年筆の存在をアピールしてきた勇気でした。
如何せん、こうした万年筆にとっても、高額製品としてはどうしても
日本の伝統、蒔絵あるいは真珠という加飾性が必要です。
確かに海外の有名ブランドも漆芸や蒔絵、螺鈿、真珠などは見事で、
商品価値を向上させる装飾性に優れています。
しかし、とりあえず万年筆で、誰しもが「エッ!」っと驚く、
それほどの万年筆が日本にあるということです。
かつて、洞爺湖サミットでは伝統工芸を使った万年筆が採用されましたが、
万年筆コレクターから見ればその伝統工芸そのものが駄目なのに、
「なぜ?」と、モノそのものが最悪だと言うことになります。
今回のこの商品化は、しかもわがふるさとの文具屋さんの提案でした。

@ Kadobun

* 『ずばり、自分ぴったしのモノ世界のモノマガだ』
* 『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』
* 「パーカー『5th』という筆記具の進化」
* 『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
* 『クリスマスプレゼントは万年筆を語れる少女から』


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『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』


   


     1月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



我ながら、どこまでApple製品に囚われているのでしょうか。
そう想いつつも確かなPCもPadも進歩はしていません。
そして、ベルトが二重巻きのApple Watchに至っては、
時計もそれなりに気ままに使ってきた私でさえその未来は見えていません。
それにも関わらず、絶対に二重巻きの時計は手に入らないとなると、
元来、一人っ子だった僕の物欲が呼び寄せてしまうのです。
もはや時計、クロック、Padにしろウォッチにしろ
稼働部品は極めて低額です。
実際、生産原価はどのブランドにしてもほとんど知り尽くしています。
Apple Watchも、稼働ユニット部品は定額コストであり、
筐体やベルトでのほとんどそれこそ付加価値での競合にすぎません。
Padのスタイラスペンにおいても同様です。
僕はプロのデザイナーですから、結局、モノとブランドの価値で、
所有価値と使用価値を価値判断にしてしまっています。
このApple Watchは皮革ブランド独自の価値を借用して、
時計の価値を高めているだけにすぎません。
最も、僕は銀座のApple Storeで現物を見、その説明を受けました。
結果、この店員さんからは絶対に購入しないと決めました。
そして、ブランドショップで改めて質問をした結果、
商品知識ははるかに勝っていましたし、
ほとんどいつ注文しても困難でしたが
結局、すぐに私の所に来てしまいました。
それこそ、Padのスタイラスにしても、
僕がそれなりに認めているブランドと
新興ブランドは、一方はレンダリングスケッチ用であり、
もう一方はすでに書道用に落ち着いています。
商品価値がブランドに左右される時代にあって、
デザインがデコレーション価値になってしまうことはやむを得ないですが、
やはり、僕はデザイン=問題解決・価値創造・未来創成ですから、
ともかく、現代性でデザインのこの三つを満たしているモノの世界観に
僕自身は取り囲まれていたいと思うのです。
デザイン=問題解決・価値創造・未来創成の結論は、
「美」に集中と集約される焦点でなければなりません。
それは、僕自身が「真善美」三つはとても自分には立ち向かえないけれど、
「美」って決して分からないかもしれないけれど、
「美しいモノ」に取り囲まれるコト=環境に
ありたいと思ってきたからです。
物欲も年齢とともに消えていく、
そんな気配が忍び寄っているのも事実ですが、
あくまでも、自然は自然なりに美があっても、
自然も人間も裏切りがありますから、
デザインされた「美」には自分を浸すことができます。
自分の生涯において物欲からの「美」は求めるつもりです。


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『デジタルペンは効能性の再考である』


   


     5月 23rd, 2015  Posted 12:10 AM



iPad画面と身体性=手の感覚は、絶対にトレーニングが必要です。
と同時に私はデジタルペンにも、「慣れる」という感覚も
それなりに取り組んできたと思っています。
しかも、デジタルペンも初期に競べれば、まあまあ万年筆程度ですが
とても万年筆と同等のモノはありませんが進歩しています。
ただし、この進歩はデジタルでのモノ仕上げ観の限界でしょう。
だからこそデジタルそのモノの限界性を露わにしていると考えます。
この二種のデジタルペンは、共に、専用のノートが必要であり、
Padとの関係でもアプリのアルゴリズム性とプログラムが必須です。
これこそ、デジタルには、専用性とプログラム性がいるのです。
デジタルの人間との相性が求められているというわけです。
端的に断言すれば、不必要性をすでに表しているということです。
デジタルの効能性が試されているということに注視すべきです。
それこそ、Apple Watchやドローンなども、
デジタル性能以上に、
効能性=存在価値そのものが求められていることを証明しています。
つまり、デジタル性とは、まず、効能性そのものが
人間生活との存在価値性になっているということです。
おそらく、この製品は商品価値そのものが限定され、
不必要性と格闘しない限り、社会的な価値性が問われるということです。
したがって、私はこれらの存在価値性をなんとか見い出すべきです。
つまり、デジタルモノの効能は性能以上に重要だということなります。
おそらく、これらのペンの未来はほとんど無いと断言すら出来ます。
しかし、私にとって重要なこと、いや、デザイナーにとって、
デジタルの言語性をデザインしていく必要条件を再考するには
こうしたデジタルペンのあるべき存在性を生み出すことだと思います。


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『忘れるなかれ、デザインは正面にあらず』


   


     7月 9th, 2014  Posted 12:00 AM



このテーマは二度目ですが、もう一度書かざるをえません。
最近の4Kテレビ、そのデザインを確認していても、
正直、デザインの力量不足甚だしく低いと評価します。
4Kテレビの実装性では、液晶フレームがほとんど無くなるほど、
狭額縁液晶ディバイスになりましたし、省電力性も向上しました。
それならば発熱性解除という問題には、デザイナーの発想が
とても魅力的な問題解決が叶ったはずですが、
テレビ背面デザインは全く進化していないようです。
私は発熱性の低減には、技術より造形言語=デザイン意図を深く、
込めて、素材選定や発熱拡散により、内部実装を守れるはずです。
しかし、そうした創意工夫が無いことに落胆し、再度記述します。
私のデザインでは、正面性と同等に背面スタイリングでの
性能性を重視し、放熱口を皆無にするために全面をアルミ素材とし
コードマネージメント=各種コード接続のカバーは、
プラスチック重量で、万一の落下にも対処するデザインをしました。
アルミ素材で発熱を空気接触のみで発熱防止拡散をしています。
背面には唯一、リモートコントロール収納だけを残しました。
性能性補完をデザインで支持し、結局、その造形言語は、
形態言語として、背面の存在性=効能性も確立しました。
おそらく、未だに背面では、発熱性・防音性・コード処理だけが
機能性であり、この形態言語が商品の価値性を決定しています。
私にとってもこのデザイン言語=造形言語と形態言語こそ、
自分の造形力を技術基盤にしたものと今でも自負出来るものです。
私自身、テレビやモニターデザインの経験がありますから、
その視点=どこからどこを視ているかは明確に商品価値が分かります。
だからこそ、敢えて、現状のテレビは背面ですら進化していなくて、
単なる狭額縁やスタンド設計をデザインと呼ぶことは不可能です。
あらためて正面性も額縁デザインから解放されるべきであり、
再度、背面デザインを進歩させるべきと提案しておきます。

『技術革新以前の問題解決=デザインがある!』


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「たとえ『市松模様でも』デザイン戦略の妙技」


   


     5月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM



これは単純には市松模様にすぎません。
しかし、著名ブランドがしたたかに商品シリーズに加えると、
それですっかりそのブランドの決定的な商品価値、
いや記号価値になってしまいます。
私自身もこのブランドのこの記号価値を日常に取り込んで、
どこまで自分のアイデンティティと重ねられるのだろう、と、
取り組んで使ってみています。
もちろん、それは弱点も少なからずありますが、
現代の流行現象に覆い被さっていて、
元来は「市松模様」であったことが、
すっかりこのメーカーのオリジナリティに変化しつつあります。
しかし、日本刺繍での「市松模様」とは
明確な違いには至っていません。
私の祖母は日本刺繍を教えていました。
刺繍というのは世界各国にありますが、その国独自の手法です。
その手法は、中東・アジア・オセアニアに根付いたモノです。
とりわけ、わが国は自然界と幾何学系に独特の図柄があります。
祖母が残してくれたとても分厚い見本帳が見つかりません。
ほとんどが私の記憶の中にあります。
したがって、刺繍のそれも幾何学模様で、
「市松模様」には常に注目をしてきました。
そしてこの市松模様が、
実は現代テクノロジーで見事に開花したのです。
それはコンピュータ・モニターの液晶での
ピクセルであり、2009年には英国でついには、
「Bits from Bytes」で、これは点から線になりました。
私が、光造形で発見した、
「点(ピクセル)はやがて正方形に至る」というのは、
実際上は、この「市松模様」だったわけです。
私がこの模様をデザインで現代に持ち込んだのは、
一人のインテリアデザイナー、デザインチームと、
このブランドだったと思ってます。
このブランドのシリーズを日常化のモノに適用するたびに、
次世代にもこの「模様」そのものが、
新技術・新素材・新記号になると思っています。


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