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06月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

06月16日 友引(甲戌)


現実を写実化できる能力、
その能力表現力は
どれほど
今度は「非現実化」
つまり、存在して無いモノ
そのモノを空想で
描き出すことだ。



川崎和男の発想表現手法


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『デザイン造形美は時間軸を超える存在になる』


   


     6月 9th, 2017  Posted 12:00 AM



日本のTVドラマに限らず、米国それもSF映画にまで登場している照明です。
おそらくインテリアデザインの決定的で代表的な要素のフロアランプです。
実際、私の自宅でも一室には、
このフロアランプの位置からソファ配置などを決めました。
たとえば、このランプがSF映画にまで在るとなると、
その未来にまで影響を与えるのだろうか、と私は思います。
しかし、このフロアランプはインテリアデザインでの
象徴的な造形デザインになっています。
SF映画にまで登場するとなると、フロアランプはその未来までと思います。
私は偶然New Yorkでこのデザインで有名なカステリオーニ氏に逢えました。
それはMoMAでの個展に招待され、彼にとっても最大の個展でした。
彼には「自分が柳宗理先生の教え子」だと言ったら、
もの凄く強くハグされていくつかの彼の作品の造形コツを聞く幸運でした。
そのこともあって、私は自宅にこのフロアランプのコピー商品ではない、
正当な照明器具を買い求めました。
いわゆるコピー商品はランプシェードの取り付け位置が違います。
TVドラマでは、すぐにあれは中国製だと分かります。
最近はジェネリック家具とかを教える馬鹿なデザイン教育者もいて、
物真似では造形デザインの肝心なディテールには気づいていないようです。
カステルオーニのデザインでは、
大まかな外観性だけを知っていることは
造形デザインの実際の詳細性までをしっかりと知るべきです。
モダンデザインの旗手として、
彼のデザインはお手本だと認識しています。
かつてサルトルは「想像力」について、
「非現実化」させる機能を意識的に働かせると言っていましたが、
私はその機能は性能と効能を認識出来ることがデザインであり、
そのデザインは問題解決の美的造形力と定義しています。
そういう意味では、カステリオーニのこのフロアランプは、
計算された大理石と大きな円弧のシャフトと球的なランプシェードです。
「非現実的」な想像力からの造形美は時間軸からも解放されています。
そしてこの照明器具という「モノのデザイン」は、
その室内での「コトのデザイン」は時間軸も超えた様々な出来事なのです。
しかし、このランプが非在するのは、照明システムがワイヤレス化時に
形態は変容するでしょうし、それは自分デザインへと思っています。


* 『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」
* 『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』
* 『研究室のMac環境は最高性能の自分デザイン』


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『デザイン開発の手本としての開発期間』


   


     6月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM



デザイナーなら絶対にやるべきデザイン対象は、
時計・灰皿(今では不要)・やかん(ケトル)、そしてイスがあります。
ところでやかんというのは、欧州では無かったモノだったと聞いています。
私自身が最初にフリーランスのデザイナースタジオを見学した経験では、
有名なダンスクのケトルのデザインでした。
下手くそな英語で、彼に聞いたことがあります。
「このデザインはもうすぐ出来るのですか?」
「いや丁度、商品化したからショールームに行こう」と。
「このデザインは1ヶ月ぐらいの期間でしたか?」
「いいや、かなり早くて4年だったかな」
「えっ、!」でした。
そして、スケッチとモデル(ペーパーモデルや発砲スチロール)を
それこそ50個ほど見せられました。
おそらく、このケトルデザインが最高のデザインだと今も思っています。
1980年代の作品です。
吸水、手入れの容易さ、水切れ、バランスなど本当に4年かかったんだ、
そう思わせるデザインでした。だから、私自身、使って持っています。
いくつかのケトルを試してみましたが、
このデザインは流石というべきデザインです。
今ではケトルの存在はすっかりと変容してしまいました。
何と言っても電熱式のケトルになってしまいましたが、
電熱式であってもこのデザインスタイルを乗り越えているモノはありません。
私が4年という期間をクライアントに求めてデザインしたのは、
結局、日本人として最初のメガネでのグランプリ:シルモデザイン賞でした。
そして、この方式は今なお健在であり
当然のことコピー商品も氾濫していますが、
デザインでの「オリジナリティ」こそデザインの真骨頂だと確信しています。


* 『赤・この色がブランドを決定づけている』
* 「最小リモコン=徹底的な黄金比の適用と実装設計」
* 『腕時計というモノの機能性、その反射・代謝・照射ゆえ』
* 「ウェリントンタイプ眼鏡など忘却すべし」
* 『象と蟻、その表現法はまったく変わってしまった』


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『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』


   


     5月 18th, 2017  Posted 12:00 AM



私が大学人になると決心した時に、
その道筋をつけていただいた故M教授は、私が阪大へ移籍のとき、
「蔵書は大学人の間は持っていなさい」と指示されました。
阪大でも学生が次々と本を読んでくるので、結局本は増える一方でした。
サルトルの「存在と無」は学生時代に読みました。
理由は単純で、この美大にいたら、デザイン技能である
スケッチやモデルづくりは上手くなるだろうが、
おそらく大学生としての読書には無関心になってしまうだろう、
それはとても知識人として生きるのは危険だと思っていました。
またよく本を読んでいそうなのは、
学生運動に取り憑かれて赤ヘルでデモのために上京。
全くデザイン課題は無視していました。
そういうのは学生運動無関心の連中以下の無能力者と判定していました。
さて「存在と無」を選んだのは二つ意味があります。
それはサルトルは一応は読むべき本であり、「嘔吐」はつまらなく、
あとは実存、方法、時間、悪魔、神、思想, 恋愛などでした。が、
ともかく反「資本論」より仏教の「無=空」を深める熟読はこれだけでした。
以来、「存在と無」の新刊は次には上下巻になり今では文庫本です。
ところが、「想像力の問題」があったと知ったのは最近でした。
それには意味と意義の意識が私の興味焦点にあります。
「想像力」と「創造力」を「想育」と「創育」として、
コンシリエンスデザインで書き残そうと思ったからでした。
理由は簡単です。
ともかく想像力がほとんど無い、それもデザイン学生を一杯見てきました。
想像力が無くてデザインをする創造力には絶対に至りません。
そしてサルトル批判がこれまでデザイナーとして想像力あって
やっと創造が出来るはずです。それなのに、
デザイン教育者あるいはデザインを知ったかぶりする学者などを知り、
サルトルの基本が意識でしかなくて、
認識にすべきでは無かったのではという現在の私判断があります。
これはあくまでも私の想像力です。
そして今は、私のブログ金言に彼からの一言を書き抜きしています。


* 『25000ページを書き残した今ではアーティストの展覧会』
* 「荒唐無稽さと完全無欠さなら『ゴルゴ13』でしょう」
* 『運筆練習に最適な学習ノートの充実ぶりに感嘆』
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』


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『正三角形は最小の要素因として4つの配置が可能』


   


     4月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM



正三角形は多角形の最小の形態言語です。
しかし、この形態言語は平面上では直角回転によって、
4つの配置しかありません。
形態言語という存在性は仏教的にはこの存在はありえないという認識があり、
正三角形の非在というより不在が問題視されてきました。
ところが、この非在性は不在性を、簡単にしかも正当に否定しました。
それは正三角形の中の正三角形4つと
正六角形の中の正三角形6つで解消されました。
したがって、正三角形の頂点a・b・cに四つの配置が決定されたと
私は考えてきました。
たとえば、aがbcを制御しているのです。
あるいはcとbがaに反応、適合、溶解などということがあり、
陰陽的にはこの二つの正三角形が6頂点を与えるのです。
意味性はわかるでしょうか?
さらに、bとcがaに統一され、
aがbとcを統一するのです。
あらためて仏教的いや密教的には、
「神・陰陽・統一」を象徴した要素だとおもいます。
金剛三乗・阿弥陀三尊・三位一体を、
要素配置としてこの図像を納得してきているのです。
もっと明確に断言しておきます。
仏教的には、正三角形は「存在」明らかなのです。
だから私はデザインにこの正三角形の配置に
陰陽=(事物・正悪・表裏・正反など)統一の手法を求めてきたのです。
正三角形という形態言語の形素は、
きわめて要素配置が四つということです。
正方形・正三角形・円は、要素の決定因だと考えます。


* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 『神仏像をもっと知っておきたいと考える』
* 「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」
* 『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』
* 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」


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『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』


   


     9月 9th, 2016  Posted 12:00 AM



以前も恐竜をこのブログで取り上げました。
それは想像力の問題として、
どこまでこの存在に興味を抱くだろうかということでした。
自分のふるさと福井は、恐竜の街として、
すっかり有名になろうとしています。
勝山市には福井県立恐竜博物館があり、
この博物館は小学生の聖地になっている、そんな話も聞くほどです。
自分デザインの対象にしてすでに5年目になる「羽二重」ブランドでも
この恐竜をデザインパターンとして、あるいは新たな商品化に向けて
恐竜、それも勝山市で発見された4種を先般も、
ブランド設立のデザイン指導で仲間たちと話をしていたら、
日本で発見された恐竜は7種あり、
勝山近辺では5種目が発見されたという話を聞いてびっくりしました。
また、福井県出身の恐竜学者もいます。
そしてまだまだ不明なことは恐竜の身体は羽毛であったとか、
始祖鳥の進化であり、恐竜絶滅論にも様々な想像力が生まれていることです。
今、自分デザインの「羽二重」ブランドと恐竜パターンの組み合わせを
再考しなければいけないほど、
恐竜の情報が一段と詳細になってきています。
恐竜への想像力が大切ということでは、
「想育」と「創育」という発想回路づくりを考えています。
そういう意味ではやはり、恐竜の存在は大きなテーマだと思い、
またあらためて恐竜を持ち出しました。



* 『布、なぜシルクロード、シルクボイスだったのか』
* 『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』
* 『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
* 『「羽二重」ブランドの発表を決定する!』
* 『想像力が及ばなくともこの存在は追いかけたい』


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8月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM

8月22日 友引(丙子)


目の前に
描くべき対象が存在しない。
その時、
脳内に
イメージの形が浮かぶ。
自然と
脳内イメージが
「手」の回路に結びつく。



川崎和男の発想表現手法


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8月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 21st, 2016  Posted 12:00 AM

8月21日 先勝(乙亥)


目の前に存在する
描く対象を
ともかく正確に描く。

描く対象を
脳がとらえて「手」が」動く。



川崎和男の発想表現手法


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『日本文具大賞の「機能部門」と「デザイン部門」って?』


   


     7月 10th, 2016  Posted 12:00 AM



2016年・第25回「日本文具大賞」の発表と表彰式が行われました。
日本文具大賞はこの時期の大きな行事になっています。
今年も審査委員長として概評と審査基準や文具業界へのお願いをしました。
年毎に応募は増え、今回はwebsiteで事前調査を各審査委員がすませて、
その後、現物審査をしました。
これはまず個々人の主観性で評価され、
それが、審査会ではぶつかり合って客観性に変わります。
つまり、デザインにとって最大に重要な客観的な評価が成立します。
この審査は二つの部門があります。
「機能部門」は、
常にデザインと言えば「機能的が美しい」という常套句がありますが
これをもっと広範囲でとらえ直しています。
性能=モノの性質の能力と、
効能=モノが社会的・時代的に存在している意義や効用と効果が問われ、
結果、性能と効能の可能性が文明的な史観で
「機能性」という可能性になるのです。
「デザイン部門」は、
機能性にさらに美学性が将来性を持っているか、までが問われるのです。
簡単に言い切ってしまえば性能性という誠実さと効能性という信頼性が
社会的に存在を許容しているかどうかまでが確かめられているのです。
特に「グランプリ賞品」には、
誠実さと信頼性に美しさという倫理観が適合していく未来性を
求められているということです。
本賞の商品は、毎年必ず大ヒットになることは間違いありません。
そしてこの審査会が
「各商品や各メーカー事情を詳しく組み込んで評価している!」
という理由から、審査会自体が褒められることがあります。
これは審査委員会の伝統的な誇りであり自慢だと思います。
賞品市価は200円から2000円、高くても5000円のモノですが、
わが国の「文具は世界一」であることを今年度も再確認できました。
ただし、今回は各社のwebsiteを見ましたが、
残念ながら、websiteには
企業各社の特色ある美しくてインターラクションが
より必要であることを付け加えて述べました。

*『日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき』
*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
*『『第22回日本文具大賞』を発表しました』
*『アートからの革新=フォンタナの作品から』


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『電柱はもう街の景観にはあらず・電線地下美化倶楽部』


   


     6月 27th, 2016  Posted 12:00 AM



電柱の存在は余りにも酷たらしい現状です。
電柱は犬がマーキングをする存在ですが、
それを見上げていくと、なんとその工事のいい加減さ、適当さに
ひっくり返らんばかりに驚き哀しまざるをえない出来映えに呆れます。
ところが、米国の果てしない荒野の一本道に、
木製の電柱が建っていると、その佇まいはとても美しいのです。
何が違うのだろうかとしみじみと眺め比べてみますが、
たとえば、このような仕事姿勢の違いがあるのではと思います。
「見てご覧、あの電柱は私が電線を張り、電柱が景色の
ひとつの表現になっているだろう」。
「あの電柱、ともかく仕事だから定時間に済ませただけ、
景観、それとの調和?知らないよ!みんな気づかないだろ」。
この意識で街中に見苦しい電柱が一杯あっても、
誰もが黙認してきたのが我々でした。
「電線地下美化倶楽部」があります。この倶楽部を立ち上げ、
提案をしたのは自動車大企業T社の元デザイン部長です。
名古屋工大教授もつとめ、オートバイ大企業のデザインコンサルタント、
旧知の仲です。しかも同世代、「最後の役割だね」ということで、
まず、メンバーを増やそう、そして、日本の醜い電柱写真展から、
ということで、スタートをかけました。
以前、水道管をすでにステンレスにしている地域がありました。
しかし日本は地震大国ですから
フレシキブルな地中水道管工事を、と思っており、
日本の「地下埋設工事全般」に新デザインを、
という提案に電柱も地下埋設。
ロンドン・パリは電柱ゼロです。
ジャカルタですら東京23区・大阪市と比べたら。
これこそ、貧しい都市なのです。

*『瓦礫に祈りを・・・デザインによる復興計画を』
*『この実例に世の中の無責任でいいかげんさが表れている!』
*『電線・電柱・地下インフラのやり直しデザイン』
*『電力会社を破壊し分散させるべき証拠・告発します』
*『スマホのアイコンはインフラ的な高品位性が不可欠である』


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