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Posts Tagged ‘富’


『越前藩石高と越前和紙の「黒すかし」は使われている』


   


     5月 10th, 2019  Posted 12:00 AM



子供の頃の趣味のひとつに、「藩札」収集がありました。
多分、実家にはまだあるかも知れません。
さて、かって江戸時代「加賀100万石(119万石)」と言われた
加賀藩は、越前福井の隣国で「格外扱い」でした。
前田家は外様でしたが御三家に準ずる扱いで
富と文化を成していました。
実際、越前藩は越前松平家一門で90万石だった話は、
歴史の陰に隠れています。
そして、三岡八郎が藩札によって藩財政立て直し、
日本全国からも信頼を受けていました。
三岡八郎は後の由利公正であり、「五箇条のご誓文」をつくり、
東京府知事・第4代目となった経世家でした。
福井藩士から渡邊洪基も府知事・第9代目になっています。
福井藩札の紙の良さ、
つまり越前和紙の技術の高さは評判となりました。
越前和紙の技法に「黒すかし」がありましたが、
その技能は今やお札だけに用いられ、
財務省(元大蔵省)に取り上げてしまいましたので
製造は禁じられています。
越前和紙の技法はこれからも使われます。


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『ツバメの巣、それが福祉の象徴です』


   


     6月 4th, 2016  Posted 12:00 AM



忘れていた自然界の素晴らしさを美大時代の同期から
写真がFBにアップされていました。
写真掲載OKをもらって、しみじみと思い出しています。
この季節、渡り鳥がやって来て、巣を造ってくれます。
すっかり、この風情を忘れていました。
ツバメがやってきて巣を造ってくれるのは良いことが起こるという
こんな話が今ではすっかり忘れられていますが、確かに同期は金沢。
福井にいたときに、あんな所に巣を造っている、と驚いて、
そうか、ツバメも新素材の接着剤を見つけたんだ。
でなければ、出来るワケがないと思い出してしまいました。
本当に今では見ることができないどころか、
ツバメの巣造りを嫌うことが出てきたとすら聞きます。
とんでもないと思います。
ツバメは毎年やって来て、巣造りをしてもらえる家には
福をもたらすと言われていますが、
これは真実です。
祖母から聞かされていた話は、ツバメがこの季節にやってきて、
彼らは最高の居場所だからこそ巣を造るのです。
自然の摂理を家に当てはめているのです。
巣は安全で安心できる場所を見つけているからです。
もし、ツバメの巣があれば、その家には「福」が舞い込んでくるのです。
母の実家、父の実家にもありました。
福井に戻った私が見たのは、全く新しい建築資材がその巣にあったとき、
アレは新しい巣を造る素材と方法を編み出したと思ったものでした。
自然が見いだす最高の居場所は、もう都会にはありません。
しかし、ツバメの巣こそ、豊かさの象徴だと思っています。
北陸には、「福」がやってくるその豊かさがまだまだ残っていると、
とても安心した風情を美大時代の同期が思い起こしてくれました。
連日、仕事に追いまくられていますが、
そうだ、やっぱり日本には自然からの「福」があるのです。
それこそ、福祉とは、神様が富を壺に詰め込んでやってきた、
その証に、膨らんだ「福」と
その足跡=祉を残すことです。
福祉とは、まさに、ツバメの巣こそ、その象徴だと思います。

*『日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・』
*『金沢美術工芸大学の大阪での大学大同窓会』
*『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった』
*『「福祉車両」とは決して言ってはいけない車』
*『安全と安心・デザインの不在か非在か』


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『資本主義からの逃走』
    「 『富』を見失ってきたイデオロギーの文脈」


   


     9月 3rd, 2010  Posted 1:38 AM

「富の分配方程式」
資本主義も社会主義も、イデオロギーだとするなら、
私たちは、本来のイデオロギー、何がイデオロギーかを未確認のまま、
この二つの主義主張で分断され闘争させられてきました。それが20世紀です。
いづれのイデオロギーも、『富』とは何であったのかを見失なってきただけだったのでしょう。
『富』を生産し、分配し、蓄積することの結果を、私たちは20世紀末にはっきりと認識しました。
反省しなければなりません。
それは、富の分配方程式が経済図式にすぎなかったことと、
私たちという種の存続性さえ危ぶまれている現前で、たちすくんでいる有様です。
マエンゲ族とトロブリアンド島民
南太平洋・ニューブリテン島のマエンゲ族、
そして、
西太平洋・トロブリアンド島民、
いづれも無論働きます=生産しています。
しかし、彼らの生産は、いかに「美しい畑作」をするかということです。
畑生産での収穫量=「富」ではないことを私たちはもっとその価値を熟知すべきだったのでしょう。
彼らの「生産」成果とは、「美しい外観や体裁の整備」、その審美性に価値をおいていたのです。
この種族や島民に最も注目し、
「労働」・「仕事」その生産による「富」を見失ってはならないという指摘はありました。
いわゆる構造主義者の示唆・分析を無視してきたことは事実です。
エコロジー・リサイクルが問題解決にあらず
「労働」とは、真に肉体労働であり、
人間という種の生理=発汗行動を忌み嫌ってきたのかもしれません。
頭脳集約が果たして、新たなイデオロギーを世界観、共通感覚にしてくれるのだろうか、
という「文脈」をもう一度引き込み直すことかもしれません。
もっと直裁的に言ってしまえば、
私の視界には、声高なエコロジーとかリサイクルが問題解決だとはまったく思っていないことを、
1989年コンピューター黎明期に訴求して以来持ち続けています。
「富の生産・配分・蓄積」という文脈で、私たちは、見失っていることが余りにも多かったのです。
エコロジーもリサイクルも、まだ「富の分配式」のままなのです。
見失っていたのは、「審美的な富」だと私は考えています。
「審美的な富」はデザイン対象・問題解決の「解答」だと確信しています。


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『資本主義からの逃走』
 「社会主義実現のための市場経済論の見事さ」


   


     2月 23rd, 2010  Posted 10:00 AM

生産力強化への
学びとしての模倣
「南巡講話」によって、「市場経済論」は、
多言語・多文化である中国在住大衆=「中国人」を、
統一する見事な教条主義であり、共同幻想付与論でした。
日欧米は、資本主義に立ち入ってくるこの論理の策略を
見過ごしていたのではないでしょうか。
無論、中国での反体制者たちへの、
「弾圧非難」の正当性こそ、
自由主義であり民主主義の本意意識だと、
批評したに過ぎなかったのではないだろうかと思います。
以後、チベットへの侵攻弾圧、国内での統制監理の強化は
共産党一党支配を専制政治を圧倒的なものにしました。
大きく見つめ直せば、三つの根幹があります。
● 生産力を「個人化」させて、収奪と富の集中支配
●「個人力」をあたかも自由さだと情報統制の徹底
● 国家権力=一党専制支配力は軍事力の増強へ結合
この三つは、生産力強化のみが経済と計画の基盤という、
見事さだったものと考えざるをえません。
具体的に言い換えてみましょう。
生産力は「商品価値」づくりです。
その「商品価値がもっともアイコン性あるモノ」を選別、
すなわち、日欧米「ブランド価値の模倣」です。
これはわが国も、
敗戦直後にモノマネ・コピーの経験に重なります。
「生産力の強化育成、その即効性」を得る手法は、
産業発展史では同等です。
「あなた方は、モノマネ・コピーは学び構造ですから、
どんどんやりなさい。そして苦情は国家が謝罪をします」。
こんな中国の市場経済の裏構造が見え隠れします。
そこに、米国での「金融工学」には、
大きな失策がありました。倫理観の大きな欠損です。
倫理性は中国同様だったものと判断せざるをえません。

北京オリンピックと上海万博が実現します。
この二つが、
市場経済論と一党支配軍事力統制はまだまだ不明ですが、
明確に成功したのは、日本からの収奪は侵攻しています。


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