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Posts Tagged ‘工業デザイン’


「ボーカロイドが象徴し始めてきている重大さ」


   


     4月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

「イタ車」の存在を知ったのは、
オーザックデザイン副社長H氏からであり、
H氏の車種(数台所有)がまるで変化した2010年8月頃でした。
車はじめ工業デザイン各分野でのマーケティングに関して
日本でトップクラスの彼が、
「イタ車」でホテルに迎えに来て、ホテルのドアマンの人たちは驚愕、
そのまま東大に行きました。
東大構内でも学生達が写真を撮りにくるほどでした。
その時、彼はすでに
「初音ミク」などのバーチャルアイドルが様々に台頭するはずと、
その存在による経済効果を予測していました。
彼の「イタ車」もプジョーを選び、
外装には彼指示による高度なシール印刷を施して、
日本の印刷技術の最高峰を引き出してみたということでした。
その印刷仕様技術が、
これからの日本の印刷形式も変貌させると断言していました。
彼の予測は万事いつでも正確で必ず的中することばかりです。
そして、彼がこれまでクレジットカードからケータイなど
様々に企業提案し実現してきたことを知り尽くしているので
その時期を待っていました。
その時から私自身も、
「アンビエントアライアンス」という近未来コンセプトを掲げ、
講演でもその歴史的な系譜分析などをし始めていました。
すでに、もう「初音ミク」は一般化してしまいました。
初音ミクを含め3人の代表がそれぞれの性質がプログラムされました。
この創造力と革新的な商品化技法は
新たなデザイン形式とデザイン拡大化を見せてくれました。
彼女の容貌=美女イメージと
ボーカロイド音源=バーチャルエレクトロニック・ボーカル音源が、
現在のリアル・アイドル楽曲にまで拡大し始めています。
さらにSNS(これにはそろそろあらたなステップが始まる)の進化が
加わってきました。
この流れを読み切ったベンチャー企業はまだ存在していません。
無論これまでの大企業にはこの系譜を読み取ることすら能力無しです。
おそらく、日本の確固たるカルチャーである、
「漫画」・「アニメーション」・「ケータイ」・「ゲーム」などが
経済的稼働を起動し始める「重大要因だと予測」しています。
そして、スマホの形式と内容も、
この連鎖性を包含=インクルーシブさせていく国内の情報機器企業は、
今はまだ皆無だというのが2038年問題より大きいと私は予知しています。
具体的ではありませんが3.11後の東日本に、
「初音ミク」の象徴性、
ボーカロイドが投げかけている新たなDIYから派生する
そのような産業が起業されることも肝要かと私は考えています。

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「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」


   


     4月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

日本の三大ホテルというのは、
帝国ホテル・ホテルニューオタニ、そしてホテルオークラです。
ホテルが国際的な国家の存在性を「空間論的」に明示しています。
ホテルオークラは、日本で最初の国際会議IMF総会が行われた舞台でした。
そのホテルオークラのロゴタイプデザインは、
私の恩師・平野拓夫先生(元・金沢美術工芸大学学長)の作品です。
そして、このロゴタイプが、
最初の日本人によるレタリングデザインとして国際性を表現したものです。
先般、日本のホテルの歴史をNHK-TV番組で観ていました。
ホテルオークラが建築・インテリアすべてに渡り、
敗戦直後の国際性を成し遂げていたというのを改めて知り、
しかも恩師のレタリングが建設中の工事現場に掲げられていました。
すぐに、先生に電話してデザイン経緯を初めて聞きました。
最近はしばしば先生の作品実現までをよく聞くことにしています。
まず、ホテルオークラは財閥解体後の国家プロジェクトであり、
官僚だったから仕事としてやらなければならなかったということです。
つまり卑近な話ですが、デザイン対価は無かったということです。
まず、米国のデザイン会社に国は発注したら、
そのデザイン料が政府の想像を超えるほど高額だったこと。
ところが丁度国費デザイン留学生第一号の先生のことを
その会社が政府に知らせ、
彼がすでに帰国しすでに官僚だった先生は、
ホテル建設にロゴタイプからインテリアなどに、
業務として関与せざるをえなくなったということでした。
日本のデザイン界において、
「平野門下生は工業デザイン界の大一画」を成していることは事実です。
そして、その門下生はすべからく、レタリングは当然のこと、
デザイン技法はとても厳しくトレーニングされています。
そのハードさの逸話はつきません。
私もそのハードさで鍛えられたからこそ「実技」には自信があります。
そして門下生であることの最大の重要性は、
「造形力」が日本ではトップランクに鍛えられているということです。
さらに平野先生の作品は、多岐にわたっていますがその詳細、
さらに先生の「造形教育手法」は一部しか知り得ていません。
日本のあの「グッドデザイン選定制度」づくりも
先生が創設者の一人でした。
私が「HIRANO DESIGN METHOD」を書き残そうと考えています。
大学人最後の仕事にするつもりです。
私は、京都ではホテルオークラを定宿にしていますが、
その度に、このレタリングを見ます。
そして自分も相当にレタリングでのスクリプト体が得意です。
そのことを自負できるのも門下生の一人だからです。

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「車とエレベーター」


   


     4月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

アメリカ映画では、
車がメチャクチャに破壊される場面が多いものです。
私はそうした映画を観る度に、
これほど車を破壊する場面が登場するのは、
ある種、現代文明への破壊情念がどこかに潜んでいる、
そう思うことしばしばでした。
しかし、今回の津波の状況では車が押し流されて、
おそらく大変な交通事故があったと思います。
先般訪ねた石巻でもまだまだ瓦礫となっている車の残骸を見ました。
私は工業デザインの世界にいますから、
教え子はじめカーデザイナーはとても身近な存在です。
私自身も車は大好きですから、
新車の話題は人並み以上に興味を持っています。
安政の大地震や大津波の記念碑には
「決して船で逃げるな」との記載が残っています。
今回の津波でも、
「車に乗っていて流された人」はどれだけ多かったことでしょうか。
デザイナーとして、自然災害に対して、
車、そしてエレベーターは不要どころか、
そうした災害に対して何も対策が無いことは大きな問題だと考えています。
「逃げ込めば絶対に命を守ってくれる」
車とエレベーターがテーマだと考えています。
特に、エレベーターは地震や火事の時には、
逃げ込んではいけない場所になっています。
私は逆転の発想が必要だと考えています。
火事や、地震のときに「カプセル」となって命を護ってくれるモノに、
エレベーターや自動車のデザインが必要だと主張しています。
それは、もはや車で海に飛び込んでも絶対に助かってしまう自動車、
そんな自動車が設計実現されるべきでしょう。
そしてそういう技術は日本が生み出すべきと考えています。
新たなエレベーターこそ、日本列島に必要不可欠のモノと考えています。
3.11で学び直し、
さらに進化させるべきモノとして車とエレベーターは
その代表だと考えています。

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「卒業後40年、そして63歳誕生日」


   


     2月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

金沢美大卒業後40年。
卒業40周年記念同窓会は50周年への前夜祭として開催。
同窓会は当初は「工業デザイン専攻」だけでということが、
産業美術学科全体でと拡大しました。
おそらく街で出会ってもわからないと思える変貌がいっぱい、
40年ぶりに出会う同期生もいました。
二次会ともなればすっかり学生気分でした。
恩師の先生方とも退任後には出会っていなかった先生も多く、
何度も何度も握手をしました。
翌日は私の誕生日でした。
幸運にも母校の卒業制作展が金沢21世紀美術館でした。
「君たちの40年先輩だよ」と言って級友とともに、
思い切り先輩風を吹かせに出かけました。
私は大学人でもあり、後輩たちには私が車椅子だから、
工業デザイン=今はプロダクトデザインですが、
知られていましたから、結構みんなビビッていました。
作品の解説を丁寧に受けながら、
結局は担当教員の個性が反映していました。
海外の大学事情もよく知ることや、
就職状況の今年の企業入社条件傾向も知るだけに、
級友たちよりはデザイン教育成果と、
彼らがこれからプロとして、
さらに母校の将来性へのカリキュラム展開までを
見通して観覧することができました。
また金沢21世紀美術館も久しぶりゆえに、
キュレーターの方々とも顔なじみだから、
すべての展覧会を案内していただきました。
後輩の作品や企画展での
とてつもない感動を書き残していきたいと考えています。
63歳の誕生日は、
美大卒業40周年という人生における大きなイベントになりました。
ホテルでも商店街でもタクシーに乗っても、
金沢美大を卒業したと言うだけで、
「お帰りなさい」と言われているほど大歓迎されるのです。
金沢の街にはそれほど美大生を大事にしていただける
素晴らしい所だと再確認しました。

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「皮革・クロコダイルに地球危機が明確」


   


     1月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

皮革というのは、皮と革という漢字です。
皮は皮膚その物であり、皮と膚が文字通り、
皮=革、膚=布、この関係が成立しているモノとなります。
皮革と言えばいわゆる皮革製品では、
カーフ・クロコダイル・オストリッチ・リザードなど。
こうした皮革製品は大変に高額商品です。
それは狩猟から始まり加工工程での大変な時間と手作業、
その技法や流通での付加価値です。
私が心惹かれる皮革素材は、カーフ・クロコダイル・リザードがあります。
20代の頃、こうした製品の高額さに驚きました。
当時はこうした皮革製品がブランドモノであり、
まったく興味がありませんでした。
しかしオーディオに関わり、
「高級品」を学ぶためにブランドショップに何度も行きました。
その頃は、若過ぎてある店舗では、支配人から質問されたことがあります。
とても購買する客には見えなかったのでしょう。
ところが、その支配人にデザイナーであることを伝えると、
全て「手にとって見なさい」とまで指導をしていただいたことがあります。
感謝している一人です。
この方に「高級品の技術価値」を学びました。
車椅子になって退院後、
あるホテルでしばらくトレーニングも兼ねて滞在しました。
その時に高級ブランドショップで、
やはり、ブランド品に触って教わることが出来ました。
そのときクロコダイルの
いわゆる皮革模様の左右対照性が崩れ始めていることを教わりました。
確かに、年毎にクロコダイルの左右対照性が完全な物は激減しています。
つまり、自然素材として生物であるワニの
皮革模様が変化してきているのは、
地球環境でこうした生物の身体異常が格段に増加しているのです。
「もう、これほどの皮革は手に入らない」という物に
出会うこともあります。
徹底的にこうした自然素材=皮革を人工化する
フェイクレザーも大好きです。
それは工業デザインの立場から、
工業技術としての技術成果を認めるからです。
私が尊敬していたある故・経営者の別荘に招かれたことがあります。
そこで、私はリザードで覆われたその方のデスクに驚愕しました。
つまり、リザード模様の見事さとデスク仕様加工の完璧さです。
その経営者の美学観が経営手法に表れていました。
皮革製品に地球環境の現実が象徴化されています。
そしてその実際を確認するために、
私自身選び抜いて特にクロコダイルコレクションをしています。

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「資本主義からの逃走」
 「ビジュアルC.I.ロゴタイプの基本はレタリング技能」


   


     2月 12th, 2011  Posted 12:53 AM

デザインストローク訓練
美大時代、最も厳しかった実技実習。
それは「レタリング」でした。
デザインストロークという技術をマスターします。
フリーハンドでラインを描く手法です。
次に、カーペンターペンシル(平板の黒鉛芯)で、英文字を描きます。
英文字には筆順がありますから、これをマスターします。
今、こうした実習はなくなりつつありますが、
私はデザインストロークは必ず「デザイン基礎技能習得」として教えています。
工業デザインでは、英文字レタリングは何種かをフリーハンドで描けるように
徹底したトレーニングで鍛えられました。
私は下手だったので合格するまで徹底的に仕込まれました。
しかし、そのおかげでレタリングには画然たる自信があります。
レタリング技量
したがって、ビジュアルC.I.での企業ブランドのロゴタイプをデザインする技量の基本は、
トレーニングされた技能が必要だと確信しています。
最近では、PCのソフトで簡単に作成できますが、
その技能では、「レタースペース」=いわゆるカーニングとか、
「ヘアーラインバランス」=視覚補正が未完成なレタリングでのロゴタイプが氾濫しています。
私はいくつかの企業ロゴタイプもデザインしています。
あえて作品集や個展でも展示したことがありませんが、
企業ロゴタイプは、企業シンボルとしてその成長やイメージに直結しています。
ロゴタイプデザインは「手」で
私の経験値では、「企業シンボルとしての企業ロゴタイプ」は、
直感的に、このデザインでは、企業イメージ、企業C.I.としての成否判断ができます。
私はデザイナー育成教育の基礎として、
感性的な技量・センス訓練に、デザインストローク訓練はとても大事だと判断しています。
ビジュアルC.I.としての企業ロゴタイプは、PCを使わずに、
まず、ロゴタイプデザイン・レタリングの基本は「手」で生み出すべきだと考えています。


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『資本主義からの逃走』
   「スケッチは能力訓練に過ぎず、逃走訓練として」


   


     7月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

能力訓練
デザイナーはスケッチが不可欠と言うと、
自分は子供の頃から「絵が下手だった」という声をよく聞きます。
私は、小学から絵は得意でしたが、高校時代は教科書だけの音楽を選択しました。
そして美大入試の実技で「水彩画」と「鉛筆デッサン」を入試で初めて描いたのです。
入試実技などまったく未知の世界でした。
当時「アトリエ」という雑誌で、鉛筆デッサンを拡大鏡で鉛筆ラインを真似た程度でした。
だから、美大時代は、デッサン、それから工業デザインでのトレーニングは必死でした。
さらに東芝で本格的なレンダリングをたたき込まれました。

結論は、デザインスケッチは、能力開発=訓練で必ずうまくなると確信しています。
デッサンも、訓練です。
無論、画家になる「絵画」の芸術的価値は、才能によるものでしょう。
が、いわゆるスケッチは、ある法則や現物描写のこれもある法則を知って、
あとはスポーツのようにトレーニングすればいいだけです。
そしてアスリートが、オリンピック選手になったり、
世界記録保持者は、トレーニングと才能が必要でしょう。
だから、プロとしてのデザインスケッチはそこまでのことは必要でしょうが、
子供時代に絵が下手だったから、すでに絵やスケッチが苦手意識は無用だと私は考えています。
むしろ、美大入学のための入試デッサン夢中というのは、
美大進学希望者をせばめている悪弊だとさえ思っています。
これからのデザインは、そのような入試デッサンで選別される学生より、
もっと「想像力と創造力」のある子が必要だと断言します。

逃走訓練
今、自分が取り組んでいる様々なデザイン領域では、
学識・美意識・見識・胆識が必要だと思います。倫理観と礼節は常識です。
特に大学教育では、
私が高校生のときから大学批判とともに語られてきた「入試改善」は、
まったく日本では停止したままなんの解決もはかられていません。
つまり、「資本となる能力」が、ますます求められるとするなら、
「資本主義から逃走」する体力としての「知力」+「個性」=才能が必要です。
それは「逃走するための訓練」が重大だということになります。
そして、その訓練のコーチこそ、
「逃走する方法」を熟知していなければならないということです。


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『資本主義からの逃走』
 「 *「手」が創造力の発電装置という話*」


   


     4月 28th, 2010  Posted 1:45 AM

手は起電力を!
フレミングの法則が「指先の向き」だったのは奇跡的な発見でした。
私は、手と指先には、発電装置があると言い続けてきました。
ますますその気持ちは強まっています。
美大で徹底的にデッサン、
それも工業デザインのスケッチトレーニングでした。
東芝の実習=これはデザイナー採用入試ですが、
当時、他大学よりもスケッチは絶対に自分が巧いと思っていました。
ところが入社して、「レンダリングに」と指示されて、提出したら、
「ラフ・スケッチ(レンダリングの下書きの下書き)ではなくレンダだよ!」
と窘められて、『どうすりゃいいんだ』という思い出があります。
スケッチ作法
40年もデザインのためのスケッチを描いてきました。
それは、頭の中がまったく空っぽで、何も考えていなくても、
「手を動かせば」→脳内に「かたち」が浮かび上がってきます。
だから、「創造力」は、「手」あるいは「指先」で何かに集中していると、
必ず「かたち=形態」が生まれます。
だから、私は「手」は起電力装置だと思っています。
「手」をともかく動かすのです。
これまで、様々なスケッチブックを使ってきましたが、
今は、「モレスキン・ジャパニーズタイプ」と
ボールペンのB黒を使っています。
そして、そのスケッチに色鉛筆、最近はステッドラーに限定していて、
このスケッチに着彩をします。
一冊いっぱいになったら、ワイフに渡して、
また新しいスケッチブックを渡してもらっています。
これまでどれだけのスケッチブックを試してきたことでしょうか。
やっとこのスケッチ作法に落ち着きました。
鉛筆などは、最期までの使い方は35年使い方は定まっています。
ボールペンは、スケッチのためにあらゆるブランドを使ってきましたし、
今なお収集が趣味になっています。
それは、自分の「手」という発電装置を
常にピカピカにしておくためです。
そして、右手・左手いづれでもスケッチを描き、
ここ2年ほどは、「ペン回し」をしながら、描いています。
なんだか、「ペン回し」をすればするほど、
起電力が大きくなるという気分になれるからです。


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『資本主義からの逃走』
  「コスメティックデザインという付加価値」


   


     2月 19th, 2010  Posted 1:00 AM

Cosmetic Design
資本論的にいえば、「商品」の価値、
それも「付加価値」は、商品選別での欲望対象です。
したがって、デザイン=コスメティックとしての理解は、
資本家・企業家には好都合でした。
私は、美大の産業美術学科の工業デザイン専攻卒です。
しかし、大学時代に、デザインはコスメティックではない
ということを徹底的にたたきこまれました。
「付加価値論」の見直しも体に染みこんでいます。
ところが、インハウスデザイナーになると、
「意匠」=形態のお化粧程度にどれほど反抗しなければ
ならなかったことでしょうか。
それこそ、グッドデザイン審査委員長になっても、
デザイン系のキャリアが「付加価値」と言えば、
必ず、喧嘩を売ってました。
かなり正確な論理は、「嫌がられる存在」に、
今なお、なっています。
おかげで、「御用学者」ではありません。
御用学者を演じている教授も知っていますが。
全体価値
デザインは「全体価値」であり、
「価値」創出者の代表であるとさえ思っています。
金融資本・対・デザインの構図を明らかにするべきです。
むしろ、その使い分けは、中国や韓国は見事です。
「コスメティック価値」と「デザイン価値」の構図、
あるいは構造=関係性こそ、
今、デザイン先進国である日本が提示すべきと思います。
中国が、デザインを「設計」から「策略」や「資源」と、
書き直したのは、先んじられています。
たとえば、政治家もグランドデザインとマニフェストに
用語として多用しているのも、「付加価値論」ではなく、
明らかに「全体価値」です。
「全体価値」という茫漠さがマイナスだとも思っています。
さらに、「何?価値」=デザインなのか、ということの
決定打が不可欠です。
価値
「価値」=望ましさ+好ましさ、と考えれば、
「望ましさ」を希求し判断するのは、理性的評価です。
「好ましさ」を訴求し評価を求めるのは、感性判断です。
デザイン設計・策略・資源での「価値」設計は、
すでに、デザインの本質意味を、
わが国も再確認すべきだと考えます。
デザインが、産業の一手段ではありません。


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