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Posts Tagged ‘後天的’


01月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 19th, 2017  Posted 12:00 AM

01月19日 先負(丙午)

創造力はデザイン基盤、
よって、
創造力を産み出す「創育」は、
センス
先天的に容易く、
後天的な手法は困難なれど
大きなデザイナー教育になるでしょう

川崎和男の発想表現手法


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『センスの有無?は、香りか臭いかだと思う!』


   


     5月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

デザイナーにはセンスが必要です。
そこでよく質問を受けるのは、センスって先天的?後天的?、
このことをよく質問を受けます。
私は、ようやく、センスは先天的であって、
しかもそれは後天的には訓練もされなければならないと思っています。
センスとは、本来は「臭い、香り」を実感出来るかどうかが、
フランス語圏内にて育ってきていると読んだ経験があります。
実感というのは、特に、「臭いと香り」を嗅ぎ分けるという
これはあくまでも視床下部で判断が直ぐに立証されるほぼ野性だと
私は理解しています。
したがって、ファッションデザイナーが名を成し効を遂げれば、
必ず「香水」というモノのデザインが出来るというわけです。
それは、香水は、本来は香りで有るべき判断が、
臭いとして耐えがたきモノならば、それは決して香水ではありません。
それだけに、私は臭いと香りをかぎ分けるがごとくに、
センスの有る無しは決定出来るものと考えるからです。
それは、香水の知見に関わる重大事だとさえ考えています。
ファッションデザイナーのデザインの極致は、
如何にその香りを纏うことができるかどうかであり、そのデザインです。
また重大なことは、香りの判断である視床下部はすでに先天的に
その判断基準が決まっているということです。
しかし後天的にはこの視床下部のトレーニングが可能だとも思うのです。
だから、私は視床下部に直接的な官能力には、感応、間脳、そして
さらに私はデザイナーには観応力の養成が絶対に必要だと考えています。


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「ブリューゲルが描いた盲目の人たち」


   


     7月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

目の不自由な方・盲目の人を描いています。
この絵画には二つの意味があると言われています。
すべて盲目の人たちが列を成して歩いていると、
池の中に落ちてしまう、という構図です。
これは、盲目の人の行動を描いたわけではありません。
健常者が無知なまま行動すれば、
それも無知な健常者の集団が行動すると、
とんでもなく、まるで池に落ちるように、
大失敗するという、その教訓的な意味の表現です。
そして、もう一つは当時、盲目の人には、
これだけの種別があるという表現です。
まず、先天的な盲目の人と後天的な盲目の人、
それぞれの容貌が描き分けられていて、
当時の特に後天的な眼病の結果表情があるらしいのです。
まさしく、教訓的な意味の絵画性=教訓性は正解です。
というのは、特に、先天的な盲目の人は、
決して池に落ちるわけがないのです。
余程、健常者の人の方が、
見えず、感ぜずが確実に多いはずです。
白杖一本で、自分の歩行環境を感得する能力は、
健常者の人よりはるかに高いと思います。
ブリューゲルは、盲目の人たちが池に落ちるという表現、
それは無知なる健常者こそ盲目だということを教訓として
ずばり描き切っていると言うことです。

これは世界盲人会連合で1984年に制定された、
視覚障害者の人たちが安全やバリアフリーを考慮された
環境・機器・設備から信号機、書籍に表示されています。
しかし、このマークの機能性は私には不明です。
健常者に向けての注意喚起・思いやりの発揚でしょうが、
私はもっとデザイン精度を上げる表現知恵不足を感じます。


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