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Posts Tagged ‘技能’


10月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

10月21日 仏滅(己巳)


発想は、
デザイナーには、
スケッチで拡大が出来る。

私はスケッチには
技能と技法が必要、
だから、
スケッチ以前の
図形や図解を強く薦めている。



川崎和男の発想表現手法


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10月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

10月20日 仏滅(己巳)


デザイナーは、
常に、発想・表現・伝達が
その技術であり、技能であり、技法です。
ということは、
発想技術
発想技能
発想技法が
表現にも伝達にもあるということ。



川崎和男の発想表現手法


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10月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

10月19日 先負(戊辰)


発想はスケッチに定着させる。
しかし、
このスケッチ定着には
デザイン技能が訓練されなければ
ならない。

その技能は、
正しく、発想技法と結びついている。



川崎和男の発想表現手法


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『万年筆メインテナンスから見えている現実』


   


     10月 5th, 2015  Posted 12:00 AM



人は達筆と呼ばれなければいけない。と、
私は父に教わり、そのおかげもあって、
福井県吉田郡にある吉峰寺という永平寺の第一道場で、
中学時代と高校時代、二夏、修行をさせられました。
吉峰寺(地元ではきっぽうじ・一般にはよしみねでら)は
禅宗、道元が開祖として永平寺を建立したときの寺であり、
永平寺の歴代優秀なお坊さんが修行をしていました。
それこそ、書を住職に教えられるだけでなく、修行もしました。
そのおかげで、書や文字を書くことが大好きです。
この連休中は体調を相当に崩していましたが、
元気を回復すると、いの一番に私は万年筆のメインテナンスをして、
ペンの書き癖の確認と、インクの入れ替えをしました。
これは重要なペンです。
おそらく、この万年筆ブランドは世界でも最高級だと
私は思っていますが、
それにはいくつかの理由があります。
一つは万年筆の長さ分割は、完全な黄金比が適用され、
重量はインクを入れた時に、最も良い書き心地になります。
また、万年筆の材質とその材質は「財質」と呼ぶべき、
古代彫刻の再現、金蔵装飾の加工、材質を財質とする
その透明性の実現があります。
このブランドには、もうひとつ,私が所有していない加工、
それは貴石との組み合わせがありますから、
世界でも最高級である理由はこの4つだと思います。
インクは今では、顔料をインクにした技術進化もありますが
その一方では、
財質化する手法が段々と無くなりつつあることは
確実なことです。
万年筆の材質感とその加工方法が失われていくことには
あるモノの進化がストップし始めていることに等しいのです。
そういう意味では、文明による加工技術が文化を果たし、
その文化が消えていくことをデザイナーとして
さらに見つめて新たな技法という技能を、
加工技術にしなければと思います。
達筆であることと弘法筆を選ばずには、
明確に関連性があると判断しています。
少なからず、デザイナーというプロで「下手な文字」は
デザイン美を手に入れるには困難だろうというのは
私の偏見ではなく真実だと記述しておきたいと考えます。
こうして万年筆をメインテナンスすることによって、
二つのことが手に入ります。
一つはメールではなくて、手紙を書くこと。
そして、材質加工によって財質加工技能の詳細を知ることです。
重大なことは、万年筆に行き着いた加工技術無くしてのデザインは
あり得ないことを明確にしておきたいと思います。
それこそ、高級時計を打ち出しながら、
その実際デザインの無知さが拡大していることも明らかです。


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『バイブルとテキストでは著作権と商標権は闘えぬ』


   


     8月 6th, 2015  Posted 12:00 AM



「点・線・面」はデザイナーのバイブルです。
「造形思考」はテキストです。
「点は限りなく正方形になる」と記したカンデンスキーは、
現代の液晶ピクセルを予想していたと私は確信しています。
線と曲線の関係性は、カオスに響く音楽論で、
パウルクレーは、デザイナーの教科書にしてくれました。
幅ある縦線と円形には、「ヘアーライン」という視覚補正が必要です。
オリンピックのエンブレム、そのデザインは、
盗用という極めて失礼千万な批判あるいは非難が取り憑いていて、
デザインはその平面図形の比較で「似ている、似ていない」を喧噪。
そして盗用というのは何事でしょうか。
ベルギーの劇場マークは、デザインの「応答」作品にすぎません。
東京オリンピックのエンブレムデザインは、
デザイナーの言説から「回答」作品ですから、
盗用というのは職能への大侮辱です。
釈明という失敬さをマスコミは平気で乱用していることは許せません。
ただし、私はプロとして、「ヘアーライン補正」という技能を
それぞれに解釈と解説と批評を与えてしまえば、
ベルギーの単なる劇場名と場所名の組み合わせは、
確かに、ベルヌ条約の無方式主義の著作権で訴訟をしてくる事、
それは補償金目当てでしょうか。
エンブレムデザインをマドリッド協定議定書での
商標権と対決させるのではデザインを応答作品でしかない
ベルギーデザインの幼稚さを保護しただけに過ぎません。
比して、
わが国の回答作品を商標権で護ることには正直大きな不利があります。
著作権と商標権での対立は
八百屋と魚屋のどっちがおいしいかの議論でしかないからです。
が、応答作品と回答作品では
デザインの職能倫理性は日本に正当性があります。
無念なことは、釈明会見というマスコミの姿勢はデザイナー虐めです。
「盗作」とはもっと別次元にあることは確かですが、
日本のデザイナーの正当性を私たちは護り抜くべきだと、
私は思っていますし、ベルギーの言いがかりなど無視すべきです。
そして、日本もベルギーも、バイブルそしてテキストも勉強不足と
「ヘアーライン補正」訓練不足があることは否めません。
本来、デザインは解答作品を審査委員会のたとえギルド性があっても
日本人デザイナーを著作権から護りぬくべきでしょう。
なぜなら、世界中がローカルなマークを知ったと言う話題でしかない、
つまりベルギーの応答作品が告知広報しただけのことです。
この応答と回答の対立でオリンピックは遠くなっているのは事実です。


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『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


   


     4月 12th, 2015  Posted 12:00 AM



日本の建築で最も造形力を技術と技能で最高のモノは、
わが故郷にあります。そして知られていないことこそ素晴らしい。
正直、私が故郷に帰ってから、確かに越前和紙産地に通っていた頃、
この神社が凄いとは感じていなかったことも告白しておきます。
少なからず私は美大出のデザイナーです。
さらに祖父は最後の宮大工の大棟梁でしたから、残された巻物から
多少残されていた図面を教わるべきであり、
蔵の中の物品も私は幼い頃には、
ほとんどいたずらで壊してばかりいたようです。
また、越前和紙は日本に紙技の開祖の里ですが、ユネスコ認定も
受けていないのです。文科省の役所仕事の美的歴史性をもう一度、
私は喧嘩を売っておきます。
伝統工芸の産地の残し方は根本的に間違っています。
私は自分の知識学識経験とその論理で改革を望みます。
地方の時代というなら、その地方の伝統と革新こそ、
行政が最も的確にねらうべきことであり、それは美学的胆識です。
話がはずれましたが、大瀧神社と岡太神社は日本建築ではこれ以上の
木造建築は無く、何層にも重なる屋根には苔で覆われています。
この建築は、永平寺の勅使門も手掛けた大久保勘左衛門であり、
彼のことも徹底的に私は調べ上げて、今後、福井の建築は、
絶対にこれを超えるべきだと主張もしています。
結局私はこの建築に対抗するモノは自分が建てようと考えています。
後世に「生きた証」というのは、作品です。
そうなればデザイナーとして、当然それは義務だと考えています。
この神社がある地は観光地にはなっていません。それが大切です。
私の持論は「観光産業は乞食(こつじき)産業であり、
真のサービス、つまりリゾート産業とは異なると主張しています。
なぜなら、リゾート産業とは、
「何度も通える保養地」産業でなければならないのです。
そういう意味では、紙漉きの源流のこの神社造形と自然にこそ、
リゾート性が美学的に整っています。


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1月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

1月28日 甲辰(友引)


私はすでに40余年、
デザイナーとして生きてきた。
デザインということについて、
論理と技能を
身体化するする能力100%、
その100%実現することを
邪魔する輩は、
必ず、喧嘩相手に決めてきた。





川崎和男「喧嘩道」


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『ようやく出版されたDEO=デザイナーのあるべき職能観』


   


     1月 15th, 2015  Posted 12:00 AM



私のデザイナー職能観はデザインの真意を主張してきました。
それは、CEO=Chief Executive Officerではなくて、
DEO=Design Executive Officerが書籍化されました。
これは企業経営に関して、デザインの職能領域、効果と効用が
私にすればやっと出版されたと思っています。
デザインは装飾や意匠だけでないことが経営視点で明確化されました。
私は47歳から大学人になってようやく20年目になりますが、
講義や講演の前には常に、デザインの誤解を枕詞として、
デザイナーはデコレーターではなくて、問題解決者であることを
語り続けてきて、いつの日か、私自身が書籍化をと考えてきました。
このブログの根底にも、私の作品から商品、
さらにはデザインでの形態設計から制度設計も問題解決論であり、
それはさらに難問の美学的な解決論での策略設計論でした。
したがって、最初にRise of the DEOが出版された時に、
ようやくか、それなら内容はと思っていましたが、
原書に競べて、翻訳本のグラフィックはやや残念だと思っています。
正直内容とグラフィックの関係を取り違えているのかもしれません。
さらに、原書でも、制度設計論の記述には不満が残っています。
これまでデザインがモノのデザインからコトのデザインと言われ、
コトからモノのデザイン、付加価値論を離れて全体価値になりましたが、
イノベーションや感性基本のデザイン論だけでは駄目だと思います。
デザイナーの職能団体は未だに私は相当に遅れていること甚だしくて、
即納団体そのものが、時代遅れを起こしていると断定しています。
デザイナーには確かにデザイン技能が必然ですが、
もっと学際化されるべきであり、学際化対象の学域には、
その技能、スケッチからレンダリング技能は当然であり
最近では3Dプリンターが必須を、付加するべきだと思いますが、
私は直感として20年前に光造形を大学人として積み上げてきました。
この経験値にはまだ光造形での発展形には至っていません。
こうしたデザイン思考・デザイン技術の総和体・統合体が
「コンシリエンスデザイン」になっているとようやく断言できます。
この書籍はその一つにはなると思っています。


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11月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

11月02日 丁丑(赤口)


デザイナーというのは自称できる。
しかし、
その根本には
美的な見識と知識、そして技能が要る。

その見識の根幹は「嘘つき」でないこと、
利用できることは利用する。
最も許せないのは、
嘘つきで利用する奴、奴らです。

このような奴らこそ、
最も許せない喧嘩相手です。

川崎和男「喧嘩道」


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『越前和紙に私専用を特注、なぜなら伝統の技能だから』


   


     11月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM



越前和紙がユネスコに認定されなかったことは無念ですが、
どうして、「和食」が認定されたなら、
「和紙」認定をしなかったのでしょう。官僚の知見低さをみます。
日本の手漉き和紙、その技能開発をデザインで主導してきた私は、
「自分用」を指定することができました。
楮に限るべきは、祖先の書き残した書状を写書したくてとか、
三椏にかぎるとか、雁皮で高価な封筒だとかを特注しました。
デザイン開発時には、糸を漉き込んだことがありますが、
その糸も絹糸だと筆がのるとかで、漉き込み方も工夫しました。
結局、この絹糸漉き込みは、ほとんどが手業ですから、
とても高額で、「工芸作品」として、そうした販売では儲け度外視。
ともかく、私は漉き込み技術とそれが出来る能力、
すなわち「技能」開発を伝統の継承性を離脱させたかったのです。
今回のユネスコ選定が、伝統の継承性保護だったとするなら、
インチキが私にはいっぱい見えてしまいます。
この糸漉き込みは伝統継承性を守破離の思想ですから、
ユネスコの選定基準すら怪しいとしかいえません。
溜め漉きはどうなるのでしょう。楮なりに、三椏なりに、麻なりに、
それらは和紙ではないのでしょうか?雁皮が最高紙ではありません。
確かに、雁皮紙は日光にさらされるほど、白くなります。
だったら、デザイナーの安易軽薄な照明器具はすぐに黄ばみます。
なぜなら紙パルプが混在しているからです。
雁皮が印刷不適合なことなどどうするのでしょうか?
紙漉きの現場、越前和紙でなければ不明なことが多過ぎます。
黒漉かしは紙幣の透かし彫り技術ゆえ、産地ではもう漉けません。
偽札づくりに直結するから今や財務省管轄技術に指定されています。
「和紙」産地が各地にあったから識字率が高くて文盲を生まなかった。
日本の和紙漉き込み技術があるからこそ、
世界の美術館、図書館は越前和紙の産地を訪問するのです。
伝統の継承保護を見逃していたならそれは地方行政の首長見識です。
私は自分のふるさと越前のモノづくりを熟知しているだけに
ユネスコそのものの見識を疑います。
「和紙」を登録すべきです。しかし、なぜユネスコか?不思議です。
毎年登録料が徴収されるのでしょう。儲けている組織は不要です。

『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』


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