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Posts Tagged ‘教育’


『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』


   


     4月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

美大でデザイナーの教育を受けた自分にとって、
デザイナーにはデザイン技法の習得が絶対的な身体技命令でした。
社会人デザイナーとしては企業で、その身体技をさらに研磨され、
それ以上にモノづくりの技術と営業を仕込まれました。
やがて、国内外でそれなりのデザイン活動をしてきました。
大学人として、産業美術学科から芸術工学科へ、
デザイナーとして、時代と社会対応は、文理と学術・芸術の統合から
自分のデザイン領域を、大きく4つ生み出しました。
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン文理学、そしてデザイン政経学
幸いにして総合大学ではこの統合化を成し遂げることで、
産業・技術・環境・文化が明確に見えていました。
ところが、March.11 2011の天災と人災は、
さらにデザイン領域での目標と目的を詳細化してくれたのです。
それは、「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」でした。
この四つを産業・技術・環境・文化に再配置するには、
文科系+理科系と学術系+芸術系を組み込まなければならないと気づき、
かつて「コンシリエンス」と「レジリエンス」を問いかけたことば、
それこそ「コンシリエンスデザイン」を定義化する必然性ができました。
すでに、美大系・工学系・教育系ではデザイナー養成は困難を知り、
世界や、地球、これからの社会や時代が、
デザイン、デザイナーへと要請する実務が見えてきたのです。
あらためて「コンシリエンスデザイン」が
「安全」・「安心」・「防災」・「防犯」を創出すると確信しています。

*『何がデザイン思考かは終わったのだ』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』
*『自分に何ができるかという死生観』
*『コンシリエンスとレジリエンス』
*『「ふだん」・「まさか」安全と安心は相対的でしかない』


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4月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

4月17日 先勝(己巳)

発想を鍛える教育は
デザイン・デザイナー養成に
最も備わっていると思う。

しかし、教育者に発想力が
欠落していれば、
教え子たちに発想力は生まれない。

川崎和男の発想表現手法


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『思考の「考」は思うことを経験が判断する』


   


     1月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

「デザイン思考」の前に僕は「思」についての概説をしました。
「思」という象形文字は頭蓋骨と心臓の組み合わせにより、
直感的で即応性のある認知を表しています。
そこで、次には「考」についても漢字の象形文字から、
系譜としての意味=原意を僕は求めておきたいと考えます。
これは「思う」という感性的即応的なことではなくて、
象形文字に至る系譜を見詰め直さなければいけません。
なんといっても「考」という漢字は、「老」にその起源をもちます。
「老」とは、白い髪が伸びて腰が曲がった人間、
つまり老人を意味していると言われています。
まさにこの老人とは、様々な人生経験を積んできた存在の姿形です。
この「老」という姿形をシンボル化している象形文字に対して、
老人が杖を持って佇んでいる姿形、
その象形が「考」となります。
これは経験がある人間が立ち止まって何事かを思い続けている風景です。
経験が直感を思い続けて思い込んでいる姿形だと考えることが可能。
思いの連続性に経験での判断が認知を支えて認識につがっています。
「思」があくまでも頭蓋骨の泉門と心臓での感情のままの生理性に、
体験や経験がその判断を再構成することは、
老人の佇みを後継の世代にも受け継がせることです。
それは教育で培ってしまうことでそれを人類の教養に継承させられます。
結果、直感として思うことを停止させて認知判断させることが可能です。
「思考」と「考思」が本来はあったのですが、
今では一般的にどうしても「思い考える」ことと、
「考えて思う」ことがあっても、「考思」は忘れられています。
しかし、僕はこの二つを再配置することで、一方に思慮があり、
一方に考慮があり思惑と考察が見事に直感=主観と客観があるのでしょう。
思識・思念と考証・考査も直感と判断のために思って佇んでいる姿形です。
「思」と「考」が時間軸と経験軸を認知の行動を明確に分離しています。
僕は
「・・・と思います」
「・・・考えます」、この二つには
思的な考証と考的な思識があるということです、
僕らが思惑することに決着するには考証が必要だということです。
思うことは考えることで認識がまとまるということになります。


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『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


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『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』


   


     12月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

学術と芸術が分離あるいは分担されてきた教育、
このわが国の教育システム・制度の歴史はとても長いと思います。
幸いにして、私は学術と芸術、それも芸術に派生してきたデザインを学び
プロのデザイナーになることが出来ました。
人はいずれ長じれば自分の職能的な経験値を伝える使命と義務があります。
このことは、すでに大学の恩師達には分かっていたのかも知れません。
私が想像もしていなかった交通被災で車イス生活を余儀なくされた時、
恩師たちからは、大学に戻れと言われ、その大学を辞した時には、
別の大学で、教育系では情報デザインとデザインを、建築系でもデザイン、
こうした教育側の訓練を受けていたのでしょう。
私が大学人を選んだ時には、「やっとその気になったか」と納得を受け、
大学人とデザイナーとして今日を迎えています。
そして、芸術と学術、文系と理系の融合化統合化によって、
私は「コンシリエンスデザイン」と「レジリエンスデザイン」を知り、
デザインを看医工学に焦点化した時には、
学域のデザインは人間の社会と時代、生涯に向かいました。
結果、健康と福祉は「命」=生きることを支えることを明確にしました。
これは私が芸術=美術大学時代の教授達が今なお私に、
プロとしてのデザイナー、その経験に基づく新たなデザイン、
その手法を発見させて、次世代への教育目標を創らせたのでしょう。
私は素直にニュートン的なベクトルの合力によって、
作用点に人間の思考・知識を置いて、その合力が人間に向かえば、
明らかに、健康と福祉が命を支えていること、
この支援力には、
レジリエンスという、例えば自然や社会からの
抑圧に抵抗する力をレジリエンスデザインとし、
レジリエンスデザインを充分に知り尽くしているからこそ、
コンシリエンスデザインが人間の支援力になるということを
明確に確認させてくれているのです。
学力・デザイン力を「コンシリエンスデザイン」とし、
まして私は、身体障害者であり心臓障害者ゆえに
「命」とデザインの関係を相反させて伝えていく使命と義務があるのです。
そして、すでに、このニュートン的な力、合力だけではなくて、
量子力学的な相互作用的、重力的、電磁力的な隠喩としての
新たな「コンシリエンスデザイン」を定義して、
次世代デザインを提唱していくことになるでしょう。


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『芸術で学術は語り切ることができる』


   


     12月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

学術性と芸術性が分断されてきた教育について
私は長い間、大きな疑問をもってきました。
単純には、二つの現象があります。
主要五科目=国・数・理・社・英と音楽・美術・体育という
この対比に日本の教育は縛られてきています。
最も体育というのはすでに間違いであり、スポーツでしょう。
そして、主要五科目が学術性とされ、音楽や美術が芸術性です。
幸いにして、私は美術大学に進学し、就職ではオーディオを選びました。
そのおかげで、美学の世界(美術と音楽)から、
学術性を外側からみてきた気がしています。
しかも、私はすでに大学人になってあらためて学術性の世界にいますが、
正直、今頃になって、講義内容を芸術=美術や音楽、
それらの作品をヒントに語っていくことで、確実な学生たちへの
講義教育での説得性と納得性を感じています。
しかも幸いに私が大阪大学大学院の医学系研究科から与えられた
そのミッションは、「コンシリエンス」であり、
それには「レジリエンス」といういずれも18世紀からの、
学術性と芸術性の「融合・統合」化でした。
明確に見えてきているのは、
学術性を延ばせば、芸術性は確実的に落ち込みます。
同様に芸術性が伸びれば、学術性が低下することです。
そして、この元凶は明らかに主要五科目で緊縛してきた教育でした。
この図は見事に一般的な能力が教育的な緊縛に閉じ込められた、
結果でしかないと私は思っています。
おそらく、この図に人間の能力が落ち込まないことを
私は目指していきたいと考えています。
具体的には、学術性+芸術性=デザイン、
それもコンシリエンスデザインであると結論づけています。
ちなみに、私は「Concept」:概念を教えるときに、
ベラスケスの美術作品である「ラス・メニーナス:侍女たち」を教材に、
芸術から学術での概念と観念を明示することができます。
こうした自分が元来デザイナーであり、デザイン活動での
芸術+学術=デザインを
新たな統合性として「コンシリエンスデザイン」を語るには、
私は、この図のような能力の低下を防御することを
最大に考えています。
今後、私は、学術性を語るには、美術作品・音楽作品で
充分に講義することが出来ると確信を持っています。


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『論理性と感性の対称性の破れ=パリティ崩壊』


   


     12月 11th, 2015  Posted 12:00 AM

一般的には、「論理性」と「感性」の対比あるいは対称性が、
人間の能力を分化していると考えられています。
つまり、論理性がある人間能力と、
感性能力のある人間を対称的にとらえることは長い間、
対称性よりも対照的に議論と考察されてきました。
たとえば論理性と感性とはお互いに人間の知性そのものを分断する、
このように考えられてきたときに、明快な解答を与えたのは
カントでした。
もっと簡単に言うと、論理性があればあるほど、
感性力の低下が起こります。
これは同様に感性があればあるほど論理性が欠如することも同次元です。
そこで、デザイン思考なる考え方があたかもこの対照性を破壊する手法、
このブームを生み出しました。
これはブームにすぎません。
だから私は、論理性のある人間も、感性のある人間も、
論理性があればあるほど、感性に近づき、
感性があればあるほど、論理性に近づくという手法が大事という、
これこそ「コンシリエンスデザイン」手法ということを
主張しています。
端的に言えば、感性と論理性の間にある完全円形は、
感性と論理性の対称性に対して、破れの現象を起こすと言ってきました。
もっと難しい表現をすると「パリティ崩壊」を起こさせる
感性軸と論理性軸が向かい合っているからこそ、
感性を論理性との対称軸に、論理性を感性の対称軸に置くことで、
感性が磨かれれば、磨かれるほど、論理性を失わせないこと。
論理性があればあるほど、感性を失わせないこと。
この両面、この対称性に決して「破れ」や「崩壊」を起こさせない、
この両対称性の軸からのパリティ性をより高度にしていくことが大事という
この教育こそ創造性での論理性と感性をより高度にしていく、
すなわち「コンシリエンス」な統合性の問題としてきました。
だからこそ、「コンシリエンス」を確約させれば、
「レジリエンス」=ストレスや敗北感以上に、
状況には決して負けない自己認識力の拡充さを創りあげると
主張してきたのです。
これこそ、論理的な思考に対して、感性、もっと端的には
直感が重要であると看破したカントの哲学的な提唱でした。
「直感なき概念は空虚であり、概念なき直感は盲目である」。
私は、この考え方こそ、
デザイン思考ではなくて「コンシリエンスデザイン」と呼んでいるのです。


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『創造性そのものの自己開発を語る生田教授』


   


     12月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾2015」第二回目は東大大学院・先端科学技術開発センター教授の
生田幸士先生に、講師をお願いしました。
一昨年の「KK塾」でも講師をお願い、大阪で開催していましたが、
今年度からは大日本印刷の支援もありDNP五反田ビルで行っています。
生田教授とは親友であり、すでに20年近くお互いの研究開発を熟知。
出会いは、名古屋市立大学芸術工学部に「ロボット領域論」を必要とし、
彼がが名古屋大学教授時代からの付き合いです。
名古屋時代には、国立大学と公立大学の単位互換制度を最初に創りました。
どれほどの障害があったことでしょうか。
ところが今、
名古屋地区での国立大・公立大の単位互換制度は当然になっています。
どれほどの障害に二人が闘ってきたかは、
当時の障害を与えてきた周囲には全く未来が見えていませんでした。
今回は、生田教授が世界で最も小さなマイクロナノロボット、
それは血小板サイズの医療ロボットの話よりも、
創造性開発を、自分が高校生時代から身体化してきた経緯を中心に、
創造性開発の教育、その原理原則を講演していただきました。
特に、「ブームを追いかけることの無意味さ」には
聴衆の大きな賛同が具体的な実例紹介で明白になったようです。
これには、最先端でのロボット開発が目立っていることよりも、
学生への創造性開発、その教育実例を彼の出身高校時代から
留学時代、九州工業大学時代、名古屋大学、東京大学での
現在までの彼の教育手法が聴衆を引きつけました。
私も、彼の恩師であるロボット学者である森政弘先生の
それこそ遺言講座に引っ張り出されることがありますが、
それはロボットや工学ではなくて、宗教哲学からの創造性育成が中心です。
私たちは、お互いに電話をし合うと、長時間の会話になってしまいます。
今、東大では最もTV出演が最も多い教授だと思います。
彼には、ロボット学者ゆえ無論、鉄腕アトムがあり、
そのイラストは子どもたちを釘付けにしますが、
SF映画「ミクロの決死圏」を実現するのは、
彼のマイクロナノロボット開発です。
さらに、「化学IC」なども、今では3Dプリンターと言われていますが、
彼も私も光造形を日本では最初に、彼は光造形でマイクロナノ造形を行い、
私は人工臓器デザイン開発の創始者と言うことができるでしょう。
彼の余りにも膨大なプレゼン画面から、
私との対談はむしろ、会場からの質問にも応えてもらいました。


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『滋賀医科大+EDGEで紹介をKK塾でも紹介』


   


     11月 30th, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾」第2回目は東大の生田幸士教授を講師に、無事終了。
私は、丁度フランスで非常事態宣言下のパリから戻り、
滋賀医科大学+国家プロジェクトEDGEでの基調講演で紹介した医工連携、
その説明図解の紹介を前段にして、「デザイン思考」での医工連携には、
どこかに大きな間違いがあります。
まず、医工連携の基本は、医学と工学の合力が医工連携学です。
これに対しては大学人になってからズーッと批判してきました。
医工連携で騒いだ大学でそれが完成、製品化され商品化した事物を
私は一つも見ていません。
医工デザインで、私はいくつか製品化し現実に商品化してきました。
ところが滋賀医科大学は国家プロジェクトEDGEで医工連携の
作用点に「デザイン思考」を、方向に「イノベーション」です。
このベクトル表示と医工連携学という力をニュートン力学で
図解化して基調講演にしました。
しかし、「デザイン思考」はスタンフォード大にIDEOが持ち込み、
d.schoolでのMBAでは未来は来ないとしての教育を開始しました。
案の上、東大はi.schoolをさも先進的として配置しました。
しかし、多分、
IDEOのファウンダーであった故・ビル・モグリッジ氏が生きていたなら、
「デザイン思考」なんていう提案をしていませんでした。
だから、作用点に「デザイン思考」を、方向に「イノベーション」も
実際は大きな間違いを孕んでいることを私は明確化できたと思っています。
「KK塾」では、医工連携とデザイン思考では間違いを示し、
それがニュートン力学での「力」=ベクトル図解の例示でした。
もし、このベクトルなら、
医学・工学・保健学・看護学、それぞれの方向性を示し直しました。
結局、量子力学的なアナロジーに結びつけた方が正しいことを紹介。
果たして、どこまで理解されているかは不明ですが、
第2回「KK塾」終了後、 
JIDAで講演し終えた阪大の招聘教授になってもらっていた濱口秀司氏と
深夜まで討論して、さらに医工連携を「デザイン思考」ではなくて
コンシリエンスデザインにてもっと明快にすることができました。
なんと言っても、重大なのは、デザインは
コンシリエンスデザインとレジリエンスデザインに
軸足両足が乗るということです。
話がむずかしい・・・って?
「KK塾」で学び直していただきたいのと
「デザイン思考」の熟慮不足です。
なぜなら、
スタンフォード大からもたらされた「バイオメディカル研究」に対して、
大阪大が中心で・東京大と東北大学が合同で間違い指摘を開始しました。


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『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』


   


     11月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

「Porcelain Nude」。
インテリアデザイナー森田恭通氏、パリでの個展タイトルです。
ヌード写真の美しさを彼の美学で真正面から切り取り撮影し、
プラチナ焼き付けの写真パネルと磁器転写アートとスツールにまで展開。
それもパリではトップクラスのギャラリーで個展を開催しました。
森田恭通氏と最初に出逢ったのが、もう10数年前、それもパリ。
ちょうどルイヴィトンの旗艦本店が建築改築中のために、
仮店舗内でのお互いが買い物中でした。
ワイフが知り合いであったことから初対面をして、
それ以後は伊丹空港や飛行機内で出逢いました。
そのうちに彼の活動を見ているデザイナー友人達が多く重なり、
ますます彼のデザイン活動を知るようになりました。
なんだか私と彼とは顔つきも似ています。
なるほど彼の母親は福井県出身でしたから、
それは私の判断では、
北陸福井とロシアアリューシャン列島系の鼻筋高い顔立ちです。
ちょうどパリに行く機会と彼の個展が重なり、
私はオープニングパーティに出かけました。
正直、そうしたパーティ出席は避ける性分の私ですが、
なんだか彼の活動は見逃せないデザイナー直感がありました。
今度は写真家としてのデビューとその写真を磁器装飾に展開するという
バウハウスからスタートしたキネティックアート的な
フォトコラージュ手法を革新しました。
ヌード写真撮影を自らが行い、それを磁器に展開することで、
さらに彼が最もインテリアデザイン対象としている
レストランやホテルで使用できるモノの効用デザインを果たしました。
フランスでの磁器づくりでは相当の苦労があったはずです。
聞けば、何度と造り直しをしたそうです。
しかもそうしたスタッフには、私の教え子を師匠とする子も居ました。
森田氏は創りたいと思ったら、直接、自らがクライアントを決めて、
自分のデザインアイディアのプレゼンテーションで説得をして
デザイン実現させる
まったく数少ない国際的なデザイナーです。
パリには何度も行っていますが、幸いにインターン生だったフランスの子や、
カーデザイナーとして教育してきた教え子は、全員、海外企業留学しています。
しかし、この個展はやがて歴史的になるであろうテロリスト銃撃戦により、
非常事態宣言により、この個展は中断を余儀なくされました。
しかも、このギャラリーに女性が逃げ込んだことから、
森田氏とそのスタッフ達は閉じ込められたと聞きました。
それはギャラリーと銃撃戦現場の劇場は200mしか離れていなかったそうです。
全員が無事でした。
彼の革新したフォトコラージュ的な磁器アートは、スツール天板まで展開。
私は、インテリアデザインをベースにしながら、
今後はまたデザインの拡大化が出来るデザイナーだと評価しています。
私の役割は、さらに彼のデザイン拡大展開に対して、
私の経験の限りを伝えておきたいと思っています。


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