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Posts Tagged ‘文明論’


08月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 24th, 2017  Posted 1:45 AM

08月24日 先負(癸未)

機能主義は機械論、
つまり文明論の主要骨格である。
そしてこの文明論は
人間工学と連動し、
戦争に最も近接している
学問になった。



川崎和男の発想表現手法


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08月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

08月22日 先勝(辛巳)

機械主義を未だに引きずっている。
私は機械では現代は語れない。
機械から機器が、
真の文明論から文化輪になる。



川崎和男の発想表現手法


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『新製品のモニターとして万年筆を試す』


   


     8月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



筆記具の王様は万年筆だと思っています。
「文字を書くこと」にはとても強い想いを持っています。
そして不思議なことは筆記性には遺伝があるのではと思っている次第です。
父の兄弟と私は筆記力がそっくりなことです。
確か、自分と父は筆記力の検定試験を受けて、
筆記検定1級になったことがありますが
その証明証は実家に残っているはずです。
ともかく、父方の伯父や叔父とは筆記力は毛筆であっても、
楷書についてはとても似ています。ソックリな文字を書きます。
「書く」という行為は「欠く」=知識を埋める作業だと考えてきました。
そして筆記具では、
毛筆の筆先は柔らかくボールペンや万年筆のペン先は紙より硬いのです。
これが筆記具の文明論の下敷きだと考えています。
実はドイツの有名なブランドあるメーカーの
新製品すべての書き心地を試してほしい、そんな依頼があり、
そのシリーズで自分の好みのモノは進呈されるということなのです。
何と言っても万年筆・ボールペン・ローラーボールペンは、
少なからず、出張でも使わなくても持ち歩く性格です。コレクターです。
国産の万年筆は性能はとても優れていますが、
グローバルに闘えないデザイン不足を感じています。
やっと先般も紹介した日本製で2500万円の万年筆が登場しました。
ところがこのドイツの有名な鉛筆から様々な筆記具メーカーの
新製品である万年筆は廉価版でした。
ペン先の硬度はこのメーカーの鉛筆硬度にとても似ていました。
スマホやパッドなどデジタル筆記具が進化すればするほど、
万年筆とそのノート類はますます進化しているようです。
ただ自分としては
21世紀ならではの発明的な進化があってほしいと思っています。
自分の筆記力は楷書と読みやすい行書や草書が
日本語だからこそあってほしいと願っています。



* 『書く事のモノは最初から進化を続けている』
* 「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
* 「今年革新だった万年筆を再度確認」
* 『万年筆メインテナンスから見えている現実』
* 『最高級品=最高価格であるべき万年筆の登場の意義』


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『布と衣と織りと・・・」


   


     1月 28th, 2015  Posted 12:00 AM


私の文明論の基本は、歴史的にも明確な決定モノがあります。
それは、まず、器であり、もう一つが織です。
人間が生きる上での最小限のモノを表します。
飢えているから食物を食べる、水を飲む、そのモノとして器があり、
寒さから身を護るために衣を纏う、そのモノが織物です。
ついでに、文化は刃物から始まることも明記しておきましょう。
刃物=ナイフがあれば、次の道具が創れるからです。
となれば、ナイフが無ければ、器も織りも無かったのでしょう。
器が器械となり、器械は機械、そして械の野蛮さを超える時代ゆえに今は、
機器の時代になっていると考えることができます。
織りといえば、私の故郷は福井、織物産業の街です。
この織物も、絹織物が生糸産業から羽二重に続いています。
そこで、織物といえば、たとえば、紙の原型はパピルスですが、
それはパピルス自体が織物であり、和紙とは大きく異なっています。
ともかく、織りの中でも、肌触りということで、
布と衣が人間の文明から文化に纏い付いてくる正しさがあります。
その肌合いで現代最高のブランドから、選び抜けば、
結局は肌と衣では、このブランドの織物が今は最高だと思います。
日本の伝統工芸での織物や、伝統工芸に寄りかかったままで、
何も努力も無く、先人の知恵にしがみついている織物は滅びます。
そこで布となり、衣はファッション性を時代と社会に表明するには、
今の日本には、私は四つ大きく欠落しているコトがあります。
その一つは必ず、故郷で表現ができるようにとデザイン導入を企画中。
他の伝統工芸や地場産業には、このブランドの少なからず、
布と衣の最大公約数的発想も最小公倍数的発想も全くありません。
少なからず、布は人肌とのベストマッチング性を発見すべきです。
私はそのヒントに、このブランド商品の布性と衣性を記述しておきます。


『地方国家からのデザイン戦略・熟考の成果として』
『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』


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『資本主義からの逃走』
 「使い古された日本語から離脱しなければならない。」


   


     6月 3rd, 2010  Posted 12:01 AM

古くなったキーワードを
私が現代をとらえているキーワードのいくつかを挙げてきました。
私はその代表例に「福祉」と「機械」をあげます。
機械
今夜は「機械」です。
「機械」という言葉は日本語としては歴史的に、一度、変更しました。
最初は「器械」でした。
「器」と「械」です。
理由は単純です。
文明論から見れば、文明への動機づけは「飢えと寒さ」です。
「飢え」に対しては、「器」というモノが必要でした。
その器から機となったのは、
今度は「寒さ」から身を護る機織りでの布が必要だったということです。
「器械」が「機械」へという変更は、機械の5大要素に関わってきます。
それは「械」という言葉が介在していることです。
この言葉は「武器」を表しています。
ということは、もう「機械」ではなくて「機器」が、
言葉としても美しいと思ってきました。
私自身、「機械工学専攻」という学科に席を置いていますが、
もう「機器工学」という言葉だと思っているわけです。
実際は、「機械」というイメージと「機器」という印象は異なります。
電子機械ではなくて、電子機器です。
ところが、通信機械という言葉ではなくて、この領域は通信機器でした。
通信機器は、実際的には「武器」ではないからです。
無論、戦争にとって通信機器は武器のようなものですが、
決して機械あつかいではなくて機器扱いだったことに注目するべきだと考えます。
新たな言葉の選定
いちいち、これまでの日本語ひとつひとつを引き出して思考しているこの執念は、
やはり、「言葉」の選択が、
概念と観念から、その意味にある種の枠組みや意味の限定を行ってしまうからです。
デザインにとって、コンセプト・概念・アイディア・観念・分別・センスなどは、
この限定された意味に呪縛される可能性があるからです。
「機械工学」は「機器工学」になってこそ、
あらためて、
人間ー機械=マン・マシンシステムの時代を終えることができると考えます。
私が取り組んでいる「人工臓器デザイン」というのは、
人工臓器的機械ではありません。
人工臓器的機器なのです。
「機械」という言葉から離脱すれば、
機械としてのロボットで無くて、
機器としてのロボットが必ず見えてくる、という確信が私にはあります。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義、逃走した後の文明と文化の対象」


   


     12月 2nd, 2009  Posted 9:00 AM

「資本論」にもどれば、それは文明論にすぎません。
やはりその著作当時の想像力の限界を知ってしまいます。
残念ですが、「文化論」としては、読めません。
まず文明は、「飢えと寒さ」への産業の進化だと思います。
「飢え」は、食べることが叶わない人間の欲求です。
「寒さ」は、体が冷えるから寒いことには耐えきれません。
だから、
食べるための「器」が必要になります。
寒さをしのぐために「機」織りで衣服が必要になります。
「機」と「器」なのです。

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まさに現代の「機器」を生産していく産業ということです。
「資本論」では、衣服に関するたとえ話があります。
無論、人間にとっての「衣・食・住」は、
文明の基本でした。

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私は、文明からさらに資本主義が成し遂げたことは、
文化」だったと思います。
それこそ、
衣はファッションとなり、
食がグルメとなり、
住はヴィラとなるほどの
豊かさを資本主義下の一部は掌中にしました。

私は、
「衣・食・住」に対して、「医・職・趣」が、
さらに、文明と文化によって、
これからの人間社会、人生、生きがい、働きがいに
不可欠だと言い続けてきました。
最近、「衣・食・住」に対して、「医・職・趣」を

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自分が、あたかもオリジナルということを
論文にまでしている人を散見します。
しかし、そうした人には「医・職・趣」の解釈がまるで
間違っているのです。
その最大の理由は、
「医・職・趣」の

  ●「医」は、健康だけではありません。
  ●「職」は、職能だけではありません。
  ●「趣」は、趣味だけではありません。
 
実は、「資本主義から逃走した後の文明と文化」論は、
生産」や「産業」では語り切れないのです。
明確に、「モノづくり」での文明文化論が必要なのです。
つまり、「資本主義から逃走」という問題解決に、
デザイン=Solutionの対象に、
「衣・食・住」と「医・職・趣」のマトリックス化を
策略化=designする能力が必要なのです。


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