kazuo kawasaki's official blog

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「iPhoneアプリ、六つ目の開発」


   


     12月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

1984年にMacintosh 128kと出会ってから、
私の知識と意識は日常的にAppleで支えられてきたとも言えるでしょう。
そのパソコンがiPhoneという新たな形式となり、
ソフトウエアは「アプリ」と呼ばれています。
私たちはそのアプリ開発をしてその配布販売をしています。
目的は、私が提唱し始めたPeace-Keeping Designの一つの戦術です。
PKD活動の具体的開発は「結核ワクチン」のシステムが今中心です。
その活動支援として、アプリを販売して資金の一部にしています。
今はアプリ一つが85円です。
すでに、5つのアプリを開発配布販売しています。
「時計」HOLA・「TheClock」称号を持つモノをiPhoneに入れました。
「脈拍計」=15回の脈拍で、1分間の脈拍が計測できます。
「黄金比計算機」=黄金比がすぐに計算することが出来て、
デザイン設計時の補助計算機になります。
「緊急時のコール」=HelpCallとして、
声が出なくても助けを呼んだりすることが出来ます。
「手旗信号練習マニュアル」=手旗信号は
知っておいてもいいかもしれない、という提案です。
そして、時刻計測の基本に戻って、
「砂時計」を新たに開発しました。
これら全ては大阪大学大学院の私の研究室で学生達が私のディレクションで
プログラミング化して認証を受けて配布しています。
私の狙いは、これからのデザイナーはアプリ開発も出来ること、
リアルな機器設計とバーチャルな機器設計能力を身体化してほしいのです。
そして、iPhoneアプリには、
知識と意識を良識と見識にするソフトウエアの力があると認めています。
PKDはまさしく、率直に良識と見識のデザイン活動であり、
「デザインが世界を変える」ということです。
その活動の資金確保としては微々たることかもしれませんが、
それでも、その販売利益を得るとともに、学生達の能力を高め、
しかもPKD活動の連続性を告知広報する訴求力をもっています。
アプリ開発は、デザインの根幹である利便性を徹底的に求める
「思いやり」を込めることができます。
是非、こうしたアプリを使っていただきたいと願っています。

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8月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 18th, 2011  Posted 1:41 PM

8月18日 先勝(乙巳)

私は、趣味性というのは、
興味を一点にコンバージョンし続けている
ということだと思う。

それから、
なんらかの日常的な作法で、
その対象と向かいあっている。
それが本当の趣味であるということがわかった。

『デザインという先手』手巻き


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4月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 29th, 2011  Posted 11:50 PM

4月29日 大安(甲寅)

デザインというのは、
先手であるとともに、
デザインをしていくためには、
感激があり、感動が日常的な人間でなければ、
絶対につとまらないと私は確信している。

『デザインという先手』はじめに


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『資本主義からの逃走』
「病院という悲しみの日本語に『もてなし』という意味は無い」


   


     6月 5th, 2010  Posted 12:46 AM

重篤
重篤という言葉があります。
私は3度、重篤状態を通過しました。
周囲が、ドクターたちから重篤と告げられました。
周囲は充分にその状況を理解していましたが、
私自身が重篤状況だったということは全く知りません。
危篤と重篤、医学的には危篤という言い方ではなくて、
重篤の方が医学術語だとドクターたちに教わりました。
さて、私自身の肉体的問題は、きわめて日常的です。

デザイン医工学
そうしたことで、私は「デザイン+医学」領域に携わっています。
この領域を「デザイン医工学」と呼称づけています。
このデザイン医工学には、

反健康=健康では無い=病気・病
半健康=いわゆる一病息災という日常的な病を持っている
範健康=健康であるためにどれだけ体調管理・保健であるか

以上のようなことから、
それぞれに対する「デザイン」対象として健康を見詰めています。
そこで、「病院」という機関・組織・空間・サービス・制度を明確に定義するとき、
この日本語はやはり、歴史性としての意味が閉じ込められていると判断しています。
ずばり、「病院」とは「病を閉じ込めた空間」という意味です。

閉鎖空間
「院」という文字は、「完全な閉鎖空間」を意味しています。
大学院も完全な閉鎖空間です。
比して、学校も「校」は板塀で取り囲んだこれも閉鎖空間です。
ところが、幼稚園などや学園の「園」は、遊園地もあるように、
「開放空間」です。
こうしたことから考え直せば、
私は「病院」は「病園」、
いや「療養園」が正しいのではないだろうかと主張をしてきました。
病院や医療関係者の方々からは、
現代性と重ね合わせて多くの賛同を得てきました。
なぜなら、「病院=病の閉じ込められた館」、
閉鎖空間であってはいけないという発想が出てきたことです。
それは、「病院」=ホスピタルからホスピスという日本語は、
Hospital・Hospisという英語の原意からは、
「病院」=Hospitalでは無いということです。

もてなし空間
HotelやHospitalは「もてなし空間」を意味しています。
したがって、
病気療養は、医療従事者のもてなし=看護の十分さが問われているということです。
つまり、私たちは漢字観=古代中国の病院定義を引きずっています。
Hotel・Hospitalの意味には相当の距離観があるということです。
現代、すでに「病院」という言葉の変更は必至だと提案します。
病院とホテルは「もてなし空間」として同格ある必要があるわけです。
そうなれば、「ホスピス」は終末医療の「園」であって、
「病院」の延長線上にあるわけではないことは自明です。


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4月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 29th, 2010  Posted 3:58 AM

4月29日 赤口(己酉)

日常的に
モノのデザインを体感するには、
モノに仕組まれている
リズム・ハーモニー・アクセントを
直感的に体験できるかを感じ取る
習性、癖が必要ではないだろうか。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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『資本主義からの逃走』
「 Media IntegrationはTool Integrationを励起している・7」


   


     4月 29th, 2010  Posted 12:05 AM

Media?Tool
MediaがToolとなり、ToolがMediaと化すのは、
ユーザーの使用観と所有感によって可変します。
この可変容性を与えたのはコンピューターの登場でした。
それは、MediaあるいはToolにCPUの内在性と、
Networkingによる連鎖性だったと考えます。
明らかに「パソコンから自動車」に至るまで、
ユーザーの意識は、Mediaとしてものモノであったり、
Toolと化したMedia、Mediaと化したToolになっています。
そこで、この分別が困難になってくるのは、
三つの原因があるようです。
年齢での興味・必要感覚・楽しみ方、です。
まず、高齢化することによって、
「わからないモノ世界」を時代が創っているという印象。
もう、自分の日常性では不必要ということです。
そして、最後には、「興味」の有無でしょう。
しかし、MediaとToolという区分を自由に取り替えてこそ、
新たな世界と「自分」が出会うことの「楽しみ方」があります。
簡単に言えば、
どんなモノを自分はToolとしているのかという
日常的な「モノ」の使い方にあります。
ところが、
モノへの興味がMediaだと考えられるかどうか
ということは重要でしょう。
Mediaとしてというのは、「自分らしさ」の顕示性がまずあります。
たとえば、車などは移動するToolに過ぎないから、
とてもMediaにはならない人がいます。
こうした人には、なぜ、車で自分の表現や存在性を重ねるのかは、
「価値性」がまったく異なるわけです。

ToolであってもMediaとして革新
まず、現代は、「革新されたモノ」はMediaとして登場します。
また、Media化しないモノには、
創出された「価値」そのものがありません。
したがって、このMediaを印象づけるのが「ブランド」、
あるいは「アイコン」としての視覚認識性であることは間違いありません。
要は、Media→Tool・Tool→Mediaへの
価値の自由な認識能力に関わっています。
TVには無関心という人にとって、
TV番組などまったく価値性がありません。

価値観の多様性などは起こっていない
パソコンが使えない=メールのやりとりも不可能、
こうした社会的な価値感を「多様化」というのは、
まったく間違っています。
時代や社会の「価値感・価値観の多様性など」は
本当は起こっていないのです。
私がMedia Integrationというのは、
実は、Tool Integrationと同値だとも考えています。
Integrationは、
MediaとToolに共時的な励起現象になっていることです。


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