kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘日本人’


『資本主義からの逃走』
 「デザイン職能は市場経済論を変化させられるか」


   


     2月 25th, 2010  Posted 1:00 AM

連綿とした三国志とデザイン
私は、デザインの本質が、情報公開に及べば、
「市場経済論」は、もろく崩壊すると予測しました。
「情報統制」はきわめて困難です。
かつて、中国のある大学から、講義依頼がありました。
私は、条件を提示しました。
● 靖国問題を日本人として意見を述べたい。
● 教科書問題をデザイナーとして述べたい。
● 敗戦処理での関係改善策を世代意見として述べたい。
しばらくして、次のような返答がありました。
「今回の依頼は取り消したい。
なお、あなたがそうした主張を持ち込むならば、
あなたの入国は、決して認められることは無いので、
こうした条件は、二度としない方が賢明です。」
とのことでした。
そして、2年後、またある有名大学の教授から、
直接に面談にて、講義依頼を受けました。
そこで、再び、私の条件を述べました。
そうしたら、まったく反対の意見を言われました。
「是非とも、そこまでを盛り込んだ講義をしてほしい」。
私はとても驚きました。
そして、以前、断られた事を伝えると、
「あの大学とは、言葉も文化も違います。
私たちは、日本人デザイナーとしての意見こそ、
これから私たちの「デザイン」を見極めていくためには、
絶対にそうした意見を聞きたいのです」、と。
また、私はびっくりしたわけです。
彼らは、一段と「デザインの理想主義」に、
向かおうとしていると感じました。
理想主義としてのデザインが中国を!
おそらく、日・米・欧で留学体験のある教授たちは、
「中国とデザイン」、あるいは、
同じ中国国内であっても、言語差異と文化差異を
明確にしながら、「理想主義としてのデザイン」を
求めている、という意志に、
中国という国の「三国史記」がまだまだ連綿としている、
ということを知らされたのです。
「デザインと市場経済論の構造」は、
必ず、なんらかの変容から、
革新があるのではないかと考えています。
そして、隣国としてそのことを期待しています。


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『資本主義からの逃走』
 「相観論的な政策デザインをめざす」


   


     2月 13th, 2010  Posted 10:00 AM

from
Association
to Formation
DynamicsとFormationを先行させてしまいました。
日本は群集・アソシエーション社会から
脱出する政策が不可欠です。
群系・フォーメーションへと転換するべきです。
日本人は群集的な平準化が平等観になっています。
群系というのは格差性を肯定することかもしれません。
でも、この格差というのは、可処分所得差ではなく、
能力貢献度の差異性を認め合う社会化です。
現在は、小学校でも「主人公が数人」という学芸会。
マスコミ、特に新聞も、スッパぬかれることを、
お互いに制御して、平準化です。
これは、国としての「活性化」を阻止しています。
能力差はイコール、学歴でもなければ、
偏差値でもありません。
ともかく、群系という機能分担力の力量を、
相互的・相補的に認め合う新たな「競合性」を
育んでいく社会構造です。
だから、私は、地方分権は反対です。
なぜなら、地方の「やる気無し」公務員で、
地方の活性化など、できるわけがありません。
もし、地方分権にするなら、
「科挙」必要!
公務員選抜は「科挙」のごとく、
きわめて難しい選抜試験で、公務員所得を倍増します。
そして、常に、任期制での評価をしていく
新たな主義、これは民主主義ではなくなるでしょう。
わがふるさとを思うとき、
市職員・県職員の能力から首長能力は、
優れてほしいのです。
大阪に住んでいて、知事の構想は、議員や公務員に
阻まれている気がしてなりません。
「それはファシズムだ!」って言う公務員は削除です。
群系・フォーメーションには、
相当な、能力主義・意識改革・創造力が必至です。
それを政策デザインと呼びたいと思っています。
今、日本は、根本的な「変革時」にあることは、
間違いありません。


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『資本主義からの逃走』
  「民主主義と民衆主義を混乱混濁させるイノベーション」


   


     1月 2nd, 2010  Posted 8:00 AM

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私の民主主義への疑念は、かねてよりありました。
民主主義の基本といわれる
● 「多数決の原則」
● 「合意形成の制御」
という二つによりかかっています。
けれども私には「多数決」にしても「合意性」にしても、
技術進化による「イノベーション」と、
資本蓄積の配分での「インフレーション」の結果です。
いずれも「社会生理」の反応が、
巨大に関与していることに、
注視する時代だということです。

INNOVATION・INFLATION

私は「イノベーション」と「インフレーション」が、
まさしく「資本主義」の基底キーワードだと思います。
したがって、
現代経済社会の「資本主義」と
現代世界観の「民主主義」は
根底で連鎖しているというこになります。

情報操作による人気という合意

そこで、「イノベーション」によって、
「社会生理」が大きく影響されたのは、
「情報認識」と「情報判断」による「情報評価」です。
その「情報操作」をするのは、コンピューター技術です。
とりわけ、コンピューターはインターネットにより、
マスコミ・ジャーナリズムその表現内容を変貌しました。
その表現内容は「感覚の分別性」を混乱混濁させました。
この混乱と混濁を利用して、
民主主義の多数決や合意性は、
確実に、「権力」で「操作」が可能なわけです。
結果として、民主主権ではなく、
大衆と民衆への「合意」ではなく「人気」が作用し、
民衆の多数意見を集中させる権力構造力になっています。
哀しいかな、日本の民主主義は確実に民衆主義の反映を、
民主主義の意思決定の「場」である
「議会制民主主義」に置き換えています。
日本人は、目覚めるべきです。
少なからず、「イノベーション」の選別の偏りそのままが
国民の分別力を失わせているというのが、私の判断です。
「民主主義」は、「人気の多数決での合意」でありません。


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11月28日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 28th, 2009  Posted 9:00 AM

11月28日 先負(丁丑)

日本人の感性で捉える黄金とは、
たわわに実った稲穂が
夕焼けの中で光り輝く光景である。
我々の「金色」とは、
鉱物的な光彩感覚では決してない。
ちなみに「銀」色は、海の幸である魚が
豊漁でピチピチと朝日に輝く光彩だと思う。

『プラトンのオルゴール』
外来語の黄金はアブノーマル


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『資本主義からの逃走』
 
*なぜ「神の国」を、
それは資本主義・日本の骨子だからです*


   


     11月 22nd, 2009  Posted 9:00 PM

「資本主義からの逃走」を書き始めたのは、
日本人として、デザイナーとして、
さらに、大学人としての日本への「想い」からです。
091122kaminokuni

確かに、
「神の国」というからには、
そこには、教義・天皇制・右翼的発想・敗戦国家論、
ややもすれば、反米感情、左翼否定論などが、
表現となり、読者諸兄は、川崎和男の過激性のみを
「やはりか・・・」と納得されたりされていると思います。
そして、
川崎発言への反感・反撃姿勢を買うことは
十二分に承知しています。
あるいは
きわめて右翼側や国体制での合都合性を叶えています。

しかし、
私の本意は、このようなレベルに、
このブログ発言を書き述べているわけではありません。
「資本主義から逃走しなければならないのです!」
「民主主義へも懐疑心を持つ必然の時期にあるのです!」
結果は、明前です。
それは、私がデザイナーであり、
「デザイン」という「理想主義」で、
具体的に、Peace-Keeping Design=PKD
Bottom of the Pyramid=BOP-Businessで、
日本の産業構造・制度設計・文化体制を変革したいからに
他なりません。
そのためには、すでに忘却していたり、
無評価である近代史、
少なからず、江戸後期から明治維新、戦中・戦後、
そして現代を、
整理する視座を私の視界でとらえておきたいからです。
それが、「理想主義者であるデザイナーの職能思想」です。

たとえば、ささやかなことであっても、
多少、(自慢げに)書き残します。
一昨日、福山市で久々に、建築職能の方々に、
講演会を開催していただきました。
20年前、福山市は、
当時一番日本で「地方活性化のデザイン会議」が活発でした。
その会議で発言した、同世代のデザイナーはほぼ、
今や、デザイン系大学で大学人になっています。
また、
PowerPointというプレゼンテーションソフトは、
私がMacintosh SE(SE/30の前機種)に回路を組み込み、
透明液晶のオーバーヘッドで投影した、
おそらく世界で最初にプレゼンテーションをした所です。
先般はスタッフブログで紹介した3画面を使用しました。
16:9でKeynote、
これもNeXTSTEPでのLight Showから
進化しているツールです。
私は、こうしたささやかなコンテクスト活動の
集大成から、「デザインが世界・日本を変える」ことを
発言していきたいのです。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その堪忍・4」


   


     11月 20th, 2009  Posted 6:00 AM

敗戦し、焦土と化したわが国こそ、
「娑婆」(シャバ)を
実体験させられたのではいでしょうか。
それは報復に「堪忍」(カンニン・タンニン)してきた
敗戦国家の日本人でした。
私は、この「娑婆」=「堪忍」が、
同義語であることを知っています。
ゆえに、「間違った戦争だった」とか、
「戦争で亡くなった方々への鎮魂」を込めた多様な意見に、
心底から、「神の国の住人」意識は、
統合し統一していく重大さを、
あらためて問いかけ直していくのが、
今世紀の「神の国」だと考えています。

「娑婆」とは、サンスクリット語(サハー)であり、
この世はあらゆる悪事や苦しみに耐え抜いていく世界、
ということこそ「堪忍」(能忍・雑会)だからです。
神の国」が敗戦で「堪忍」させられたところに、
持ち込まれた「自由・平等・愛」なる浅薄さなどを
「民主主義」などということで、
「堪忍」を忘却させているにすぎないのです。
どれだけの報復・復讐を受けさせられたことでしょうか。
それなのに、私自身も、戦勝国のあの明るさや、
「自由・平等・愛に憧憬」してきたことは事実です。
しかしながら私はこの状況から覚醒することができまた。
それは、デザイナーとして米国で受けた人種偏見でした。
人種偏見に潜む白人社会の報復性でした。

私は、あらためて主張します。
敗戦という経験こそ、
神の国」という「娑婆」を知らされました。
その「娑婆」での「堪忍」さ=仏道根本を、
「神の国の住人」として、
私たちは人格化する時期が、今、訪れています。
それは、「世界」が「娑婆」であり、
「堪忍」を日本が世界へ知らしめる
使命観を持っているということです。


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