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Posts Tagged ‘景気’


09月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

09月09日 先勝(己亥)

美は、三つの関係論から
引き出される。
光景の美、
風景の美、
情景の美であると思う。
それは景観と景気に連鎖。



川崎和男の発想表現手法


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『日沈む景観であっても景気はデザインが主導する』


   


     6月 13th, 2016  Posted 12:00 AM



大阪城は現在、大阪谷町に残っています。
秀吉は日いずることと日沈むことの両方見ていたのだと思います。
大阪には夕陽丘と名前があるごとく、
日沈む美しさ、その「景観」の歴史性があります。
自分自身すでに大阪に住んで10年です。
そして自宅からは日沈む「景観」を毎日見詰めているのです。
遠方には瀬戸大橋や大阪湾までが見えるときもあります。
この10年大阪の景気は低迷を連続し、しかも大阪は犯罪が最多。
この10年大阪そして関西の景気は、少なからず行政力低下が、
「景気」刺激無能と、断言できると考えることが可能です。
理由は、産業の基盤である「金型づくり」は、
国内では25%のシェアを持っています。
ちなみに、関東62% 東海1% 中京12%で、技術力は中京です。
このことは自分が大阪にデザインの焦点を合わせてきた見通しでした。
大阪そして関西が例えば兵庫県の地場産業は他県を圧倒しています。
それなのに「なぜ、景気がこの低迷?」という理由を
昨日、この関西軸でデザイナーたちと対話をして、
関西のみならず日本全体での産業とデザインの関係を再整理しました。
無論、関西地方だけではなく、
日本全体のデザインと景気への期待観が終わっています。
しかし、自分が天職としてきた特に工業デザインにおいて、
決定的にある経営者から学ばされたことは、
「川崎さん、要求されるデザイン対価がこれだけなら、
デザイン料を2倍にすれば、デザイン効果は2倍になるね」、
この提案に震え上がった経験があります。
無論、この企業に不況の時代は皆無であり、業績はずば抜けています。
最近、デザイナーの若手は中国での仕事に惹かれているのは当然です。
若手から私にも中国依頼の仕事への参加を伝えてもらいます。
このことには「デザイン=策略」としている策略的な一党支配が明確です。
比して若手デザイナーの仕事を先人デザイナーが奪うことに平然たること、
さらに、盗作平然たることは絶対に許してはいけないのです。
「景気」を根本で変動させるデザインの再成立をめざします。

*『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』
*『高層は50階以上がいいようだ』
*『景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している』
*『悪夢は醒めたのだろうか・・・・・』
*『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


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『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』


   


     4月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



僕がちょうど大阪大学大学院に名古屋市立大学大学院から移籍した頃、
それは2008年頃から「イノベーション」が盛んに唱えられる風潮でした。
それはわが国が「失われた20年」を取り戻すための
一つのかけ声だったものと考えます。
と同時に、僕の講演テーマ依頼も「イノベーション」が求められました。
だから、僕は徹底的に「innovation」について理論武装を始めました。
あれから現在はさらに「イノベーション」が強調されていますが、
根本をすっかりと失っている現在の潮流があると主張します。
現在拍車をかけているのは「デザイン思考」なる経営方法論という商品と
「革新」、しかも「技術革新」のとらえ方すら歪んで来ているようです。
最近はこの歪みが日本の産業界を呪縛し始めていることは否めません。
僕はあらためてこの理由を三つに分別して、デザイン思考の安易さを
「コンシリエンスデザイン」でのinnovationをシュンペンターに遡及し
当初の、「新結合」・「新機軸」というプリンシパルにもどします。
その遡及は漢字「革新」にあると考えています。
「革」とは、皮革の象形文字であることは明確です。
そこに「新」という漢字が関わりを果たします。
「新」という漢字のとらえ方に現代の歪みの問題があると判断しています。
「新」とは、樹木に斧を入れる行為その瞬間性を表していますから、
まさに皮革をピーンと張って、刃物で切り裂く行為そのものですから、
「新商品」というのは、商品に刃物を入れるがごとく、
商品群を切り裂いた瞬間の樹木液が流れ出るような事でしょう。
それはシュンペンターが予知した「新結合」や「新基軸」で
景気そのものに社会変動を起こしたかどうかまでが求められます。
シュンペンターは景気動向に新基軸が入れば、
資本主義経済そのものが異質化すると断言しています。
彼が1927年に学術界で発言の翌々年、1929年には「大恐慌」が起こり、
それは世界大戦の大きなきっかけになっていることこそ、
「イノベーション」は再度大きな検証が必要だということです。
景気動向への「新結合」・「新基軸」が
如何に「革新」あるいは「技術革新と景気」と関係するか、
もっとグローバルに考えられるべきでしょう。


*『商品である「デザイン思考」は経営論にすぎない』
*「『イノベーション』大衆化した原意も疑う」
*『「KK塾」の対談と質問はイニシャルで方向決定』
*『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
*『球体に働いている力は統合的な知識になる』


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『変だ! おかしい、狂っている、それは・・・私か?』


   


     12月 10th, 2014  Posted 12:00 AM



私は歩けなくなったときにこの時代と私はもう共時できない、
そう思ってきました。
だから正直に言えば、現代は「変」になることをめがけて進んでいます。
駅と新幹線、列車。=列車の進化に駅ホームは不適合!
空港と飛行機。=エアポートという駅に飛行物体は不適合!
港と船舶。=港は何も変わらず、船舶の工夫進化に不適合!
この組み合わせには何の疑いもありません、が、「変」です。
高速になった列車とホーム、ホームの危険度は柵程度では駄目です。
新幹線も、これまでの汽車座席がただそのままの形式が進歩しただけ、
それが、まともだと思っていること自体がおかしいのです。
だから、列車のデザインにホームの設計要素が必要であり、
飛行機への乗降者にエアポート=駅形式は大間違いであり、
現港の沖合まで新しい港は建設し直せば、
船舶の形態デザインも変わるはず。
これが私、デザイナーとしてのアイディアです。
極論すれば、歴史の進化がすべてバラバラのままに、何が進化?
歴史的な実例をひっくり返してこそ、本当の進化のはずです。
景観の哲学に、景気も病気も「変」に除外されてきました。
景気も病気も哲学にその項目がないからこそ、「治せない」から「変」。
景気に向かう、経済と経営ではもう無理なことは明白です。
病気に向かっている医学、看護学では無理なこと分別がつきます。
前例をつくればもう前例以外はこぞって進めてはいけないらしいのです。
こんな「変」な時代、このような社会構造と共時していくには、
気づいてしまった、この不適合性を明確に問題解決する手法、
その具体化実務=デザインしかありえません。
そろそろ、「変」さを除外していく私には、
この不適合さの景観を傍観するだけの無常論に
生き着いていくそんな気がしてなりません。


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『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


   


     10月 6th, 2013  Posted 12:00 AM



敗戦後、奇跡の復活と言われてきた日本企業は、
世界経済の中核どころか先導的な「企業経営」が認められました。
しかし、経済は景気と連動して、結局は二つの選択を強いました。
その一つが安定した大企業主義が産業界の牽引役です。
しかし、
経済動向、すなわち経営鬱病としての「不景気感」は停滞して、
企業制度は、生涯雇用のはずが派遣社員雇用で大企業病を発生。
それならと、いわゆるベンチャー企業は「情報化」社会で起業。
ところが、そのベンチャー企業自身が経営経験不足。
翻って、中小企業・地場産業・地域産業には「情報」経営力無し。
ベンチャー企業が1000社あっても30年後には2.8社です。
このサイクルの中で日本の産業全体が低迷している有様です。
新たな世界制度破綻は9.11で明確になってきました。
そうして、今度は3.11、日本の天災と人災は方向を喪失です。
不景気は、世界全体を経営基盤から突き落としています。
盟友である松岡正剛氏は、
「日本という方法」、「方法という日本」を提示してくれました。
しかし、水墨画技法に「経営配置」が画法にあるからだけでは、
全ての経営者は佇まざるをえないでしょう。
先般、米国で日本という方法と方法という日本で、
地道に「経営活動」をする人物に会いました。
なんのことはない、松岡正剛氏の薫陶で成長してきた人物は、
米国で活動をする中で、明らかに、「方法」と「日本」を
配置、すなわち「経営配置」を私に告げてくれました。
たった一言です。
「日本は負けるわけにはいかない、大企業は駄目になるけれど、
もっと、不甲斐ないベンチャー企業の整理です」と。
私は、今月23日、松岡正剛氏と対談講演でこの決着をと、
真剣に考えています。
欧米にも、まして、中韓、アジア諸国の先導にこそ、
「日本という方法」と「方法という日本」を伝えるつもりです。


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「悪夢は醒めたのだろうか・・・・・」


   


     12月 20th, 2012  Posted 12:00 AM



前回の政権交代は、確かに一つの期待だったと思います。
しかし、この3年3ヶ月は悪夢だったのです。
とんでもない天災で同胞を失い、
神話が崩れて以後の反原発も卒原発も一つの決着案に入りましたが、
まだ悪夢さめやらずが連続しているのかもしれません。
この選挙戦で敗北した人々の顔つきは悪面が多い気がします。
そして、政権また交代です。
日毎の希望と期待感は、まさしく景気に連鎖しています。
日経平均株価8800円は10000円台にまで復活してきました。
私は「景気」というのは現代経済論理事例としては、
一つの指標だとは思っていますが、
その事例を特に「モノづくり」に直結した確信材料にはしていません。
「モノづくり」は、経済動向以前に、
さらに「夢現実」の世界観があってほしいと思うからです。
ただ経験則的には、日本の国家体制が最低でも、
13000円を常に維持していることは原則かもしれないと考えます。
新たなリーダーの言葉はそのまま市場環境の景気感を変動させています。
無論、大きなグローバリズム=これが幻想の景気観の中では、
世界、特に欧州のギリシア破綻への対応観と
米国の景気観がわが国との構造を決定しているものと
判断している次第です。
従って、
本当に私たちは天災を受ける列島の民族であることは確かな事です。
まもなく、2012年が終わろうとしています。
私たちは、新しい年を迎えるならば、
いつも幸運で幸福でありたい、
生きていくということの終末も理解しているだけに、
現実での悪夢だけはなんとしても避けなければなりません。
3.11という決定的な悪夢をなんとしてもはねのける必要があります。
その先行指標がもし、この日経平均株価であるとするなら、
ようやく悪夢から解放されつつあるのかも知れません。
解放されたいとつくづく願うばかりです。
私の人生において、
その時々に、悪夢は襲ってきていました。
ひょっとすれば、
これほど悪夢にうなされる生涯を生きなければならないのが
「人間」なのかもしれません。
だからこそ、「夢」の世界に飛び出していく価値、
その価値づくりの一つがデザインだと思わざるをえません。


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「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも」


   


     1月 11th, 2012  Posted 12:00 AM


名古屋にいる時、
ドロボーに入られて、時計をすべて盗まれました。
名古屋ではワンフロワーに一世帯一家族だったので、
ドアがバールで壊されても
誰にも気づいてもらえませんでした。
全ての時計といっても12個ほどでしたが、
50万以上の時計投資はしておらず、
それぞれの時計には、一つの仕事をやり終えた記念でした。
そしていわゆるデザインされたモダンデザインの時計も
随分持っていましたが、
ドロボーは見事にいわゆるブランドモノを持ち去りました。
如何にモダンデザインの時計は見捨てられているか知りました。
だから一年以上暗ーい気持ちでワイフとペアで持っていた時計だけでした。
それから1949年(私の生年)に製造された当時ゆえステンレス筐体の
パティック・フィリップス(毎年値上がり)を手に入れてから、
またともかく美しくて気に入った時計を持つようになりました。
このところは、「ムーンフェイズ」をともかく徹底して見ています。
それは太陽暦だけではなく、
太陰暦・グレゴリオ暦が絶対に時間・人間・自然には関与している
そんな直感があるからです。
時計に月齢表示機能があるのは、
本来は20世紀以前の船員向け潮の満ち引きの手がかり表示機能でした。
月の満ち欠けは単純です。
朔=新月という月の見えない時、
望=満月、
そして上弦と下弦の半月の四種類だけです。
この四種類の計時変化は、人間と自然には大きく影響していると考えます。
よって、ある種のバイオリズムを制御しているのは、
月と関係があるかもしれません。
私の体調もなんとなく最近は月の満ち欠けと関係しているかも知れません。
なぜ、日本は太陰暦に重きをおいていたのでしょうか。
グレゴリオ暦の歴史を追いかけていくとき、その神秘主義とともに
明らかに景気から地震に至るまでのある影響が確実にあるようです。
もう少し私なりの知識と直観がまとまれば、
太陽暦と太陰暦をムーンフェイズとは異なる形式を見いだして、
新たな「腕時計」性能をデザインします。
日本でも「トゥールヴィヨン」を自作しているデザイナーがおられます。
彼から聞かされたのは、まだムーンフェイズの精確性は未完成とか。
すでに日本では、クリスタルガラスすら製造出来なくなっています。
バーゼルの時計見本市と対抗できる『腕時計見本市」が必要です。
今、私はあるブランドに特別発注したムーンフェイズが楽しみです。
「腕時計」は時刻という見えない事を視覚化したツール、
そして、自己証明のメディアでもあるのです。


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「月食、それは風化させてはならない啓示です」


   


     12月 12th, 2011  Posted 12:00 AM


昨日2011年12月10日夜、皆既月食でした。
20代後半に車椅子となった私は、
仏教書と易経にのめり込んでいました。
そして当時、「流行通信」というファッション誌で、
始めて連載を書き始めたのです。
音楽と音響機器というテーマでしたが、
二回目には「修景論」をまとめました。
風景の要因には、日食・月食・彗星・雷雨暴風、
この四つが易経では大きな天地異変の変動、
その結論が述べられています。
易経を単純に「占い」とみなしている風潮は、
明らかに熟慮不足だと認識すべきでしょう。
そして風景は風と景気を根本で支えている東洋の智恵です。
日本風とか、和風、修景としての光景と風景と情景を
明確に定義づけています。
だから、景観は景気を動かします。
景気の善し悪しは、例えば不景気、
それは「気」=きもちを落とし込み=鬱病と重なるわけです。
月食は天変異変を歴史にもたらしてきました。
3.11は今なお、私たちを解放すること無く、
哀しみと悲しみを残しています。
12月9日、死者15841人であり、行方不明者は、
未だに3493人という哀しみをぬぐい去ることは不可能です。
月食が天変異変を知らせているとするなら、
私たちには「祈り」しかありません。
そして、絶望してはならないのです。
その基本として私たちは3.11のあの光景を語り継ぐのです。
つまり、人間には忘却するという精神的解放がありますが、
それを「風化」と呼んではならないのです。
私たちに吹いてくる「風」は、微風から暴風まであります。
あらためて修景、そして「風景」によって、
やがて生と死の光景に入っていく生命、
その意義を見つめなおすべきでしょう。
「風が吹いている場」は空なる間、空間ということになります。
空間に「風流」を求めるとき、私たちは解放されるのでしょう。


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6月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 14th, 2011  Posted 11:52 PM

6月14日 大安(庚子)

私達にとって花火は、
祭りを景気づけてくれる
縁起のいい音である。

が、その留学生にとっては、
花火の音は祖国の現実であり、
耐え難い音響ということだ。

『デザインという先手』あいの手 アポリアに対して


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「太陽・二つのアナロジー物語・その2」


   


     5月 17th, 2011  Posted 12:00 AM

「天照大神(あまてらすおおみかみ)」。
わが国日本、最初の神話神です。
最近はほとんど忘却していますが、
日本人は「お天道様」、
この日常的守護神に信仰がありました。
太陽がやはり中心です。
その太陽から天地への光と影、光景とは乾坤=天地・陰翳を意味、
この伝承が日食・月食・彗星・雷鳴風雨を風景としました。
この光景と風景に、人と人の関係が情景という景観です。
この景観あってこそ、景気が世情を繁栄させてきたのです。
すべからく太陽を中心としてきた日本の伝統的な伝承神話物語、
それらは、太陽中心主義から生まれてきた日本の経世済民です。
そして先進的宇宙説は科学的な太陽解釈にまで至りました。
太陽表面は核融合と核爆発により、放射能を地球にまで放射。
それこそ太陽の恵みの全体像、
たとえば光合成が地球の生命を育んでいました。
私たちにDNAをも制御してきたのです。
こうした科学が、技術に統合されたとき、
それは歴史の現実、武器としての原爆の発明につながります。
その世界で唯一の原爆被災は日本です。
よって、Atoms for Peace思想は技術立国の大きな期待となり、
米国の支配関係の中での国家目標となりました。
そして今や「原発の安全神話」は崩壊しました。
地震大国、プルサーマル計画、核廃棄物、原爆トラウマ、
そして今回のフクシマ原発事故は決定的に信頼感を失いました。
まさに、太陽表皮の科学的解釈をそのまま具現化し、
太陽への信仰心をそのまま「安全な」という形容動詞で包み込み
「安全神話」としてきた大失策になりました。
光輝く日本列島から53基原子力の光が消えようとしています。
しかし、私は科学と技術の間の神話性、
そのアナロジーはソーラーパネルの寓話性と同一だと見ています。
パッシブソーラーとアクティブアトミックは、
もう一度、科学的立脚点を同次元で見直し、
安全・安心・信頼・効率・そして「人間制御」の新たな手法を
根本からやり直す必要こそ日本のテーマになったとさえ思います。
人類と自然との新たな文明パラダイムを新規化することです。
人類が生き延びていくエネルギーの確保は、
科学技術構造にもう一度、命がけで取り組むべきことであり、
私は、「反原発」・「脱原発」での再生エネルギー観を懸念します。
なぜなら、やはり超然たる自然の制御こそ、
さらに慎重真摯さが人類の義務だと考えるからです。
「脱原発」という幻想物語の氾濫=パニックと観察しています。
私は「脱却解解放パニック」として、
原子力をもう一度新生させる義務を感じるのです。
すでにこれから数万年もの責任放棄こそ原罪だと思うのです。
原子力技術のさらなる進化には、
あらたなコンセプト発想でのデザイン設計が不可欠。
この確信は、太陽に寓話性・神話性からこそ抜け出して、
「新生物語」の核心に原子力を再配置することこそ、
自然エネルギー観への対称性になるものと確信するのです。
太陽へのこれまでのアナロジーを具現化することこそ、
新生エネルギー開発の健全な科学技術構造だと思っています。


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