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Posts Tagged ‘書道’


『墨汁が護っていてくれた文字=言葉の伝統文化』


   


     8月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

小学校1年生でした。書道の筆はやたらに太く、
祖父や父が使っている筆より太くてこれで練習?不思議でした。
そして、明日書道の時間があれば、
母に手伝ってもらい墨をすり、マヨネーズのガラス瓶に入れて、
学校に持っていきました。
書道ではなくて「書」をやりなさいと教わったのは、
禅宗第一道場の吉峰寺の住職からでした。
道がつくのは命をかけるものゆえ書に命をかけることはないとの教えです。
まだ、インクほどの知識はありませんが、今では墨汁が各種一杯あります。
現在は墨をするきっかけに、自分はこれら3種の墨汁を使っています。
簡単に書を書くなら矢立を使っていますが、矢立の筆の軸その長さは、
通常のボールペンと同じ140mm程度ということで、
筆記具の軸長さとの関係に驚きます。
識字率が武士は100%であり一般庶民が江戸後期には45%だったらしく、
このことは日本民族が筆文化、矢立を持ち歩いていた素晴らしい、
書の伝統が現在もひきつがれているということです。
墨汁というのは、実際は、墨をするといういう硯石と硯ですが、
この文化は菜の花から生まれて、菜の花の黄色が?=墨色になるという
その美しさの見事な反映だと思っています。
自分の墨汁には全くの光沢ある墨色、茶系の墨色、紫系の墨色です。
今では日本のインクは顔料が万年筆に入る時代にまで進化しました。
日本の墨、墨汁は矢立とともに日本のことばを引き立ててきたと賛美します。

* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『森羅万象悉紙也』=ペン先メインテナンスの紙
* 『万年筆で顔料インクがありえるのだ』
* 『ブロッター・インクと吸い取り紙の関係』
* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』


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『書を教えるべきだったー和紙の味覚、趣味の聴覚を』


   


     7月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

衝動的に「書道?楽部」をFB上に創りました。
日本デザイナー「衝動」?楽部としたところから始まったからでした。
これは若手デザイナーの太刀川氏が書道を始めて、そのことのやりとりで
やっとデザイナーにその仲間らしき人物が次世代に現れたと思っていました。
「日本デザイナー書道?楽部」を二人っきりでスタートしたところ
徐々にメンバー参加が出てきてくれました。
そして「しまった」という事態も知ることができました。
最も、大学人になって以来、あれもこれも伝えたい教えたいということは、
デザイン以外にいっぱいありました。
カメラ、オーディオ、モデルガン、ナイフ、鉄道模型、万年筆、
すなわち自分の趣味、こだわりでした。
こだわりというのは拘りという表現で狭く取られていますが、
本来は「木垂れ」からの派生の歴史がありますから、
デザイナーは知識から発想の知恵にいたるまでを自分が恩師たちから
教えられたようにと思いながら、本当に教育は困難なことです。
さて、書道では、筆と和紙、それから硯、硯石、毛氈と至ります。
とりわけ紙墨相発というように、和紙はその根元を伝えなければなりません。
和紙には「味」、まさしく舌で感じる味覚があるのです。
紙パルプにない、草紙というのではない、雁皮・三椏・楮の味です。
有名な和紙や書道具店では、「紙、舐めていいですか」って言うから
すごく嫌われていますが、硯、硯石も舐めることが肝心です。
だから、新素材も舐めること、味覚と聴覚で確認することにしています。
こうしたことを次世代デザイナーには伝えて継承していってほしいのです。
でも、ともかく「日本デザイナー書道?楽部」が出来て、
にんまりと喜んでいたら、ワイフから、
「よくそこまでやりたいのね」と言われましたが、
これが本当にデザインを教えていく根本だと信じています。

* 『紙墨相発・電子ペンとノートとのインターラクション』
* 『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
* 「ひらがな練習」
* 「もう一度、漢字と『書』へ」
* 『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』


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『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』


   


     7月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

書道というのは学校教育であり好きではありませんでした。
自分にとっては「書」であり、これは父・祖父から徹底的に訓練を受けました。
何と言っても禅寺・吉峰寺(永平寺第一道場)に、
中学・高校と夏には預けられて禅宗での書を訓練させられたことがあります。
まあ、この寺になぜ預けられたのかとか、自らが望んでということも
自分と書の関係は抜群の訓練を受けられたという幸運さがあります。
よって、文房四宝と言われるともうたまらなく大興味です。
たまたま、馬印:なんとも言えない古式な企業名に驚くとともに
日本文具大賞に応募された硯と筆と、このインクは、
ホワイトボードでの書道教具として登場してきました。
これまで、ホワイトボード上では、
絶対に不可能であった書が見事に可能です。
確かにこれは書道のある国々だけの商品ではありますが、
この素晴らしさを評価しないわけにはいかない商品性能を有し、
書道教育を確実に支援するモノ=商品になってきました。
いわゆる「とめはねはらい」をホワイトボード上で可能にしたわけです。
実際、もし自分が書体やカリグラフィーを教えるとなると、
これまでは、書はほとんど不可能でした。
特に、草書体は困難であり、楷書体や行書体よりも自分にとっての書ゆえに、
これをやるには黒板とチョークでした。
馬印とは、なんと黒板メーカーからの屋号からのブランドでした。
願わくば、これを筆頭にして「カリグラフィー」を可能にする教具に進歩を
自分自身最も期待をしています。
確かに最近では、書道アプリでパッド表現も少しだけ可能になっていますが、
あくまでもアナログ=手からの、
その筆記具そのものでのこうしたモノが望まれます。
望むこと、好むこと、
これが実質の「価値」だとこのモノは教えてくれています。

* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」
& 『石ころとスタイラス』
* 「曹洞宗第一道場・吉峰寺での『薪』割り」
* 「文房四宝の進化に沿わせる自分の幸運さ」


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『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』


   


     1月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

我ながら、どこまでApple製品に囚われているのでしょうか。
そう想いつつも確かなPCもPadも進歩はしていません。
そして、ベルトが二重巻きのApple Watchに至っては、
時計もそれなりに気ままに使ってきた私でさえその未来は見えていません。
それにも関わらず、絶対に二重巻きの時計は手に入らないとなると、
元来、一人っ子だった僕の物欲が呼び寄せてしまうのです。
もはや時計、クロック、Padにしろウォッチにしろ
稼働部品は極めて低額です。
実際、生産原価はどのブランドにしてもほとんど知り尽くしています。
Apple Watchも、稼働ユニット部品は定額コストであり、
筐体やベルトでのほとんどそれこそ付加価値での競合にすぎません。
Padのスタイラスペンにおいても同様です。
僕はプロのデザイナーですから、結局、モノとブランドの価値で、
所有価値と使用価値を価値判断にしてしまっています。
このApple Watchは皮革ブランド独自の価値を借用して、
時計の価値を高めているだけにすぎません。
最も、僕は銀座のApple Storeで現物を見、その説明を受けました。
結果、この店員さんからは絶対に購入しないと決めました。
そして、ブランドショップで改めて質問をした結果、
商品知識ははるかに勝っていましたし、
ほとんどいつ注文しても困難でしたが
結局、すぐに私の所に来てしまいました。
それこそ、Padのスタイラスにしても、
僕がそれなりに認めているブランドと
新興ブランドは、一方はレンダリングスケッチ用であり、
もう一方はすでに書道用に落ち着いています。
商品価値がブランドに左右される時代にあって、
デザインがデコレーション価値になってしまうことはやむを得ないですが、
やはり、僕はデザイン=問題解決・価値創造・未来創成ですから、
ともかく、現代性でデザインのこの三つを満たしているモノの世界観に
僕自身は取り囲まれていたいと思うのです。
デザイン=問題解決・価値創造・未来創成の結論は、
「美」に集中と集約される焦点でなければなりません。
それは、僕自身が「真善美」三つはとても自分には立ち向かえないけれど、
「美」って決して分からないかもしれないけれど、
「美しいモノ」に取り囲まれるコト=環境に
ありたいと思ってきたからです。
物欲も年齢とともに消えていく、
そんな気配が忍び寄っているのも事実ですが、
あくまでも、自然は自然なりに美があっても、
自然も人間も裏切りがありますから、
デザインされた「美」には自分を浸すことができます。
自分の生涯において物欲からの「美」は求めるつもりです。


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『Padスケッチにすっかり馴れ親しんだ!』


   


     5月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

正直、iPadでスケッチが描けるようになって、
なんとしてもこの使い勝手を身体化させるためには
自分お気に入りのスタイラスは自作するところからはじめました。
そうして、多分このスタイラスのペン先ならということで、
自分なりのトレーニングを毎日、素振りの練習のようにしてきました。
結果、スタイラスのペン先は書道感覚であることが分かり、
スケッチの前には草書描きに慣れるということが最適でした。
スタイラスはペン先に自分の筆圧感覚をコントロールすれば、
Pad上でのスケッチはとても自分と一致してくれます。
そのためには、スケッチのアプリについては
徹底的に筆先表現の種類、色彩調整方法、レイヤーの自在な統合、
これらをマスターすれば、おそらく3ヶ月で描けると思います。
今、私が気にいっているのは、筆記具ブランドの万年筆を
ペン先のリフィールを入れ替えて気に入っている万年筆軸にセット。
もうこれで、飛行機や列車の中でもスケッチが可能になりました。
立場としては、デザイン教育者でもありますから、
Padとスタイラスの基礎的トレーニング方法を編み出しています。
学生時代は、ともかくデザインストロークを丸ペンで、
一年間は、徹底的にトレーニングされて、「リピート!」という
NO出し=やり直しに耐えて、指先とライン描きをマスターしました。
私は、Padとスタイラスにも、デザインライナーとでも名付けるべき
スケッチ技法があると思っています。
とても簡便になったのは、スピードライマーカーでの道具類毎の
そのようなコツは、一辺に解消されています。
しかし、もう一度確認しておかなければならないことは、
アナログ、すなわち、紙と様々な筆記道具、鉛筆からフェルトペン等
これらとの格闘が無い限り、デジタルなスケッチは成立しません。
そして、
私の持論は、デザイナーであるならば、上手なスケッチは必然です。
スケッチが描けないデザインは、造形が狂っていると思っています。


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『デジタル筆記具の認められるそれなりの進化』


   


     5月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

デジタルペンについては発明販売されてきたモノは、
私はおそらくその全てを試用してきたと思ってきています。
デジタルメモの進化は、すでにApple社1社の独壇場ですが、
アジアのある1社は果敢に闘っていますが、
なかなか私にはまだまだ納得はできません。
これは日本製ですが、ようやくここまでの進化を認めて、
私自身も使っています。
ただし、紙とボールペンそして通信性の性能性のみです。
それでも私は着実な進化だと思って喜んでいます。
デジタルペンの技術進化は、現在、二つの方向になっています。
デジタルペンはともかくボールペンを主体にして、
デジタルペンそのモノにCCDを搭載して、ノートとの関係性と
ペンよりもそのノートパッドに通信性をiPadでのアプリと統合、
この二通りですが、いづれもノートとペンとiPadが必要です。
これはやはり、人間はiPadとペン=スタイラスとの関係からは
まったく解放されていないからだと思っています。
紙墨相発ということばがありますが、人類は紙と身体、
その文房具としての墨とのインターラクション性にはすっかり、
馴れ親しんでしまったからに違いありません。
私自身、スタイラスとiPad画面と身体性=手の感覚は、
ほぼこの一年、トレーニングをして、スケッチと書道感覚を
身体化させたと思っています。
それでも、やはり、このデジタル文房具はようやく快楽です。
しかし、このシステムはやがては2~3年はあるのでしょうか?
多分、このボールペンにこそ、もっとボールペンそのモノの
歴史ある伝統性を革新する何かが欠落していると考えます。
それでも、少なからず、このシステムは、
私がふさわしいミーティングには使っています。


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『ビートルズに出会った世代の幸運さ』


   


     11月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

敗戦後に私は生まれています。
1947・1948・1949年代生まれは「団塊の世代」、競争社会でした。
私にとってはこの呼称はまともな名辞だとは思っていませんが、
私自身が1949年のこの世代であることをひきずっています。
経済成長・大学闘争・石油ショック・バブル・バブル崩壊と
時代的な経済変動をまともに受け、その成就に晒されてきました。
そのなかで、この世代ほとんどが大きな影響を受けているのは、
ビートルズの音楽であったこと、それは周知のことですが、
私はオーディオからデザイン世界の社会人になりましたから、
もう一つカセットテープがビートルズ音楽に与えたことがあります。
したがって、この作品も私の代表作であり、
今は金沢21世紀現代美術館のパーマネントコレクションですが、
これはビートルズのオマージュと私自身の思いをこめています。
赤盤・青盤・白盤、そのままに、ビートルズの代表曲を
オルゴールも、すべて著作権のもとで発注した曲を仕掛けました。
「商品化」は何度か試みましたが、生産性の問題がクリアできず、
すっかりと今ではある意味ではアート性のデザイン作品です。
これが私の代表作ということを言いたいわけではなくて、
ビートルズの音楽性以上に彼らの音楽や活動に及ばず、
存在性に人生での生き方のきっかけを与えられたこと、その意味性、
これらを持ち得た世代の幸運さについては書き残す意義があります。
私自身、書道も絵画も道具を要しましたが、
音楽はずる賢く考えて教科書だけゆえに高校ではコレを学びました。
にもかかわらず、美大に進学し、書は厳しいトレーニングを受け、
ビートルズしか知らなかった私が
クラシックも図譜で指導されて、社会人になれたようです。
が、今なお、私にはビートルズという存在が生涯を支えてます。
つまり、今、このようなショッキングな時代状況が無いことを
私は次世代にとっては、大きな損失のような気がしてなりません。
ビートルズのような存在がないこれまでを疎ましく思っています。

「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」
「『鏡』の存在を知り尽くすこと」
「この画家をもっと知らせたい」


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『第23回日本文具大賞・デザイン部門グランプリ=呉竹進化』


   


     7月 11th, 2014  Posted 2:25 AM

日本文具大賞は年々応募点数が増え、そして発表当日は会場は大変、
これほどの入場者が来るとは思っていませんでした。
そして、応募企業みんながとても喜んでいただきました。
私は審査委員長として、デザインはデコレーションではなく、
問題解決の実務手法だと講評をしました。
「呉竹」といえば、私も小学校時代から書道用品メーカでした。
日本人には知られたメーカーです。
そして、日本の書道をベースにした「筆ペン」は、
ここ数年見てきましたが、私自身、万年筆収集家からみると、
国際化へもう一歩ということを幸い社長にも伝えてきました。
ところが、これはとうとうここまで製品開発されて、
筆ペンを超えて、日本からの新たな統合的な商品提案が出ました。
現代性があり、審査会以後、私は個人的にも、
著作へのサインや、暑中見舞いはがきには随分駆使可能になり、
グランプリ発表後には、社長に「やりましたね!」と言いました。
とても喜んでいただきました。
私には、さらに、この商品を「国際化出来る」商品だと告げました。
プロとして、二つのアイディアをその場で伝えました。
ともかく皆さんにも使っていただければ「筆ペン」を超凌駕です。
日本ならではの、いわゆる書道文化は、新たな筆記具が登場です。
なによりも、この開発に投与された「問題解決力」は、
優れて美しい存在であり、未来を誘導し、筆ペン性能を上げ、
効能性と性能性は統合的な美学性ある機能性=デザインが完成でした。
私は、日本からまた新しい筆記具が誕生したことを
心から喜んでいます。

http://www.kuretake.co.jp/news/images/luna.pdf


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『iPadのスタイラスペンは徹底的に精査しています』


   


     5月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

iPadはPCの明らかな進化形態でした。
大きな特長は、
手書きと手描きを画面上で実現しようとしたことです。
人間が情報と向かい合う文字・図形・絵画表現を
スタイラスペンをインターフェイスにしてきたことでした。
ですから、私はまず自作で素材を様々に試してきました。
アルミ泊・導電ウレタンフォームなどでペンのあり方を理解し、
それから市販されてくるほとんどを試してきたと思っています。
理由は、スケッチやラフレンダリングが描けるだろうか、
そして書道での草書体が、筆とほとんど同様以上だろうか、
この二点に執着して選び、日常の道具にすることでした。
スタイラスチップの素材も相当に進化していますが、
まだまだの感があります。
最近は静電容量を可変するために電力供給されているようです。
これも一つの方法ですがまだ進化は認められません。
私はこれは専門的な用途ならば電力を必要としても構いませんが、
電力無しこそ、筆と鉛筆からの革新だと思っています。
いわゆるボードコンピューターのスタイラスペンは、
筆と鉛筆を乗り越えるべきだというのが私の理想です。
ともかく、私は、書く行為はキーボードでOKですが、
書道はこのスタイラスでもかなり筆タッチになってきています。
しかし、鉛筆には硬度があるように、
こうした硬度と手の感覚にはまだスタイラスは達していません。
けれども、国際的にもこの技術発見は進展していないようです。
なぜなら、私はスタイラスペンの商品はすべて検分して、
その結果、購入して使っていますから、
これは絶対に買うべきではないと評価もできます。
現在、もう当たり前になっている導電ゴムチップのモノは
使いモノにはならないと判断してください。

『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
「スタイラスをすべてチェック後の選別」
「スタイラスペンは、まだまだ進化が必要」
「iPad Stylusを使うと分かること」
「# iPad静電スタイラス自作奮闘 ・1#」


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『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』


   


     10月 20th, 2013  Posted 1:12 AM

海外のデザイナーたちの多くは、このボールペンが最適とか。
そして、私にとってのいわゆるインクつけペンはこれ。
しかも、このぺんは人類の文具歴史そのままですが、
際だった特長は、万年筆では絶対にむずかしい書き心地です。
なんといっても、何種かのペン先を替えれば、
このペンで「カリグラフィ」が描けます。
しかし、海外でも「カリグラフィ」までマスターしているのは、
私はほとんどいないと思いますが、
日本人で優れて「カリグラフィ」の上手い人も少数です。
「カリグラフィ」といえば、あの故ジョッブスは、
大学で一番学んだのは、この「カリグラフィ」だったと聞きます。
したがって、彼の置き土産となった新たな書体が、
これからの書体では最も品格があるのではと私は判断しています。
そのうちに私自身の「カリグラフィ」を見せたいと思っています。
なにしろこの「カリグラフィ」とは、
美しい文字を書くこと・描くことを調和させています。
それは私の評価では書道の「草書体」に匹敵すると思っています。
最近大阪では有名な石碑書体が余りにも酷くて驚きました。
私は、政治家の能力には絶対的に「書」の美しさが必要です。
なぜならば、私はこれからの文具ではスタイラスの進化、
これがデジタル時代の大きなシンボルだと考えるからです。
特に、デザイナーにとっては、鉛筆からボールペンはもとより、
この「カリグラフィ」までを表現できるペンそのままの
「書き心地・描き心地」が絶対に必須だと考えるからです。
今、おそらく静電容量も電池で付加しますが、
このスタイラスの弱さも明らかにわかります。
三つ指摘すれば、
● バランスが「カリグラフィ」ペンほど考えられていません。
● 導電ゴムでは書き心地に品格が不足です。
● そして、このスタイラスの長さ・大きさを求めます。
しかし、現在は、このスタイラスが一番進化しているでしょう。


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