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Posts Tagged ‘本質’


07月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

07月21日 友引(己酉)

デザインは確かに意識され
すっかり認識もされましたが、
実情は、
デザイナー自らが、
その職能倫理観を失っていては
「デザイン」の本質は
決して伝わりません。



川崎和男の発想表現手法


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04月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

04月10日 仏滅(丁卯)


軽薄であろうが
重厚であろうが、
知識と経験を超えること、
この本質的な意義と意味を
徹底的に知るという
「想像力」の有無が必要である。



川崎和男の発想表現手法


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02月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

02月16日 友引(甲戌)


「かわいい」という評価が
デザインの本質では無い。
「かわいい」というのは、
うわついた感性の曖昧さである、
だから、「かわいい」とか
「かわいさ」を否定している訳ではない。

「美しさ」に「かわいさ」は
相当に大きな距離があるということだ。



川崎和男の発想表現手法


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「最も小さな公立大学・金沢美術工芸大学70周年」


   


     8月 9th, 2016  Posted 12:00 AM



金沢美術工芸大学は日本で最も小さな公立大学です。
自分はこの大学の卒業生であり、それほど知られた大学ではありません。
東芝に入社したときも、旧帝大卒ばかりの新入社員の中に入れられ、
まず、自分が卒業した大学の説明をしたものです。
金沢美大卒という学歴がいつも自分のアイデンティティに関わっていますが、
大学教育で鍛えられた先輩から後輩にいたるまで、
自分には誇り高い大学卒だと思っています。
デザイナーと言っても、本当に「造形力」のある大学は5大学もありません。
最近では有名な漫画家、ドラマの演出家、CF監督、
話題のポケモンでのピカチュウにしても優れた後輩たちの作品であり、
カーデザイナー達も多く輩出している大学です。
デザイナーとしてすでに40数年になりますが、
残念なことにデザインは未だに軽く見られています。しかし、
モノの本質、発想の柔軟性はこの大学卒だからこそ可能なのです。
かつて、主任教授が倒れた時に、金沢に戻り、
深夜の病室で先生を見舞いましたが、
教授は、玄関まで自分を見送っていただき、それが最期の別れでした。
今、自分が大学人であるのも、
私の使命を語り継でいただいた教授たちのおかげです。
その大学が70周年を迎えます。
いつからか卒業生での「金の美」展は銀座の画廊をすべてを埋め尽くし、
ニューヨーク展、全国各地で秋には一斉の展覧会になっています。
私の世代は今なお「先輩の指示」には絶対的に従うという伝統的な
仲間意識は見事に整っています。
だから自分の主催するKK塾には先輩たちが数名が駆けつけてくれます。
自分が、この大学卒であることは大きな誇りなのです。
それは自分の大学時代のデザイントレーニングが最も厳しかったからです。
大学には大きな欅の木がありました。
だから同窓会は今なお「けやき会」になっています。



* 『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』
* 「金沢美術工芸大学の大阪での大学大同窓会」
* 『金沢21世紀美術館から届いた10周年の収蔵作品集』
* 「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク
* 『工業デザイン教育での「手」のトレーニング』


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『「デザイン部門グランプリ」は見事な原稿用紙』


   


     7月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



400字詰め原稿用紙が日本文具大賞「デザイン部門」のグランプリです。
受賞メーカーが優秀賞でびっくり、グランプリで仰天されました。
自分はメーカーに小声で伝えました。
「この審査委員会は凄くよく見ているでしょう」と。
他の文具専門メーカーからも、あれが「デザイン」の本質ですね。
自分自身、どれほど原稿用紙自体を自作もしてきたでしょう。
ともかく、原稿用紙はもとより、紙・和紙については
絶対に国内外の用紙全てに自信を持って詳しいと自負しています。
この原稿用紙の紙・用紙を超える紙は無いでしょう。
高級ブランド商品の包装紙にも採用されています。
まず、用紙の性能はトップクラスです。したがってペン、鉛筆から万年筆、
この文字筆写においても最高です。
原稿用紙という日本人には極めて典型的な社会的な存在性を持っています。
つまり効能性は優れて「筆写する」ことを歴史的にも支えています。
そして、当然にして色彩展開されたシリーズ商品になっていますが、
装飾性が色彩毎にイラストがささやかにさりげなく加飾されています。
これは原稿用紙にどうやって向かうか、
「何を書こうか」という問題解決を成立しています。
デザインはデコレーション主体ではありませんが、
加色と加飾による美学性、美学的な効果をもっていることです。
グランプリとしての、性能・効能・機能に
プラスしての美学的な決着性が見事です。
私は、この原稿用紙は手紙の便せんとして使っていくつもりです。
多分「あっ!この色罫線とイラストの意味が」と思ってもらえるでしょう。
日本らしい素晴らしい原稿用紙です。


*「書くための万年筆の真の意味」
*『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』
*「高級品ということの詳細」
*『やわらかい美しさのあるノート』
*『未来創世を象徴している地場産業産地でのデザイン』


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『鉱物学と自然科学が選んできたコンシリエンス』


   


     6月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



「Scientist」という呼称を造ったWilliam Whewellについて知りたい、
このことを追いかけてきました。
ウィリアム・ヒューエルの専門はMineralogy=鉱物学でした。
当時の鉱物学は現代の鉱山学とは違っていました。
鉱物学は、現代では地球物理学に等しく、数学・物理学はもちろん、
哲学にまで及ぶ科学全般までの学問・学域だったようです。
したがって、Physician もCatastrophism、そしてConsilienceの造語にまで
見事に科学全般の統合性を訴求していたことは当然でした。
そして、本来は分科学であったことから、
科学は、その分化とともに専門性に深度を持つようになってしまいました。
彼の造語が今あらためて脚光をあびるようになったのは、
分科学ではなくて科学性の統合こそ、実は科学の本質であるとした
エドワード・オズボーンによるものでした。
彼の専門は自然学であり、
彼は社会自然学にコンシリエンスを採用しました。
社会自然学の統合性は保健学=Health Scienceで再度取り上げられ、
自分がデザインを加味したのも、デザイン科学としたときには、
科学の文科系と理科系、さらに学術性と芸術性の統合が必要ということを
デザインとして、その進化には最もふさわしいという発想からでした。
コンシリエンスデザインという統合性には、
 ● 規模的統合
 ● 機能的統合
 ● ネットワーク的統合
 ● 文化的統合
この四つの統合性からは、
いわゆる「コンセプト発想」は消滅していきます。
コンシリエンスデザインは確実にコンセプト発想では、
大きな間違いが含まれることを
これからは証左していくことになるでしょう。

*『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
*『silience=無意識だけれども重要な知的核心という解釈』
*『これからのデザインを語るために=・・・signare・・・』
*『コンシリエンスデザイン学域の統合図解』
*『『学際化』によって危機管理デザイン工学をめざす』


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『天災・人災の日本こそ地球保全と人類存続をデザイン』


   


     4月 27th, 2016  Posted 12:00 AM



日本列島は地殻が三つのプレートに乗っている地震大国です。
そして敗戦国家として、ヒロシマ・ナガサキを持つ唯一の被爆国でした。
さらに、March 11. 2011は、大地震とその後の津波という天災、
しかもフクシマ原子力発電所の大事故による人災で、
日本国民は大きな経験をしました。
そして、April 16. 2016のクマモトで、さらに経験を重ねています。
次には、駿河湾と富士山、首都直下、南海トラフという
天災をすでに予測していますが、
これは地球全体の環境保全とエネルギーこそ
水、食料、電力によって人類は生き延びるということを
先進国家ゆえに世界中へ、
これらの体験を国際化する使命があるものと考えています。
それを「コンシリエンスデザイン」によって、
まず、レジリエンスデザインを果たすために、パラ理論とメタ理論で、
新たなデザインの理論拡大をねらっています。
その中心には「無意識な知的感性」であるsilienceからの拡大を
造形言語と形態言語によって、デザインの本質を熟考とその展開を
問題解決・価値創出・未来創成に向けています。
しかし、無念なことはこのデザインそのものの進化を積極化するという
デザイン教育機関があまりに少ないことです。
それはデザイン系大学の教員自体が、自分が経験してきたことがデザイン、
この停止思考に埋没していることです。
デザイン系教育機関の教員そのものの停止思考では、
決して次世代デザイナーは育成不可能です。
silienceからパラシリエンスデザインとメタシリエンスデザインを
この天災と人災国家であるからこそ、未来的な地球環境と人類存続を
デザインしていく義務さえあるということです。

*『毎夏、再自覚決心の日』
*『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』
*『国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要』
*『大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす』
*『大津波、その対策が地元反対を無視して進行している』


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『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』


   


     3月 29th, 2016  Posted 12:00 AM



2015「KK塾」最終回は松岡正剛氏に講演を依頼しました。
1992年箱根でのマルチメディア会議に民間出身4名の一人でした。
その会議で基調講演ではムーアの法則のゴードン・ムーアが
3原則論を述べ、
これを聞いたのはその会議出席者では、私と彼だけでした。
箱根の強羅花壇で初めて挨拶をしてからの盟友です。
おそらく「隠坊」の話で人生を学んだ共通点があります。
「隠坊」とは、死者を火葬する時に夜通し火葬状態を見守る人であり、
死の世界へ人間を送り込む職業があったのです。
「隠坊」については書き残す必要があると思っています。
松岡正剛が「千夜千冊」はとうとう1604冊です。
これは書評ですが、これを読めばその本を読んだこと、
その疑似体験ができて、本格的に読むべきかと言う書評は
この日本にしかありませんから偉大な仕事です。
私もそれなりの読書家だと自負していましたが、
彼の読書しかも批評眼にはとても太刀打ちできません。
彼の書評している本のうち400冊ほどは読んでいる程度です。
全てを「編集工学」という名辞は、新しい言葉を生み、
新語を生み出してくれていますから、漢字と書の世界観があります。
これこそ、彼の言う「日本という方法」、
日本は国家であるより方法を定義しています。
「遊」という雑誌こそ、まさに文理融合統合、
私が言い始めているコンシリエンスデザインです。
それこそ、知的関心の方法を編集学化した「知の巨人」は松岡正剛でした。
「情報の歴史」と「アートジャパネスク」こそ、
すべての若者の教科書です。
彼が率いてきた「連塾」には私も講演をさせてもらっています。
その後、「日本という方法」は、あの3.11で終了しましたが、
なんとあの天災と人災は「3.11を読む」に編集されました。
それは原子力発電の問題が中核ですが、
その背景には蝦夷と沖縄の問題が
全知識人へのおおきな謎かけになっています。
彼を支援しているスタッフの役割分担力は
おそらく日本ではトップでしょう。
スタッフ一丸となった講演支援の見事さは圧倒されました。
3.11 で日本は、もう一度、国の立て直しを自然と今度は文明の
しかも最先端である原子力の虚像を晒け出してしまいました。
彼も指摘しているリスボンの大地震が欧州を少しは変えたぐらいだけに
3.11の自然と人工でのこれぞ革新の本質を松岡正剛の知こそ
その方法論=編集工学で一新される必要性を再度、
彼自身から語ってもらった気がしています。
当然、私のルーチンである講演開始のプロフィール映像の音楽は
Lady GaGaであり、
対談ではお互いが大好きなグレングールドの話で終わりました。
2016の私のミッションとして
「KK適塾」をこの秋から開講するつもりです。


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『コンセプトからイノベーションは起こらない』


   


     3月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



「KK塾」は親友であり同僚、そして今や医学系研究科長の
澤教授にお願いしました。
おそらく、
TV医療ドラマでは有名な心筋の再生医療を知る機会だったはずです。
心臓移植では国際的な権威ですがそれこそ阪大の心臓外科医どころか
緊急医療医としても
医学界では相当の人間生死の現場で経験を持つ医師です。
ところが、
世界でそれも日本の最も慎重し過ぎる薬事法を
「ハートシート」適用させた教授です。
「ハートシート」は患者自身の腿の筋肉を培養して、
細胞シートを心筋シートにして患者の心臓に張り込むことで、
心臓移植どころか、心臓を再生させてきました。
この実績は
日本の薬事法を薬剤でもなく医療機器でもなく細胞シートを
日本の国内法に適用させてしまいました。
これは特に米国を刺激し、
今では世界中からメディカルツーリズムとして
阪大病院にての手術を可能にしています。
澤教授は、心臓外科医だけではなく、無論次世代の医師養成だけではなく、
大阪を中心とした「街づくり」の中心人物になっています。
私自身、私の心臓から身体は阪大にすべてを任せています。
工学研究科から私のミッションである「コンシリエンスデザイン講座」も
今では医学系研究科にて、医学・看護学・保健学、そしてその周辺から、
まだ発表待ちの医療機器、その動物実験、医療環境デザイナーなどは、
すでに、「コンセプトからのイノベーション」ではなく、
「ラインからのアライアンスイニシアティブ」として
やがて公表されることになることを狙っています。
「コンシリエンスデザイン」対「レジリエンスデザイン」は
まさにデザインの本質である発想は「コンセプト」からは逸脱しています。
「lineによってmagic balletなgigがgood vibes」になること。
「デザイン思考」がイノベーションを生み出すと勘違いしている
現代日本を変えます。
「コンシリエンスデザイン」だからこそ、
その実例を看医工学で実際例を紹介講演してもらいました。
生老病死をAIによるゲノムからの再生医療は
医療環境を超えて
新たな街づくりに向かっていることを知って貰ったと確信しています。


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『思考無き概念解放無きデザイン手法ありえず』


   


     2月 17th, 2016  Posted 12:00 AM



「デザイン思考」は米国のデザイン会社の商品であり、
それがそのまま大学教育に持ち込まれました。
そのまま、日本は早速、大学教育とビジネス経営論という商品化を実現。
これが今ではすっかり流行になっています。
もちろん、権威づけられたかのような「デザイン思考」も
専門家からみれば、この手法での成功例はまだありません。
私は、「コンシリエンスデザイン」という実際は歴史ある言葉から
「コンシリエンス」と「レジリエンス」を捉え直して、
看医工学の基本概念に「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を
大阪大学大学院の医学系研究科に設置しました。
この設置にあたって概念整理の中では、
これまでの大きな概念がすべからく
後退していくことを追いかけてきました。
たとえば、Concept、Communication、IoT などは
やはりまだまだ20世紀を引きずってきた言葉、用語、あるいはすでに
デザインを取り囲むラングになっていると判断評価しています。
特に、Innovationなどは、元来の原意すら押し曲げられていることに
私は明確に気づくことができます。
それは「コンシリエンス」とともに意識されてきた「レジリエンス」に
全く新たなデザイン手法が当てはまりそうです。
確かに、これはまだまだパロールかもしれませんが、
新たな次世代手法の創造になっていると確信しています。
それはいつのまにか、何でもかんでも「ストレス」ゆえに、
健全性を創出する現代性病態は不況因にもつながっています。
「ストレス」に十二分に対抗出来うる強靱さは「レジリエンス」であり、
そのデザインこそ「コンシリエンスデザイン」が果たしていくこと。
これがより明快になることを「KK塾」で一般化してきました。
「コンシリエンスデザイン」はConceptでは語らずに、
これはLineで統合的かつ学際的な概念化が可能になります。
ストレスの呪縛から解放されることはWired offの情況を配置し、
まさにMagic Balletであり、No Brainerなデザイン、
つまり、「思考」=Thinkingという浅薄さではありません。
問題解決を成し、価値=望ましさと好ましさを創出し、
そして、未来を創成していくデザインの本質を手法化することこそ
「コンシリエンスデザイン」が明確に浮かび上がってくるわけです。
少なからず、Concept、Communication、Innovationからの解放こそ、
GroovyでCoolな次世代デザイン手法であり、
それは経済を超えた文化の体系創造に直結していることです。


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