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Posts Tagged ‘次元’


『透視図・次元的な隠喩としての焦点というイメージ点』


   


     4月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



光は自然現象として拡散する性質があります。
ところが、光の拡散性を絞り込んで集中させることで、
その力を一点にさせることができます。
これを焦点と呼んでいます。
が、光だけではなくて、拡散することを一点に集中させた、
その点を焦点と呼ぶことは、単純な光学的なこの関係を隠喩として、
思考方法にすることができます。
これは焦点化を行うことでいわゆるimage-pointの配置ができます。
「コンセプト思考」からの離脱を主張している要点がここにあります。
まず、dollyとして視点移動から明確なview-pointが決定したとしても
そのview=pointは必ずしも焦点ではありません。
むしろ隠喩的な思考の熟慮もしくは集中化によってimage-pointを
さらに確約化させるのが思考を透視図化すると考えれば
Perspective化した消失点=vanishing pointが存在します。
この消失点への焦点化が思考の目標ということになるわけです。
現実的には透視図は次元数を決定します。
この次元数が3次元になると、ここでは立体図的な
3次元思考が可能になるということです。
次元数と焦点の設定、その隠喩化が思考方法の重大な一つということです。


*『際限は背中に、目の前に未来など無く』
*『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』
*『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
*『F映画が示唆していること=その真実性と想像性』
*『情報記号・印=サインからトポロジーへ・3』


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「資本主義からの逃走」
「Ambient-Allianceがライフスタイル構造を決定」


   


     1月 29th, 2011  Posted 12:00 AM

日常生活の形式+内容の激変

デジタル社会構造が決定していくこと。
Internetの構成構造が既存社会を自然改変。

上記二つの構造社会で人間関係が変化すれば、
人間各個人、それぞれの人格形成にも異変は必ず来たるかも知れない。
いや変わらない人もいれば、まったく変わってしまう人が混在するでしょう。
社会構造が様々な「次元」変化を起こすことが予想されます。
私はデザイナーですが、「次元」と「空間」というキーワードをある学域から引用するとき、
実際は、ある学域の「想像力による予想」、
その抽象性が見事に現実・日常生活を隠喩化しているものと解釈しています。
ある学域は、抽象的な術語や記号で、
「次元」・「空間」・「位相」等に組み合わされた「ことば」とその具体的な表象物で、
必ず日常生活の形式+内容=ライフスタイルを変貌させることを示唆しています。
したがって、そのライフスタイルを構造づける「生産と消費」が社会構造・人間関係・個人、
それぞれの価値観を変えるでしょう。
ところがすでに「生産と消費」の構造そのものが毎日変化していると言っても過言ではありません。
次のようなエピソードから、自分の共時性を再考してみたいと思います。

 ■ デパート=百貨店という店舗が社会に登場した時代が終わるでしょう。
 ■ 今、街中にコンビニがあります。
 ■ このコンビニが進化すれば、台所は無くなるかも知れません。
 ■ 宅配便が物を届けてくれます。
 ■ いや、データ転送で自宅の一画で衣服が作れるかもしれません。
 ■ もはや、レンタルビデオよりネット配信で映画を見ます。

「Ambient-Alliance」
そして、私たちが、ケータイやメールでは無い、
新たなコミュニケーション方法を手に入れることになるでしょう。
私は、こうしたことがらを「Ambient-Alliance」とひとまず名付けているのです。
今、Cloud ComputingとSocial Networkは、最初の形式だと思います。


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『資本主義からの逃走』
    「Inclusive Designの近傍的定義はトポロジー解」


   


     12月 25th, 2010  Posted 12:00 AM

Inclusive・Exclusiveの対比
Inclusive DesignはExclusiveと対比。
あるいは対照性や反照性で、詳細定義に近接。
私はこの近接性を「近傍性」と読み直しています。
果たして、Inclusive Designの本質と定義は、
   ● 形容するデザイン対象、
   ● デザインアイテム、
   ● デザインプロジェクトの実例を何にするかということになります。
これこそ「何がInclusive Designであるのか」、
今、その何が求められているかが問題=Problemであり、その解決=Solutionが解答になります。
そしてこの解答こそ「造形デザイン=かたち」になるわけです。
Inclusive Designの造形要素・造形要因は、
一人称=デザイナーから三人称=ユーザーに向けられます。
解決手法としてのトポロジー
そして、InclusiveとExclusiveが変位する次元と造形に、トポロジーがその解決手法である。
このことが実務デザイン手法であることに気づいてほしいというのが私の主張です。
私は、定義をとりあえず文法的なカテゴリーの「人称」にもとめました。
そして、人称を一人称・二人称、さらに三人称との関わり、
すなわち構造をどのように近接していくと定義に連続や収束をしていくのかをメモとしました。
つまり、「近づく」というのは、連続系なのか収束系なのかということです。
近接から近傍
しかも、連続や収束でもどこかで変位することがあります。
私のイメージはとりあえず、トポロジーを最も基本的に示している「メビウスリング」が、
そうした造形デザイン=かたちの印象になります。
理由は、メビウスリングは、二次元のテープが捻られて三次元リングになり、
どこからどこまでがInclusiveとExclusiveかを「かたち」で表象されているからです。
Inclusive Designとは「カタチ」表象として、
きわめてトポロジーデザインでもあると私は強調しておきます。
しかも、この「カタチ」はバーチャルであることに気づいていただきたいと思います。
メビウスリングでの実験
実験をしてこのイメージをつかんでください。
テープを一度ひねって、リングを作ります。
そしてそのテープの幅の中心線にそって切り分けると、これまた大きなメビウスリングになります。
ところが、テープを2度ひねって、メビウスリングを作り、
そのセンターラインで切り分けると、二つのリングがつながってできあがります、
まるで手品のわざですが、これは、明確に二つの概念を視覚化するでしょう。
そこでテーマにしているInclusiveとExclusiveが「かたち」造形化していくために、
一回のひねりと二回のひねりで、「近傍性」を視覚化していることになります。


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『資本主義からの逃走』
 *「数学と物理とデザインと」*


   


     10月 11th, 2010  Posted 12:00 AM

数「学」と物「理」
美大系へ進学するのは、特殊な「ひと」。
今もそのいわば常識のようなことが蔓延しているようです。
私も出身高校に、浪人後、美大に合格したと報告に行ったとき、
職員室で、どよめきがありました。
「ウソだろう、なぜなんだ、なんで美大なんだ」と言われました。
その反響に私自身が驚いたほどです。
問題は、数学とか物理というのは、「理系」であり、
「理系」と「文系」、この種別を日本の高校で決定しようという制度になっていることでしょう。
無論、職能として「数学者」や「物理学者」、
いやもう少し広範囲に「数学系学者」と「物理系学者」にとって、
それぞれの「専門」としての数学と物理は、先端系=未知探索へ向かっています。
さて、それならデザインにとって、
数学と物理がどこかでしかも無意識的かもしれないほど介在している概念があるかもしれません。
私は、数学の「学」と物理の「理」、つまり、学と理に注目してきました。
焦点連鎖の「次元」
結果、数学的に焦点化していることと、物理的に焦点化していること、
それはそれぞれの差異が明確である概念として、「次元」がその焦点だ、とみてきました。
次元=dimensionです。これもいづれ「デザイナーとして」整理します。
このことに気づいたのは、
EWSというコンピューターと出逢った時からの印象的な、私なりの一つの結論です。
デザイナーは「かたち」=形態を造形化する職能です。
ただし、デザインもすでに「デザイン系」と言うほど拡大と拡張をしています。
かって、インダストリアルデザインが「口紅から機関車まで」と言われました。
私は、「日本酒から人工臓器」とか、「タワシから原子力」など、
様々なフレーズで、デザイン系の広がりをあえてアジテーションしてきました。
こうしたフレーズの中でデザイン対象となる形態・空間に、私は「次元」を置いています。
その理由は、数学的次元と物理的次元の差異性・同等性には、
基本的な思考軸が「学」であり「理」だと思うからです。
学際化の超「次元」
そしてこの「学理」の学際化にこそ、
デザインが寄与する役割は「空間・形態・次元」の連鎖系にあるものと推察しています。
ところがデザイン以上に、
現代アートは先んじて、いとも簡単に超「次元」的、主観的な連鎖表現をしています。


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『資本主義からの逃走』
   「情報記号・印=サインからトポロジーへ・3」


   


     9月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

印・sign=情報記号
Designはラテン語・designareから派生しました。
designare=do+signで文字通り、「印をつける」という原義です。
そこで、「印=sign」をややむずかしく情報記号と呼んでおきます。
その情報記号で、きわめて基本的なモノとして、
プラス・+とマイナス・ー、さらに数字やアルファベットを持ち出したいと思います。
私は、design=do+signと考えると、その基本形態の「印=sign」として、
数字とアルファベットがまず浮かぶからです。
特にアルファベットを取り出し、さらにこれらを図形的に分類することができます。
CILMNSUVWZ、EFTY、そしてDOと三つの分類ができます。
アルファベット文字=アルファベットという印=情報記号の造形です。
C・I・L・M・N・S・U・V・W・Zが、
もし、ゴムでできていれば伸ばせば、一本のゴムになります。結局、Iになってしまいます。
この分類とD・Oは、Iを伸ばしながら両端を接続した造形です。
こうした造形形態の分類を、幾何学でも位相幾何学=トポロジーと呼ぶわけです。
点・線・面への新たな興味
アルファベットという印=記号を点・線・面で見詰め直す手がかりに、
トポロジーって何なんだろうと考えたことが動機でした。
なぜななら、点・線・面は造形の基本形態であり、ここから形体と形態を峻別して、
デザインから「次元」を対象にすれば、
新しいデザイン対象やデザイン手法がきっと発見できると思いついたからでした。
そして、幾何学でもなぜ位相幾何学と呼ばれるのだろうかを知識としたかったのです。
位相幾何学の特色をあらためて整理し、分類し、その性質を情報化するときに、
なんらかのデザイン学理になる、ということにdo+sign=designから見詰め直したいというのが、
私の情報記号=印=サインからトポロジーの世界に入っていった理由でした。


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『資本主義からの逃走』
「 何がMedia Integrationとなるのか・2」


   


     5月 4th, 2010  Posted 12:01 AM

形容
「容」。
かたち、としたのは立原正秋でした。
彼の文体は、まさに形体でした。
形体とは、立方体や四角錐といった規定ある形態です。
したがって、文体は、作者の規定という思念定義があるのです。
立原作品には、女性・庭・能・作庭・樹木・陶磁器・刀剣などへの造詣、
彼のの著作深度は、学者以上であったと思っています。
私が、樹木や作庭については、幼心に祖父の一言一言があり、
陶磁器・刀剣は、父に連れられていった道具商の市でした。
しかし、当時私はそうしたモノは傍観していただけです。
「きれいだな」と思う程度でした。
それから、美大を出てようやく気づきました。
伝統工芸の産地と先祖の書き残してあった図面で、
私は、これらのモノと日本人について考えることになったのです。
それは年齢とともに、蓄積されてきた知識や感受性に深みが
やっと出てくれたのだと思いたいわけです。

綺麗
そして、ひとまず、日本的そうしたモノが「きれいだ」と思うこと。
この「きれい」という言葉と「美しい」との距離感に私が放置されたのです。
それは絶対に一直線上にあるものではないということです。
なぜならば、
● きれい・・・形容動詞
● 美しい・・・・形容詞
すでに、言葉の領域、その次元がいわば異次元だということです。
しかし、たとえば女性たちが望む「きれいになりたい」欲望は、
「きれい」になることから「うつくしい」、
あるいは「かわいい」次元に
ワープ=超光速航法を切望するということです。
はかない夢想だと、私は思います。無論大切なことですが。

トランスレート
むしろ、「綺麗」から「美」へトランスレートすることが論理性があります。
なぜなら、綺麗という形容動詞はネットワーク層があるのです。
ところが、その層からトランスレートすれば、
「綺麗になる・綺麗にする」動作の蓄積が
「美」という層へ運びこんでくれるでしょう。
「形容動詞が形容詞になる=綺麗が美になる」述語解です。
私のこのまなざしでは、決して、日本の伝統ですら、
「綺麗」なモノやコトで終わっているのは、
「美しい」とは言い切れません。
Media Integrationへは、形容動詞から形容詞として、
「形容」の世界観を、私はめざしたいと考えています。


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