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Posts Tagged ‘歴史観’


『「知とちの急行」松岡正剛氏と大阪で対談講演』


   


     10月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



私が知の巨人として最も敬愛してやまない松岡正剛氏と対談。
彼が京阪電鉄と阪大企画での「鉄道祭」プロデューサーとして、
一つの対談講演に私を指名してもらいました。
ところが、講演会場にはエスカレーターということで、
スタッフたちから「危険」とのことでしたが、
久しぶりの対談ゆえに私から強硬に納得をしてもらいました。
まず、私が大阪で何を感じ、
かつて上方と呼ばれた大阪の低迷さは彼も同様というスタート。
私は大阪弁で失われた言葉を指摘しましたし、
昨今の大阪が全国ベストでトップ項目は「犯罪ばかり」を伝達。
彼も大阪の低迷さや、上方文化がここまで破壊されていることを
きわめて論理的、彼らしい鋭い指摘を受けました。
彼との出会いは90年代からの付き合いゆえに、体調のことも、
これまでお互いが出会ってきた重要人物のことも理解済み。
さらに彼はデザインから建築、そして歴史観・現代感までを、
彼の言葉では、私との異質性と同質性がきわめて明快な間柄です。
彼には、来春出版予定の私の作品集では、
筆頭に評論を書いてもらっています。
私は、彼こそ「芸術の知識を知性で、科学の知識を感性」可能な
代表的かつ見習うべき巨人としています。
彼と対談に限らず、会話をする度に私は大きな刺激を受けます。
おそらく、対談時間があれば話は止めどなく続く相手の一人です。
新たで大きなヒントを短時間ながら一杯いただき、
私は、大阪からふるさと福井に行きました。
今、関わっている「ふくいの織物」を国際化するためです。
そして、今日は私が主宰していく「KK塾」の第一回目。
看護学の第一人者である大野ゆう子教授にお願いをしました。
「未病先防」と「冒険伝説」を頂いています。
私はまた大きな刺激をうけるでしょう。
大野ゆう子教授ともすでに長い付き合いをしています。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学に向かい合ったか」


   


     12月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

「行学」に向かって
この一年のテーマは「行学成就」。
「行学」とは、私なりの定義があります。
行とはまっすぐな道を進んでいくことゆえ、
学問なり実務に正面から立ち向かう修練のことだと考えています。
そして、私は現代の経済社会中心とこの社会を支えている民主主義の真実に懸念があります。
このたとえようもない懸念の中で、「自分の中にあるかもしれない美意識」を職能として、
デザイン・教育・研究に向けて「行動」しています。
無論、やりきれなかったことや、自分が自分に弱いから成就できなかった成果を、
来年を迎えるにあたって直視しています。
成就できたことは、入院する事態にならなかったことは幸運でした。
自分が自分に言い聞かせて実現・具現できなかったことへの反省・自省があります。
知財権の中であらためて自分の職能権利である「意匠権」については学び直すことができました。
特に「アプロプリエーション」を、デザインがどう受け止められるか、
誰も指摘してこなかったことを法学分野に提示できたことは私の修練結果だったと思っています。
さらに人間は自分を育んできた歴史観に自分の存在を差し出す必要があります。
私が自分の行学基盤として、歴史観を常に学び直してきた気がしています。
メガネフレームのデザインは25年間も取り組みながら、
未だにこの難しさと対面していることを思い知りました。
医療機器は、人工心臓からロボット手術支援機器、さらにはワクチンの開発まで、
まだまだ自分の力量が試されています。
具体的に取り組み始めたエネルギー・水などの社会システムに、
これから私の行学の核心があることを確認しています。
そして再確認しているのは、デザインにだけ自分の美意識を重ねることができるということです。


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『資本主義からの逃走』
 
*「資本主義の終焉は、
  ブログ形式の中に隠喩となっている」*


   


     12月 23rd, 2009  Posted 10:00 AM

2009年、歳末になろうとしています。
私にとって、この一年は、
教育・講演・研究・開発・提言すべてを
デザインで包み込んだ活動でした。
もっともちょうど60歳・還暦で生命はつながっていす。
ブログ本論のタイトルは、「華甲我之発言也」です。


華甲発言


「華甲」とは還暦・60歳を意味する
古代よりのレトリックとして美しい言葉です。
デザインの世界に入って、
ほとんど休日休暇は持たないデザイン連続でした。
ただし、時に、「死に際」に至ることや、
「死」の予感が私の生体を追い込むことはしばしばです。
そして、その「死線」から帰還すると、
必ず、私にはなぜか大きなテーマが振り降りてきます。
●「なぜ、このスケッチを描くのだろう」
●「なぜ、今こそ、どう非難されても発言しよう」と
なります。


日本のかたち


このブログで、とうとう「資本主義と民主主義」への
私の持ち続けてきた「歴史観、それも敗戦という軸」に、
知識を整理して、いわば暴論となろうが、
この思索は、私のデザイン手法での「日本のかたち」、
その試作だと思ってください。
●それは壊れかかっていたり、
●すでに壊れたり、失ってしまった「日本のかたち」を
デザインし直すこと。新たなデザインを生み出すこと。
この二つを差し出そうということです。
だから、このブログは、一度こうして掲載した後も、
さらに「校正」を何度もしているのです。
おそらく、ほとんどの読者の方々は一度読んで、
●「まぁ、そういう見方もあるか」とか
●「過激だな、何をそこまでも」とか、でしょう。

私は、ブログという形式がすべからく「日記風」の
感想報告文体であることを残念に思っている立場です。
残念であり、無念であり、
文体に載せる言葉の貧しさに、「不景気さ」=鬱を
見抜いてしまいます。


「不景気という不気味さ」


なぜなら、
私は確実にコンピューターのエバンジェリストでした。
だから、特にパソコンとネットワーク、インターネット、
それらの進化はつぶさに実体験し、そのシステム創りや
デザインに関わってきましたから、
ブログの形式が日記風・感想文風ということに陥っている
その「不景気」さは「不気味」さでもあるのです。
だから、この「不気味さ」を選んでいる社会は、
「不景気」だから、ブログという新たな表現形式にも
●「不景気」という「不気味さ」にすら気づかないほど、
●「不景気」、すなわち「bitな鬱病」だから、
「死線」が見えるわけがありません。


鬱病に死線は見えない


その「死線」とは、
「資本主義の終焉という死」の境界線です。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国は、アジアを開放したということ。」


   


     11月 24th, 2009  Posted 8:00 AM

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「明号作戦」というのが終戦間際に決行されました。
第二次世界大戦で戦後わが国は誹謗中傷を受けています。
それこそ、敗戦となった報復は
日本国内の左翼系、マスコミの一部ですら、
平然と「戦死者」への鎮魂も無く罵詈雑言です。
「靖国問題」・「教科書問題」・「慰安婦問題」、そして、
でっちあげられた「南京大虐殺」にまで及びます。
私は、こうした問題に、より知的・冷徹・平衡感覚的に、
実情を遡及すべきことが、
基本的な「愛国心」の基礎ではないかと考えてきました。

しかし、
「愛国心」・「部落差別」・「新興宗教」・「国歌」などを
戦後はすっかり、「タブー」としてきた教育には、
本来の教育思想への大きな裏切りを私は認めざるをえません。
「日華事変」と「大東亜戦争」との差異性を語った講義すら、
私は一部から「忠告」まで受けたのです。
「思想教育など行うべきではない」と。

この歴史観が私的に語られることを「思想教育」という大学人、
私はそうした連中を日本人とは思わないことにしています。
そういう大学人をいづれ論理的にも、制度的にも、
日本人学者であることの資格は剥奪すべきだと思います。

「明号」作戦は、
インドシナを欧州各国からの独立を支援しました。
そこにあった「基盤思想」は、
アジア小国それぞれの解放と独立でした。
あの敗戦間際での日本軍が果たした功績は、
決して公認もされず無視であり歴史史実は皆無です。
それどころか、明号作戦を指揮した人々は、
戦犯として絞首刑された日本軍の幹部将校たちでした。
彼らは靖国に帰国しているのです。
彼らの「アジア小国の開放」功績は、
日本の歴史には明晰に書き残し、
語り継ぐべきだと私は主張しておきます。

なぜなら、欧米宗教で押しつけられた「資本主義」、
日本人自らも「資本主義」を選んだ賢明さを、
私は、間違いでは決してなかったと確信しています。
しかし、そろそろ、
あの「明号作戦」の根底の理想主義を読み返すべき、
そんな時代に入っていると思っています。
アジアの小国、その真なる独立はまだ虚構かもしれません。


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