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Posts Tagged ‘永平寺’


『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』


   


     1月 8th, 2014  Posted 8:58 AM

わが国のロボット学者・森政弘先生の講義を受けました。
東京大学の 先端科学技術研究センター: RCASTにて、
ロボット学研究会での限定的な講義に参加し、その後の懇親会で、
森政弘先生を囲んで、長時間質問ができて最高の知的刺激、
いや、智的な宗教学講義を存分に楽しめました。
大学人になってからは、自分で講義や講演はしますが、
昨年から楽しみにしていた「講義」で大変に有意義な時間を持ちました。
「楽しんでロボット学・ロボット創造を宗教学、仏教」を学んだ訳です。
これは人生において、今だからこそ、まだまだ学ぶこと、
それは「楽しむ・遊ぶ・智恵」を根本から再学習することができました。
昨年末から、どうも私の周辺には「ロボット」からもう一度、
「人間」、自分の専門性を生涯に照らし合わせる重要な時間が流れてます。
私自身、宗教、特に仏教の様々な哲学性を真っ白にされた想いで一杯です。
仏教用語は勿論のこと、
華厳経から禅宗、座禅、般若心経、それらの森先生の研究資料など
実物も見せていただきながら、エネルギッシュな講義は3時間半でした。
しかし、全くその時間を感じないほどのめり込む講義でした。
どれほど、バカになれるか!・・・?
私はそれなりの読書家だと自負してきましたが、
すべてがクリア化されました。
まだまだ、読みこなす原典・経典を思い知らされました。
時に幾たびか、鳥肌がたつほどの仏教哲学に身心が包まれました。
幼少の頃から、曹洞宗道元は身近な存在であり、
永平寺の第一道場で修行をさせられた意味を存分今日知る事ができました。
もっともっと、森先生のロボット・制御工学からの安全と安心、
その根本にある仏教哲学の深遠さを私はこのまま携えられるでしょう。
3.11での国難への私の態度を先生に尋ねることができました。
「字眼」の真骨頂、その眼差しのあり方を私は決して忘れないでしょう。
そして今日の講義を残された日々の大きな石杖にすることができそうです。
デザイナー、大学人である前に、
すでに「悟り」とさえ思われる「講義」こそ最高の「楽しみ・遊」でした。

【カンブリア宮殿】
・放送予定日:2014年1月9日(木)よる10:00 – 10:54
・放送局:テレビ東京系にて放送
・詳細はこちら>>


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『やっぱり造り込んでしまいましたが・・・』


   


     10月 15th, 2013  Posted 12:00 AM

私がNゲージに興味を持つなんてことは無いと思っていました。
しかし、松岡正剛氏との対談という機会があるので、
やはり、懐かしい京福電車のモデル製作には、
どうしようもなく恋い焦がれてしまいその外観モデルだけを購入。
毎日これを眺めていましたが、物欲は結局収まらず、
電動車にするべく、その電動ユニットを収納して電気機関車に!
ワイフは、外観モデルを眺める私に「まるでオタク目つき」と。
なんと言われようが、これを電気機関車にしてから、
Nゲージが自分にも影響があるかを確かめました。
さて、日本の車両番号には独特な方式があります。
車両の種類・特徴・設備・電気の方式・用途・区別、
そして製造番号までがカタカナと数字で構成されています。
これは、「京福モハ1003」しか、手に入れることはできません。
でもそれに自分の思い出を重ねてみることにしました。
私が子どもの頃から高校生になるまでは、京福モハ3000系でした。
京福電鉄といえば、どうしてもワイフの出生地と実家のある、
嵐山線がブランド的には有名ですが、
私にとっては、幼少の頃、高校生になるまでは、
田園を走り、永平寺や三国という海岸までを走っていました。
子どものときに、「君も電車に運転手になりたいの?」と聞かれ、
「自分はすべての駅を監督する人」というのが夢でした。
正直、イヤな子どもだったかもしれませんが、
そのために模型機関車に夢を持ったのでしょう。
そして、残念ながら、Nゲージはやはり緻密さでは、きっと、
私はあくまでもZゲージに戻るでしょう。
これだけの大きさがあるならもっと正確で精密緻密さを求めます。
ワイフに言いました。「Nゲージはこれだけだから」と。


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『資本主義からの逃走』
    「水に支えられている命・杓底一残水汲流千億人」


   


     8月 11th, 2010  Posted 12:25 AM

渇望
「渇望」することの一番は、咽が渇くことです。
交通被災で、大手術後は水を制限されていて今でもこの時の渇望状況は夢に見ます。
夏には父と遠泳をさせられました。海水は飲めません。
海で泳いでいての渇望感は不可思議であり、それだけに苦しみは耐えられないものです。
車椅子生活になってから、「水」へのこだわりはまさに生命力と直結していることを実感します。
高校時代に山岳部に入部して最初の登山で、山水であっても腸チフスになったことがあります。
登山、特に後立山の縦走や、白馬から不帰では水は貴重です。
早月尾根から剣岳までの水の配分を思い出します。
水から学ぶことは、年齢とともにその重大さがわかります。
柄杓橋
さて、900年前に、清流の水に作法を見いだした思索・思想・作法があります。
今、あらためてそのまま気持ちが洗われます。
ふるさと福井の永平寺を見て育った私の幸運さは、
何度も、このことを書いてきました。
永平寺の清流はそのまま永平寺川と呼ばれています。
その川に、橋がかかっています。
「柄杓橋」と呼ばれていますが、私は「半杓橋」という呼び名が好きです。
永平寺の1日の始まりは、僧侶の水くみから始まります。
道元は、その水くみという作務を作法にしました。
曹洞宗の思想は、行動理由を身体的な確認方法として、
その重大な意味を肉体会得させているのです。
道元のまなざしで決定された作法は今なお生き続けています。
杓底一残水
柄杓で流れから、水を汲み上げます。
しかし、柄杓いっぱいから水桶に入れるときには、
半分だけ入れると、残りの半分は清流にもどすのです。
つまり、その流れの水は万人のものという考え方を作法にしたわけです。
道元は、自然からの最も基本的な恵みを「水」とし、「杓底一残水」と言い、
「汲流千億人」は、水を自己勝手にはしてはいけないこととしました。
その作法は茶道に受け継がれてきました。日本人の伝統的な美学作法と言っていいでしょう。
私は「杓底一残水」に気づき今なおその伝統作法の存続を望みます。
そして、自分のデザインしたモノにも、
そのような作法が宿ることをめざしたいといつも考えます。
「水」と「生命」へのこれほど見事な作法での身体化を自分のデザインに見いだせたなら、
私の生命が本当にデザインに密着出来た証になると思っています。


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『資本主義からの逃走』
    「曹洞宗第一道場・吉峰寺での『薪』割り」


   


     8月 10th, 2010  Posted 12:00 AM

浄法寺山
福井市内から北東には加越国境と呼ばれる山並みが見えます。
加賀(石川県)と越前(福井県)を区切っています。
冠岳・浄法寺山1053m(記憶が正しければ)・鷲ケ岳がすぐに目に入ります。
その山系の奥に奥越国境があり、白山が見えるのです。
冠岳(808m)は高校時代に最初のロッククライミングを始めた岸壁が頂上付近にあります。
浄法寺山は高校時代は5月の連休でも渓谷急斜面の残雪でスキーができました。
高校時代には、とりあえず台風が来るとなると登山にあけくれ,
中間考査をいくたびか下山できないとかでサボっていました。
この加越国境の手前に九頭竜川があります。
道元は丈競山という双子の山に登りその浄法寺山にて寺院建立案を考えました。
そして、九頭竜川を挟んだ真正面のささやかな盆地、
そこに「永平寺」を建立することを決意したと言われています。
その「永平寺」建立の間に「吉峰寺・よしみねでら」地元では「きっぽうじ」を仮住まいにします。
吉峰寺
さて、私はこの「吉峰寺」には中学時代と高校時代の夏休みに、
祖父と父の命令で私は修行させられた経験があります。
多分、今も永平寺の第一道場として、曹洞宗の禅僧エリート養成所のはずです。
何故、このお寺に預けられたのかはあまり言えません。
目に余る喧嘩や悪い仲間とのつきあいを窘められての教育だったのでしょう。
朝は3時に起床し、便所掃除から顔ふき、さらには食器洗いまでもう色あせた手ぬぐい一本で、
ともかく中学時代は泣きたくなるほどの生活をさせられました。
高校時代は、サボり方も覚えたのと禅僧のエリートの人たちと仲良くできました。
おそらく、ここの住職は、永平寺の管長さんクラスの偉い人だったはずです。
いっぱい話を聞かされ、書を徹底的にやらされました。
この体験が、私は「道元」に惹き付けられている最大の動機だったのでしょう。
薪割り・作務
もっともできなくて危険だったのが「薪割り」でした。
中学時代にはまったくできずに、高校時代にはそれなりにやりきっていたと思います。
「薪」というのはもちろん燃料であり、
風呂焚きと食事、そして冬の暖房のために薪割りは大変な作業でした。
なぜ、「薪割り」なのかは、今、明確にわかります。
草冠の下に「新しさ」があるのです。
新しいというのは、まさしく斧で木を割った樹木、その切れ目を表しています。
それが草冠というのは「エネルギー」であり、
燃えるから「食べる」・「洗う」・「暖をとる」ということができる素材を表しているのです。
「薪」
私は、「薪」にこそエネルギーの根幹的意味があると思うのです。
食べて生きて清潔で飢えと寒さから、
人間は明日「新しい日」を向かえる源泉・元気さを獲得できるのです。
道元が「作務」と言い放った薪割りとは、
生きるエネルギーを得る合理性は自然の樹木から「新た」にする身体的修行であり、
その「作務」は座禅と同様な生きることの意味の思索活動だったと今は納得することができます。


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『資本主義からの逃走』
  「政教一体と政教分離は民主主義とは無縁」


   


     12月 5th, 2009  Posted 7:54 PM

戦後の日本は、
金科玉条のごとく「政教分離を遵守」してきました。
その意味と意義、機能性と効能性はあったのでしょうか。
私は、まったく無かったと思ってきました。
政教分離を唱えつつも、
 ● 宗教団体をバックにした政党もあり、
 ● 仏教も神道もすべからく飲み込んできた政党と
 ● 宗教排撃ごとき思想によりそっている政党も存在します。
したがって、こうした玉石混淆の政教に関する論理は、
「全く社会的効能性は無かった」ものと考えるべきでしょう。

すなわち、
私は、政教一体であろうが、政教分離であろうが、
そこに公然と唱えられてきた民主主義は、
いわば先進的な資本主義国家体制の共同謀議にすぎません。
ここから、先の私の思想はペンを止めることにします。
なぜなら、
私のペンが私自身を社会的に抹殺、自死へ誘うと思うからです。

私が注目し、
「宗教」を洞察してきた対象の「宗教」は2つあります。
「禅宗」と「シェーカー教」です。

□「禅宗」は、私のふるさと福井であり、
その総本山である「永平寺」です。
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なんとも私の育った環境に大きな影響があったからです。

もうひとつは、
 □「シェーカー教」です。
ボストン郊外に何度か訪ねました。
実際にはすでに観光地化していました。
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それは、「家具」であり「車椅子デザインのためでした。
しかし、「シェーカー教」の教義とその実践である
共同生活、手仕事、労働への敬虔さ、
そのデザインに心奪われました。

そして、
この二つの「宗教哲学」とその「実践」に、
まったく、民主主義は皆無だということがわかりました。
そこから、「いのち」を支えうる「宗教」と「政治」は、
その人間個々の「いのち」の系譜は完全に断絶します。
宗教での「死生観」は、
「政治」どころではない思想が、連綿と連鎖し、
そして、「生きる人格」を決定づけています。
この断絶を受け入れられる強固な「生涯」を
私は選択しました。
結果、
私は民主主義は無効だということを認識しました。
  もっとおおらかで、
  もっと高潔で
  もっと品格のある
「集団的な意志決定=生き様」があります。
私はそれを分別しています。
だから資本主義を静観し、
決して巻き込まれない「生き方」を
デザインに配置したのです。


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