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Posts Tagged ‘物語’


『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』


   


     5月 16th, 2017  Posted 12:00 AM



大学人になって最初の驚愕は東大の有名教授からFAXが入りました。
有名教授ですが会ったこともありませんからただビックリです。
それは、「情報」という言葉をある総説での私の指摘への反論でした。
そこから徹底して私は詳細な研究によって、、
森鴎外の翻訳をベースとしたクラウゼヴィッツ「戦争論」から
その著作で「大戦学理」の「情勢報告」=情報にたどり着きました。
ともかく、自分の人生で「戦争」は皆無と思ってきた現在、
北朝鮮の脅迫に私たち日本人は、まさか、原爆?生物兵器?がとか、
拉致被害者も奪還出来ずの恐怖の有様です。
男の子だから子どもの頃から、零戦とスピットファイアの対戦に
私は軍事論より全く物語が好きでした。
戦闘機の色々に心惹かれていただけに
F4ファントムがすでに46年も防衛戦闘機。
その実力は零戦=ゼロファイターを引き継いでいることや、
日本の技術で「F4EJ二人乗り」の優秀さを見てきました。
しかし、実はサイバー攻撃が開始時に
第三次世界大戦は起こっていました。
一昨日も北朝鮮から「火星12号」ロフテッド軌道で
中距離弾道ミサイルの実験発射で世界は大混乱です。
それでもあくまでも防衛を主眼に
私たち日本は冷静賢明を祈るだけです。
改めて大戦学理も攻撃と防衛ではなくまさに孫子の兵法での用間、
情勢撹乱=情報戦にはもっと重大さがあると判断すべきでしょう。
それこそ、情報の意味が4つあること、
information・intelligence・knowledgement・consciousness
その確認技術でAR : argument reality、
この世界観であくまでも平和を、突き詰めるべきと考えています。
私の研究室でインターンを終え、防衛省キャリアガールが4月から
入省して直ぐに野営訓練をしたとのことでした。


* 「もう一度、『情報』意味の徹底検証」
* 「Media Integrationからアフェレーシスを経るだろう!」
* 「最終章『用間』、それを始めるための第1章は?」
* 「サイバー空間の分断、『用間』による情報戦術」
* 「各産業の0.5次化という高度化は情報化を加算」


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『見詰める光は「あかり」になるという事例』


   


     1月 17th, 2017  Posted 12:00 AM



「ひかり」に対して「あかり」があります。
私はひかりとあかりをつぎのように区別して説明をしてきました。
光は見詰めることが視覚的にも困難なことであり、
灯りはその光を十分に見詰めるコトが可能なことです。
だから食卓の上には見詰めることの出来る灯り=キャンドルが設置される、
これはとても重要であり、いわゆるキャンドルスタンドの存在には、
都市伝説と思われる様々な物語があります。
それは紙幣の裏側のキャンドルスタンドにもあります。
そういえば、結構大好きでよく読んだ本ですが、絶対に読むべき定本に、
「ロウソクの科学」という本がありました。内容は忘れてしまっています。
それこそ人生最期には「ファーブルの昆虫記」「ドン・キホーテ物語」を
最高の音場の中で読みたいと思っていました。
さて、ロウソクのあかり、すなわちローソクの炎には各部分の温度が
見事に図解されていて、690度から1400度?だったという記憶があります。
が、再度もっと詳しく調べてみたいと思っています。
ともかく、火には温度があります。
たとえば、600度はガラス製作の温度であり、陶磁器は1200度です。
日本刀は玉鋼を1300度から1500度で鍛造していきます。
燃焼具合は温度によるものですが、
私が最も注目しているのは、セシウム除染をセルロース戦略として
セルロース+廃油で400度程度の低温焼却で炭化と発電を図り、
その炭化した物質を土の中に埋めることで土壌改良の一つの方法です。
これはセルロース戦略としてセシウム除染も、
ひょっとすれば有明の土壌改良へのコンシリエンスデザイン技術提案。
シアン除去のカーボン戦術になっていくかもしれません。
あくまでもデザイン提案です。



* 『ひかりをあかりには鏡面である』
* 『「影向」は陰翳を超えた日本伝統の美学を再興した』
* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 「イノベーションのための虚空回帰」
* 『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


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『日本の子どもたち遊戯に未来の「物語り」があるようだ』


   


     10月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



父は囲碁・将棋を自分に教えようとしていました。
とても面倒なことゆえに好きではありません。
それよりも父のけん玉はとても上手でした。
そして、母のあやとりは祖母が日本刺繍を教えていたこともあり、
とても素晴らしく、
そのあやとりや毛糸での編物にとても興味がありました。
いとこ(宇宙工学者・信頼安全性工学の権威)は編物はプロ級であり、
今なお出産祝いには赤ちゃん用を編んでいます。
ともかく、毛糸やあやとりは今も自分にとっては興味はつきません。
というわけで、あらためてあやとりはもう一度やってみようかと、
それも真剣に考えています。そしておそらく手の器用さを保つには、
あやとりは最高の手先の訓練になるものと実証したいとすら考えています。
先般TVで世界チャンピオンに挑戦する若者の凄い技に感嘆しました。
けん玉が世界的なっていることや、比してヨーヨーが最新性の素材で
格段の進歩を知るとき、日本の子ども達の単なる遊びにすぎなかった遊戯、
もう一つ、竹とんぼがドローンの羽に最適だと聞くと、
日本の子どもの遊戯、けん玉、竹とんぼ、ヨーヨー、そしてあやとり、
こうした日本の伝統的な遊戯、それらの素材開発には、
きっと日本、モノづくり国家としてのヒントが一杯あるようにと
自分は確信をもって日本の伝統的な子どもの遊戯が「語り直すこと」、
それはアフォーダンス性=物語り性の再興を知ることだと思います。


* 「『きれい』にすることが『美しい』こと」
* 「63歳まで生きました・母より年上です。」
* 「指編みを思い出しながら」
* 『宇宙開発の信頼・安全性工学からデザインが学ぶこと』
* 『人類の夢・宇宙開発を支える「信頼・安全性工学」』


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『美しさの判定は言語判定での倫理に宿っている。』


   


     6月 21st, 2016  Posted 12:00 AM



おそらく現代も、特に「イノベーション」をとか、
「デザイン思考」だとか、
「ソリューション」という言葉が多用されています。
そこには必ず「コンセプト」という、あたかもデザイン効果があるという
そのような企画が大氾濫しています。
しかし、これらでは明らかにデザイン成果はゼロだと断言します。
企業経営とデザイン=企業デザインと経営のイノベーション、
あるいは
伝統工芸とデザイン=産地活性化のデザインイノベーション、
この二つが明確に自分には見えています。
ところが、これらの成果・成功を、デザインで意図している背景には
「コンセプト」・「ソリューション」・「イノベーション」が
必ず存在していることを最も自分は危惧しています。
「イノベーション」の原意とそこからの歴史を思い出していただきたい。
「ソリューション」のテーマは「問題」でなければなりません。
ところが、ソリューションでの答は応答であり、回答に過ぎず、
そうした答えがイノベーションに成ることは決してありえません。
それらのデザイン成果をあたかも生み出すであろう、
それこそ「デザイン思考」には
ぴったりと「コンセプト」が張り付いています。
観自在からの概念や観念ではなくて、
あくまでも言語性と記号性の問題です。
そこにはstory:物語、argument:議論というライン性が明確にあります。
すなわち、思考のブラックホール、論理の対象性、
これらを破壊する発想は決して「コンセプト」には存在していないのです。
この感性を強化しているのは知性でも理性でもありません。
それは倫理性・倫理観という健全な想像力です。
この想像力は限定された人間にのみ存在していることを判定すべきです。
デザイン意図とデザイン内容に、
「造形言語」と「形態言語」によるデザイン、その造形手法は決して
「コンセプト」や「デザイン思考」はありえないのです。
最大の理由は、デザイン造形でのイノベーションとは、
「美しさ」を判断する倫理性があるかどうかだと思っているからです。

*『デザインは解である』
*『デザインは記号論的な『造形言語と形態言語』での論理化』
*『「形と性能」・デザイン成果=造形言語と形態言語』
*『盤・盆・膳」という文化は木に宿る』
*『現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ』


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5月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

5月9日 赤口(辛卯)


ライン発想とは
コンセプトで限定されず、
最初から
シナリオ性
物語りというアフォーダンス
すでに
形態化=視覚化される
発想手法である。



川崎和男の発想表現手法


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『布に込められたこと・布に込めること=大袱紗のデザイン』


   


     8月 9th, 2014  Posted 12:00 AM



器械という言葉は機械以前の言葉です。
器械であれ、機械は民族の文明を守る武器・戦に繋がります。
したがって、私は機械という言葉よりも「機器」こそ現代的と主張。
なぜならば、機器は機=機織りと器=食器こそ、
人間が寒さから護られ、人間の飢えをしのぐ器ゆえに、
機器こそ文明の根本だと言い続けてきました。
機織りには、布・織物・繊維の世界が広がっています。
布は人類それぞれの文明がそれぞれの文化形成を支えてきています。
ハンカチーフは、まさにスカーフ=頭を覆う布が携帯的はモノ世界。
日本には風呂敷の文化が伝統として、着物の周囲にありました。
そして、その布については、
かたちを持たないことが思想や倫理観、宗教にまで連鎖しています。
最近は、風呂敷という極めて単純な収納用品の見直しがあります。
しかし、私が実につまらないのは、
デザイナーが風呂敷をデザイン対象にしたとき、
そのほとんどが風呂敷装飾をデザインだという勘違いを見つけます。
風呂敷をデザインで、しかも伝統から再発見するには、
基本は、布はかたちをもたない、水のごときモノであり、包むこと、
それは「つつましさ」という思想にまで辿り付き、
やがて、風呂敷が文明から文化になっていくときには、
袱紗という風呂敷が二重になったモノの存在が品性を生み出すこと。
それは、袱紗が儀式性のモノの物語り背景を持っていることです。
端的には茶道には袱紗扱いが作法化されることで、
人の指先で、単純さの極限にまで指使いが品格性を高めています。
私は、布→絹→羽二重を追い求めてきて、
大袱紗の製品デザインの開発をしてきました。
あえて、私は「O-FUKUSA」をこの秋に発表するつもりです。


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「今なぜ『大奥』なのだろうか、もしも、という幻想・・・」


   


     12月 13th, 2012  Posted 12:00 AM



「大奥」は、日本人にとって、覗き見たい歴史のフィックションです。
映画・TVにおいて、
その物語のプロットは徳川家の存続を女の闘いとして描かれてきました。
新たな物語の切り口として、
将軍が女性だったら、という物語の映画が登場しました。
まず、映画を見ました。
そこでは、若手アイドルが主役で、
漫画的軽度のおもしろさを楽しみました。
そうしたら、今度はTVドラマになり、
その展開にそれなりの恣意性がありました。
TVドラマから連続して映画にも展開されるということで、
ワイフは観たくないと言いますが、
私は結構楽しみにしています。
私なりに力量を認めている男優が主演であり、
将軍が女だったら、
というのは荒唐無稽な話に過ぎないと思っていましたが、
私は、ある深読みをしています。
それは、
「もしも・・・・だったら・・・」という想像力と現実との対比です。
人間は、想像力に潜んでいる荒唐無稽さにも、
なにがしかの真理を見いだしたいという欲求があるのでしょう。
「もしも・・・・だったら・・・」というバーチャル観は、
まさにモルフェー=白日夢に幻想からでも
明確な示唆を得ようとしているのです。
その意義は三つはあるものと判断しています。
 
  ・「もしも」という架空のプロットゆえに
      想像力に無限さを確認できること。 
  ・しかも、男女逆転という役割がもしも現代にもあったなら、
      という想像力には恣意性があるということ。
  ・幻想・想像力の中でこそ、現実意識をより明快にできるということ。

こうしたことが無ければ、
元来、人間は幻想や無限の想像力を
日常的にはすぐに忘れてしまう脆弱な、
あるいは
フラジャイルな存在でしかないのではないだろうかということです。
モルフェーとは、モルフォロジー=形態学を生み出し、
モルヒネという薬剤の原語にもなっています。
私は「もしも、商品世界は終わって、
記号世界が始まるとするなら・・・」を熟考しています。
現実世界は、「もしも・・・」という事が
「事件」として多発しているのです。
それこそ、天と地が逆転したなら、
想像を絶する天災や人災への対策というものはもっと確かな幻想を、
さらにしたたかに私たちの知識から知恵をもって
備えなければなりません。
「大奥」というたかがフィクション映画にも、
それなりの決断の場面では、
されど真理の言葉がちりばめられていることを知るわけです。
TVドラマで、こう聞くのです。
「貴女が守り抜く徳川家とは?」
「それは、平和を永続させる唯一の力だから」
「・・・・・」
このような大事が台詞会話です。
だから、私はきっとこの映画は観ることになるでしょう。


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「イスで物語れること・メディアになるイス」


   


     2月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM


デザインという手法は、言葉を持つことができます。
それは単なる造形言語、
あるいは記号論的な意味性という小難しいことではなく、
単純明快な比喩です。
これはその一つの商品にまでした作品です。
日本ではそれなりに商品になりましたが、
海外では大きな評価を受けました。
80年代、New Yorkのブルックリンは治安が悪く、
その再開発計画で、国際家具センターが新設されました。
世界中の家具取引をセンター規模でというきっかけを創った最初でした。
そのオープニングで、世界中から400点のイスが選抜されました。
日本からは、たった5点しか選ばれませんでした。
私のこのイスも選ばれ、
最終的にはグランプリ候補5点に入りましたが、
親友のイスがグランプリになりました。
このイスのテーマは「休息」でした。
休息の無い人、それは兵士です。
だから、まず兵士は迷彩服の戦闘着を脱ぎ捨てること、
そして、大砲や銃身をグニャリと曲げてしまうこと、
背もたれがその砲筒を曲げたことを比喩しています。
したがって、裸になった兵士と戦闘不能ゆえ、
兵士に休息があるということは「平和」に繋がるのです。
「譬」表現のメディア化を試みたイスです。
「平和」表現するポスターと
同等のインダストリアルデザインをめざしました。
そして、日本の座布団を積み重ねた形態です。
「TON TON」という商品名でした。
イスは、その造形によって物語りを用意すれば、
まさしく、比喩、直喩、換喩、隠喩によって
象徴的なメディアにすることができます。
次世代デザイナーに試みて欲しいことです。


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「デザインは語れるか・デザイン評論の有無」


   


     7月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

たかがデザイン。
私はデザイナーとして、
これまで受けてきたある種の侮蔑。
しかし、されどデザインの力。
私の自負心とこの職能ゆえの幸運さです。
デザイナーという職能にも色々あります。
そして、デザイン=外観造形という印象は今なお存続。
したがって、デザイン評論がありうるかということです。
私は、一人のデザイナー・倉俣史朗氏を7年間、
詳細に分析したことがあります。
デザイナーですら、デザインは解釈するものではない、
堂々と言い放つ人がいますが、
そうしたデザイナーの作品は必ず消滅していきます。
私はデザインしたモノには、
やはり、意味することと意味されることがある、
これは記号論的な言い方を借用していますが、
7年間、一人の作品を分析してわかったことは、
本人がそこまで熟慮はしていなかったかも知れないこと、
それが作品の「永続的な存在性」を担保化しています。
したがって、私自身、自分のデザインするモノ、
そのモノが現代性と歴史性を必ず纏わないモノは、
この消費社会では消費どころか、
消滅・消尽すると結論づけています。
たとえば、幸いにも私はオーディオ商品に関わりました。
この世界は、ある意味ではマニアックな世界観や、
製品の存在性が仔細に問われます。
だから、30年前のデザインしたモノが今も残っています。
明らかにそうしたモノは背景となるモノ語りがあります。
モノ語り=物語は、アフォーダンスの持続性、
そう断言してもいいでしょう。
「倉俣史朗デザイン・夢の形見に」を出版しましたから、
私自身が、この著作から三作品を選んで、
プレゼンテーション手法も新たに評論をするつもりです。


夢の形見に」講演会


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『資本主義からの逃走』
  「文脈へ入る差別と支援を受け止める・・・」


   


     8月 28th, 2010  Posted 12:00 AM

退院直前の経験
リハビリ病院でようやく退院の目途は、
私はとても早かったと思います。半年で退院しました。
まず、一日外出して、病院へもどる。
三日外出して、また三日病院。
一週間外出して、一週間また病院というトレーニングでした。
親友が立ててくれたアイディアは、東京都内の一流ホテルを選んでくれました。
「海外へ行ったときのトレーニングと自動車の練習をするべきだ」と
彼はホテルを選んでくれたのです。
これは退院間際に病院で大問題になりました。
ホテル暮らしのトレーニングなんて、認められないと言われたのです。
車イス生活で、どうやって「生きていくか」という問題も、
「イラストレーター」で食べていくために、別荘地に家を建ててそこで暮らす、
という呑気な計画でした。
フリーランスへ
ところが、その話が東芝の技術系の上司が聞いて猛反対でした。
「独立しなさい。スタジオはどこかクライアントを見つけるから」ということになりました。
赤坂に新築のマンション、
その一室からフリーランスデザイナーになるという道を用意してもらったのです。
東芝は退社したいけれど、当時の労働組合は「残れ」というややこしい話になり、
東芝の社員のままに赤坂で独立したのです。
同時に、母校・金沢美大の恩師から「帰ってこないか」という話も入ってきました。
そしてまだ東京でデザインしていくならと「メガネメーカー」を紹介されました。
話は受けましたが、契約までの時間をもらいました。
音響機器がやっとできる自分にメガネなどとても無理と判断していました。
そしてとんでもなく病院で結論的に言い渡されていたことは、
「君の年齢で、この障害なら40歳までが寿命」という「宣告の会話」でした。
私は、このドクターを見下しました。もっともこのドクターにはいつも質問ばかりしていました。
うるさい患者だったのでしょう。
〈よく、そんなことを言い渡せるもんだ!〉
ソーシャルアドバイザーから退院前に、
「東芝の工員で、どうやって生きていくんだね?」、
こんな言葉も、当時私の勤務先は、「音響工場」であったことや、
そして大卒だとか、デザイナーということは一切話していなかったので、
見下されていたのでしょう。
差別発言から学んだこと
〈身障者は見下されている〉という初体験を最後に退院したのです。
そして、もう一方では、恋人や親友、職場の上司、恩師たちの心からの支援と援助がありました。
もちろん一番は精神的に、ひたすら励ましてくれる「父親の存在」でした。
交通被災・救急病院・リハビリ病院、そして赤坂で独立という私の文脈は、
「会話」・「談話」・「物語」の実体験から、
「コンテクスト」の全体と部分、要素と要因、非人間的な差別発言を受け取っている自分を、
自分が励まし再確認することでした。


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