kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘生きる’


6月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

6月5日 大安(戊午)

生きることは
人生の前にあるアポリアを
なんとしても解決すること
それも
美しく解決すること。
これがデザインの目標である。

川崎和男の発想表現手法


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3月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

3月3日 先勝(甲申)

生きることとは、
想像力と
創造力との間で
自分を見極めること、
私はそう考えてきた。

川崎和男の発想表現手法


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6月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

6月30日 癸亥(仏滅)

「生きていく」
ことが生きることであり、
それは
「創ること」と連動していた。

川崎和男Design 図鑑


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6月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

6月21日 癸亥(仏滅)

「生きていく」
ことが生きることであり、
それは
「創ること」と連動していた。

川崎和男Design 図鑑


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「『危機管理デザイン賞』を創設しました」


   


     8月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

2023.8.1・昨日、日本は世界に向けて本賞を設けました。
わが国は、伝統的、四季的、自然環境と日常生活を
堅固に結びつけてきた美しい花綵の国ですが、
一方では、自然災害、台風、地震、雷に晒されてもきました。
ところが、最近では地球温暖化などで、
気候状況は、竜巻、大豪雨、落雷など
とんでもない危機状況に入っています。
3.11は当然ながら、今後の南海トラフや火山爆発も予知されています。
まず、自然環境での危機回避があり、
人災は、学校のいじめ問題から原子力発電、放射能はもちろんのこと、
テロから企業へのスパム攻撃まで複雑化と多様化と回避困難が拡大です。
よって、本賞を設けることで、危機管理産業から危機管理制度設計まで、
モノのデザインとコトのデザインを顕彰してその活性化を目指します。
本賞のシンボルマークには、「ヘルメスの杖」を引用しました。
アスクレピオスの杖やヒギエイアの杯も検討しました。
つまり、この賞には、
人類が歴史的な命の守護をどういうシンボルに象徴してきたか
ということに焦点を絞りました。
「生きる」こと、「生き延びること」、
危うい事や「まさか」、「いざ」という危険性=命の防御、
その象徴を求めました。
したがって、このブログでも、
ヘルメスやアスクレピオスなどについてメモ記述をしてきました。
それは、私の思考メモでした。
「ヘルメスの杖」への異論が存在していることも十二分承知し、
しかも、「ヘルメス学」という知的歴史性をテキストにした結果の、
マークとロゴタイプの統合シンボルです。
この賞シンボルは、本賞創設とともに、
危機管理産業・モノデザインと危機管理制度設計・コトデザイン、
その展開・アプリケーションを完備させました。
ここで紹介していくつもりです。
無論、本賞受賞によって、あらゆる「想定外」=「まさか」を回避し、
「いのち」を本賞選定基準からもう一度、
見つめ直すモデルケースを普遍化していきます。


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「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」


   


     6月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

なんとしても風邪を治さなければ、
この想いを実現できました。
KAISTの先生お二人を招いて阪大での講演。
Prof.Kim Myung-Suk先生とはすでに20年来の友人であり、
Prof.Bae SangMin先生は、New York留学中に、
私の講演を聞いてもらったこともあるという仲です。
KAISTはおそらく、全世界的にみても、
最高級の大学・大学院であり、デザイン系でも筆頭です。
Kim先生は「環境デザインとしてのロボット」を
Bae先生は「国際貢献としての製品デザイン」、
それぞれが実現されているプロジェクトを語っていただきました。
私もKAISTで講義をしましたが、
この大学が世界からも注目されている「未来創生の発想」は、
いくつかの重要なキーワードでした。
Why・なぜデザインを、なぜ生きるのか、
Implement・必ずデザインを実現させて未来を創る、
Evolution・常に進化は「融合」=Consilienceを、
Donate=Sharingを、Passionを、と、
重大なキーワードを沢山いただきました。
しかも確実にコンセプトは製品形態に集約化されていました。
私は、3.11以後、デザインによる復興をと考え続けてきただけに、
改めて、デザインの理想主義を語る二人の教授に、
支え直してもらった気持ちでいっぱいになりました。
たとえば、家電は当然ながら、
造船もどれほど韓国は進歩させたか、
その事実を知っているだけに、韓国の勢いを体感しました。
日本も韓国もアジアの小国です。
これからはお互いの交流をさらに深めて、
世界の先導国になっていくべきだと思い直した次第です。
お二人に励まされたようで、すっかり、風邪から立ち直ったと思います。


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「ここまで粘り、あきらめないこと・・・」


   


     1月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

オーディオの話ばかりで申し訳ありません。
やはり、私なりの根性の話は、
東芝時代から育まれたのだと思います。
インハウスデザイナーは、アノニマスでなければなりません。
これが嫌だったのです。
それは金沢美大入学直後に言われたことにつながります。
「君たちは芸大に入ったわけではない。だから無名で、
雑草のごときデザイナーになれ」
即刻、反論しました。
「昭和天皇は、雑草という草は無い、
雑木林というのも間違っている。すべてに “名前がある”」と。
結局、この反撃で4年間にらまれました。
だからインハウスデザイナーだけれど、
「自分の発想、オリジナリティは必ず実現!」。
したがって、バイノーラルLP、45回転LPを、
第一家庭電器で実現させたところ大ヒットしました。
したがって結局は、私のデザインしたSZ-1000、
エレクトレットコンデンサーのイコライザーAMPやカートリッジPRに、
45回転でバイノーラルLPは、東芝から出されることになりました。
車椅子になって、「諦めて=resign 生きる」=「諦観」を知りましたが、
自分の発想で、必ずオリジナリティを込めたことは、
絶対に「あきらめ=abandom」ないことです。
特に、次世代のデザイナー、
インハウスデザイナーには強調して伝えておきたいことです。
日本人には「あきらめる」美学があります。
それは「諦観」であり、
もう一つのあきらめは、投げ捨ててしまう怠惰さにすぎません。
この怠惰=なまけ心は、デザインを完成させません。
怠惰心でデザインに向かう性分があるなら、
デザイナーになってはいけない、
私が学んだのは、
この怠惰心からどれだけ距離を取るだけの真剣さを身につけることです。
と言いつつも、やはり怠惰心と諦観が、
私の精神の中ではまだまだこの闘争が続いています。
「喧嘩師であれ」とは、
自分自身に喧嘩を売ることです。
「やる!」と決めたら、
絶対に自分の怠惰心に
まず勝つことだと死ぬまで言い聞かせているでしょう。

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『資本主義からの逃走』
 「資本、無なり。  されど無料にて主義の正しさあり」


   


     1月 31st, 2010  Posted 6:00 AM

「ことば」ありきの資本

資本は、土地であり、商品であり、
そしてそのメディアとしての貨幣であったり、
(メディアとして、というのは現代語だからですが)
極端には、命も資本というシステム=保険まで、
人間、資本主義は創生させてきました。
土地・商品・貨幣・・・命はまず「ことば」でした。
やはり、資本のはじめに「ことば」ありきでした。
なぜなら、
「資本論」も「ことば」ゆえに、
「ことば」資本を差異化、差別化の「差」に、
価値を乗せることや、価値を生じさせる、
そんなことができたものと考えています。
これはすべてATOMの存在=有理性の世界でした。
たとえ土地を最大にしようが、
商品販売での利潤を得ようが、
人間の存在は、絶対的に「無」となります。
もっと単純明快に断言すれば、「財成した人」も、
無=死
死を迎えます。
死は、いのちを無とします。
命が無となることは、避けられないわけです。
「去らぬ別れ」、結局、死して後、
資本は残ります。
資本の、その運用が入れ替わるだけです。
そこで、「資本は無に帰す」と考えることは、
決して「無理」ではありません。
「無理」という「有理性」から利益獲得すら、
「無」とすることへの抵抗感が消滅します。
消滅というより、利益や利潤から解放されます。
自由=無料

無料=自由を直視

自由=freeになったのです。
その経験が、資本主義社会で蓄積されました。
free=無料は、「正しさ」という力を持ちました。
人間は、自由でありそれが「正しい」こととして、
社会の基盤、意志の基盤、認識の基盤ということを
無理することなく、有理であると確信できれば、
人間は、そんな社会や時代に、
「死=無」となることを納得して「生きる」でしょう。
「無料」の尊大さを直視する時代になってきました。


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