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Posts Tagged ‘産地’


『古代希なり・70歳です』


   


     2月 26th, 2019  Posted 12:00 AM



私が2月26日、ワイフも2月生まれを祝いに、
2月14日に、日本でも有名なシェフのお店に初めて行きました。
いつも、国際的には日本代表となるシェフのお店です。
以前から紹介されながらも、行けずにいました。
去年は4度も入院・退院、医療制度をかなり見ました。
安定しない健康と、あたえられた仕事への責任との
バランスをとるのに、力戦奮闘した1年でした。
ゆえに、それが明けた今年は、
感謝と更なる景気づけにと徹底的なこだわりを元に
腕のあるシェフのお店しか思い浮かびませんでした。
さて、私は古希・70歳です。
40歳までと言われながら、「ここまで生きてきた」のです。
41歳で毎日デザイン賞をいただき、バブルの頃には、
クパチーノで、Apple 社のコンサルタントをやっていました。
モノづくりの知識を網羅し、
国内の産地や、企業との産業と文化の仕事で、研鑽を重ね、
大学での研究では、生命や環境や平和といったデザインで解決をめざす
広範な領域まで手掛けました。
今年は、「古希・70歳」を年賀に気持ちを強くしたためました。
47歳で亡くなった母には「がん」という病名も余命も伝えなかったのですが
私への遺言書に「世界一のデザイナーになって」と書いてありました。
大学卒業後、ふるさと福井にでも戻ろうと考えていた私は、
そこから心を新たにし、母の遺言に、何としても応えたく、
毎日母への恩返しを誓いました。
「古代希なり」の70歳です。


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『ふるさと納税の「返礼品はさらに進化」するでしょう』


   


     2月 24th, 2019  Posted 12:00 AM



地域の八百屋さんがなくなり、
スーパーマーケット、さらに、デパ地下、
そしてコンビニでも日常の食生活が問題なく維持されています。
都心ではいちいち買い物に出かけずとも、
ネットスーパーも充実し目的用途に合わせて
それぞれ配達してもらえます。
「ふるさと納税」の返礼品、卵がとどきました。
ほとんどワイフが選んでいますが、
この制度の良いところは産地がわかるということです。
小学校の社会の授業で習うかのように、
産品そして工芸品、工業製品と地域を結びつけることができます。
地域の活動や観光資源、災害のサポートもすることができます。
問題となっているのは、
地域と関係ない返礼品があるということですが、
それも地方の戦略、戦術ゆえなのだろうと推察します。
私は、すでに、ふるさと福井の越前市で
自分デザインのナイフが返礼品になっています。
どのように届くのか、自分でもやってみました。
そして山形県東根市にも、
デザインしたレコードのカートリッジが選ばれています。
こうした新たな発展を私は望んでいます。
地域と密接に関わった産地、
企業の製品が30年以上も生産され愛用され
ふるさと納税の返礼品となっている展開は
デザイナー冥利につきます。
とは言え、ふるさと納税は、
米・肉・お酒の人気が一番ですが、このシステムは、
きっとさらに進んでいくでしょう。
ふるさと日本の中で、
なかなか行くことができないところの地域を思いながら
直送の卵が食べられます。


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『文明、(空腹と防寒)の根源はナイフにある』


   


     2月 16th, 2019  Posted 12:00 AM



文明とは、空腹(お腹が空いた)と防寒(寒さから身を守る)から
どうやって身体を守るかということになります。
人間にとって、ナイフは道具をつくりだす道具として必要です。
つまり、文明の根源には刃物が介在しているのです。
私のデザイン活動の源にも、幸いにして刃物があります。
刃物=ナイフは、まさに「切っても切れない仲」です。
最も、髪の毛が伸びることから、その手入れ、または髪と刃物です。
髪との儀式や文脈も多く、
ナイフが文明の基本だということにもなります。
もし、何かモノを持つのであれば、ナイフ一本あれば、
文明が開けることになります。
いわゆるナイフでも、ビクトリノックスのアーミーナイフのような
様々なナイフの組み合わせは、日本では作ることは相当に難しいです。
スイスの消防局で開発された「救助用ナイフ」は、中でも秀逸で、
自動車内の常備品として、必ず一本いるでしょう。
私がかかえる産地、越前打刃物は、
実際は1500年(750年ではなく)の野鍛冶の歴史がありますが、
スイス風の多目的ツールへ取り組むことは、とっても難しいのです。
私はいつも刀剣の進化を研究し、産地で包丁を育んで来ました。
コンパクトなモノや、機能を特化したモノのデザインを進めています。
このブログでも、ナイフは、
筆頭に文明をつくるモノとしてとりあげたいのです。


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『春日大社で最も古い太刀が見つかったことは徴である』


   


     2月 13th, 2019  Posted 12:00 AM



春日大社で、特別展が開催され名刀が一堂に公開されています。
大社と言えば、大きな神社のことと言われます。
神社、神宮、大社、天満宮、八幡宮、稲荷と格式と違いがあります。
日本には、仏教と神道がありますが、私はこれらのモノとコトを、
単にいわゆる宗教と言い切ってません。
768年に建立された春日大社には、神道である、天皇制よりも
日本国家という国づくりの瞑想的な逸話があります。
春日大社の宝庫で昭和14年に発見された太刀が、およそ80年経って、
研磨され日本刀の原型が成立した平安時代末期、
国内最古級の日本刀だと昨年明らかになったのです。
「古伯耆物(こほうきもの)」と呼ばれます。
太刀と刀剣では、身に付ける方法が変わります。
平安京の頃の太刀とは、刀としてもどこまで丈夫であったのだろうか。
刀剣といえば鎌倉時代よりも、
それこそ神具としての太刀があったということです。
日本人としての倫理性=武力具ではないことが、確かめられるのです。
春日大社のある奈良、大和国は
山城国、備前国とともに刀剣の産地でもありました。
神具である太刀には、神社の瑪瑙、鏡、そして刀があるのです。


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『バラマキ土産を伝統工芸とは「ふざけるな」です』


   


     12月 2nd, 2018  Posted 12:00 AM



「オリンピック・パラリンピック」の「儲け話」がここまで酷いとは?
伝統工芸品等の東京2020公式ライセンス商品化の案内が来て、
産地がともに盛り上がるのであればと考えました。
そもそもロサンゼルス大会から、商業主義が発生してきましたが、
まったく、違うやり方でした。
私は越前打刃物と越前和紙に、最初は「こうやれば」と望んでいました。
打刃物の産地、和紙の産地にも参加してもらって、
プロモーションになるから、細かく企画を練っていました。
ところが、主導しているのは株式会社47CLUB、
これは全国45社46紙の新聞社でした。
46紙の新聞社が「伝統工芸」に目を向けたのですが、
その契約や流れをみると、技術や後継者を必死に育んできた
「伝統工芸」を使って開発した商品は
「産地名はいらない」という契約です。
私は、「それはインチキだ」、と二つの産地に言いました。
大切な産地を、単に「バラマキ土産」をつくる、
そんなことに巻き込んで欲しくないのです。
「オリンピック・パラリンピック」関連商売として、
新聞社が伝統工芸を利用していると判断しました。
それこそ、和紙の産地は、
世界遺産の当初のエントリーからもれました。
1500年の伝統ある産地ですが、
後継者が地域として育成されていく体制づくりが必要でした。
そういった問題もようやくクリアされ、
「越前和紙」もユネスコ世界遺産の産地です。
が、全然メディア報道がありません。
だったら新聞社で1300年の産地がなぜ駄目だったかを知らせるべきです。
また、越前打刃物は「伝統工芸」では世界的などんな産地よりも活発です、
親方と後継者が産地を、まだまだ高めています。
「オリンピック・パラリンピック」は純粋にスポーツ競技を応援します。
産地とともに、まったく新しい企画をたちあげます!


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『和紙と和風紙は絶対に分けて考えるべきだ』


   


     10月 30th, 2018  Posted 12:00 AM



和紙は伝統工芸のそれも1500年の歴史があり、文化です。
しかし、もはや土産物の一部を構成しているようです。
土産物であっても、私は批評しようということではありません。
和紙であるが故に、絶対に和風紙と言っては駄目です。
私は和紙が世界遺産になったときも、やっと和紙がと安堵しました。
ところが、その時選ばれた和紙はたったの3つの産地だけでした。
1300年の歴史があり、伝統を受け継ぐ仕組みや組織が確立された産地です。
あの日も、キャリアを呼び出した議員とともにその議論に加わりました。
選定されなかった産地に欠けていたことは、産地としての永続性でした。
そして、キャリア達も和紙と和風紙の違いは十分に知っていました。
それほど熟知していても「なぜ?」、和紙+和風紙が全く変わりません。
私にとっては、このブログでも和紙と和風紙はいつも言ってきました。
和風紙は越前の産地では必ず「半草」と呼ばれています。
それは「半草」には紙パルプが混ざっています。
和紙への印刷はとても難しくて、和風紙なら大丈夫なのです。
明確に表示し分けて扱うことで、
それぞれの特性と取り扱いを知ることができるでしょう。
実際、私は表示がなくとも見た目はもちろん、舐めて見極めることができます。
「紙、舐めていい?」とは店頭では言えませんが、最初はよく言っていました。
もう亡くなってしまったグラフィックデザイナーが、
和風紙を使っていることが残念で、本物の雁皮紙を送ったことがあります。
その当時にそれを明示できるのはたった2名だったと思います。
「半草」である和風紙を知っていただきたいと私は思っています。


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staffblog 12月16日


   


     12月 16th, 2017  Posted 9:00 PM

12月16日


本日はタケフナイフビレッジ協同組合
岡田政信氏の
瑞宝単光章 祝賀会が行われました。


なんと、タケフナイフビレッジとして、
3年連続3人目の受章です。
一つの産地が、
一つの協同組合が3年連続で、
というのは極めて稀です。


今回も祝辞の機会をいただきました。


他の産地の親方衆ともお話を。


市長も加わり、
これからの産地を、
武生を、越前市を、
福井をどうしていくべきか、
熱の篭った話に展開していきました。


岡田氏と川崎は同い年ということもあり、
当時から一番喧嘩をした仲、とのことです。
ガッチリとした握手を交わし、
ともにこれからもつくり続けることを誓い合いました。


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『レンズ無しになればメガネフレームは不要になる』


   


     12月 9th, 2017  Posted 11:00 PM




今やメガネ産地は、鯖江・福井という認識が一般的です。
自分デザインのメガネには、「Kazuo Kawasakiブランド」があり、
いわゆる3プライスでの「KK edition」があります。
IOFTというメガネ見本市では、ベストメガネドレッサー賞は、
今では歴然とその受賞者は一つのステータスになっています。
しかし、最近のIOFT審査では、パリでのシルモ賞にはまだまだ及びません。
私は2000年、日本人で最初のシルモグランプリを受賞しています。
そしてこのほとんど発明、それはテンプルを拡げてもレンズに応力無しは、
すっかりとメガネの基本構造になっているのです。
現在、鯖江のメガネ産地は企業数が激減しています。
しかもステンレスのメガネフレームが平然と商品化しているのは、
メガネ素材の大間違いであり、メガネの意味を失っています。
なぜ、チタン素材になっていったのかが分かっていない廉価メーカーの
見識ゼロ商品と断言します。
やがて、網膜投影方式が一般化すれば、「レンズ無しメガネ」が出るでしょう。
そうなれば、メガネ産地は5年後には無くなると私は判断しています。
実際、3プライスメガネ販売のレンズは廉価版でのファッションメガネ、
それこそ300円メガネすら可能です。
私はおそらく眼球まで死体解剖で確認していますから、
眼球という内臓と周辺の筋肉・血管・リンパ脈までを解剖しています。
そういう意味では、メガネフレームデザイナーに全てを伝えたいのです。
しかし、私自身、理想のメガネは、目の前の空気の屈折率を自在にすれば、
この考え方を基準にしてきました。
さらに、HMD:Head Mount Displayも相当に研究し開発してきました。
これをスカウターと名辞までもしたもです。
さらに網膜投影が可能になることも夢みてその技術開発を追いかけたら、
若い才能はとうとう網膜投影やホログラムを実現しました。
おそらく、メガネ概念の大変革、メガネフレームが不必要になっています。
比して、産地ではチタン技術で、その技術で医療器具開発が産地存続の
それがイノベーションと考えていますがそれは存続理由にはなりません。、
すでにチタンを超越した新素材が表れて、
直径2mm内視鏡や0.2mmマイクロナノ医療器具産業化は不可能です。
メガネフレームのいわばファッション性は一挙に不要になります。
そうなれば、メガネフレーム産地は直ぐに無くなるでしょう。
そのことを私は提言していきたいと考えています。


* 「『アンチテンション』は、今ではメガネスタイルの基本だ」
* 『アンチテンションはコピーされている福井産の革新技術』
* 『四十暗がり・シニアグラスがこれでいいわけがない!』
* 『HMD「スカウター」がようやく製品発表された!』
* 「HMDのこれまでの進化をさらに深化させる!」


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『「白」には詳細な白があってそれでも全てが美しい』


   


     11月 21st, 2017  Posted 12:00 AM




このブログ画面は一応「白」です。
が、「白」とは言えないかもしれません。
このところ「白」に拘っています。
写真ならばホワイトバランスが崩れると、とんでもなく写真カラーは変化。
今は、織物「羽二重」の繊維、繭から絹織物の白がやや光沢があって、
とても美しく、さらに「羽二重」での商品化において、
福井県勝山市の羽二重産地には、繭から生まれた石鹸「絹石鹸」、
それは絹織物の羽二重でとても泡立ちそのものと絹織物が最高です。
もう一つ、自分デザインでは、工業的な「白」では、
ペリカンの万年筆で、いわゆるこの企業の代表商品に、
「白」のスーベレンが出てきたことです。
「白」への拘りは、透明水彩では決して「白色彩」は使わないという、
そんな原則がありました。
その原則の下に、色彩論の実習では最初はポスターカラー演習でも、
ペリカンの白と、ターレンスの白は比べました。
この白に関しては、金属でのホーロー仕上げ、
ペイントでは白はかなり難しいと思っています。
したがって、車の色においても、白かもしくはメタル銀しか、
私は選んできませんでした。
羽二重織物の白とペリカン万年筆の白を比べて見ています。
デザイナーは色を満遍なく公平に見詰めていますが、
私にとって、「白」と「黒」はいつでも万年筆で見比べていますが、
最近は繭からの絹織物、さらには、繭から生まれた石鹸の泡、その「白」、
いづれも美しい「白」を確認しています。


* 『インク、インク瓶を初めて整理しました』
* 『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』
* 『商品価値のための特徴と特長のイコン=アイコン』
* 『布、なぜシルクロード、シルクボイスだったのか』
* 「芸術という技法が引用したことから」


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『もう一度絶対逢いたい哲学者・中村雄二郎先生』


   


     11月 14th, 2017  Posted 12:00 AM




高校時代は「倫理社会」という科目の中で哲学を教わりました。
得意科目で、当時全国では4冊教科書があり担当教諭からもらいました。
だから私なりに美しく仕上げたノートは残してあります。
大学時代は一般教養で哲学があり、覚えている試験問題は「機械とは何か」。
そして福井時代に突然、中村雄二郎先生が福井にまで来ていただきました。
それは私の刃物のデザインを見て、私に会いに来ていただいたのです。
もう大学時代から憧れていた先生だったので、とても驚き感激しました。
先生はデザインそしてグッドデザイン賞の理論的支柱でした。
先生を囲んで勉強会のために何度も上京したものです。
丹後縮緬再生プロジェクトは、先生の指導で2年取り組みましたが、
産地をまとめることが出来ず、先生からも、
「この産地は駄目だから撤収しよう」と終わったこともあります。
東京新聞に先生が連載を書かれることになったとき、
私がそのイラストを先生から、「描いてみなさい」ということで担当。
先生は、フランス語で文章を書かれてそれを日本語にするために、
フランス語キーボードをApple Japanに頼んだこともあります。
明治大学を退任されたとき、美術館や図書館など館長依頼が一杯ありました。
ところが、先生は明治大学退任とともに、
NHKで著名な学者先生とのインタビューで世界を飛び回っておられました。
「先生、そんなに懸命にだと身体を壊します」と言ったこともあります。
最終に教わったのはロボットの「身体論」と「形態論」でした。
これはSONYのAIBOを最終審査をするために教わったことです。
哲学者・西田幾太郎に次いでフランスから認められた哲学者でした。
Apple Japan10周年では、先生が新聞広告でモデルをされました。
しかし、あるとき、先生の歩き方が本当に弱くなり、
先生のショルダーバックのファスナーが開いたままのときに、
私は先生に異変があると思ったのです。
それから入院をされて、もう会えなくなりました。
一時、明治大学に誘われたことがあります。
明治大学の理事からの誘いの時に、
「先生に会いたい」と言ったらもう無理だからそーっとと言われました。
先生は結局、老衰で91歳で逝かれました。
何度も先生のことを書かなければと思いつつ書けなかったのです。
先生の語られる=書かれる「知」はそれこそ今では「哲学領域」にて
随分と先生の書かれたタイトルが引用・借用・盗用されて使われています。
この「術語集」の「あとがき」には、
私のことを紹介とともに書いていただいています。


* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 「緊急課題になった『リトルネッロ論』の再考と具現化」
* 「 Media Integrationは「述語論理」だという確信・6 」
* 「これまで6冊の出版に込めたパターン化」
* 『「真善美」をプラトンに教えられたから生きてきた』


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