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「三匹の狛犬は活断層から護ってくれるはず・・・」


   


     5月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

私は三匹の狛犬で護られています。
まずは、越前市(武生市合併)に1300年代から、
千代鶴国安(二人説もあり)が、
刀を一振り製作する毎に、
武器=人殺し利器にならぬようと願いをかけ、
砥石を素材にして作ったと言われている狛犬です。
千代鶴国安は京都の刀剣作りからドロップアウトして、
国府であった武生市で野鍛冶を始め草刈り鎌を発明し、
それがやがては福井藩の重要な物産品になりました。
橋本左内や横井小楠が、この物産品製造でのルールを取り決め、
その古文書が残っています。
750年の伝統工芸産地・越前打刃物を私はブランド化しました。
「タケフナイフビレッジ」には、
神殿=祠と劇場=工房までを整備し、すでに30余年になります。
「タケフナイフビレッジ」のシンボルマークにもしています。
そしてペアである狛犬は、
九谷焼でわが家の玄関に鎮座しています。
なにしろ自宅は大阪中央区の地上100m32階にあります。
隣に大阪城がありますが、見下ろす高さです。
明石大橋までが見渡せます。
しかも最近に分かったことは「上町断層」直近です。
南海地震があれば、この断層は3.3m隆起し、
震度は7.2とか予知されています。
だから、この狛犬には絶対に護り抜いてもらいたいのです。
名古屋から大阪に引っ越したときに、
なんとしても狛犬でしかも九谷焼を探し求めました。
そうしたら、その想いを抱いた直後にわが家にやってきました。
絶対に、タケフの狛犬が派遣してくれたと確信しています。
必ず活断層からこの狛犬たちが私たちを護ってくれるはずです。


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「有田プラチナ釉薬仕上げ工程デザイン」


   


     3月 25th, 2012  Posted 12:11 AM

Platinum Morphological Reflection Method.
伝統的な有田磁器への新たな造形デザイン意図は、
カップのプラチナ釉薬仕上げによって、
Anamorphosis的なソーサーグラフィックを反射させることで、
これまでの陶磁器文様のあり方に一つの表現形式を与えることでした。
問題は、プラチナ釉薬の焼成が何度も思い通り平滑に仕上がらず、
結果はソーサー文様が歪曲してしまいます。
特に有田現地産出の天草陶石については、
土練りから成形・型抜き・素焼き・施釉、そして窯入れ・本焼き、
窯出しを経て、プラチナ・金処理後の錦窯で定着までを
産地の職人さんとのやりとりを2年間繰り返しました。
こうした現場とデザインの関係を、
Product Process Method of Development Management
PPMDMと呼ぶことにしています。
こうした有田の工程は、有田焼を最も特徴づけています。
それは土練りから成形し素焼き後すぐに施釉するのは,
1640年代ごろの中国人による革新技でした。
これが有田焼の最初の革新だったと私は思っています。
さらに、3回も焼成する伝統技を生かすことで、
プラチナ釉薬が定着するかどうかでした。
困難を極めました。
だから私はプラチナを線で表現しても、
面表現は無理と思わざるを得ませんでした
しかし、産地・福泉窯は社運をかけて取り組んでもらいました。
正直まだまだ改善することは残っています。
これがとても大切な課題です。
この課題こそ今後の有田焼はもちろん
国内すべての陶磁器伝統産業への問題解決になるでしょう。
ともかく第一段目の商品化にたどり着いたと判断しました。
陶石をさらに金属化していくことで、
現代のセラミックス技術に統合化できないだろうか。
プラチナの施釉ではない新たな定着方式など、
今、私の想像力の中ではPPMDMという
陶磁器産業へのデザイン導入方法のアイディアに包まれています。

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「プラチナ・ミラーリングのティーカップ」


   


     3月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

有田焼はこの2年研究をしてきました。
それは日本の陶磁器産地、その現状をしっかりと確認したことになります。
コーヒーカップの製品化を、
今度はティーカップにも新たな展開デザインを試みた結果、
Platinum Morphological Reflectionという手法で、
基本的な3パターンを押さえました。
ドット・ストライプ・チェックというグラフィックです。
そして、PMRはAnamorphosis的にどこまで可能かを追い求めました。
コーヒーカップもソーサーのグラフィックが
ミラーリング的に反射効果をしますが、
ティーカップは、曲面や曲率から、
正当な反射になるようにするためには実験をしました。
結果、デザイン設計として産地にグラフィックも提供し、
その基本となる釉薬から焼成での平滑度を
製陶工程に組み込むことがやっと出来ました。
講演前夜にその確認をするということになりましたが、
もし、私なりの評価が私の基準に達しなければ、
産地側にも決断をしなければと思っていましたが、
デザイン仕様どおりにモデルは完成していました。
そこで、詳細な工程も含めて講演内容に、
PMR-Methodの話を盛り込むことが出来ました。
その夜はうれしくてうれしくてたまりませんでした。
しかも宿泊したのが「嬉野温泉」でした。
まさしく地名どおりに
「お湯につかれてウレシーノ」を実感した次第です。
有田と伊万里は磁器産地であり、唐津は陶器産地です。
三つの産地の現在の商品価値は、国内外と比較して見てきました。
これは今後、
日本の陶磁器産地すべてに共通する問題を私なりに提案し、
なおかつ国内各産地毎の解決を求めたいと思っています
CGで見ていただければ納得してもらえると思いますが、
多分、この手法を模倣することは困難です。
そして、
陶磁器業界も模倣を繰り返すことで発展してきたはずですが、
私の判断評価は、
この400年ほど「陶磁器産業の高密度化」は停止していたと思います。
絶対に「革新」がかなった商品開発ができたと自負しています。
まだ次々と革新的な手法を国内、特に有田から出発させる覚悟です。

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「書く道具にはなぜか心惹かれて」


   


     3月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

また、硯に心惹かれてしまいました。
パームトップと言っていいほど、
掌に収まる小っちゃな硯箱セットが私を呼び留めました。
「これが私の所に来たがっている」と言って、
ワイフに睨まれながらも買い求めました。
ただ、硯の仕上げはいまいちです。
もう私が要求する技術は無くなってしまったのか、
あるいはそこまで技ある職人さんが
居なくなったのかもしれません。
まずまずの出来映えであり、市価もそれほどではありません。
しかし、筆の出来映えはこれは伝統が確実に生きていました。
硯石も仕方ない出来映えです。
多分、筆から硯など全てがそれぞれの産地で造られているのでしょう。
だから、全体のまとまりには技の差が明確です。
でも気に入っていて、すぐにこれではがきを書きました。
きっと、出張時に持ち歩くことになるでしょう。
もし、自著にサインを求められたらこれで書く、
こんなことをワイフに言ったら、
「相手の人がびっくりしてしまうからせめて矢立にしたら」
と言われました。
それにしても、硯を擦っていると心が癒やされます。
そして、筆をとればますます癒やされます。
これほど癒やされる道具なのに、
どうしても細部の仕上げが気になって仕方ありません。
デザイナーだから、それはひとつの物狂人なのだと自覚しています。
そうして、ちっちゃな硯に向かっていると、
収集しているすべての硯石が気になって仕方なくなってしまいます。
どうして、「書く道具」にこれほど心が引かれるのでしょうか。
でもこれは幸運な性分だと思って満足しています。
リタイアしたら、毎日、硯から万年筆まで、
毎日眺めて過ごしたいと思っています。
そういえば、半年前に注文していた万年筆が届きました。
それがそうした雑誌の表紙になっていて、
「どうしてこうなるモノを選んでしまうの?」と、
またしてもワイフから聞かれます。
「性分」、そしてプロだから、
(幸せな自分だ)と思えてなりません。

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「陶磁器ようやく作品化から商品化まで」


   


     3月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

陶磁器については、私の関心は小さいときからありました。
ほとんど日常生活は九谷焼に取り囲まれていました。
唐三彩などは雪国の利休鼠色の曇天には
とても重要だったのではと思っています。
デザイナーになってから、
ともかく超えられない陶芸作家が3人いました。
まず、徳田正彦氏(徳田八十吉・三代目・金沢美大先輩)から、
若尾利貞先生・小松誠氏です。
正彦氏の九谷焼は高校時代に大きなショックを受けました。
これまでの九谷を大革新した唐三彩の色使い、
それが、在米日本大使館の大きな玄関にある大皿は本当に見事です。
小松誠氏は知人であり、彼の陶磁器デザインは秀逸です。
なるほどMoMAにはすぐに収蔵されるデザイナーです。
そして陶芸家としての若尾先生の陶磁器研究や
その制作現場には大きな憧れがあり、先生の思想を作品から学びました。
小松誠氏の作品は何度か批評を書かさせてもらい、
氏からも作品をいただいていました。
したがって、彼らの作品を前にするととても打ちのめされていましたから、
自分の発想がアポリアになってしまいます。
しかし、有田の福泉窯さんからステッキのデザインを依頼され、
あらためて世界の陶芸ブランド品も収集しながら、
ともかくティーカップの前にコーヒーカップからトライを、
これがようやく2年がかりで商品化するまでになりました。
本当は、もうアルミナ素材で
すべてをセラミックス化をと思っていましたが、
伝統工芸の産地で、この投資は困難です。
そこで「PMR=Platinum Morphological Reflection」と名付ける
Anamorphosis的な効果をねらうために、
プラチナ釉薬を現地産の天草陶石で試作を繰り返してもらいました。
このミラーリング効果は、
おそらく陶磁器表現としては世界でも初めての試みだと思います。
なんといってもミラーリングによるAnamorphosis的な効果を、
さらに完成度技法をアップさせなければなりません。
プラチナ釉薬や陶磁器素材と焼成方法を進化させる方法が
すべて自分の中に蓄積できました。
ここから、新たな革新を有田はもとより、日本各地の陶磁器産地へと
セラミックス容器デザインそのものを今世紀に革新できるでしょう。
そして、こうした素材・釉薬・焼成などから
日本の新たな輸出産業化をめざしたいと考えています。
相変わらずの陶磁器デザインに固守するデザイナーは義務放棄です。
いくたびも、試作品で、「飲み心地・使い心地」の確認をしてきました。
まだまだやれそうなことがあると考えています。
そうして、新たな陶磁器・セラミックスデザインのために
新たな才能を見つけ出すつもりです。
もはや私はプロデューサーに徹したいという希望があります。

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「一服のお茶、そのお茶碗は鼠志野焼」


   


     3月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

お茶なら、一般的には焙じ茶と番茶があります。
私は金沢美大時代に、加賀棒茶に出会い、
それ以来、日常のお茶は加賀棒茶です。
そしてそのお茶碗は、私が最も信頼している陶芸作家、
若尾利貞先生からいただいた鼠志野です。
おそらく岐阜県の美濃産地は
日本で最も陶磁器技術を集約した産地だと私は思っています。
若尾先生との出会いは、
NHKの「作家を訪ねる」という企画で出会いました。
当初私は、陶芸家には独特のトラウマがあって
このインタビュー役を断りました。
そうしたら、若尾先生も、
デザイナーで大学人ということで断られたらしいのです。
それだけに番組の若いディレクターは、
なんとしても会わせることが収録効果になると思ったとか。
ともかく、美濃に出かけ先生のアトリエである先生の窯を訪ねました。
色々話をしているうちに、お互いの美学性が一致してそれ以後、
すっかり先生と打ち解け合いました。
そして先生から、このお茶碗をプレゼントしていただきました。
鼠志野の技術を復活されて、
その評価は国内ではなくて海外で認められました。
それで日本でも陶芸作家として
トップランクの先生になられたという経歴です。
鼠志野は陶器ゆえに「貫入」があります。
「貫入」とは素地と釉薬の焼成と冷却の収縮率差で
陶器の使い始めには水漏れがしますが、
使い込んでいくうちに目地は埋まり
使いこなしそのものが陶器の味わいになります。
この茶碗はおそらく私の形見になる愛用品です。
そして、鼠志野から学んだことが
私の陶磁器への基礎的な知識になっています。
私は、素地である粘土、焼成、釉薬はもとより、
この「貫入」を技術進化させたいと考えています。
いつも日常生活での「一服のお茶」に和まされますが、
それを支えてくれる「器」こそ、
デザイン対象化していくモノへの基本的な眼差しだと思います。

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「貿易立国最初の輸出品・九谷焼き」


   


     3月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

明治維新後、日本のアイデンティティ明示は、
岡倉天心の国家プロジェクトで、狩野芳崖の「悲母観音像」でした。
西欧諸国が驚愕したこの絵画一点を証明したのは、
1873年ウィーン万国博での「九谷焼き」商品でした。
日本が貿易立国となっていく最初の商品が九谷焼きになりました。
私はこの最初の貿易品が九谷焼きだったのなら、
長い間どのような陶磁器であったのかと思い続けてきました。
改めて逆輸入された当時の輸出品そのものを九谷産地で見つけ出しました。
今では私の大切なコレクションになっています。
これは現在の九谷焼きをはるかにしのいでいるとともに、
日本の現代の陶磁器技術を超えていると評価できます。
まず陶磁器とは思えない、
まるで「ガラスのようなセラミックス」であり軽いことは究極です。
さらに、装飾=これをデザインとは私は呼びませんが、
デコレーション=装飾・加飾技法もずばぬけています。
だから、加賀の伝統は今も健在だとは言い切れないと思っています。
最近、全国の陶磁器から漆器に至るまで、
デコレーション=加飾の描写技法デッサン能力の低下を私は憂いています。
ずばり、
伝統工芸産地での自然写生デッサン力は下手くそになり果てています。
そのようなデッサン力で「人間国宝」の作家が数多くいます。
これは日本だけでなく海外の有名ブランドでも起こっている傾向です。
それこそ、何の花か、鳥らしいが何の鳥、葉っぱなどの描き分けは
完全に間違っているモノが多いのです。
自然観察力とデッサン能力は世界的にも力量低下しています。
世界の自然景観で失っている動植物が多いのかもしれません。
私は、最近は陶磁器を徹底的に収集をしています。
デザイン資料は「使わないと」本当の機能・性能が不明ですから、
いざ購入ともなれば、
自分がコレクションするのだから吟味に吟味します。
陶磁器はCHAINAと呼ばれてきましたが、
漆製品=JAPANでは無くて現在はLUCQER WAREと呼ばれます。
したがって、陶磁器産業はセラミックス産業として、
まず、陶石や陶土を伝統工芸陶磁器現地産から解放されるべきです。
さらに、写実的なデコレーション、
これを私は絶対にデザインとは呼びませんが、
デッサン描写力を強化すべきです。
となれば製陶技術を
さらに高度な技術開発をベースにしたデザイン導入が必要です。
結局、陶磁器はあまりにも伝統工芸への大きな誤解、
産地存続の継承にだけ踏みとどまり、
全く「革新」をしてこなかったと判断しています。
なぜ、明治維新後、日本の国際化・貿易立国としての輸出品が
九谷のセラミックスだったのかその詳細を見直せば一目瞭然です。
この技術はもはや九谷に残ってはいないのではないでしょうか。

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「安易な包丁デザインは絶対しない」


   


     2月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

タケフナイフビレッジが知られるようになってから、
福井県ブランド「ECHIZEN」もつくりました。
そして産地全体が商品化できる包丁をデザインしました。
ヒット商品になり、中小企業庁長官賞もいただいたモノです。
四つのポイントがあります。

●1 グリップ形状が楕円(A)から正円(B)になっていて、
しかも正円までのテーパーがあるにも関わらず、
ハンドルグリップは抜け落ちすることがありません。
●2? 日本の包丁には必ず(C)部位には刃先処理が必要です。
これは日本料理をするにはこの部分で、
たとえばジャガイモの芽取りや、魚処理で必要です。
最近の包丁にはこの部位刃づけが欠落しています。
●3 グリップと刃=ブレードにはグリップに端面処理(D)が不可欠です。
なぜなら水使用でここからグリップへ水分が入るだけでなく
大腸菌が繁殖する可能性があります。
●4 そしてほとんど木製のグリップは、
二カ所(E)にピンを打ち込んでブレード+グリップ留めをします。
私はこうした木製グリップは安易なデザインだと思っています。
だから、このデザインでは(D)からグリップに差し込んで
グリップ固定をする構造設計をしています。

国内外の包丁やキッチンナイフには、こうした条件を全うしていない
安易なデザインが氾濫していると指摘しておきます。


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「伝統とは『裏切る』ことへのアプローチ」


   


     2月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

「私たちは美しい切れ味を鍛えています」。

越前打刃物、その産地に掲げたマニフェストです。
余談ながら、マニフェスト=宣言として、
私はデザイン導入テーマを宣言として使っていました。
そして伝統=Tradはラテン語原意そのままに、
伝統工芸技術への裏切り方をシンボル製品開発に
プロセス調査を重ねることにしました。
鉛筆が削れる、そのためにはナイフを鉛筆削り専用を開発しました。
小学校1年生から中学校1年を対象に、ペーパーモデルで検討し、
小学校4年から5年生で手の大きさが急激に成長することと、
小学校2年生になると「器用に美しく削る」ことを発見しました。
その削り角度(写真上の緑線)
そして火づくり鍛造する三層鋼を
特別に素材メーカーで生産してもらいました。
ステンレスに鋼材をサンドイッチしてもらった三層鋼です。
私自身が左利き(左右両利き)ですから、
左右どちら利きでも使いこなすこと。
本革のケースと研ぎ石も付属させた商品にしましたが、
一番の問題は、この刃物(3,000円)も30,000円の包丁も
ほとんど人件費は同等だったことです。
それでも、「シンボル商品」として商品化しました。
そして、プラスチック柄にするまでには10年かかりました。
産地体制でプラスチックハンドルの生産が不可能だったからです。
今もその体制づくりは出来ていません。
最終的な研磨を産地で製品化して商品にしています。
現在ではプラスチックゆえ「プラ・スコラ」という商品名にしています。
私は、もう一度産地体制での生産設計をやり直して、
本来のオール金属+本革シース+研石の「SCHOLA」(学校を意味)を
復元商品化したいと思っています。
そのためには、伝統技をもう一度「裏切って」、
新たな製造工程のデザインが必要だと思っています。


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「日本陶磁器の伝統革新」


   


     11月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

六古窯というのがあります。ご存知でしょうか?
日本で陶磁器が始まった六つの産地です。
しかし、この六つの産地で生き延びたのは、
すべからく茶道と結びついた所だけです。
したがって日本各地には陶磁器の産地が散在しています。
というより、陶磁器は陶芸の作家が居ればそれなりの産地になっています。
伝統工芸をデザイン対象にしたのは私自身が故郷にUターンしてからです。
陶磁器のデザインもやりたかったのですが、
なかなか産地に巡り会いませんでした。
福井の産地では私の論理が猛攻撃されました。
陶磁器は子供の頃に九谷焼に取り囲まれていましたからとても好きです。
しかし、より詳しくなったのは西洋や中国の青磁白磁を知ってからです。
とりわけティーカップやコーヒーカップには寸法決定の法則があります。
少なからず美大時代には陶芸を傍観していました。
そして後に知ったのは、岐阜県の美濃焼産地です。
ここには鼠美濃などを復元するまでの
日本全国の焼き物データが集積している製陶学の中心地だと思っています。
それでも、ティーカップやコーヒーカップの
伝統的かつ正確なモジュールは日本ではほとんど遵守されていません。
さらに釉薬や焼成方法などは
ほとんど進歩していないと私は断言しておきます。
有田焼は元来、九谷焼の母産地です。古九谷というのは有田焼風です。
しかし、ARITAという名称は中国に世界的に商標登録までされています。
そこでこの有田産地へのデザイン導入の最初は
ステッキの華飾として商品化しました。
当然、現在のステッキはリハビリ用品から抜け出ていません。
人間工学的な設計も十分にしてあります。
これはいづれ詳細を報告したいと思っています。
そして現在、コーヒーカップ、ティーカップの
デザイン設計、特に、新たな釉薬、絵付けの革新を狙っています。
理由は簡単です。景徳鎮で始まったchinaは、
まったく進化していないというのが私の結論です。
そして、
日本の陶磁器も伝統から抜けだそうとしていないことです。
いわば、伝統にだけ寄りかかってきただけだと判断します。
ふるさと福井は六古窯のひとつですが、
確かに作家モノはありますが、評価出来がたく、
かって福井に居たとき、若さもあって総批判した結果、
産地はもう私を絶対に呼ばないとまで言われました。
若い作家、人間国宝、文化勲章受章者も、
陶芸の世界には華々しさがありますが、
正直、私にはたとえ文化勲章受章者の作品であっても、
全く評価出来ないモノがあります。
それは、陶磁器という伝統と革新を美学として、
私が見つめる価値観が下敷きにあるからです。
だから、私は私が陶磁器をデザインするなら、
自分の美学を明確にすることだけは護ろうと言い聞かせています。

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