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Posts Tagged ‘病院’


『70周年大阪市北区記念医師会の祝賀記念講演。』


   


     11月 19th, 2017  Posted 12:00 AM




70周年記念祝賀会の記念講演をしました。
設立して70年、昭和22年からですから、22年、23年、24年(私生まれ)は、
いわゆる団塊の世代生まれ年です。
大阪市北区医師会の祝賀会でしたから
会員数は500人、北区民は138000人です。
子どもが年毎増えていて、新しい小学校は今5階建をという話でした。
ともかく、人口は増加傾向だそうですが、聴衆はドクター達でした。
だから、「コンシリエンスデザイン」と「近未来医療」を、
私が特に阪大に来てからの実務や、救急体制、
さらには重粒子治療病院などを、
今流行の「デザイン思考」や「医工連携」では絶対に実際実務に至らなく、
「コンシリエンスデザイン」での実務デザインを紹介しました。
KK適塾では3画面ですが久々にこの講演会でも3画面中央は私の講演画面。
サブ画面はメイン私画面を補助説明するということが可能でした。
だから、映像も音響も使うことが出来て、
このようは映像講演は初めてと言われました。これは私の狙いです。
最大の講演なら両サイド3+3=6画面、
センターメインはPinP で両サイド合わせて3画面を使うことが可能です。
私はPowerPointプレゼは全く認めていません。
KeynoteならばPowerPointデータも流せますが動画なら8映像が可能です。
このプレゼでは、助教がサブ画面のコントロールを任せています。
私はメインは自作して、サブはメイン説明補助を2画面使っています。
北区医師会は阪大卒ドクターも多くいて、
2年前から「白い巨塔」を全く知らない医学生が入学しています。
これはかなり、ショックを与えたようです。
私ならば、第一の「白い巨塔」、次回のドラマ、再放送も知っていますが、
「白い巨塔(阪大入学)にようこそ」という
冗談交じりの挨拶が全員知らない世代になっているのです。
救急医療は、都道府県の行政、どの救急隊のこれほど違いがあることや、
ドクターヘリのこと、さらには放射線治療である重粒子から、
やがては中性子放射医療になることで、
早く、大阪府にも欲しいことを伝えました。
なんでも、現在計画があって、その病院が出来上がるようです。
三画面使用と、近未来での医療変革での
AI・BigData・AR・VR・Medical Tourismまで伝えられたと思います。


* 『東京藝大からの二人の講師を迎えて「KK適塾」』
* 『行学はデザインにあり・「KK適塾」を開始します』
* 「講演会でも感じ取ってしまう近頃!」
* 『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』
* 『デザイン対象となる医療関連の開発について』


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『リムジンはただ乗って使用してるのに所有している』


   


     9月 15th, 2017  Posted 12:00 AM



車は所有欲と使用欲が見事に3通りある製品です。
所有すること=持っていたい車、使用する車=車なら
ともかく移動手段で十分、所有もするし使用もすること。
車遍歴は、所有することが個人史になる対象物です。
そういう意味では、おそらくリムジンを所有する人は僅かだと思います。
名古屋時代、私に九州のある女性オーナーから仕事の依頼がありました。
初対面でいきなり言われたのが
「川崎さん、奥歯は大丈夫ですか?」
「えぇ!」
「すごく懸命に仕事をする人は、大抵、奥歯がやられて抜けるんですよ、
プロの野球選手ほど、そういう人多いですから」
私の奥歯は虫歯もあり、どうしたものか、と考えていたのです。
彼女は、病院、歯科医院、介護施設などの経営者でした。
「私が依頼する仕事と同時に私が経営する歯科医院はとてもいいですから」
とのことで、奥歯のインプラントなどをすることになりました。
そんな会話をしている中で、東京にほとんど車移動がかなり辛いこと、
そうしたら誕生日も聞かれたのです。
ある日、彼女から突然電話があり、
「誕生プレゼントを大阪港まで運んだから、
リムジンを運転できる人を寄越しなさい。
遠出するリムジンはもう使わないし、リムジンはもう一台あるから、
一台誕生日プレゼントするね」、と、
思いもつかないリムジンが私の元に来たのです。
キャデラックのリムジンは、眠れるように、改造もされていたのです。
実際私は運転できません。スタッフの一人が車にも詳しく、
運転もすぐにマスターしてくれました。
丁度、私はGマークの総合審査委員長でしたから、
東京-名古屋は深夜にも眠って往復しました。
それは使用しているのですが、所有もしているわけです。
ともかく、ワイフが嫌がったのは、車が停止すれば、
必ず、その車から誰が出てくるのだろうと見詰められることでした。
私はこの車を使用しているにも関わらず所有感を満たしてくれるのでした。
ただ流石に大阪大学の教官としてでは使わないので手放しました。
しかし、車への自分の欲望をしっかりと見詰め直すことが出来ました。
工業デザインを教える立場として、カーデザイナーをめざす教え子には、
全てを修士課程で学ばせて車メーカーから企業留学を全員させました。


* 『日本で商品展開が不可能だったカーデザイン』
* 『「福祉車両」とは決して言ってはいけない車』
* 『白い歯のためには徹底的なメインテナンスが要る』
* 「U4(UFO)だった、わが研究室」
* 『大学キャンパスで3番目になった私の研究棟看板』


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『フリーランスになって最初の車』


   


     9月 12th, 2017  Posted 12:00 AM



リハビリテーションのために、
私はK労災病院での苦しい毎日を
実は半年しか受けていません。
それほどリハ訓練は真面目に受けていました。
たとえば、朝の検温で37度Cを越えるとリハ訓練は休まざるをえません。
38度Cでも、私はコップの水で体温計の体温目安を下げることを覚えて、
それでよく訓練をその病院の体育館に行きました。が、
結局、何度もその場で倒れたことがあります。
ともかく早く退院したかったのです。
あるとき、車の運転をしてみないかということで、
患者さんの車を借りて運転しましたが、右ハンドルはとても乗降不可能です。
中原街道で大渋滞を引き起こしたこともあります。
車椅子使用者は左ハンドルに限ると思い、なぜ左ハンドルなのに、でした。
退院間際に車を選んで注文をしました。
それはシボレー・モンザのハードトップでした。
この写真とやや似ています。
改造されたモンザが病院に来たときには大注目されました。
私自身もこんなに屋根が低い車は初めて見ました。
ともかくこの病院ではいい思い出は全くありません。
だから、毎月の診察も完全に無視していたので、
東京時代は相当に体調を何度もこわしていました。
ともかく、あるメーカーの指示で赤坂の新築マンションで独立しました。
しかし、それは東芝社員のまま、特例で独立したのです。
あるメーカーとは「レコード針のナガオカ」でした。
入院から徐々に外出の時に、ナガオカの試聴室に行き、
「川崎さん、独立しなさい」と薦められたのです。
「音を聴いたら、川崎さんはこの世界に帰ってくるべきだから、
独立準備はこちらでやるから」でした。
だから、赤坂から豊島区までや、明け方には国会議事堂から銀座を抜け、
晴海埠頭までメチャクチャに飛ばしていたことがあります。
その内にいずれ暴走族と言われる連中に絡まれましたが、
私が車椅子だと知ると皆が守ってくれていました。
だから赤坂のマンション前には暴走族がタムロしていました。
車椅子になって最初の車がモンザであり、
横浜ナンバーで走り回っていたのです。
ところが、140km/hを越えると車にかすかな振動を感じたので、
この車を買い換えることになるのです。


* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『ワインはセンスを決めるひとつのアイテムだ』
* 「フリーランススタートの頃」
* 『素材=ボロンとダイヤモンドですでに開発していた』
* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』


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『診る・看る・観る・視るを取り囲む安全と安心の環境』


   


     8月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



コンピュータの表示機をディスプレイと呼んでいた時期がありました。
モニターという呼び換えによって、その表示には、
映す・写す・撮す・遷す、という表示内容がありました。
しかし、一般的には移すという行為が移すになり、
結局、映すということで、映像と言われて映像機器が
今なお、液晶TV・モニターも映す機器になっています。
ほぼ10年、映像モニターのデザインに携わっていましたが、
以後、その映像機器メーカーはその基本が無くなり、
企業の商品そのモノのデザインには機器らしさの根本が消えたかのように
デザインの魅力は無くなっているようです。
これは液晶TVのデザインにも造形言語と形態言語を失ってしまっています。
最近、オーストラリアの液晶TVがこのライン性を取り戻しています。
そこに「デジタルサイネージ」という商品群が登場しましたが、
根幹が無いがゆえにデジタルサイネージは電子看板となって
これこそ映像ディスプレイに引き戻してしまっているのです。
性能性・効能性・機能性を失っていると自分は判断しています。
自分が引き込んできたのは「アッサンブラージュ」という美術的手法でした。
それに付け加えたことが、診る・看る・観る・視るという機器と行為を
IoTを焦点化したinternet of Medical Things=IoMeTでした。
これは病院と自宅、訪問看護での新たな効能性=社会的に存在する意味、
すなわち、患者への医療環境から医療情報をネットワークによって、
安心と安全を与える看医工学を成立させるシンボルを形成しています。
いわゆる患者のBig Dataへの社会制度を支えるモノが、映像機器を
システム化だけではないダイナミックスを社会の情報環境に与えること、
この可能性という進化にたどり着いたと考えます。
「デジタルアッサンブラージュ」は、
診る・看る・観る・視るを映像機器をさらに進歩させていると確信しています。




* 『デザイン対象となる医療関連の開発について』
* 『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
* 『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
* 『IoTではなくIoMetというライン手法』
* 『自宅玄関には涼しさを「デジタルアッサンブラージュ」』


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『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』


   


     8月 10th, 2016  Posted 12:00 AM



2015~2025年に65歳以上は709万人増加します。
この高齢社会は世界的にも初めての地球上の人類の大問題です。
2012年に170万人の介護者が足らずに、それは
2025年には250万人の介護者が大不足していることは明らかになっています。
わが国が抱えこんでいるこの難問にデザインは真っ直ぐに
問題解決を、介護機器と介護環境によって与えていくことです。
このところ、阪大の「コンシリエンスデザイン看医工学」では、
IoTをIoMeT= Internet of Medical Thingsとして
次々と製品デザインを成し遂げています。
これは32インチの液晶TVを3台を仕込んだ、
自宅療養・訪問看護体制に「デジタルアッサンブラージュ」をめざした
医療環境のための機器です。
これにはもうすでに低コストになっている液晶テレビを
看護環境に配置する機器として製品デザインをしたモノです。
上部には病院と双方向の医療データがあり、
中央にはいわゆるTVですが、おそらく、現在のTV局ではなく、
インターネットTVの受像から、パソコンモニターにもなっています。
下部のモニターには、
介護や看護を受ける患者のデータが映像化されています。
しかもデジタルアッサンブラージュであることから、
LED照明はこの医療環境を自由自在にコントロール可能です。
さらに、重大なことは単なる液晶TVが3台設置してあるわけではありません。
一つは耐震性が考慮されています。機器中央の丸パイプは、
床から天井に対して
確実に固定可能になっています。
そして当然ながら、この機器をコントロールするリモコンも
まったく新たなデザイン。
最終的に人間が自分の力でどうすればこうした機器がコントロール可能かを
これも提示してきてから、この機器だけではなく、
ベッドや寝具デザインまでをリモートコントロールを考え抜いたモノも
すでに準備澄みです。
訪問看護体制と患者さんの医療データは、いわゆるBig Dataとしての
行政・病院・自宅・近辺へのシステムではなくて
IoMeTのダイナミックス体制を整えています。
これは私の母校・金沢美術工芸大学の
「金の美」展で正式に発表しようと考えています。

# 本製品の知財権は日本デザイン保護協会に登録済み

* 『自宅玄関には涼しさを「デジタルアッサンブラージュ」』
* 『改めて自宅玄関のデジタルアッサンブラージュ』
* 『KK塾での実務紹介=デジタルアッサンブラージュ』
* 『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
* 『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』


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『「手・掌を清潔に」するモノとコトのデザイン実務』


   


     7月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



「手あるいは掌」をきれいにすること。
手を洗うことは外出したら必ず、これは感染症を防止する日常的な常識です。
ここ数年で、病院はもちろんのこと公の場所や店舗などでも手の消毒剤を
どこでも目にすることができます。
しかし、病院ですら、これを常に使っているのは、
医療従事者、医師や看護師さんは当然ですが、来院者が使っている、
その現場は、自分は常に意識して見てきましたが、ゼロです。
企業の入り口にも必ず設置されていますが、これを使用している人を
全くみたことがありません。
理由は、面倒なこともありますが、何と言っても「手が濡れる」という
この印象が強いからかも知れません。
自分自身は、こうした手の消毒剤を全て使ってきましたが、
高級な消毒剤は、直ぐに乾燥してしまいますが、これではまた、
手を洗うコトと手を消毒するという日常性には大きな隔たりがあります。
自分にとっては、やはり、自動的に手をかざせば、消毒剤が掌に乗り、
それでも水でしっかりと洗い流すことが「手洗い」になります。
わが研究室は「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」であり、
基本は「完全無菌と抗体保健」をデザイン対象にしています。
無菌に拘れば、身体は弱体化するというこの矛盾への難問解決が、
コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザインを実務化する目標と目的です。
したがって、この「手洗い」の革新をこの3年狙って、
「全く新しい日常的な手・掌の清潔」を目指してきました。
この実装は7月28日に正式に記者発表をすることになりました。
これまでも多少、このブログで紹介してきた「動物実験」でのエビデンス、
これは医療関係での学術的な証左事実の確認です。
そしてこれを学術論文として発表をデザイナー自身がやります。
このデザイン実務は明白な「ビジネスデザインモデル」になるでしょう。
そして、こうしたことに次世代デザイナーが向かってほしいと願っています。


*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『デザインはすでにここまでが必然となっている』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
*『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』


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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM



この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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『1949.2.26日から生きている=死んでいく私』


   


     2月 26th, 2015  Posted 12:00 AM


私が交通被災に遭って車イス生活になったのが、28歳の時でした。
半年、救急病院で手術をし、転院してリハビリを受けました。
その病院で、統計データを見せた担当医は、私に、
「データ上では、確実に、40歳までが君の寿命」と言われました。
(こんなことを患者に伝える、お前はバカか!・・・)
それなら、いち早くこの病院を出ようと、
たとえ熱があっても体温計をゴマかしてリハビリ訓練をしました。
私の予測道理に米国のベトナム戦争傷兵脊髄損傷者の訓練で、
半年でリハビリ病院を出て、赤坂でデザインスタジオを開設、
しかし、父の命令で福井に帰り、40歳までをと・・・
気づいたら40歳になり、運良く毎日デザイン賞を受賞していました。
(あの嘘つきドクター!)と思っているどころか、
47歳で逝ってしまった母を考えて、47歳で大学人になりました。
2049年には100歳ですが、2050年以後の予測までを読んでいます。
66歳になってしまった私ですが、
やり残していることは、まず、デザイナーとしてやり遂げたい、
したがって、大阪大学を退官時の作品集「川崎和男Design」を出版。
出版社には、とんでもない、もう一冊作品集を出すと言っています。
結局、大阪大学大学院医学系研究科に転籍して、
今春からは正式に「コンシリエンスデザイン寄附講座」を新設です。
3.11の復興、範原発(脱原発は論理・言語論としても間違い)、
南海トラフ対策、そして2020年の東京オリンピックは観たい、
これが生きている=死んでいく私のとりあえず2050年までの計画です。
生まれて生きていくのは死んでいくことを明確に認識しています。
66歳ゆえに時間の体感経過速度はあっというほど光陰矢のごとし、
当然です。
66歳ともなれば、一年は66分の一で過ぎ去ります。
恩師は93歳で逝かれました。100歳を約束しました。
真正面で死を見つめて、それも3度も観てきた経験がありますが、
これから66分の一で過ぎ去る一年間にやれるだけやるだけです。


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『いわゆる毛布という布は衣にならない」


   


     1月 29th, 2015  Posted 12:03 AM



肌に纏い付く布は、二次元の広さがあって、
身体に接触するその触れ合いが肌合いであり織りの柔らかさでした。
布の中でも、真に身体を温めるにはその布の厚さがあります。
厚みがあって、肌合いの柔らかさには毛布があります。
毛布というのは、そのまま毛織りされていますが、
そこから起毛という処理で、折り目がまったく分からないほどです。
起毛という技術進化が、織物から編物、そして素材は多種ですが、
毛布の基本は、まずなんといっても寝具になるモノです。
毛布と寝具、しかも、赤ちゃん用から大人用までが、
実は詳細な起毛がそのメーカーをブランド化させていることを
実物で確認するべきだと私は思っています。
そうしていると動物の毛から絹起毛の毛布、アクリル系糸の起毛と
現代的な商品の豊富さがありますが、毛布の質判定ができます。
それは、布と毛布を織り、編み、そして起毛するという技能に
製品価値である、製品の品質が明確にあるということになります。
結局、毛布の出来映えを厳密にしているのは、
三つの判定評価の基準があるということです。
まずは、幼児の寝具に最適であるかどうか、
ホテルの寝具、その品格表現になっているかどうか、
さらに、病人に対する保護機能を持っているかどうかです。
が、病院、あるいは医療用の寝具であり、消毒性能は、
それこそ、ナイチンゲールが最も医療環境として認めなかった、
寝具とカーペットの関係を補完していることが考えられますが、
実は、現代の防菌性はこの毛布そのモノをすっかり変えています。
私がこの現代、最悪な医療用毛布は、行政管理の救急車に、
どのような毛布を使っているかをもっと厳密に基準化が必要です。
それは、私自身、こんな毛布で搬送されたら、
絶対に助からないと思い込んだ経験があるからです。
毛布とは素材の布の起毛性に素材毎の温かさがあるということです。


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『デザイン都市・Saint-Etienne市での基調講演準備』


   


     11月 17th, 2013  Posted 12:00 AM



1997年橋本政権時代に「フランスにおける日本年」以来、
フランス芸術大学との関係がありました。
「経済と文化」で日本のデザインを紹介のために、
フランス大使館からの招聘でトゥールーズ市に行きました。
スケジュールがハードで体調を壊し入院する程多忙でした。
だからアルビの病院に入院した貴重な経験もあります。
アルビ州からは「デザインの国際貢献賞」もいただきました。
旅行者は行かないフランス芸術大学。サンティアンヌ校では、
講演やワークショップ(これには東欧から参加者たち)もやり、
この市の将来に「医療産業を提案」したところ、
ユネスコのデザイン都市であるモントリオールと共同で、
とうとうこのテーマイベントが開催されるようになり、
キーノート講演での招聘をもらいました。
無論、3.11についてもふれ、さらに、私の提唱するPKDまでが
このイベントでとりあげられるまでになりました。
阪大への招聘状回答は英仏語承認書とさらに私の大学支援まで、
総長名でいただきながら、ようやく準備ができそうです。
連日のスケジュールでは、医療関係から病院、ロボットまで、
さらにはワークショップも開催しなければなりません。
フランス訛りの英語での予定確認の電話が深夜にあります。
そこで医学系研究科から若手のドクター出張をお願いしています。
フランスのデザイン界では「アルツハイマーへの解決デザイン」、
デザインを問題解決制度設計としてのデザインまで進化しています。
「フランスにおける日本年」時代は経済の活性化にデザインをと、
このような提案をしていましたが、彼らもとうとうデザインを
国家策略実務として認識が始まっています。
幸いなことに、フランスには教え子が3人いてくれますから、
また彼らに支援を頼むつもりです。
本当に真剣に全ての私なりのデザイン実務成果を持って行きます。

Health and design for all symposium 2013


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