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Posts Tagged ‘社会’


8月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 13th, 2010  Posted 9:30 AM

8月13日 乙未(仏滅)

「インターフェース」という言葉は、
意味を次々と拡大している。

が、結局は、
人間とモノ、
人間と環境、
個人と社会、
さらには人間と人間の
「間」に存在する「関係性」
あるいは、「間に仮設できる皮膜」という
定義を与えてもいいのかもしれない。

『デザインは言語道断』界面


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6月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 12th, 2010  Posted 12:26 PM

6月12日 大安(癸巳)

自分を社会に対峙させるという
覚悟ある態度=姿勢を毅然と確保して、
生き延びてやりたいと考えている。

その姿勢を貫く確信がなければ、
自分の中に潜んでいる
「何が美しいモノなのかを見極めて、
そのモノの美しさを表現することで
社会と向かい合う姿勢」を
見いだすことはできないだろう。

『デザインは言語道断』姿勢


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6月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 11th, 2010  Posted 12:24 PM

6月11日 友引(壬辰)

議論の場で
言葉による思考ができるということは、
社会がこうあってほしいという願望を
それなりに意識的に抱いているあかしであり、
安心できる。

『デザインは言語道断』姿勢


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5月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 19th, 2010  Posted 1:36 PM

5月19日 先負(己巳)

想像図を透視図で描く時、
消失点が希望であり夢でなければならない。

透視図に描かれた世界=視界は未来である。
未来の社会あるいは時間である。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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5月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 18th, 2010  Posted 4:33 PM

5月18日 友引(戊辰)

時代や社会は人それぞれの空間意識と考える時、
透視図は視覚的な認識を超越した
思考手法であると考えることができる。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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4月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 9th, 2010  Posted 7:21 PM

4月09日 仏滅(甲申)

私は自分が天職として選んだ
デザイナーという職業に就けて
これほどの幸運はなかったと思う。

それは、デザイナーは自らの「姿勢」を、
すなわち社会とどう対峙しているかを
いつも自分に問いかけて
いなければならないからだ。

『デザインは言語道断』姿勢


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『資本主義からの逃走』
 「相観論的な政策デザインをめざす」


   


     2月 13th, 2010  Posted 10:00 AM

from
Association
to Formation
DynamicsとFormationを先行させてしまいました。
日本は群集・アソシエーション社会から
脱出する政策が不可欠です。
群系・フォーメーションへと転換するべきです。
日本人は群集的な平準化が平等観になっています。
群系というのは格差性を肯定することかもしれません。
でも、この格差というのは、可処分所得差ではなく、
能力貢献度の差異性を認め合う社会化です。
現在は、小学校でも「主人公が数人」という学芸会。
マスコミ、特に新聞も、スッパぬかれることを、
お互いに制御して、平準化です。
これは、国としての「活性化」を阻止しています。
能力差はイコール、学歴でもなければ、
偏差値でもありません。
ともかく、群系という機能分担力の力量を、
相互的・相補的に認め合う新たな「競合性」を
育んでいく社会構造です。
だから、私は、地方分権は反対です。
なぜなら、地方の「やる気無し」公務員で、
地方の活性化など、できるわけがありません。
もし、地方分権にするなら、
「科挙」必要!
公務員選抜は「科挙」のごとく、
きわめて難しい選抜試験で、公務員所得を倍増します。
そして、常に、任期制での評価をしていく
新たな主義、これは民主主義ではなくなるでしょう。
わがふるさとを思うとき、
市職員・県職員の能力から首長能力は、
優れてほしいのです。
大阪に住んでいて、知事の構想は、議員や公務員に
阻まれている気がしてなりません。
「それはファシズムだ!」って言う公務員は削除です。
群系・フォーメーションには、
相当な、能力主義・意識改革・創造力が必至です。
それを政策デザインと呼びたいと思っています。
今、日本は、根本的な「変革時」にあることは、
間違いありません。


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1月16日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 16th, 2010  Posted 2:36 PM

1月16日 先勝(丙寅 )

ユニバーシティ・ガンビッドが
今後の社会や企業を
変革することになると
私は確信している。

『デザインの極道論』あつい


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『資本主義からの逃走』
 「e-JAPAN、常に失敗する政治政策だから・・・・7」


   


     1月 14th, 2010  Posted 1:00 AM

e-JAPAN から i-Japan

すでにデジタル社会になった時から、
たとえば、Junetがすでに動き出した時にも、
わが国の政治は無関心でした。
その後、私はほとんどのパソコンからスパコンまで、
当時の政治が何を重要視し、
「遅れながらも追随」しようとしたか知っています。
中でも「出来るかも」と思ったのは、「Σ-Project」、
そして「e-JAPAN」がありましたが、
これはもうネーミングで大きな間違いがありました。
すでに、i-Macが、ある種のブームになっていました。
つまり、「e-冠詞」の時代から「i-冠詞」へと、
時代は志向して、社会は「i-冠詞」を希求する、
ということが見え始めていました。
「i-Article」の時代と社会がwebになっていたのです。
すなわちi=虚数=imaginary numberのように、
難しい表現では「フェーザ表示」が起動したのです。
私は、「i-冠詞」=虚数というバーチャル語彙表示、
だと言いたいのです。
だから、「i-Japan」構想が不可欠だったのです。
「e-JAPAN」から、日本の携帯電話、
その技術は「世界から取り残されました」。
ちょうどDoCoMoがFOMAを世界基準にという、
そんな企画に、私も参画したことがありました。
私の発想は、多分、理解されなかったのでしょうが、
プレゼンテーション中断し、その仕事を放棄しました。
以後、ケータイは日本だけの「特殊な文化」に育成。

政治ー産業ー消費ー制度ー風俗

私は、それはそれでいいと思っていますが、
私自身は、政治ー産業ー消費ー制度ー風俗を傍観です。
結局、もはや日本では、「スマートフォン」さえ、
技術開発とデザインは不可能産業になっています。
その発端は、政治政策「e-JAPAN」のかけ声だ!
と思っています。

e から i

なぜ「eからi」だったのかは、重大な課題です。


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『資本主義からの逃走』
  「Atom資本主義が終わって、Bit資本主義の数式・1」


   


     1月 8th, 2010  Posted 8:00 AM

Bit Capitalism Equation

Bit資本は、パソコンの出現時にスタートしました。
けれども、Atom社会が資本主義というイデオロギーと、
ともに終わっていったという意識は、
全世界が認識することができなかったのだと思います。
私自身,デザイナーとしてパソコンをデザインツールとし、
しかも、
研究対象から趣味対象としながら気づきませんでした。
光造形システムで、「トポロジー空間論」や、
3次元CADから4次元CAD=「遺伝子操作のデザイン」へ、
さらに、その医療=命と向き合うデザインまでを
「デザイン対象」にしてきました。
ところが私の脳内の一方では、
再びマルクスの「資本論」・「経済学批判」にもどりつつも、
「数式」に書き換えるということにまでは気づかないという、
まったく別次元でした。
しかし、やはり、
このAtomからBitへの時代転換を「数式」にしてみます。
「数式」などというのはブログではさらに「重い」でしょう。
ひとまず、
「アルゴリズム」、いや、「数式的記号」に表現してみます。
そうすると、



とてつもない「不思議さ・?」と「そうだったのか・!」が
結びついたのです。
それをこれから記録していくことにしたいと思っています。

exponent

exponent=「e」の世界観
そして

imaginary

imaginary number=「i」の世界観が、
ぴったりと、Bitの世界の冠詞になっていたのです。
この数式あるいはアルゴリズムの進化を見極めれば、
「資本主義から逃走」して、
新天地に入ることが可能だとわかりました。


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