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Posts Tagged ‘福井’


『先進的なデザインの場は512Kで可能だった』


   


     9月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM



Macintosh512Kは全く新しいデザインツールになるという確信がありました。
全スタッフにこれをデザインツールにして、最も先進的な場を福井で実現。
デザインスタジオは、福井駅前にあり、
すでにプレゼンテーションも512Kで4:3画面で行うことができました。
そしてここには福井大学の建築学科の学生たちには、自由に使わせ、
デザインコンペへの応募をさせていました。いつも入賞は果たしていました。
その中の一人は今では国立大学の准教授になっています。
プレゼンテーションルームには巨大な壁画がありました。
それは親友がすべて鉛筆で描いたほとんど写真かと思える絵画でした。
これだけの才能はある私立大学で彼の存在が消される事件に巻き込まれ、
彼は日本を捨てて今はオーストラリアに居ます。
それこそ、3.11が起こった直後、
彼は私に、もうこちらに来るべきとそんなメールをくれました。
またここで、伝統工芸の職人さん達と打ち合わせをすると、NHKには、
「絵にならない、伝統工芸らしく」とか言われる有様でした。
私はNHKに対して、伝統工芸が近代的になるためには、
最も先進的なアトリエが当然という私の思いはほとんど通りませんでした。
伝統工芸は裸電球の薄暗いそういう場、
言い換えれば伝統工芸らしさは文学的な場が求められていたのです。
これを打ち破るにも、このプレゼンルームは重要でした。
現在も私は、デザインは絶対に最も先進的な場が必要と考えています。
そういう意味では、私のプレゼンや講演では16:9を重要視していますが、
とてもそこまでのことは叶っていません。
なぜデザインの場が先進的であるべきなのかは、
未だにデザイン界自体も気づいていないと私は判断しています。
私があくまでもMacintoshに拘っているのも、
絶対にWindowsでは無理なのです。
だからMacオンリー主義ではないことも付け加えておきます。
ともかく、ふるさと福井で私はまだまだ先が見えていない512Kに、
デザインの先進的な「場」づくりの根柢を求めていたのです。
そして、今となると、この認識による実際行動は
全くデザイナーには正解であったと思っています。


* 『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』
* 「現代の道具・LSIのやり直し」
* 「もう一つの言語を教えていた昔・ロゴレゴのこと」
* 『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』
* 『前頭葉で「ち」と「は」=形と言語が制御されている』


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『Mac512Kがすでに福井のデザインスタジオにあった』


   


     9月 22nd, 2017  Posted 12:04 AM



私はデザインをして製品が作品となり、商品化してしまうと、
デザインワークでのスケッチを破り捨てていました。
それが金沢21世紀現代美術館で個展をやらせていただきました。
しかも「プラトンのオルゴール展」は美術館にインスタレーション全てが、
永久収蔵・パブリックコレクションになりました。
その時、このデザインワーク時のスケッチは?と言われて、
「そんなの捨てていました」と言ったら、すごく叱られました。
過去は振り返らないと思っていましたがそれ以来スケッチは残しています。
幸い金沢展の時も、スタッフが一部持っていてくれたので助かりました。
彼は私のほとんど強烈なFAXまで持っていたのです。
先般も、私がMacintosh512Kを、スタッフ全員に持たせて、
そのプレゼンルームもということが本当?とか聞かれたのですがこれが証拠。
これらの写真が出てきて、
ほら、もう当時はFatMacと言われ始めた頃にはスタッフには使わせて、
やっと日本語使用がキヤノンで出来たDainaMacの時代、
私のスタジオ写真が出てきたのです。
このアトリエは福井駅のすぐ近くに3フロアも使っていました。
地下はショールームでした。
まさか、福井なんてという田舎街にこのアトリエがあったのです。
テーブルは人造大理石で、床は4cm高くて、まだまだなのにLAN対応。
その時には海外製でやっと出来たコンピューター室専門のカーペットまで、
Apple本社の連中もおどろくアトリエだったのです。
とりあえず、実在していた、まだ512K時代のMacは
デザイナーが一人一台を使っていました。
その裏側ではMacintoshXLがサーバーだったのです。
当時、MacintoshXLは国内に4台で、キャノン販売からもらったのです。
このアトリエは現在の阪大の研究室インテリアに引き継がれています。


* 『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
* 『資本主義からの逃走』「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・02」
* 「原点回帰と思っている作品」
* 「Power Pointで創造性は破壊されていきます、なぜなら系譜から」
* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』


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「モンテカルロ、そして車載携帯電話もあったカマロ」


   


     9月 13th, 2017  Posted 12:00 AM



モンザで私の行動範囲はとても広がりました。
ともかく、もうマンションも入院と共に引き払っていた私は、
懸命に退院を誰よりも早くとだけ考えてリハビリテーションに励みました。
基本になったのは、チーフが東芝の玉川工場(医療機器専門)図書館で、
見つけ出してくれた分厚い本でした。
米国でベトナム戦争傷病兵、
その中で車椅子になってしまった人のための訓練でした。
その、日本のリハ訓練の半分で退院出来るというプログラムに、
この病院のリハ訓練日程を半分にして取り組んだことです。
素早くステップを踏んでいる私は車椅子障害者から苛めを受けました。
これはいずれ書き残したいと思っています。
ともかく赤坂にデザインスタジオを持ち、車もモンザよりもっとというので、
シボレー・モンテカルロにしましたが、
余りのロングノーズで、赤坂の小路の坂では上りでは先が見えないこと。
3ヶ月ですでに車椅子対応に改善したにも関わらず、
シボレー・カマロ・ベルリネッタにしました。
これには、車載用の携帯電話をほとんど最初に取り付けたぐらいです。
これも最初は国会議員だけというのを言いがかりの論理で取り付け。
時には交番前歩道に乗り上げてここに電話してとかやらなくなるのですから、
こんな理由を一杯並べて担当者は私が三日通ったらOKでした。
この車載携帯電話だと、上手いラーメン屋に出かけて、電話で店の前とか、
最初は仰天されますが、電話をして食べ回ったこともあります。
当時はどうせ40になったら、寿命はなくなるのだからという荒技行動でした。
しかし、結局、このカマロで 56豪雪前夜に福井にUターンしました。
福井から東京には、このカマロをかなりの速度で乗り回していたのですが、
私には運転することをやめさせようという周囲の声で、
私はこれまた、New Yorkで見かけた美しいボルボのステーションワゴンには
専門の運転手付きで乗ることになるのです。
ともかく、北陸自動車道はとても運転が楽しい高速道路であり、
福井県内の伝統工芸の産地から若狭地方の原電も見て回り、
これは危険な建物と直感したぐらいです。
いつもこのカマロは、とても力強い車だったと思います。
カマロは11年間、マイナーチェンジが無い車でした。



* 「私の小さなふるさと・福井県」
* 『思い出の38豪雪と56豪雪、雪と対決してきた我が人生』
* 「車イスは器械だから、『自力』の身体化は必然訓練」
* 「慈愛は慈善には決してつながらず」
* 『モノに無頓着であってはならない!』


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staffblog 9月8日


   


     9月 8th, 2017  Posted 9:00 PM

9月8日


本日は、福井から、
マルイチセーリング株式会社
代表取締役会長 小林様が、
川崎の高校時代からのご友人、
福井キヤノン事務機株式会社
代表取締役会長 玉木様と共に、
大阪までお越しくださいました。


懐かしいお話に花が咲きつつ、
当時からこれまで、
色々なところで意外な繋がりが
発見されました。


商品化されて来たモノをみつつ、
次世代への想いを語り合いました。


新たなモノづくりへ向かい、
再び進むことになりそうです。


力強い握手で、再スタートです。


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『香りのデザイン、フレグランスデザインがある』


   


     5月 25th, 2017  Posted 12:00 AM



私が車椅子になってふるさと福井で、
最もデザイナーを多く抱えていた時期があります。
それは伝統工芸にインダストリアルデザインを導入し、
福井という田舎から東京で評価され出した頃です。
総勢が17名もいた頃があります。
丁度その頃、クレヨンしんちゃんの街から、
「春日部の桐」を利用したモノづくり企画がありました。
その作品の一つにスタッフから、
「アロマセラピーの時代が来る」との発想があり、
スタッフ全員で取り組んだ経験があります。
当時も桐の作品にそうしたモノを提案出品しましたが、
全く評価はされませんでした。
それがやがて、ローソクはアロマキャンドルとなり、
そして今ではルームフレグランスという商品分野が確立されました。
現在、私はDESIGN TOKYOの審査委員長として、
この展示会には出品そのものがを数ヶ月かけて審査をします。
出品できるかどうかは5人の審査が入ります。
最終的にはNew York・MoMAからも審査委員が入ってグランプリを決めます。
これは比してGマークよりも商品としてはヒットをします。
さて、その中でここ数年、ルームフレグランスが数多く応募されています。
無論、アロマ系の様々なインテリア小物がメーカー多種あることに仰天です。
しかし、私には本当に進化していると感じ取ることができません。
だから私は細やかな進化は採用しますが、落選させることが多いです。
アロマセラピーとか、室内に「香り」が現代はこれほど求められているのは、
おそらく、人間が自然から遠くに離れていったからなのでしょう。
小学生が遠足に出かけて、菜の花畑で
「家のトイレの臭いだ」と叫んだ話を耳にします。
それは魚の魚切り身と海の実物が結びつかない現代性だと思います。
私自身、フレグランスと言えば、香水は収集もしました。
しかし、今ではもうほとんど自分の香りを見つけています。
だから、香水ブランドで新製品が出れば必ず店頭で確かめています。
デザイナーにとって、それはファッションデザイナーにとっては、
「香りを纏うこと」がデザイナーの名声の表れでもあるのです。
多分自分は工業デザイナーですから、
香水デザインは出来ないでしょうがデザインしたい分野です。
ともかくアロマ系、インテリアのフレグランス、室内の消臭などには、
デザイン教育でも「香り」=臭覚系はカリキュラム化が必要だと思っています。
フランスの鉱山学にはこの分野があります。

*画面の写真はGoogle画像から任意に選んだモノであり、
 ©は商品それぞれにあります。


* 「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」
* 『知ったとしても、ダンディズムがあると思う!』
* 「春日部での桐工芸産地とのこと」
* 『DESIGN TOKYOでの「PROTO LAB」を充実させる』
* 『センスの有無?は、香りか臭いかだと思う!』


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『「禁断症状」を知らしめてくれた灰皿』


   


     5月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM



Accent on Designに私の作品=商品が展示されることになったのは、
New York SOHO Garally91で、
福井の伝統工芸、打刃物、和紙などの展覧会で評価を受けたからでした。
「川崎さん、何してるの早く会場に」、
「えっ、なぜですか?」
「CNNがあなたに会いたいと、灰皿が話題よ」
結局1時間後に会場に行くと、これを説明してほしい」と。
ようやく米国では禁煙が開始し出した頃でした。
SYMPTONSという商品名は、禁断症状を意味しています。
タバコが吸いたくなっても、灰皿孔の上のボールを移動しなければ、
これは一端吸いたくなっても玉をつまんで考えさせるというモノでした。
ともかく、下手くそな英語で懸命に答えました。
それが放映されると会場では、この展示コーナーが話題の中心になりました。
それからは著名なメーカーの社長たちと会って、
私の作品の商品化を話合いました。
メーカーでは、自分のメーカーブランドでというのがあり、
絶対にメーカー名を二つ、それも日本メーカー名を最初にと言い続けました。
「OEMでも・・・」というのは全部断りました。
試作をメーカーでやってもらいましたが、
何と言ってもその当時に鋳物に石目塗装は「タカタレムノス」だけでした。
断然に日本の企業、タカタレムノスが優れていました。
私はt低レベル製造を一切拒絶し、それは今も全くブレていません。
その頃私も禁煙をなんとかしようと考えていました。
自分での紙巻きタバコを造ってみても、
それは素早く紙巻きが出来るようになったりでした。
そこで、この灰皿となると、
2つの灰皿孔では駄目、それで3つの灰皿孔でも、
結局、この灰皿で禁煙は出来ず仕舞いだったのです。
それでこの灰皿デザインでは、
デザインをともかくし続けることをしないと、
自分自身がデザインへの禁断症状になるということになり、
もう車椅子での生活も40年になりました。
禁断症状はデザインをし続けることを学んだことでした。


* 「日本のProduct Desigerを日本から」
* 『資本主義からの逃走』*「酒とタバコとゆで卵」
* 『タバコ・喫煙再開せず』
* 『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』
* 5月6日Staff Blog


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『実話の映画化は地方を活性化するだろうか』


   


     3月 19th, 2017  Posted 12:00 AM



昨日は由利公正をふるさ福井とふるさとの行政は、
多分なんとしても福井県の観光アピールにとの戦略と、
戦術不足はなはだしい駅構内での宣伝を見詰めました。
ところが、その後には華やかなパネルがありました。
地元の商業高校のチアダンスチームが、なんでも全米一位になったという
この実話が「映画」になったとの宣伝でした。
そういえばときどきこの主演女優さんがTV番組での番宣に登場していました。
実話だそうですから、これほどの宣伝はないと思います。
そういえば親友がこの映画初日に招待を地元の映画館でしてくれるとのこと。
しかし、朝一番、10時からと聞いて、私にこのような朝一からなんて、
とても無理ゆえに断った次第です。
多分招待されてもきっと眠っていたでしょう。
ともかく、東京中心主義に対しての「地方の時代」とは、
1970年代から盛んに叫ばれてきたことです。
私自身、それこそ、第四次全国総合開発法=四全総には、
福井で伝統工芸にインダストリアルデザインを導入してから、
その具体的な活動事例として全国に呼ばれて講演をしたものです。
そして、四全総すべてが大失敗しているのをずーっと見てきました。
それゆれに、伝統工芸産地、地場産業、地域活性化などや、
「街づくりプラン」に多くのデザイナーやデザイン関係機関がくみしてきました。
70年代から、地方の活性化にデザインが関わっての失敗例は
ほとんどが「見て見ぬふり=Eyes wide shut」でした。
3.11やその後の地震対策、復興計画にもデザインは荷担してきました。
しかし、おそらくこうした実話の映画化には叶わない気がします。
けれどもこれすらすぐに忘れ去られていくのが情報過多の時代感覚です。
それこそデザイン導入がいいつの日か
インダストリアルデザインからプロダクトデザインに、
建築活動に「街プロジェクト」が、
環境デザインと言われ出した頃から、いわゆる私なりの鄙美人日本論から
大きく離れていくこの時流の中でも、
実話の映画化の地方活性策をささえうるかをみつめたいと考えています。
やがて、無くなった高校の同級生の実話が映画化されることも楽しみです。

* 『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』
* 『「新聞紙」というメディアが消える日が近づいている』
* 『諦観からの発想でこの国家・民族が選ぶべきデザイン』
* 『地方都市=鯖江が日本の未来モデル都市になるわけがない』
* 『日本の繊維産業、その先鞭をつけた人たちの偉業に続け』


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『鄙美人日本論は田舎でしか語れない』


   


     3月 18th, 2017  Posted 12:00 AM



このところ北陸に通っている感があります。
金沢に金沢美大の同期会に帰り、
ふるさと福井では一般向けに久々に講演をし、
そして5年もかけての繊維産業の青年部会を鍛えてきました。
福井駅前の開発は無念ながら、デザイナーのプロとしても
なぜ、このような開発になるのだろうとか、思ってきました。
しかし、金沢市が北陸新幹線が乗り込んで流石に、
北陸の中心地としての賑やかさに圧倒されました。
ところが、金沢市の特産である陶芸や漆芸をしっかりと見詰めると、
文化破壊が確実に起こっていると確かめざるを得ませんでした。
本当にこれほど揺れる鉄道があろうかと思うほどのサンダーバードに乗って、
まったく鄙として、いや田舎さがここまでとはを、
たとえば金沢と比べても相当の差を知りました。
その極めつけが、福井の偉人をなんとか宣伝しようとする駅構内の
この「由利公正」をなんとか、大河ドラマにという、
のぼりを見てつくづく思うことは、
観光都市への県行政の努力をしみじみと感じます。
今では、由利公正って誰?の日本人感があるはずです。
だからなんとしてもNHKの大河ドラマ化の戦略としては、
もっと訴求方法があるはずですが、その手立てすら見つかっていません。
私はつくづく思います。
もはや明治維新は、ほとんど小説での坂本龍馬で語られて、
それがあたかもシンボル化されている日本観が蔓延していますが、
鄙美人論の根幹はこの真実性でいいのではないかとすら思えます。
特に、生糸から絹織物に私はずーっと関わってきました。
絹織物が決して富岡製糸場で語られることではありえないのです。
「五か条のご誓文」が由利公正あってのことであり、
東京府知事の人物が日本の絹織物までに大きな道筋を与えた人物です。
絹織物は輸出品としての「羽二重」を産み出してきたことを
やっと5年でまとめました。
私は「鄙美人日本論」をふるさとから語る所存です。


* 「花綵を断ち切った、都と鄙 けれどもNetwork社会に希望」
* 『アンチテンションはコピーされている福井産の革新技術』
* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」
* 『布、なぜシルクロード、シルクボイスだったのか』
* 『ふるさと福井で改めて「羽二重」ブランドを講演』


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staffblog 3月10日


   


     3月 10th, 2017  Posted 11:55 PM

3月10日


本日は、福井にて講演を行いました。
福井駅前、福井市にぎわい交流施設
ハピリンホールにて、
仁愛女子短期大学様から
ご依頼をいただきました。

地元福井での講演ということで、
その話題から展開です。


永平寺・道元の話しから、
作品の内容へつなげていきました。


福井に因む作品・商品の数々を、
問題解決に絡めて説明します。


それらに関係する方々も
聞きに来てくださいました。


次世代につながる、
学生さん達との一枚です。


本当にたくさんの方々に
お越しいただきました。


ありがとうございました。


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『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』


   


     3月 6th, 2017  Posted 12:00 AM



お米と言えば、「コシヒカリ」ですが、
この米が福井県農業試験場が創ったことはあまり知られていません。
私はこう言います。
「コシヒカリ」は最高であり、魚も最高、カニも最高、
それが北陸であれば、福井の魚が富山湾で捕まっただけであり、
カニも「セイコガニ」の二級品が
マツバガニ、コウバコガニと言い切ります。
京都には魚を鯖街道で送り、奈良のお水とりも福井から送っている、
五か条のご誓文を書いた東京府知事も
由利公正と「ふるさと計数」が高い人間です。
そこで、
日本の「お米文化」は「日の丸弁当」「卵かけご飯」「握り飯」が、
世界で最高の主食であって、それこそ、梅干し、卵、焼き海苔は、
決定的な栄養バランスがあるということです。
それこそ道元・永平寺(福井)による応量器から典座教訓こそ、
人間道のあり方そのものと考えます。
それこそ民藝作家と言われた黒田辰秋の漆仕上げのお櫃は、
漆黒の中に白米に緑の海苔が振りかけられた美しさは、
日常に常に配置しておきたいと思う美しさです。
お米・梅干し・卵・海苔という
絶大な組み合わせの簡潔さを確かめるべきには
毎年、コシヒカリから様々な商品ブランドが生まれています。
しかし私には納得がいかないネーミングが多いと言っていいでしょう。
お米と炊飯器の技術進化はとてつもなく素晴らしいのですが、
なんとも、インダストリアルデザインでは素晴らしいのは
3点程度しかありません。
祖母がこれ以上きらめく炊きあがりのご飯は、
お釜の底にはマムシが一匹入れてありました。
これは偉大な知恵であったと思いますが、その当時の知恵生活こそ、
はるかに「豊な日本の時代」だったと思い返します。



* 『お米は合鴨米か、コシヒカリ』
* 『米=日本人のエネルギーの素、誤魔化す事は犯罪だ』
* 「甲殻類アレルギーでも、蟹は食べる!」
* 『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』
* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」


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