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Posts Tagged ‘経済’


11月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 28th, 2020  Posted 12:00 AM

11月28日 大安(乙亥)

『指標としてのデザイン』

こうした時代に
回帰するには、
時代はあまりにも
経済の論理に
足元をすくわれてしまっている。

artificial heart:川崎和男展


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10月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 22nd, 2020  Posted 12:00 AM

10月22日 友引(戊戌)

『寓話としてのデザイン』

想像力を強化する
民主主義と経済を仕込むための、
寓話としてのデザイン、
こんな荒唐無稽を、
デザインが語りベとなって
語ること。

artificial heart:川崎和男展


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8月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 22nd, 2020  Posted 12:00 AM

8月22日 仏滅(丁酉)

『位相としてのデザイン』

なぜなら、
これまでわが国のデザイン発達史は、
産業による国力強化の
大きな支援制度史にもなりうるわけであり、
産業、経済の位相に寄りかかる以外の
手法を見い出すことには
思いもいたって来なかった。

artificial heart:川崎和男展


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『やたらと大学が増えていますが疑似大学生多い』


   


     8月 2nd, 2020  Posted 1:06 AM

大学での学びは専門知識の習得と、実習や研究など
知の創造があり、社会への扉を開く人財を養成、育成しています。
やはり本格的な「研究」は、大学院からで、前期課程となる修士
でも足りず、後期の博士課程になってからでしょう。
例えば、芸術・デザインは、知の「創造」と「創出」だけがありますが、
これは医学や法学、経済などとは異なり、出口での資格制度がないので
あくまでその才能の可能性にかけて送り出しています。
大学は入学競争で、AからFのランク付けがあります。
私は総合大学で大学人だったので、芸術系に限らず
この大学のランク付けはとても気になります。
AからCまでが大学入学資格の学力基準を満たしていて
それ以降は高卒未満あるいは中学程度の学力です。
特に日本人は「少子化」ですが、D以下の大学がいっぱいあるのです。
今後は国立、公立が増えます。
私立ならDからFランクの大学はこれまでの大学ではありません。
大学を減らすことを論議しなければいけないでしょう。


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7月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 28th, 2020  Posted 12:00 AM

7月28日 先勝(壬申)

『分別としてのデザイン』

論議を省略して
結論を断言すれば、
製品企画、
商品化計画にデザインが寄り添うとき、
「差別化」なるコンセプトの提示を
臆面もなく繰り返すデザイナーは、
経済におもね、
演技すら忘れた
娼婦的存在にすぎないのである。

artificial heart:川崎和男展


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6月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 14th, 2020  Posted 12:00 AM

6月14日 友引(戊子)

『文学としてのデザイン』

経済が経世済民ではなかったことに気づいた今、いきなりデザインを文化のカテゴリーで包括するのはあまりにも知恵が無い。

artificial heart:川崎和男展


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6月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 13th, 2020  Posted 12:00 AM

6月13日 先勝(丁亥)

『文学としてのデザイン』

つまり、
デザインの真実は、
経済の制度に
押しつぶされたままである。

artificial heart:川崎和男展


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『独裁性と自由主義と民主主義を守るために』


   


     5月 21st, 2020  Posted 7:36 PM

ペスト、コレラ、スペインかぜと感染症100年周期説につながる
「新型コロナウイルス」の猛威に、長期戦での感染症対策の公衆衛生と
「新しい生活様式」を政権が提唱しています。
「アフター・コロナウイルス」の「経済」活動は
元通りになるということは起こりません。
様々な問題点の対象は、自由主義と民主主義です。
民主主義では、49:51ゆえには、もっと規則が必要です。
それこそコロナの「生物兵器」説を私は調べていますが、
もはや「兵器」となる情報操作、ネット世論操作が、
SNSのようなインフラを通して民主主義を壊しているとも考えています。
コロナという生物兵器と、SNS等への情報兵器が、
第3次世界大戦での主力であり、
すでに起こっているのではないでしょうか。
「新しい生活様式」で、オンライン化が進む一方で、
「ボット」「トロール」「サイボーグ」などを、
これはズーッと私はすでに「エイジェント」と
F-FORMAで提案をしていました。
広告出稿、インフルエンサーと作戦がすでに無くなっているのです。
私としては、私を非難する川崎ボットなどの出現や、
SNS上での個人戦は経験済みであり、必ず、闘っていましたが。
独裁政権、政権維持や、侵攻、侵略のための、
ネット世論操作が、自由主義の大原則である
言論や表現の自由といった基本的人権を庇う民主主義の国から
拡大したSNSに「兵器」として様々な作戦をしかけているのです。
法規制も、法の罰則も無いインターネット追いつかないままに、
中華的「独裁性」との「経世済民」との闘争になるでしょう。


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『新型コロナウイルスでの「敗血症」多臓器不全死』


   


     5月 18th, 2020  Posted 7:46 PM

アルベール・カミュの『ペスト』を読み直しをしました。
人間と疫病の闘い、極限状況、ロックダウンと
不条理な中での私達の生き方。
当然、ダニエル・デフォーの『ペスト』とともに、
災厄に直面した社会と人間の存在と生き方を
表現した普遍的な価値を持っています。この状況で、
アフター・コロナという世界に向き合おうとする今、
「経済」活動では、これまでに戻ることなどはありえません。
医療や教育、そしてエンターテイメントなどが、
崩壊していますが、「経済」の仕組みはもっと大変です。
『ペスト』には「死んでいくのに難渋を味わう」「非快適」という
追放されたひとりぽっちの特異な状態の死があります。
「新型コロナウイルス」は、
生物兵器を開発途中で失敗をしたのではないかという説を
私は考えており、このコロナウイルスで世界中で、
人類が滅亡するかもしれない人災だと思っています。
私は以前、「敗血症」からの多臓器不全で重篤になりました。
それは2006年のことでしたが、今回のCOVID-19でも
重傷化する患者の多くが「敗血症」に陥り死亡しています。
そういうきっかけをいただき、どう言う訳か、この死での、
阪大時代の研究室の取り組みは深紫外線による手洗いから
感染予防のストレッチャーと寝具開発、
経肺によるワクチン接種と新しいシリンジがあります。
が、これは私の動物的な直感でした。


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『 ME++』 サイボーグ化する私とネットワーク化する世界


   


     5月 15th, 2020  Posted 2:20 PM

ブックチャレンジ6/7
『 ME++』
サイボーグ化する私とネットワーク化する世界

このところ、ウィリアム. J.ミッチェルの
著作ばかりになってきた。
この現状はパンデミックの200年には起こる
世界共通の感染症である。
世界の「経済」ではすでに、
私たちの社会が遅れているという見通しだった。
私が「サイボーグ」であり、
車イスそしてICD=埋め込み式除細動器で、
生命を維持している。ただし、私は職能は工業デザイナーである。
都市とネットワーク=無線化、インターネットと自然と社会では、
私自身が「危惧」している世界構成制度では
立ち向かえなくなってきたと思う。


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