kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘自分’


6月08日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2010  Posted 9:30 AM

6月08日 友引(干支)

自分と好奇対象との関係を、
好奇から数奇へと
運び上げるメディアとして、
デザインという世界があることを
明言しておきたい。

『デザインは言語道断』好奇


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6月07日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2010  Posted 2:46 PM

6月07日 先勝 (癸未)

どんなに強がったところで、
感情で揺れ動いている
自分という存在は弱々しい。

『デザインは言語道断』好奇


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『資本主義からの逃走』
「 iPadを見つめて、かたち・きもち、そしていのちへ」


   


     5月 20th, 2010  Posted 1:11 AM

いのち
このところ私は、自分のデザインでも無いモノについて、
論理展開など無関係なスケッチ的エッセイを書いています。
というより、「吐露」していると受け取ってください。
20世紀、ほぼ50年を共時しました。
おそらく、自分の生涯は、20世紀後半から、
2049年(この時100歳)までの「いのち」を考えます。
この歳まで生きられるのか!なんてことも、
「憎まれれば」ですから、確実かもです。
ともかく、私はデザイナーという職能で生きてきましたから、
「かたち」を創ることを最も目指してきたことは自負できます。
そして、「かたち」・「きもち」・「いのち」という言葉に
自分の観念も概念も入れ込みながら、「形態」にしていくことでした。
様々な「形態」をデザインしてきました。
当然、自分のデザインしたモノが、何ゴトかに連続していったり、連鎖すること、
こうしたことは自分で語るコトは充分に可能です。
しかし、「時代を革新する」という明確な認識のモノについても、
語る義務があると考えてきました。

ささやかな義務とささやかな権利
それは、「創る」、「デザインする」という姿勢を保持しているからこそ、
それを義務と考えることにしているのです。
なぜなら、職能義務を尽くしきることに徹する姿勢や態度に懸命であれば、
必ず「何らかの権利」が「与えられる」ことを経験してきたからです。
今夜は、iPadをデザインしてきた人物自身から、
デザイナーとして、iPadでのスケッチ、その最良の方法を聞くチャンスがありました。
それは、私が危惧、つまり自分はその手法をマスターできないかもしれない、
そんな想いをいっぺんにかき消してもらえたのです。
つまり、そんなことを聞ける権利が手に入ったということです。
明らかに、「現代」は、まさに「今日」は必ず「明日」に繋がってほしいのです。
そして、明日は今日よりも素敵な1日であってほしいのです。
iPadの「かたち」で「きもち」がどう動くのかということでしょう。
サクサクと動くのか、
ザワザワと動くのか、
・・・・と動くのか、ということが「大切」なコトです。
たかだか、その程度の義務で、
スケッチの描き方の権利を大仰にと思われるでしょう。
しかし、デザイナーとしての「きもち」は、
そんなささやかなコトが私の「いのち」に直結しているのです。
確実に、新たな体験として、iPadでスケッチを描ける自分になること。
その「きもち」が、これからの「いのち」を日常支えてくれるでしょう。


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5月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 14th, 2010  Posted 2:00 PM

5月14日 仏滅(甲子)

体感とは、
まさしく「野生」のままの自分を
保てるかということではないか
という気がしてならない。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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5月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 7th, 2010  Posted 9:25 AM

5月6日 先負(辛亥)

感得することは、
勇気を自分に与えるものである。

『デザインは言語道断』感得


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4月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 24th, 2010  Posted 4:29 AM

4月24日 先勝(甲辰)

力量というのは、

「自分を追い詰めても、
その苦しさや
孤独感などを
一切みせない
能力の大きさ」
である。

『デザインは言語道断』力量


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4月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 1st, 2010  Posted 8:16 PM

4月1日 赤口(辛巳)

実際にまだ試したことがない状態から、
やったことがある状態になることを
経験という。

これは時間軸と、
行動する身体や感受できる自分が
同次元上にあることだ。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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『資本主義からの逃走』
 「*準から外れ始めた日本のデザイン解*」


   


     3月 13th, 2010  Posted 1:20 AM

最適解
一般解と特殊解がデザイン応答・回答・解答にはあります。
デザイン解というのは、一般解であれ特殊解であれ、
「最適解」を求めなければ、それはデザイン解ではありません。
私もすでに40年もデザインと向き合ってきて、
常に、それこそ1日たりとも「デザイン」が体中にあります。
血液にデザインが入っているという感覚に襲われます。

水面に風が吹けば、波立ちます。
その波立ちが大きく揺れているのがまったく穏やかになる、
それを「準」と言うそうです。
基準・水準・標準
基準・水準・標準がその準の状態を定義しています。
そこで、私は「準解」という言葉を自作して、
「最適解」はこの「準解」、
三つのどれなのかと再考することにしています。
「最適解」は、基準解・水準界・標準解になっているだろうか、
自分に突きつけるのです。
● 基準解というのは、もうこれで基準=basisは成果だろうか。
● 水準解は、たとえ特殊解でもaverage /levelは保っているだろうか。
● 標準界は、とりわけ一般解では、これがstandardだろうか。
特殊解なら、必ず標準解として一般解へと展開してくれるだろうか。
こうしたことを考えぬいています。
ところが、最近の日本のデザインには「最適解」がありません。
デザイン解が「かわいい」とか「きれい」とかだけに、
寄りかかっていたり、単なるパロディやギャグは、
ガジェットだからそれでいい、なんていうことが目立っています。
これを「デザインの多様性」だということは大間違いです。
だから、日本のデザイン、その質が低下してきたのです。
経験を積んできたデザイナーとして、
警告をしておかなければなりません。
デザインの本質=最適解
デザインの本質=問題解決の解答=最適解は、
本当に「難問中の難問」を解いていく作業であり、手続きです。
頭脳、頭の中に汗をいっぱいかくほどの作業です。
だから、川崎和男のデザインは好きになれないとも言われます。
それは、形態の好き嫌いはあるでしょう。
好き・嫌いでの判断は第一段階であり、
自分の価値観に、最適解を判断力を欠如している疾病があるのです。
多分、数理的判断が大欠落していると最近は診断しています。
最適解には、「清潔」・「簡素」・「簡潔」・「明快」・「快適」が
ふさわしいと思っています。
かわいくても不潔であり、
きれいでも不明感があり、
かっこよくても、「不快感」があるデザインが増えています。 


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1月30日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 30th, 2010  Posted 9:30 AM

1月30日 先負(庚辰)

現実に生きている証となるのは、
あやしいと考える
自分がいることだ。

『デザインの極道論』あやしい


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12月26日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 26th, 2009  Posted 10:00 AM

12月26日 先負(乙巳)

見識と良識で
夢の「かたち」と自分を関係づけて、
自分を高めていく。
その手法がデザインである。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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