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Posts Tagged ‘花’


09月06日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 6th, 2017  Posted 12:00 AM

09月06日 仏滅(丙申)

「機能的なモノは美しい」と
「美しいから機能的」、
このレトリックには、
「美しい花がある」と
「花は美しい」と同価値では無い。



川崎和男の発想表現手法


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『壊れていく端午の節句?菖蒲湯という勝負湯』


   


     5月 7th, 2017  Posted 12:00 AM



「美しい花がある」と「花は美しい」、
このテーマを生涯抱いて生きていく。
これはデザイナーの生涯課題だと思っています。
よって、藤棚、菖蒲の花、垂れ桜などは私好みの佇まいがあります。
そして、ここ2日間は「菖蒲湯」なのですが、
大阪では、阪大研究室の周囲には、
ソメイヨシノの桜はすでに葉桜、そしてもうそろそろ銀杏が落ちています。
ソメイヨシノは正直、桜文化を壊したと私は思っていますが。
銀杏はおいしいですが、踏みつけると最悪です。
さらに大阪では菖蒲湯用の菖蒲の根茎がどうみてもインチキです。
菖蒲湯は子どもの頃の思い出では、
5月の「子どもの日=男の子=端午の節句」にとって私には楽しみでした。
しかし、手に入る菖蒲と、京都の名店のチマキ餅とか言われても大間違い。
ともかく菖蒲湯は伝統的には日本武家文化では最高のイベントでした。
こうしたイベントにあるべき、モノの仕様が間違っています。
そうしたことからも、最近はメモ書きしておこうと思った次第です。
すでに伝統という、唯一、「裏切って良い文化=Traditional」破壊は
なんとかしておきたいものです。
菖蒲の根茎の香りが絶対に違うのです。
「デザインは美しい」を目指す「美しいデザイン」で生きていたい。


* 『桜の木は植え替えるべき』
* 「桜の花のピンク色・阪大吹田キャンパス」
* 『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった。』
* 『iPad ProとApple Pencilで臨書が出来る』
* 『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』


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『大人的な表向きだけは嫌です: 洒落てはいけない』


   


     5月 5th, 2017  Posted 12:00 AM



花オクラという別名をもつトロロアオイがあります。
これは和紙はもちろん蒲鉾や蕎麦などのつなぎに使われています。
しかし、牛乳紙パックの中身は紙パルプです。
この紙パックをそのままミキサーで粘状にして、漉けば、紙が作れます。
若い頃オータキペーパーランドという越前和紙のグループを率いていました。
そして、「スキッコ」という、ハガキを漉くセットを商品化しました。
NewYorkでもヒットしましたが、国内ですぐに盗用されました。
しかし、漉き下駄を製作する越前和紙産地ゆえ、
釘も真鍮、木材も変形なしゆえに、大手の教材卸業には売れていました。
その販売権は産地に譲りましたが、
今は漉き下駄製作所もなく商品はありません。
このパッケージには牛を使って、「越前ウシ(和紙)」としたら、
越前和紙組合から叱られました。
墨流し=マーブルをする「スミッコ」も商品化。
ついでに和綴じをする「ワトジッコ」も商品として大手百貨店で、
これらをまとめて「人間国宝練習セット」としたら、
当時の文部省に叱られました。
Mac:当時の白黒アニメーション最初のゴジラが動いていました。
それなら、「伝統工芸士養成セット」としたら、
今度は伝統工芸士組合?の法人から叱られました。
当時は個展をやって、作品を手で持って、その作品の裏には、
「見たな!●●野郎」とかを仕込みました。
だから、招待作家展に出品するときも、
作品に触って裏を見れば、そういうコトを書きました。
したがって、招待展事務局からは「外し無さい」とか言われ、
出品しても意味なしと思える展示会をそれなら出品しません、
と粋がっていました。
大抵の展示会では、「作品には触れないように」というのがあります。
これは、とても高額な陶磁器や作品では仕方ありませんが、
インダストリアルデザインやプロダクトデザインでは、
「手で触れて持ってもらえることOK」だと私は思っています。
そういう意味では、車椅子視線や子ども視線では、
デザイナーの展覧会なのに、
インスタレーションを重視するために
私にはとても作品は見え無いし、触れないように完全接着が多いようです。
ユニバーサルデザイン(国内最初に紹介は私)や
バリアフリーが普遍化しましたが、
それこそ、ホテルでユニバーサルデザインの部屋です、とか言われても、
「ドアには覗き窓がいくつありますか?」
「エツ、一つですが・・・」=二つ必要ゆえ、韓国の方が理解しています。
これでどれだけ喧嘩をしてきたでしょうか?
なんだか、息苦しい表向きの社会になっています。
「絶対に川崎が入れないショールームにした!」という建築家を信じます。


* 『健常者を差別することで社会暗部を照射する』
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『ユニバーサルデザインの原意』
* 『享保の手帖から私が学び直したこと』


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『金網越しに道にまで花がある、その製品化と商品化』


   


     5月 4th, 2017  Posted 12:00 AM



1年に1作は一輪挿しを、ということを
自分なりに決めて、ということは、
結局決めておきながら全く商品化までは相当に困難です。
なぜ?困難であったかを反省も込めて、自省してみると、
いくつかの理由があります。
まず、一輪挿しだから、試験管を使うこと。
これは条件とすれば、この試験管を見せるか、隠すか、は簡単なのですが、
素材は出来る限り、新素材をということは自分に課しています。
新素材となると、その素材があっても、
加工・制作・製作は可能ですが、
製造ラインに持って行くことが出来ずに、
制作品・製作品までは一品は可能にすることが出来ます。
ところが、製造から生産に向かわすことがたとえ出来たとしても、
製品は出来たとしても商品化で大きな問題にぶちあたります。
それは、製品価値が市価で満足できるかどうかです。
さらに商品流通・商品販売という商品計画が難しいのです。
だから、私デザインの製品開発は
スケッチブック、図面、モックアップモデルでも終われば幸いということです。
この一輪挿しは、エキスパンドメタルとシリンダーだけゆえに
製品化は出来ても商品化出来なかった作品です。
しかし、このモノ、モノ語りは決定しています。
どこかの家の金網越しに花が道にまではみ出して咲いている。
そういうモノ語り=アフォーダンスはあると思っています。
製造は可能でも生産ラインでというのは難しく商品化ならずでした。
でも私デザインでは製品でもOKの作品なのです。
まずはモノの存在価値では、美しいコトを第一に求めています。
そのことが分かってもらえる企業は現在本当に国内では数少ないと思います。


* チュッパチャプス武器論・結論という展開へ
* 『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』
* 「ボールペンスケッチのためのモレスキン」
* 「手」が創造力の発電装置という話
* 「3Dプリンターの素材と成型精度」


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『iPad ProとApple Pencilで臨書が出来る』


   


     9月 5th, 2016  Posted 12:00 AM



出来るだけ毛筆で手紙を書きたいと
思っています。
そして、今ではなるべくiPad ProとApple Pencilで、
その練習、臨書もしながら可能になってきました。
Apple Pencilでの練習も、毛筆をグリップするように
垂直に立てて行うということに気づきました。
もう一つは、手紙には季節に相応しい詩を選びます。
夏は中原中也でしたが、
島崎藤村には秋にまつわる詩が多くて、
しかもできる限り、その一節、三行ぐらいがとても綺麗だと思っています。
これは、「秋に隠れて」という初恋の詩ですが、
島崎藤村の詩はとても日本語の語調と文体が美しいと思います。
初恋という「戀」という漢字がときめいて美しいと思います。
島崎藤村の詩には決まって花が登場することも、
文体や調べを美しくしているのかもしれません。
毛筆であれば、硯石に向かって墨をすりますが、
iPad Proのアプリでは紙を選ぶことが可能です。
しかし、紙のバーチャル的な存在はあまり好ましくはありません。
それでも、簡単簡潔に練習、デジタル臨書ができるのはこの時代だからです。
かつて、まだApple Plusの時代にサンフランシスコのMacWorldに、
(記憶は定かではありませんが)
日本から唯一の日本の企業がブースを出していました。
まだMacも白黒の時代でしたが日本人としてなんだかとても嬉しく思いました。
演算星組の「Mac書道」というソフト。
すでにMacでは書道が可能になっていました。



* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『書き忘れていた手紙に取り組むという癒やし』
* 「手紙、そして私自身の肉筆は大事」
* 「『きれい』にすることが『美しい』こと」
* 『書の手本は王羲之と藤原行成を選びます』


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『熊本の草木鳥がレジリエンスのシンボルになる』


   


     6月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



きわめて自分は焦っていました。
熊本地震の現地から、最も気にしていたのは身障者、車イスの人たちです。
やはり避難所には行きづらいという連絡がありました。
現地では終息しない2000回を超える地震。
崇城大学と九州大学に「レジリエンスデザインチーム」を
39大学が後方支援。
しかし、自殺者まで出ると「レジリエンス」そのものが崩れてくるのです。
そこで「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」という標語を思いつき、
早速、シンブルなキャラクターはすんなりと「くまモン」としました。
ところが認可は一ヶ月も先とのことです。皆が頼っているのです。
ならば、熊本のシンボル=楠・竜胆・雲雀に決定をし、
ビジュアル表現に入りました。
ところが若いデザイナーには、草木鳥の基本知識が大欠落。
美大同輩からは欅(自分は思い込んでいた)じゃない楠という指摘。
そういえば、欅と楠では木質も枝振りも全く異なります。
まして竜胆(スズラン)ともなると、
これは高山植物にまで登場する様々な種別があります。
竜胆を家紋にすれば歴史的な象徴の何を重要視しているかが明確です。
そして雲雀(ヒバリ)となればこの鳥は真っ直ぐと上昇して飛び立ちます。
この飛び方には飛翔前の小走り方と、天高くから垂直に降りますが、
実は地上に降りると、
下降地点からすぐに数十メートルを小走りしてしまいます。
美大時代に木質と木立はいっぱい写生をしてきました。
花にいたっては何種類の花を花弁や苞葉をデッサンしてきたでしょうか。
雲雀か雀か鶯かも最近では定かで無い装飾が氾濫しています。
これをデザインと言われるのは真っ平です。
少なからず、草木鳥にレジリエンスはありえません。
よって、熊本の元気のシンボルは、楠・竜胆・雲雀に、
ビジュアルデザインの基本を求めています。
熊本の現地で、負けそうになったなら、
このワッペン、あるいはビジュアルシンボルを
叩いてもらい自分を奮起してもらいたいのです。
これはレジリエンスデザインが果たせる役割だと考えています。

*『レジリエンスデザインは真正面で自殺と向き合う』
*『非常事態の準備は再考しなければならない』
*『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』
*『自然から学んだはずだった・・・のだが?』
*『扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている』


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『今のコンパクトカメラはこの三台』


   


     9月 25th, 2015  Posted 12:00 AM



スマホの普及で本当に写真が多くなりました。
私はこのブログや資料には、カメラを使います。
そのため、どうしてもカメラの新商品には、
心惹かれてしまって、所有欲が出てしまいますから、
とりあえずコンパクトカメラは今のところはこの三台にしています。
無論この三台を撮っているカメラはもっと高性能なモノを使っています。
ブログのためには大急ぎで撮ることが多いために、
失敗だ、と思っても仕方なくブログアップしてしまいます。
さて、この3台にしているのは理由があります。
所詮、これらのカメラ内部回路実装はすべて日本製ですが、
ライカ(パナソニック)とハッセルブラッド(ソニー)では、
レンズ部分や、デザインでの改善を明らかに確認することができます。
こうしたコンパクトカメラは「ブログ」用として、
結局はメモ用です。
それなら、iPhoneやGoProでも十分な時代になっていると思いますが、
これまでの銀塩カメラとの大きな違いはデジタル性の使い心地です。
デジタル性での瞬間的なシャッターチャンスというのは、
光源の使い方で明確に、絞り優先あるいはシャッタースピード優先、
この使い心地はこれまでの銀塩カメラを大きく変えたと思います。
しかし、ブログ用には構えて撮影なんていうのは3~4ヶ月に一度です。
コンパクトカメラで最も確実なことは、
テキスタイルや表面質感の表現が的確になってきたことです。
そして、銀塩カメラでは作品写真撮りのために、
それこそプロのカメラマンの人たちの特に、光源と陰影、テクスチャを
最も学んできたのは、花の写真でした。
そこで、最近は何でもデジタルアッサンブラージュ表現には
もっと、自分自身が鍛えられるべきことがあると思っています。
おそらく、空、波、花、水が基本で、
その次が、テクスチャであって、そこから私の専門分野である、
モノ撮りが大事だと思っています。
私がモノ撮りでは、自分のデザインしたメガネの写真を撮り比べれば、
コンパクトカメラの性能と自分のシャッターチャンスの関係が
明確に解るのではないかとさえ思っています。


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『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』


   


     3月 24th, 2015  Posted 12:00 AM


私は彼のいけばなの舞台を間近で見ています。
その日の感激と感動はぬぐいようもなく、私に張り付いてきました。
「花」には美しさがある。美しい「花」というものはない。
この言葉は、小林秀雄のことばですが、
小林秀雄は、
私が受験時代に最も現代国語の問題で引用された作家でした。
とのこともあってか、彼の著作は確かに沢山読んだ記憶があります。
しかし、それよりもデザイナーになって、
「花」と「美しさ」の対照化は自然・人工物と美の問題に直結し、
このことにとらわれてきましたが、彼のいけばなは、
生け花、活け花、いづれとも明確な違いが体感できることでした。
早速、彼のいけばな画集で何度もその確かめました。
ところが、彼自身も、3.11 東日本大震災と対峙して、
彼の「一日一花」は一年毎日のいけばなで、
私もまた、震災と人災で台無しにしてしまった事件と向き合い、
そして、また彼のいけばなによって、
美しい花というようなものではなく、花を美しくする文字通りの
自然の花茎から生花を切り離しながらも、
花を生ける、花を活かす、切ることの大事さこそ、
私は見事な「大切さ」の具体パフォーマンスだと認識しました。
特に、彼が毎日毎日、花の美しさをもう一度、
美しい花にする大切さの体現化は、毎日毎に知らし直されています。
彼と私は同世代だということもありますが、
「大切さ」は、美しい花があるからこそ、花の美しさを体現化する、
その手法には、日本人だからこそ見いだした手法だと思います。
私はデザイナーゆえ、人工物のモノ、
美しいモノを、モノの美しさすら本来皆無ゆえにこそ、
美しいモノをものにしていかなければなりません。
その極致が、「大切さ」を受け止める力が自分にあるかどうかです。
一日一花ならば、一日一スケッチが今、私の日常作法です。


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『最近見なくなった竹藪、その思い出』


   


     11月 11th, 2014  Posted 12:30 AM




先日、京都のあるホテルの前庭にささやかな竹ヤブをみました。
それは竹ヤブであり、竹藪のような雰囲気だけでした。
それでも私はとても心惹かれて、思わず、撮りました。
私には自分の家=自宅を持つという感覚は全くありません。
むしろ、できるだけ高層の最上階・ペントハウスが望みです。
竹藪には私の幼児期から小学校低学年の頃までの思い出があります。
母の実家、祖父の家はその半分400坪に竹藪がありました。
だから、この竹藪は一番の遊び場であり、
その遊び場に蓄音機のSPレコード盤を持ち出してきて、平気で、
そのレコード盤を飛ばしてしかも割れ散ることを楽しんでいました。
社会人になってオーディオから始めた時には、SP盤を割ったこと、
大いに哀しんだものです。
その竹藪には、二つの小屋がありました。
一つは消し壺の焼窯と落とし紙の紙漉き小屋でした。説明必要です。
消し壺とは、火種になる炭火を入れておく、陶器の蓋付きの壺です。
落とし紙というのは、現代のトイレットペーパーです。
便所にはその灰色の落とし紙がありました。
そして、その小屋にはそれぞれ職人さんがいましたが、二人とも、
祖父の雇い人でしたが、祖父よりも年寄りであり、
幼い私にはふたりとも家来だったと思っています。
祖父は最後の宮大工でもあり、社会的な役割がどれほどかは不明です。
ただ、製材所から瓦焼から、様々な雇い人だけでは無くて、
様々な商売もしていました。
しかし、破産したことも母からは聞かされていました。
この頃は街中ではほとんど竹ヤブは装飾的に見かけても、
竹藪はほとんどみたことがありません。
竹は根が張り巡らされているので地盤は地震に強いと言われています。
その竹藪が一辺に無くなりました。
それはある日、竹に花が咲いたと言われています。
竹に花が咲くのは、竹に異変が起こり全滅する印だと言われています。
私の思い出の中の竹藪は祖父との思い出がいっぱいあります。


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「桜の花のピンク色・阪大吹田キャンパス」


   


     4月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM



以前にどこかで、初めて上京して見た桜が白かったこと。
そんな話を書いた記憶があります。
正直、阪大を退官して、しみじみと吹田キャンパスを眺める気がします
8年目春、初めて満開の桜に囲まれた阪大キャンパスを
iPhoneで思わず撮りました。
ちょうど、パリのフォーシーズンズ ホテル・ジョルジュ サンク パリの
いつもながら、趣向ある生け花は桜のつぼみでしたが、
ワイフとやけに白すぎるね、と言い合いました。
退官してからは阪大内の退任挨拶などの行事が大変に多かったのですが、
辞めてみてなんだかこれからが本当に、
開発・研究・養成を大学人として出来そうな気配に私はなっています。
だからかもしれません。
大阪地方、阪大の吹田キャンパスに来てみて初めて、
じっくりとこれほど桜木立があったこと、
とても驚き、そうして見事なピンク色も満開第一段目でした。
それは自分の研究棟は、
元来はフロンティア研究機構事務室が改装された平屋建てですが、
高層建築が次第に多いキャンパスでは、きわめてユニークな建物です。
私の部屋は多分、旧帝大系の教授室と比べれば、
それなりの出来映えで、綺麗ですが、
スタッフにもっと「清潔」であることなどを命じる有様でした。
驚いたのは、修士の学生達が使い放題のままだったことです。
これはすでに彼らの今後の人生を決定づけています。
またそうさせていた塾長の責任も彼らの人生を決定しています。
そう言えば、私の母校・金沢美術工芸大学は、
旧日本軍の明治以来の兵器庫が改装された学舎だったので、
冬には雪が舞い込み、配られた石炭ではとても寒くて、
作品であろうが、置き放しの作品もすぐに燃やしてしまいました。
それだけに躾は厳しく(=今だと訴求?=それがおかしい)、
掃除は行き届いていました。
大学、特に国公立は税金で持っている機関ですから、
研究室は、しかもデザイン系ならば、
「徹底した清潔さ」で出来た、
美しいインテリアであるべきと私は思っています。
私の研究室周囲の桜木立は桜が芽吹いていました。
秋になると銀杏が食べつくせないほどの木立があります。
そして、ちょうど写真手前、
右側には「銀杏会館」という美しい建物があり、
大きなセミナーから一流のレストランがあります。
国内外のお客さまとは、ここで食事をします。
なんだか、退任してキャンパスの自然を落ち着いて見渡しました。


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