kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘花’


『今のコンパクトカメラはこの三台』


   


     9月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

スマホの普及で本当に写真が多くなりました。
私はこのブログや資料には、カメラを使います。
そのため、どうしてもカメラの新商品には、
心惹かれてしまって、所有欲が出てしまいますから、
とりあえずコンパクトカメラは今のところはこの三台にしています。
無論この三台を撮っているカメラはもっと高性能なモノを使っています。
ブログのためには大急ぎで撮ることが多いために、
失敗だ、と思っても仕方なくブログアップしてしまいます。
さて、この3台にしているのは理由があります。
所詮、これらのカメラ内部回路実装はすべて日本製ですが、
ライカ(パナソニック)とハッセルブラッド(ソニー)では、
レンズ部分や、デザインでの改善を明らかに確認することができます。
こうしたコンパクトカメラは「ブログ」用として、
結局はメモ用です。
それなら、iPhoneやGoProでも十分な時代になっていると思いますが、
これまでの銀塩カメラとの大きな違いはデジタル性の使い心地です。
デジタル性での瞬間的なシャッターチャンスというのは、
光源の使い方で明確に、絞り優先あるいはシャッタースピード優先、
この使い心地はこれまでの銀塩カメラを大きく変えたと思います。
しかし、ブログ用には構えて撮影なんていうのは3~4ヶ月に一度です。
コンパクトカメラで最も確実なことは、
テキスタイルや表面質感の表現が的確になってきたことです。
そして、銀塩カメラでは作品写真撮りのために、
それこそプロのカメラマンの人たちの特に、光源と陰影、テクスチャを
最も学んできたのは、花の写真でした。
そこで、最近は何でもデジタルアッサンブラージュ表現には
もっと、自分自身が鍛えられるべきことがあると思っています。
おそらく、空、波、花、水が基本で、
その次が、テクスチャであって、そこから私の専門分野である、
モノ撮りが大事だと思っています。
私がモノ撮りでは、自分のデザインしたメガネの写真を撮り比べれば、
コンパクトカメラの性能と自分のシャッターチャンスの関係が
明確に解るのではないかとさえ思っています。


目次を見る

『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』


   


     3月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

私は彼のいけばなの舞台を間近で見ています。
その日の感激と感動はぬぐいようもなく、私に張り付いてきました。
「花」には美しさがある。美しい「花」というものはない。
この言葉は、小林秀雄のことばですが、
小林秀雄は、
私が受験時代に最も現代国語の問題で引用された作家でした。
とのこともあってか、彼の著作は確かに沢山読んだ記憶があります。
しかし、それよりもデザイナーになって、
「花」と「美しさ」の対照化は自然・人工物と美の問題に直結し、
このことにとらわれてきましたが、彼のいけばなは、
生け花、活け花、いづれとも明確な違いが体感できることでした。
早速、彼のいけばな画集で何度もその確かめました。
ところが、彼自身も、3.11 東日本大震災と対峙して、
彼の「一日一花」は一年毎日のいけばなで、
私もまた、震災と人災で台無しにしてしまった事件と向き合い、
そして、また彼のいけばなによって、
美しい花というようなものではなく、花を美しくする文字通りの
自然の花茎から生花を切り離しながらも、
花を生ける、花を活かす、切ることの大事さこそ、
私は見事な「大切さ」の具体パフォーマンスだと認識しました。
特に、彼が毎日毎日、花の美しさをもう一度、
美しい花にする大切さの体現化は、毎日毎に知らし直されています。
彼と私は同世代だということもありますが、
「大切さ」は、美しい花があるからこそ、花の美しさを体現化する、
その手法には、日本人だからこそ見いだした手法だと思います。
私はデザイナーゆえ、人工物のモノ、
美しいモノを、モノの美しさすら本来皆無ゆえにこそ、
美しいモノをものにしていかなければなりません。
その極致が、「大切さ」を受け止める力が自分にあるかどうかです。
一日一花ならば、一日一スケッチが今、私の日常作法です。

目次を見る

『最近見なくなった竹藪、その思い出』


   


     11月 11th, 2014  Posted 12:30 AM

先日、京都のあるホテルの前庭にささやかな竹ヤブをみました。
それは竹ヤブであり、竹藪のような雰囲気だけでした。
それでも私はとても心惹かれて、思わず、撮りました。
私には自分の家=自宅を持つという感覚は全くありません。
むしろ、できるだけ高層の最上階・ペントハウスが望みです。
竹藪には私の幼児期から小学校低学年の頃までの思い出があります。
母の実家、祖父の家はその半分400坪に竹藪がありました。
だから、この竹藪は一番の遊び場であり、
その遊び場に蓄音機のSPレコード盤を持ち出してきて、平気で、
そのレコード盤を飛ばしてしかも割れ散ることを楽しんでいました。
社会人になってオーディオから始めた時には、SP盤を割ったこと、
大いに哀しんだものです。
その竹藪には、二つの小屋がありました。
一つは消し壺の焼窯と落とし紙の紙漉き小屋でした。説明必要です。
消し壺とは、火種になる炭火を入れておく、陶器の蓋付きの壺です。
落とし紙というのは、現代のトイレットペーパーです。
便所にはその灰色の落とし紙がありました。
そして、その小屋にはそれぞれ職人さんがいましたが、二人とも、
祖父の雇い人でしたが、祖父よりも年寄りであり、
幼い私にはふたりとも家来だったと思っています。
祖父は最後の宮大工でもあり、社会的な役割がどれほどかは不明です。
ただ、製材所から瓦焼から、様々な雇い人だけでは無くて、
様々な商売もしていました。
しかし、破産したことも母からは聞かされていました。
この頃は街中ではほとんど竹ヤブは装飾的に見かけても、
竹藪はほとんどみたことがありません。
竹は根が張り巡らされているので地盤は地震に強いと言われています。
その竹藪が一辺に無くなりました。
それはある日、竹に花が咲いたと言われています。
竹に花が咲くのは、竹に異変が起こり全滅する印だと言われています。
私の思い出の中の竹藪は祖父との思い出がいっぱいあります。


目次を見る

「桜の花のピンク色・阪大吹田キャンパス」


   


     4月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM

以前にどこかで、初めて上京して見た桜が白かったこと。
そんな話を書いた記憶があります。
正直、阪大を退官して、しみじみと吹田キャンパスを眺める気がします
8年目春、初めて満開の桜に囲まれた阪大キャンパスを
iPhoneで思わず撮りました。
ちょうど、パリのフォーシーズンズ ホテル・ジョルジュ サンク パリの
いつもながら、趣向ある生け花は桜のつぼみでしたが、
ワイフとやけに白すぎるね、と言い合いました。
退官してからは阪大内の退任挨拶などの行事が大変に多かったのですが、
辞めてみてなんだかこれからが本当に、
開発・研究・養成を大学人として出来そうな気配に私はなっています。
だからかもしれません。
大阪地方、阪大の吹田キャンパスに来てみて初めて、
じっくりとこれほど桜木立があったこと、
とても驚き、そうして見事なピンク色も満開第一段目でした。
それは自分の研究棟は、
元来はフロンティア研究機構事務室が改装された平屋建てですが、
高層建築が次第に多いキャンパスでは、きわめてユニークな建物です。
私の部屋は多分、旧帝大系の教授室と比べれば、
それなりの出来映えで、綺麗ですが、
スタッフにもっと「清潔」であることなどを命じる有様でした。
驚いたのは、修士の学生達が使い放題のままだったことです。
これはすでに彼らの今後の人生を決定づけています。
またそうさせていた塾長の責任も彼らの人生を決定しています。
そう言えば、私の母校・金沢美術工芸大学は、
旧日本軍の明治以来の兵器庫が改装された学舎だったので、
冬には雪が舞い込み、配られた石炭ではとても寒くて、
作品であろうが、置き放しの作品もすぐに燃やしてしまいました。
それだけに躾は厳しく(=今だと訴求?=それがおかしい)、
掃除は行き届いていました。
大学、特に国公立は税金で持っている機関ですから、
研究室は、しかもデザイン系ならば、
「徹底した清潔さ」で出来た、
美しいインテリアであるべきと私は思っています。
私の研究室周囲の桜木立は桜が芽吹いていました。
秋になると銀杏が食べつくせないほどの木立があります。
そして、ちょうど写真手前、
右側には「銀杏会館」という美しい建物があり、
大きなセミナーから一流のレストランがあります。
国内外のお客さまとは、ここで食事をします。
なんだか、退任してキャンパスの自然を落ち着いて見渡しました。


目次を見る

「貿易立国最初の輸出品・九谷焼き」


   


     3月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

明治維新後、日本のアイデンティティ明示は、
岡倉天心の国家プロジェクトで、狩野芳崖の「悲母観音像」でした。
西欧諸国が驚愕したこの絵画一点を証明したのは、
1873年ウィーン万国博での「九谷焼き」商品でした。
日本が貿易立国となっていく最初の商品が九谷焼きになりました。
私はこの最初の貿易品が九谷焼きだったのなら、
長い間どのような陶磁器であったのかと思い続けてきました。
改めて逆輸入された当時の輸出品そのものを九谷産地で見つけ出しました。
今では私の大切なコレクションになっています。
これは現在の九谷焼きをはるかにしのいでいるとともに、
日本の現代の陶磁器技術を超えていると評価できます。
まず陶磁器とは思えない、
まるで「ガラスのようなセラミックス」であり軽いことは究極です。
さらに、装飾=これをデザインとは私は呼びませんが、
デコレーション=装飾・加飾技法もずばぬけています。
だから、加賀の伝統は今も健在だとは言い切れないと思っています。
最近、全国の陶磁器から漆器に至るまで、
デコレーション=加飾の描写技法デッサン能力の低下を私は憂いています。
ずばり、
伝統工芸産地での自然写生デッサン力は下手くそになり果てています。
そのようなデッサン力で「人間国宝」の作家が数多くいます。
これは日本だけでなく海外の有名ブランドでも起こっている傾向です。
それこそ、何の花か、鳥らしいが何の鳥、葉っぱなどの描き分けは
完全に間違っているモノが多いのです。
自然観察力とデッサン能力は世界的にも力量低下しています。
世界の自然景観で失っている動植物が多いのかもしれません。
私は、最近は陶磁器を徹底的に収集をしています。
デザイン資料は「使わないと」本当の機能・性能が不明ですから、
いざ購入ともなれば、
自分がコレクションするのだから吟味に吟味します。
陶磁器はCHAINAと呼ばれてきましたが、
漆製品=JAPANでは無くて現在はLUCQER WAREと呼ばれます。
したがって、陶磁器産業はセラミックス産業として、
まず、陶石や陶土を伝統工芸陶磁器現地産から解放されるべきです。
さらに、写実的なデコレーション、
これを私は絶対にデザインとは呼びませんが、
デッサン描写力を強化すべきです。
となれば製陶技術を
さらに高度な技術開発をベースにしたデザイン導入が必要です。
結局、陶磁器はあまりにも伝統工芸への大きな誤解、
産地存続の継承にだけ踏みとどまり、
全く「革新」をしてこなかったと判断しています。
なぜ、明治維新後、日本の国際化・貿易立国としての輸出品が
九谷のセラミックスだったのかその詳細を見直せば一目瞭然です。
この技術はもはや九谷に残ってはいないのではないでしょうか。

目次を見る

11月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 1st, 2010  Posted 10:00 AM

11月1日 先負(乙卯)

落花は、
流水のままに流れたいと思い、
流水は落花をのせて
流れたいと思うらしい。

そして、
散り落ちた花に情けがあれば、
その流れる水にも情けが伝わり、
花は流れ去っていく、
という「落花流水」の
風情感である。

『デザインは言語道断』落花


目次を見る

3月21日Staff Blog


   


     3月 21st, 2010  Posted 10:09 PM

3月21日

PKD講演会2/26@国際文化会館
参加した教え子?デザイナーが
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
に盆栽をプレゼントしてくれました。

そして、
せっせと水+愛情のお世話で見事に開花!


目次を見る

2月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 11th, 2010  Posted 9:00 AM

2月11日 先負(壬辰)

花が描かれていれば、
その花の香が匂ってこないかと見つめる。

鳥が描かれていれば、
その鳥の羽ばたきの音や
さえずりが聞こえないかと耳をすます。

月が描かれていれば、
その月の明るさや雲の動きを想像する。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


目次を見る

1月12日Staff Blog


   


     1月 12th, 2010  Posted 9:51 PM

1月12日

故郷の花。
福井の花、水仙が届きました。
まずは、一輪差しに。
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
の指示により、
徳田八十吉作、昨年、逝去されました
九谷焼の花器。
正彦氏時代の作品で、
金沢美大の先輩だそうです。
詳細は、BOSSブログに。
美しい。
12_a


目次を見る

『資本主義からの逃走』  
*「かたち=デザイン、
   このことばでつないでいます」*


   


     12月 24th, 2009  Posted 10:00 AM

デザイナーになって以来、
かたち」こそ、私には「デザイン」です。
●「いのち」に「きもち」を、
●「きもち」を「いのち」に、



だから
かたち「に」きもちを
かたち「を」きもちに、



あるいは
かたちにいのち「を」
かたちをいのち「に」ということを、
まるでこの闇の中でつないでいる時もあります。
光の中でつないでいる時もあります。
しかし、私にはこの時々に、
生体的な病で押さえこまれる「しばらく」があります。
「しばらく」は、光と闇の時空間です。
やむなく、
私は時空間で「たたづんでいる」と判断します。

「化」という言葉があります。
「花」という言葉を支えています。



人と刃物=鳶口との関係です。
そしてもう一つは、「祈る」という「化」です。
かたち」が「花」のごとくというのが、
私の祈りと言うのは、ややはばかりますが、
やはり、
私は、「かたち」=デザインに生体で祈り続けて、
時々、「たたづむ」ことを余儀なくされるようです。
私は、先般、このことを強く認識できました。
そういう才能と実践に出逢うと、
まさに、「鏡」に自分が映るように自覚させられます。
これが、感動であり、感激です。
そうした才能と実践に感謝するばかりです。
「きもち」が確実に「かたち」、
その世界を浮かばせてくれるのです。


目次を見る