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Posts Tagged ‘芸術’


『音楽が終わった宣言は現代最も明確なデジタル改革論』


   


     8月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

1980年、ジョンレノンが暗殺されました。
私は自分の青春を終えて福井に帰郷することを決めた一つの原因でした。
その時まだ大学人でもなかった私は新設された「日本記号学会」に入会。
以後大学人になってから色々と学会員になりましたが、
一旦、阪大退官時にはできる限りの学会員を辞めました。
しかし、今なお「日本記号学会」には入っています。
記号論・記号学は「意味すること」・「意味されること」を
あらゆる学問領域で扱われているおそらく最も学際的な学会です。
この学会誌が、とうとうこの結論を出してしまいました。
それはデジタル表現での大きな結論です。
「音楽が終わった」というのはセンセーショナルな問題ではなく、
それこそ、音楽という表現がデジタルで、
表現物を作品=内実的概要と、表現物の作家=外実的概要を、
「音楽」に喩えただけのことです。
それこそ、オリンピックとアスリート、スタジアム建築の問題、
さらには背景がすっかりギルド化された中での稚拙なエンブレムなど、
デザイン作品の内実性とデザイナーという外実性も同様です。
要は、21世紀に完結=終わってしまっているから、
単なる商売的なギルド感覚での資本主義体制にも決着が必要なのです。
この結論から、新たな21世紀の音楽から、スポーツと商売も、
デザインと商売、この商売感覚からの離脱決意を促しているのです。
この論理思考を記号学では「音楽」に喩えただけのことだと考えます。
要は、デジタルという文明は、
もはやこれまでの音楽・美術・芸術・スポーツ、そしてデザインも
デジタルで大変革しなければその解答はまだまだ不明だということです。
オリンピックをデザイン・建築で演出することの時代が、
まだ、商業主義的見栄の国家表現を停止すべきです。
明言すれば、もう音楽は作品も音楽家も不要なのです。
同様に商業主義に包まれたアスリートもオリンピックも不要、
さすれば、デザインもこれまでからの脱却論を開始すべきなのです。  


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『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』


   


     8月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

元来、デザインは応用美術とか図案や装飾美術からという源流があり、
意匠になり、設計になり、そして策略や資源と時代変遷してきました。
しかし、私は美大時代、工業デザイン専攻では、
すでに、発明の設計実務学、問題解決学として
学習と訓練を受けてきました。
美大卒業し、家電入社したときには意匠部でした。
したがって、デザインの真意論・本質論・技術論・文化論では、
ようやく、産業から健康、文化として
文理融合と学術芸術の統合として、
「コンシリエンスデザイン」にたどり着きました。
ところが、楽しみにしていた東京オリンピックでは、
建築とグラフィックに、統合的なディレクター不在と経済効果での
アスリート興業商業主義の悪用としか思えないデザインの大勘違いが
横行し始めています。
建築コンペも狂い、エンブレム選別も知識不足の商業デザイナーでは
コピーだ、ジェネリックだ、せめてアプロプリエーションぐらいの
ハイレベルにも到達せずに、
情報社会で低レベルマスコミに混乱させられています。
そこで、かって35年前に私が伝統工芸産地で包丁、
キッチンナイフの「一体化」と新素材開発、刃先アール寸法など、
問題解決の解答デザインをしました。
ところが、たとえば、ほとんど最初に素材でダマスカス鋼風が、
あたかも刃物という恥ずかしいほどの
能なし刃物産業が世界的に流行しています。
オリジナルデザイナーの没後に、
デザイナー名を騙って自分デザインとは、
ジェネリック家具で氾濫を始めています。
そこに、TPPでの著作権問題を米国主導にするとは、
多くの官僚と議員たちの権力志向の能無しレベルを加速しています。
やがて、私、没後には
私のオリジナル=問題解決=デザインは消滅するのでしょう。
せめても生きているときには、恩師の作品やオリジナル性には
脳外喧嘩師でありたいと決心しています。
ともかく、官僚と議員からデザインの離脱を宣言しておきます。
つまり、オリンピック・パラリンピックを支えるべきデザインが
根本で間違ったがゆえに、夢は消えたのです。


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『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』


   


     4月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

INTERMOLD 2015=金型展・金属プレス加工技術展で特別講演をします。
今年に入ってからの私の講演テーマでは、
必ず「コンシリエンスデザイン」を基軸に話をしています。
最大の理由は、世界的にも学術と芸術の融合であり、
学際化は語られているほど具体的に実行されていないことと、
この学際化にはデザインがいわば接着剤になるということです。
大阪大学大学院医学系研究科に、私はこの講座を新設しました。
特に、看医工学という学際化で、二つを目標にしています。
危機解決学で安全と安心を、健康と生活での危機を産業的に解決です。
そのために、修士課程という教育と具体的な共同開発での
デザイン開発と制度デザインを果たしていくということです。
このまま博士課程になるでしょう。
こうした目標の一つとして3Dプリンターの世界観を日本戦略化する、
ということについては、機器開発・ハードウエアでの3D-Printerと
技術開発・ソフトウエアでの3D-Printingがあります。
私は、光造形をやりたいがために大学人になりました。
光造形でトポロジーをまず制作しました。クラインボトルです。
最もこれは数学的には、擬似クラインボトルですから、
これを空間論に持ち込みましたが、光造形の経験もない輩には、
未だに「トポロジー空間論なんて・・・」ですが、
3Dプリンターブームでは、この光造形が基盤ですから、そのうちに、
私の提唱が認識されるでしょう。
なぜならモノが空間論的に実証されるからです。
昨年は大阪で製造生産領域でこの話をしましたが、今年度は東京にて
コンシリエンスデザインでの特に、機能性を話すつもりです。
その理由は、デザインというと即、機能的が評価軸になりますが、
私は、この機能論が、哲学的に語られてきた機能主義からも
さらに詳細に実務、それこそ3D-Printerという製品と
3D-Printingという技術を学際化効果としてなら、
「コンシリエンスデザイン」で語れることを明らかにするつもりで

*INTERMOLD 2015
http://www.intermold.jp/seminar/sp/4/


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『研究棟看板「Consilience Design Interdisciplinary Studio」』


   


     4月 8th, 2015  Posted 12:00 AM

「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」は、
英訳するのに困りました。
コンシリエンスデザインは、明らかにコンシリエンスという概念は
出来上がっていて、この論理性は未来を確実にしています。
看医工学という、看護学・保健学・医学・工学は、
これまでの医工連携での限界性を打ち破る学際性が明確にありますが、
医工連携に固守している輩には、もう誤魔化しが不可能なことを
指示しているのですが、看護理工学会では看医工学という名辞は
大好評でした。
コンシリエンスは文理融合をデザインが超越させます。
そこで、コンシリエンスデザイン学際化スタジオが的確でした。
この2年は「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を
単純に受け入れていました。が、従兄弟は信頼・安全性工学では、
それも宇宙開発事業での展開で権威でしたから、
「危機は管理出来ない」と言われて、それから私は、
すでに教科書や、資格制度を洗い直し、「危機管理デザイン賞」の
審査委員長も退任しました。
「危機の管理は不可能である」と「危機は解決すること」から、
危機解決学へのデザインそれは学際的でなければを組み立てました。
「前例が無い」と言われれば言われるほど、
確実にこれはデザイン実務でこそ、危機、それも管理では、
リスク=起こるかも知れない危険だけではなくて、
クライシス=起こってしまった危険を問題として即解決学になりました。
これから、私は危険とは、生命が失われることが最大の問題です。
だからこそ、医学を取り囲む学術だけではなくて、デザインゆえに
芸術を組み入れた文理融合までの統合的な学際化をめざします。
学際化を果たす教育・研究・開発を産官学にまでと意図しています。
「Consilience Design Interdisciplinary Studio」が至極、
私には的確だと思っています。


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『間もなくオープン=ショールームにインスタレーション』


   


     4月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

今、あるメーカーのショールームをデザイン監修しています。
ようやく、企業内トッププレゼンの最終仕上げ段階です。
大まかなビデオ撮りと詳細な設計監修に入っています。
ほぼ、私のイメージ通りの仕上がりに入れば入るほど、
もっとデジタルな表現が沸いてきてなりません。
正直、このデザイン設計がほぼ出来上がってからはさらに私は、
この空間で実現したい空間はもっとヴァーチャルな世界観が
とめどなく広がっています。
そして、その技術と素材がどんどん私の周りに集まってきています。
というよりも、技術進化と素材進化のスピードが上がっていると、
私は確信しています。
それだけに私は日本全体の技術進化を国際化することが、
とても日本自体が下手になっている気がしてなりません。
デザイン思考、デザインシンキングなどは私には空論でしかありません。
私現在の狙いは「コンシリエンスデザイン」を焦点化することです。
インクルーシブデザインを超え、如何にデザイン思考という程度では
このコンシリエンスという科学性=学術+芸術はありえません。
たとえば、光には自然光と人工光があります。
当然、自然光と人工光には大きな光源の違いがありますが、
光が当たれば、必ず、陰影が生まれます。
おそらく私がデジタルであれ、アナログであれ、あるいは、
リアルであれ、ヴァーチャルであれ、陰影のデザイン監修にこそ、
ようやく私は、デザイン、コンシリエンスデザインでこそ、
まだ明言は出来ませんがデザインが表現し意図する、
それこそ日本の美学は、陰影に根ざしていることを私は、
今回のインスタレーションの世界観から教えられた気がしてなりません。
そういう意味では、このショールームを超えるデザインは
絶対にあり得ないと自負しています。
一般公開は5月連休後になるでしょう。


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『2015年新学期から・コンシリエンスデザイン看医工学!』


   


     4月 1st, 2015  Posted 12:33 AM

大学人になって20年になります。
名古屋市立大学芸術工学部新設時から、私は大学人になりました。
芸術工学研究科博士前期後期課程の完成まで10年をもって、
私は大阪大学大学院の工学研究科に移籍しました。
公立大学から国立大学に変わって、7年で丁度退官になりました。
それから、「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」で、
液状防止対策や危機管理工学に2年取り組みましたが、
結論は、「危機は管理できない」そのような学域は存在しない、
この結論から「危機解決学」の構築、そのためには、
デザインで文科系と理科系を、さらには、学術と芸術を「学際化」。
この提案をすることに至り、「コンシリエンスデザイン」という
新しい概念の実務を「危機解決学」の構築に向けることにしました。
そして、それを果たすには今度は医学系研究科に転籍して、
「看医工学」=看護学・保健学・医学・工学などの
融合・結合・統合を今学期から博士前期課程への教育と研究、
さらに産学共同プロジェクトで、
コンシリエンスデザイン実務をスタートさせることになりました。
看護理工学会や眼科手術学会やメディカルJAPAN2015で、
すでに、論文や講演をしてきました。
産学共同プロジェクトの対象企業も次第に増えてきました。
その舞台は、大阪大学の吹田キャンパスU4棟が私のスタジオです。
U4棟を私はUFO棟と自称している、おそらくキャンパスでは唯一、
平屋棟であり、阪大に来てから10年目がここからスタートです。
「前例が無い」と言われましたが、なるほど、文理融合だとか、
複合領域とかで「学際化」は叫ばれていますが、実情は皆無でした。
前例が無いから、デザインでその発想転換と変革をやります。
「コンシリエンスデザイン」では、すでに招聘教授もまず、
2名を決定しました。これから、招聘研究員や特別研究員を
充実させていくと同時に、国内外の大学と連携をするつもりです。


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『Consilience Design Phenomenaの形態・制度設計の効用』


   


     3月 22nd, 2015  Posted 12:45 AM

私がデザイナーとして、大学人として辿り付いているのは、
形態設計と制度設計による安全と安心の未来社会の創出です。
しかし、その前に、日本人には天災人災での福島復興が前提です。
この前提には、自然と人間、地球と人類の問題があります。
その問題解決には、私が主張している「ち」という
日本語が理念構造に配置した「血液から、知性、土地など」全てへの
デザイン記号論があると認識しておかなければなりません。
デザイナーはForm=かたち=形態設計を成し遂げ、
そのFormに突き動かされた感性と感情=きもち=Emotionが、
社会と時代のFrom=社会形式の制度でEmotionを制御するのです。
結果はデザイン効用としての命=いのち=Lifeを繋いでいくのです。
そのためのデザインは、学術でのデザイン工学や、
芸術でのデザイン技能に押し込められてきたことから解放が必要です。
私は学術の文科系+理科系に対して、さらに芸術から学術を
もう一度引き離すことを「コンシリエンスデザイン」と定義します。
これまで、大学での文理融合が複合学術領域では制限があり、
芸術を専門的な機関で呪縛していることからも解き放ちます。
かつて、大学は、宗教と医学と法律から出発しました。
その時には、医学はアート=芸術領域でした。
わが国の科学研究の系統・分野・分科の細目を見直しました。
やっとこの中には、これまでのデザインは美術から解放され、
デザイン学が複合領域にあります。
また、設計学は摩擦学→トライポロジーから派生したままです。
当然ながら、医学の細目からは人間学は保健学に含まれています。
私は、もう一度この系統・分野・分科からの統合学として、
明確な看医工学を配置し直しました。
コンシリエンスデザイン看医工学が、危機解放学の基盤であり、
結局は、「かたち」・「きもち」・「いのち」を
デザイン記号学として、造形言語と形態言語に具体的に整理します。

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『記号論でのコンシリエンスデザイン』


   


     3月 16th, 2015  Posted 12:00 AM

1980年、記号という言葉は道元であったということが、
日本記号学会の最初の学会誌でその指摘があったのを思いだします。
当時、私は独立して赤坂のデザインスタジオでこの学会新設とともに
最初に学会員になりましたが、まだ駆け出しのデザイナーでした。
デザイン学では語りきれない学際化された日本で最初の学会でした。
記号論、記号学に最も惹かれていた論理的な思考でした。
現在、「デザイン思考」が論理考察の手法論になっていますが、
正直、記号論の学際性には及んでいるとは私は思っていません。
「造形言語」と「形態言語」を記号学的な領域にしてきました。
これはデザインすること、デザインされたこと、
この記号論的考察であり、デザイン結果を言語としての意味論です。
「造形言語」=designing language=design intention として、
デザイン意図、意味することです。
「形態言語」=designed language=design contentsとして、
デザイン内容、意味されていることを表しています。
つまり、デザインをする理由や背景、そこからの意図をもって、
結果、
デザインされた形・形態・形式には、その効用と効果があることを
明示しているという、記号論であり、記号学になりうる証左です。
デザインは学術+芸術×文科系+理科系を存分に背景・基盤にして、
言語化、すなわち記号としての意味することと意味されていることと
私はコンシリエンスデザインの位置づけ、定義は、確実に、
この言語化=記号としての、
制度設計論の言語化と形態設計論の言語化この二つの記号学が成立。
結局、コンシリエンスデザインでの安心と安全、危機解決の記号化が
看医工学を中核として、これからの学際化、その実務を
明確に定義することを断言しておきます。

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『陽子加速器での核変換デザインによる復興』


   


     3月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

東日本大震災から4年目になりました。
復興どころか、最大の懸案は除染という移染と廃炉化計画への覚悟、
これらを大欠落させているのは、
すでに予想・予知されている、火山爆発・首都直下・南海トラフなど
危機管理という大きな過ちが蔓延していることだと私は判断。
私は、新素材開発と陽子加速器での新たな核変換産業の創成です。
危機管理学での「危機は管理できない」という認識を拡大し、
「危機は解決するという危機解決学」の拡充だと結論しています。
私は、次期の「液状化対策デザイン」での素材は、
すでに広島の土砂災害と御嶽山の火山灰回収で一つの実証をしました。
だから、陽子加速器と人工地盤化での福島での新たな産業化を
私はコンシリエンスデザインで提案をしていきたいと考えています。
ImPACT=革新的研究推進プログラムに大欠落しているのは、
プロダクトデザインとインダストリアルデザインを超える発想です。
先般も「廃材利用」というリサイクル概念の停止を訴えています。
「端材=mills ends」での思想理念をコンシリエンスデザイン化、
このことの象徴こそ、核廃棄物ではなくて核融合ターゲットへの
デザイン的な確信だと私はこれから主張していくつもりでいます。
また、大阪大学では「端材」を「端財」と呼び、
この講座も開設していることを知りました。
とりわけ、核分裂での生性物はセシウム136で230万年半減期を
全ての人は怖れていて、あたかもこれこそ科学不信の源扱いです。
しかし、これこそ低能力であることの自己表明だと思っています。
デザインはあくまでも「問題解決」の実務手法であり、
その背景を全変革と全変換することを私はこれから絶叫する覚悟です。
陽子加速器でターゲット元素である鉛とビスマス合金でこそ、
これを福島再生の手がかりをコンシリエンスデザインが構築します。
問題は、脱原発という輩に再学習させること、
さらにデザイン界からも芸術を剥奪して学術性負荷の教育機関を
私は創り出すことだと、今春から大阪大学大学院から発信します。

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『芸術は宗教である。=私は信じている。』


   


     11月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

モンドリアンの全てを私は信じています。
現代、芸術史に美術の歴史上では、その芸術家は貧乏の極致であり、
決して生きている時は認められなかった作家は沢山います。
私が直感で、気に入り好きな作品、その作家は自殺した人がとても多く、
自分でも「なぜ?」と、思っていて、いつかすべてを熟考記述します。
モンドリアンのこの「ブロードウェイ・ブギウギ」は、
いつも本当に良かったと思い、私にとっては、最も落ち着ける作品です。
画家を志し、彼の作風はやがて完全な抽象画になっていきます。
彼が、芸術運動=デ・ステイルの中心人物になり、
ようやく、彼が個展で認められて、スターになったときはすでに70歳。
それまでの、画風様式から、「解放」されたがごとくの、この絵は、
芸術の修道士とまで言われ、結婚もせず、完璧な絵画で、
デザインそのものが再考を余儀なくされましたゆえに画家ですが、
私がデザインの完全主義を学んだ重要人物です。
だから、私にはモダンデザインの基礎は、
彼の創作思想を追いかけました。
しかし、社会からやっと認められたからなのでしょうか、
彼の人生最期にはそれゆえの超完全主義がこの絵画になりました。
MoMAに行ったら、この原画の前にずーっといることができます。
芸術が宗教だ、とまで断言してもらえたこの表現こそ、
完全主義を乗り越えたからこそ、ここまでの表現が、
私は確信の真実はここにまでいたるべきだと思っています。
私自身、宗教は信じると言うより、
学んできた対象では重大なものです。
しかし、宗教に私の確信性はありません。
むしろ、自分は自分の中に潜む美、
この美だけが生きがいの対象です。
それゆえに、モンドリアンの思想、生き方、
芸術は宗教断定を認めます。
極貧に耐え抜き、社会的にも認められず、ゆえに修道士のごとく、
自分の思想と理想を守り抜いて、生涯の最期の最後に、
大絶賛はたった2年間です。彼の完璧完全に生まれた、
まさにブギウギ、
この生涯こそ、私は自分もこうありたいと完全に願っています。
私は、作品を創りあげた作者の生き方=思想こそ、
学ぶべき対象だと、自分に言い聞かせています。
この作品にまでなんとしても自分はたどり着きたいと思っています。


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