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Posts Tagged ‘車イス’


『二人の国際的インテリアデザイナーが来てくれました』


   


     9月 18th, 2019  Posted 12:00 AM



たった1mm厚からの5mmの波型、
そして「腰」では座らないことを実現しました。
もう28歳から車イスに乗っているので、それこそ「座ることのプロ」です。
カーボンファイバーで「問題解決」と「価値創出」をやり切りました。
インテリアデザイナーで、国際的に活躍する森田恭通氏と吉岡徳仁氏が
来場し、試していただきました。
映像と対峙しながらどう思ったでしょうか、気になります。
ちなみに、吉岡氏の電話相手は私です。
挨拶は出来ませんでしたが著名な建築家達もいらしていただきました。
そして、13日2時半にはAXISで会おうよと、
連絡をくれた鈴木エドワード氏が、突然、逝去されたのです。
1983年にAXISギャラリーで開催したタケフナイフビレッジ展で、
彼と出会いました。田中一光さんを連れてきてくれて
多くのデザイナーや企業が次々来場することとなり、
一躍タケフナイフビレッジの仕事は世の中に出ることとなりました。
それ以後もNew Yorkで私の誕生日パーティ開催にも会いました。
そしてまた今回のAXISギャラリーでの再会を楽しみにしていました。
kawasakiとsuzukiは企業だけでなく、
個人的にも世界で一緒に頑張っていましたから。
日本発のモノづくりがやっと叶いました。
また日本発のカーボンファイバーは、
本当に「詐欺まがいの集団」をいくつも知りました。
これまで車イスの設計からこの素材を追いかけています。
この市場開発には、3つの大きなマーッケトがあります。
これは「詐欺まがいの集団」が多いのでまだ内緒ですが、
これから韓国でも発表がらみで展開を予定していましたが、
この政情ではできません。
やっぱり、「商品発表会」では、世情が反映しました。


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『車イスだったから、出来ないから、知っていること』


   


     3月 10th, 2019  Posted 12:00 AM



車イスになって、出来なくなったスポーツは、
まずは、スキー、高跳びから遠泳、
ロッククライミングそして少林寺拳法と空手。
スキーの腕前は越前市の市民スキー大会で小学6生から中学2生まで優勝。
遠泳は父から鍛えられ東尋坊から雄島までどれだけ必死に泳いだことか。
雄島が心霊スポットなんて騒がれていますが大嘘です。
高校時代は山岳部に所属し、福井県の山岳と白山ばかり。
美大時代は、最初入部した、空手部の退部試合で殴られ、
正々堂々と辞めた後に、山岳部の創立。だから今も先輩と連絡。
ロッククライミングに、大学時代の休みはすべて山に打ち込み、
2度死にかかりました。その時には車イスにならなかったのです。
ほとんど剣岳で練習と、終わると、後立山縦走ばかりでした。
武道を身につけるべく、最初は中学生時代の少林寺拳法でした。
少林寺拳法は、空手のような競技ではなく、
また精神的鍛錬に重きをおく点で、優れていると感じていました。
父の教育方針と、山が私の虚弱だった心身を強くしてくれました。
驚いたのは、デザイナーになって、知られてから、
少林寺拳法誌から取材依頼を受けました。
その時すでに車イスだったので、「もっと早く取材してほしかった」、
「なぜ取材を?」と聞いたら、
私が正拳士だったと聞いての取材だったのです。
その時も、五花拳の美しさを話しました。
こうしたスポーツとのかかわりで、
車イスながら、身体障害と心臓障害を負いながらも生きています。
父から命ぜられたお陰でした。
そして、車イスになって、
どれだけスポーツが精神を鍛えられるかを知ったのです。


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『高齢者ゆえに「怒りのデザイン」があっていい』


   


     3月 9th, 2019  Posted 12:00 AM



私の叔母も、「買い物カート」を使っています。
私デザインで造ってあげるとは言い切れません。
おそらく、高齢社会での移動にはとっても大事なモノでしょう。
しかしデザインで「問題解決」が必要とされるモノです。
学校の卒業制作で、この「買い物カート」が、
調査、研究から操作、動作、かたちの
デザイン提案があればいいのにと、この時期は思います。
私のデザイン思想として、「喜怒哀楽」のデザインがあります。
「哀しみのためのデザイン」では、
スニーカーのような車イスをめざし「CARNA」を実現し、
MoMAやいくつかの美術館に永久収蔵されました。
しかし、今は電動車イス(20kgで重い)を使っています。
ところが国内では「使えないモノがデザインの最高賞」に選ばれています。
障がいには当然、個々に差があり、
腰での動作が必要となるこの機種は私などには使用できません。
私の意見を求めるべきだ、と開発途中で遠回しに話を聞きましたが、
結局、直接、連絡はなく、リスクを回避したのでしょう。
デザイナーで身障者で、
実際の車椅子を実現している人は企業でも少数しかいません。
真摯なモノづくりのために、アドバイスや協力は厭いません、
ただ、私はプロとして、正直で本当のことしか進言しません。
そして、先般も、踏切で「買い物カート」のキャスター前輪が
線路にはまり動けなくなる事故があり、幸い助かりましたが、
高齢者が利用するこのカートのキャスターの不味さがありました。
何としても高齢社会の移動用デザインをしなければなりません。
これは、「怒りのためのデザイン」と言ってもいいでしょう。


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『医療機器では全くだめな器械デザインは信用不能』


   


     3月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM



「骨密度」の計測をしました。
単純には、カルシウムとマグネシウムなどがどの程度
全体の骨があるのかを計測します。
加齢になってくると、「骨粗しょう症」が一段と進化します。
私の場合、長年立つことも歩くことも出来ませんから靴は新品・(笑)。
だから、骨密度を増やし、丈夫な骨を作るためには「歩く」ことが重要、
病気のほとんどは歩けば治る?(私は不安)とまで言われるのですから
私の骨は大変な状態でしょう。
骨密度の検査は4種類くらい検査方法がありますが、
私が受けたのは、X線方式の骨密度計測装置で、
簡単に椅子に座ったままでグリップを握るだけです。私は本当?。
これで、ちゃんと計測出来るのだろうか?という医療機器でした。
私は車イスなので、足には全く身体重量が架かっていません。
そうしたら、こんな器械でと思いました。
測定結果は、骨のキャラクターのイラストが書かれた
小学生に配布するような測定結果、A4用紙1枚をもらいました。
色づけしたグラフも数値もわかりにくいのです。
ドクターに「これで計れるのでしょうか?」と大疑問でした。
これにこそ、デザインが入るべきだと断言します。
ドクターは何も言いません。私が患者だと嫌でしょう。
骨折時の超音波治療器(とても高額)も認可されて以降(日本はやっと)、
進展がなく汎用的な使用は認められてないし、
また3Dプリンターで固定や装具の対応なんて現場ではやはりまだまだです。
骨そしょう症の薬剤、投薬や注射などもいろいろ見ています。
医工+デザインが必須ですが、デザインは全く認められていません。
私は、医療とデザインにこれまでも注力していますが、
デザイン界にデザイン教育の段階からこの領域を引き続いてもらいたい。
最も、この器機は、ドクターが曖昧にしたとおりに、
企業の保守点検期間が終了でした。ドクターを信頼してはいけません。


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『ジャン・クロード・キリーのサイン入り、スキー』


   


     2月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM



私が車イスになったとき、一番哀しかったのは、
「スキーができなくなる」という現実でした。
3歳からスキーを履いていました。
東芝時代も毎年、雪山で滑っていました。
その頃、ジャン・クロード・キリーのサイン入りの板が、
確か、石川町にあったスポーツ店にあって粘りに粘り4度は通いました。
「分かった、分かった、」とご主人が根負けしてくれて、
3、4本だけのサイン入り板の貴重な1本を、手にしていました。
K2とフィッシャーズを、履き替えて、使っていました。
だから、いつもこの二組を持って、
スキー場から剣岳の長治郎を滑っていました。
福井県の雪は重いのです。
軽井沢や北海道で、出会った雪が見事に軽くてびっくりしました。
その頃は、奥志賀で回転競技を懸命にやっていました。
福井で育ったことで、スキーが、一番好きでした。


歩けた私


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『生録は、今はデジタル、しかしアナログで感得』


   


     1月 30th, 2019  Posted 12:00 AM



生録(ナマロク)が1975年頃、流行りました。
オープンリールデッキを持って行き、演奏者の奏でる音を、
自分のオープンデッキで録ってくるのです。
今の生録はリニアPCM録音で、すでに協会があるほどです。
それぞれの生録は、明確に異なっています。
当然、当時はアナログで、現在はデジタルです。
そしてオープンリールデッキは骨董品扱いです。
実際は、もはや倉庫の中にある骨董品の私のデッキと
ミキサーを駆使して作曲をしていました。
PCM録音も、名古屋で開催されたジョージ・ベンソンのコンサートで
車イスだから自由にナマロクをやってしまった経験があります。
「やってもらっては困ります」。
「何でだ?」、と言えば、まさか車イスが、となり、自由でした。
しかし、オープンリールデッキ8chでやれれば
きっともっと音が良かったと思います。
それこそレコード盤を造るメーカーは2社しか残っていません。
しかし、2社は残っていますから、このブログでもデジタル、アナログ
未来と過去をつないで、進化とその真髄が
失われないよう紡いでいかなければなりません。
そういう意味でも、骨董品となっても、
しっかりと書き留めなければと思っています。
ナマロクもアナログ時代の方がやっぱり良いのです。
「感得」とは絶対にアナログが基本だと思っています。


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『あの名作の遠景はやっぱり無くなってしまった』


   


     1月 16th, 2018  Posted 12:00 AM




東山魁夷の「年暮る」という名作があります。
当時は京都ホテルの屋上から、川端康成の提案で、
「今描くべき」と言われた作品(1968年)があります。
「描いておかなければやがてこの景色が変わる」と言われた雪景色でした。
京都ホテルは現在は京都ホテルオークラです。
ホテルオークラのOkuraは私の恩師のスクリプト体であり、
ホールのデザインは故・内田繁、アルドロッシゆえ、
私にとっては、いつもこの絵画の上に現代の京都があります。
4日間このホテルから古書を探していました。
古書といっても、江戸時代の庶民の筆タッチのスケッチ:画集です。
結局、見つかりませんでした。
出逢ったあの時に買うべきだったと思っています。
とても軽快にほとんど一筆描きかと思うとても薄い画集でしたし、
なんだかいつでもこのスケッチを思い出すのです。
京都はワイフの生まれ育った場所ですが、
京都が魚を食べられるのは福井県小浜市からの「鯖街道」があるから、
奈良だって、お水取りは福井から送られてくるのです。
ともかく毎月、映画を観るために出かける街になっています。
車イスの私には、京都と金沢が映画が観やすい街なのです。
大阪はやや不潔で駄目、東京は車イス使用者を規定の場所ゆえ駄目です。
このことは本当に言い伝えないといけないと最近はつくづく思います。
もうどこが観光化していないかが分かる街になっています。
ともかく、今年はこれほど寒いかという街でした。


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『高価になってしまったカニ!いつまで食べられるか』


   


     12月 25th, 2017  Posted 12:00 AM




ふるさと福井からは毎年、今では名産中の名産、カニが送られてきます。
先般、帰省して叙勲者3人目のお祝いをしてきました。
そのときに、駅にあるもうすっかり覚えてもらっている、
水産物売り場に行って、度肝をぬくほどびっくりしました。
カニといっても、ズワイ=雄カニが一杯48000円とかを知って驚きました。
福井ではセイコガニ=雌ガニは子どもの頃はおやつでした。
鳥取では松葉ガニ:私は育成不足と呼びます。
理由は松葉ガニでは雌ガニながら腹部が大きくないという印象です。
金沢では香箱ガニですが、これは育ち過ぎというのが私の批評です。
富山で和食を食べて、魚は流石に日本海は美味しいです。
お店の方から、「関西の方?」と聞かれ、
私は「日本海の魚はやっぱり美味しい」と言ったら、
「富山の魚は良いでしょう」って、
「僕は福井出身だから、この魚は福井から泳いで来たから!」、
お店の人も大笑いしてもらいました。
ICD埋め込み手術ですっかり私は甲殻類アレルギーになってしまいました。
しかし、何としてもカニは食べたくて、アレルギー制御薬を飲んで食べました。
京都生まれ京都育ちのワイフは、セイコガニが大好きになりました。
なるべく、野菜も米も、それこそ醤油までも福井産に限っています。
そして福井の定宿では、クリスマスの抽選イベントがありました。
「こういうのは、絶対に僕は当選するんだ」って、宣言したら、
「31番が1等賞です」、
「はい! 31番」って渡すと、
周囲のみんなが驚いて大野産コシヒカリ5Kgが当たりました。
交通被災したときも、父からは、
「お前は抽選強いから、交通事故も車イスになるほど当たったのかも」、
こんなことも言われましたが、
確かに小学中学と商店街の抽選ではよく当選していたものです。
改めてカニ売り場では、最高級ランクをしっかりと見ました。
阪大には福井出身の船舶設計の教授もいますが、
彼は自分の研究費で、潜水ロボットでカニの生息を調べています。しかし、
「段々、カニが減ってきているよ」と言われたことがあります。
小学校時代は、魚屋さんから、
「お金もらっているから」と、セイコガニは2匹を食べながら帰宅しました。
ところで今、日本海はすでに海底では戦場になっているはずです。


* 「甲殻類アレルギーでも、蟹は食べる!」
* 『お米という簡素で簡潔な美しい主食文化』
* 「私の必須道具だから・iPhoneアプリにしてみた」
* 『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』
* 『京都というイメージ?、ブランド?、なのです』


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『今できることはやりつくすことだ!』


   


     11月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM




車イスになってまだ30代のころ、
国交省にいくつかの団体に応援していただきながら、
新幹線ホーム、まず東京駅にエレベーター設置を談判に行きました。
「そんなたかだか数名のためにエレンーター設置なんて・・・」
若かった私は、やがて100名が車イスの時代が来ると怒鳴っていました。
最近では、東京駅1ホームに80名から200名、とんでもなく400名の対応。
にもかかわらず、新幹線に乗るために駅員さんがスロープ対処です。
どうして、新幹線からホームにスロープ設置の発想が出来ないのだろう、
担当デザイナーどの!気づいてほしい!
銀座で最近オープンしたまあまあ1.5流クラスのホテルに、
是非ともスロープがほしいと申し出ました。
とりあえず、借りのスロープから、本格的なスロープが出来上がりました。
このスピード、そして、ホテルマンの方々が真剣に話を聞いていただき、
しっかりと出来上がってしまっていました。
こうなると、公的道路の舗装状態が悪いと言わざるをえません。
しかし、申し出たら、確かにホテルは客商売かもしれませんが、
この迅速な対応には心から感謝するばかりです。
おそらく、2020年オリンピック以後には、日本は貧しい国家になるでしょう。
しかし、今だからこそ準備をすべきです。
正直私は2050年以後には、この世にはいないでしょう。
ともかく2050年まで、いや 2300年には、ケルト民族のごとく、
日本民族はいなくなるかもしれません。
だとするならなおさらのことに、今でも想像の限りを創造に向かわせること。
私は28歳で車イス生活を余儀なくされ、40歳までと言われながら、
68歳、40年間車イスに乗って生きてきました。
しかもデザイナーです。できる限り自分の想像力を創造に向かわせたい、
だから、執拗に説得していますが、このホテルのごとく、
直ぐに対応していただけたホテルが銀座に、それは歌舞伎座が目の前です。
ユニバーサルデザインを日本で展開してきた最初の一人ですが、
今頃、ユニバーサルデザインを超えたヒューマンセンタードデザインに、
絶対に向かって実現していくべきと書き置きます。


* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』
* 「少数派のためのデザインから・再度、再検証」
* 「随分改善された車椅子対応までのエピソード」
* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』


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『M8.2マクロレンズはまだ使いこなすことが出来ない』


   


     11月 17th, 2017  Posted 11:00 PM




まだ本当に使いこなすことが出来ません。
本当のもうこのカメラだけに向かって、練習をしなければなりません。
M8.2のマクロレンズで、しかも私の体勢、
それは車イス上から撮影するというハンディキャップはかなりあります。
ただ、これまでの私のカメラ遍歴では、美大時代からマクロレンズ仕様と、
ASA400に拘ってきました。
マクロレンズで撮るのは自分デザインの詳細部です。
これまででは自分デザインのメガネ写真は金沢21世紀現代美術館での
個展ではメガネのインスタレーションに使いました。
マクロレンズ撮影は、自分デザインを覗き込むのが大好きです。
何よりも心が落ち着き、なおかつ、デザインそれも造形の至らなさ、
それに最も気づきつつ平常心に戻れることです。
そんなこともあり、ともかく標準レンズでもなく、
しかもファインダーレンズだということですが、
ともかく人前に出せる作品にはとてもなっていないのです。
カメラ自体が高級でもあり、最低限の私体勢での撮影にアクセサリーは完備。
正直、この写真も下手くそです。
大慌てで、なんとか自分体勢で普段使いのデジタルカメラで撮影しました。
かつて、中判カメラでのマクロ撮影では商品写真にまで出来たのに・・・
そういう意味では、モノに自分が負けてしまっています。
モノの使い心地を極めるには、使い勝手をマスターすべきです。
まして、デジタルですが、このクラスともなると、
自分がどれほど使い勝手に慣れて熟知しているかです。
アナログとデジタルの比較では、よくデジタルの安易さが言われがちですが、
このカメラに限って言うのならば、デジタルゆえの難しさ、
困難さを自問自答で知らされます。
そういう意味ではアナログ優先も疑う必要があると思います。
ともかくマクロレンズでの撮影は、カメラと自分の関係を明確にします。


* 『最高のカメラシステムはまだ使いこなせません』
* 『とても酷使していた中判カメラがありました』
* 『ハサミを鋏から「刃裟美」としての相対論の記述』
* 「デジタルカメラに向かい合うとき」
* 「カメラ修行は今なお・・・」


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