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Posts Tagged ‘造形デザイン’


9月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

9月18日 壬辰(友引)

造形デザインは
「瞬間芸のようなもの」である。
テーマを聞いた瞬間に
造形アイディアを思いつく、
それを
思い込んで、
それから
思いやりに至るべきだ。

瞬間に思いついては
モノが出来上がり、
社会化=効能に至るまで、
それは長期にわたるが
歴史に残るほど、
デザイナーの死後も
語り継がれなければいけない。

「川崎和男 強い人弱い人」


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9月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

9月17日 己丑(大安)

「造形デザイン」ができなくて、
もう一つの
「制度デザイン」ができるわけがない。
これが、これから
私が主張するデザイン職能の役割だ。
「形態設計」デザイン
「制度設計」デザイン、
いづれも
問題解決の実務である。

「川崎和男 強い人弱い人」


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9月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

9月16日 己丑(大安)

デザインワークは、
まず、「造形デザイン」。
それは、
大きさ
かたち
素材
色の決定だが、
その基本が「何」かを知る
その知性と感性が必要である。

その知性と感性はと聞いたとき
応えられるデザイナーが減少している。

「川崎和男 強い人弱い人」


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「スタートレックの時代が、現代すでに重なってきた」


   


     9月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

SF-TV番組「スタートレック」は1966年の想像力表現です。
映画化もされてきました。
ほぼ、半世紀前からの作品にもかかわらず、
世界中に多くのファンがいますが、私もその一人です。
これらは、「フェイザー」と呼ばれている、
この物語りに登場する「位相変換型エネルギー兵器」。
Phased Energy Rectification武器と言っていいでしょう。
Phased Energy Rectificationというのは、
指向性ある位相エネルギーの整流ビームという設定兵器です。
現実的には「フェイザー」は、
電気ギター音の位相をずらせば音の干渉効果で、
周期的な音色づくり=エフェクターが存在します。
手前(右)は、その形態をガジェットとして、
レーザーポインターという玩具であり、
上は、TVリモコンになっています。
この「フェイザー」は、
2260年代後に進化していくことがストーリーになっています。
モデルチェンジしていく形態デザインが確認できます。
そういう意味では、半世紀前にこうした発想があったことを、
特に、デザイナーは知っておくべきことだと思っています。
最近、デジタルTVは峡額縁ゆえに、
新しい造形デザインなどもう存在しないなんて話を聞くと、
日本の家電、デジタルTVが貿易産品にはなりえない
貧しい発想が企業に漂っていると批判しておきます。
まだまだ、真に想像力を強化すれば、
革新的なTVなどいくらでもデザインが可能です。
ともかく、次世代デザイナー、インハウスデザイナーは、
「スタートレック」を教科書にするべきでしょう。


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「機関車の魅力=鉄道の魅力に潜むデザイン論理」


   


     6月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

大阪駅に帰って来ると、
C57155の車輪が迎えてくれます。
子供の頃から、蒸気機関車が大好きでした。
「デゴイチ」か「デコイチ」かの区分にも私見があります。
そしてなんといっても北海道で、
蒸気機関車が全面ストップ寸前、まだ東芝マンでした。
それゆえに「蒸気機関車・SL録音出張」までしました。
しかもその録音はLPレコードとして商品化できました。
3重連で走りそこに雷鳴が、という素晴らしい音録りをしました。
鉄道は、子供たち、特に男の子にとっては魅力があります。
そこで、次のような課題を考えることができます。

■1.「新幹線はとても速い」だから「子供達に人気がある」
■2.「新幹線はとても速い」だから「目的地に速く着く」
■3.「蒸気機関車はかっこいい」だから「未だに人気がある」

この三つのテーマの中で、いわゆる数理的論理性は2だけです。
ところが、デザイン的な論理は、1と3です。
それには、二つの重大なキーワードがあると考えます。
まず、新幹線は流体力学的にも
造形デザインでスピード感がある形態=形態言語があります。
この造形言語による形態言語が、子供たちを虜にするのです。
また、蒸気機関車の造形言語には、力強さがあります。
この力強いという形態言語にさらには郷愁感が加わります。
したがってこの郷愁感には、
ノスタルジーやアンティック感は人間の感性を静謐に刺激します。
私は、現代デザイン・未来デザインとしての鉄道には、
速度性がある造形言語が創出されるべきだと思っていますが、
もう一方では、蒸気機関車のZゲージでは、
ドイツでの蒸気機関車のある種類に拘っています。
それは、速度感が編年的にアンティック感へ移行する感覚、
その魅力を見極めたいと思っているからです。
稲妻と雷鳴の中で、三重連で走るD51の姿=形態言語は、
今も私の脳裏には明確に思い出すことができます。
造形言語と形態言語の関係、
この構造主義性はこれからのデザイン論理として研究が必至です。


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「有田プラチナ釉薬仕上げ工程デザイン」


   


     3月 25th, 2012  Posted 12:11 AM

Platinum Morphological Reflection Method.
伝統的な有田磁器への新たな造形デザイン意図は、
カップのプラチナ釉薬仕上げによって、
Anamorphosis的なソーサーグラフィックを反射させることで、
これまでの陶磁器文様のあり方に一つの表現形式を与えることでした。
問題は、プラチナ釉薬の焼成が何度も思い通り平滑に仕上がらず、
結果はソーサー文様が歪曲してしまいます。
特に有田現地産出の天草陶石については、
土練りから成形・型抜き・素焼き・施釉、そして窯入れ・本焼き、
窯出しを経て、プラチナ・金処理後の錦窯で定着までを
産地の職人さんとのやりとりを2年間繰り返しました。
こうした現場とデザインの関係を、
Product Process Method of Development Management
PPMDMと呼ぶことにしています。
こうした有田の工程は、有田焼を最も特徴づけています。
それは土練りから成形し素焼き後すぐに施釉するのは,
1640年代ごろの中国人による革新技でした。
これが有田焼の最初の革新だったと私は思っています。
さらに、3回も焼成する伝統技を生かすことで、
プラチナ釉薬が定着するかどうかでした。
困難を極めました。
だから私はプラチナを線で表現しても、
面表現は無理と思わざるを得ませんでした
しかし、産地・福泉窯は社運をかけて取り組んでもらいました。
正直まだまだ改善することは残っています。
これがとても大切な課題です。
この課題こそ今後の有田焼はもちろん
国内すべての陶磁器伝統産業への問題解決になるでしょう。
ともかく第一段目の商品化にたどり着いたと判断しました。
陶石をさらに金属化していくことで、
現代のセラミックス技術に統合化できないだろうか。
プラチナの施釉ではない新たな定着方式など、
今、私の想像力の中ではPPMDMという
陶磁器産業へのデザイン導入方法のアイディアに包まれています。

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「音を求めて『闇に座す』」


   


     2月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

「土」と「立」の修辞的な直喩造形デザイン。
私がデザイナーになってからは「音」を対象にしていました。
そして、歩けない、立てなくなった私の願いを造形に、
直裁的に求めて座禅用の倚子にすべてを込めました。

    闇-沈黙に座す。

    沈黙の密度が許す
    その反物質という口癖が 音・・・か
    事件は予想されうる饒舌が
    沈黙のことを度外視している・光景か
    祈りと願いへの思い込みは
    沈黙を信じる態度であろう。
    大地・乾坤の間の「土」に「立」つ
    それまでが「闇に座す」。
    これが、「音を求める」私のやり方と思う。

音をデザイン行為とその対象で聴いてきました。
その態度に倚子、それも瞑想するために座す倚子をデザインしました。
その倚子に込めた知識を歴史から求め、五大思想で支えました。
発想してから20余年という時間で、
美術館に配置し鑑賞と使用をしてもらいました。
そして、私は座ることは出来ても立てない倚子でしたが、
倚子は土の上に坐し立つということの象徴であることを明示しました。
そして、歩けなくなったこと、立てなくなったこと、
この宿命的な現実を諦める確認を造形、
デザイン手法に込めることで、
これから生きていくためにもその象徴、
オブジェとしてイスにしたわけです。
それが、ちょうど金沢でデザインを学んで、
金沢21世紀美術館での個展開催、
「いのち・きもち・かたち 川崎和男展」で
里帰りができるとは思ってもいませんでした。
きっと、「闇」を「音」で見つめようと、
常にしてきた私のやり方を神様が認めてくれたのかもしれません。


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「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


   


     2月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

日本のインテリア界には大誤謬があります。
日本には「倚子」の歴史が無かった。
だから、イスを「椅子」と表記します。
私は徹底的に調べ抜いたことがあります。
きっかけは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、
ギリシア時代のイス=石で作られていたスツールと
中国の古代倚子を見てからでした。
日本では仏教伝来とともに、「倚子」が入ってきていました。
「禅家所乗物」・「高座」・「説教台」・「独榻」(トクタツ)・
「凳子」(テンス)、
このような呼称のイスがありました。
凳子は現在も中国語に残っています。
にもかかわらず、国内家具メーカーも、
イスの輸入商社も、日本にはイスの歴史が無かったと宣伝しています。
全く間違っています。
その結果が、「倚子」=人が寄りかかるではなくて、
「椅子」=素材である木に寄りかかるという表記になってしまったのです。
私の評論著作「倉俣史朗のデザイン・夢の形見」では、
彼の作品をイスとし、イス全般を「倚子」と表記すことに拘り、
編集担当の方にもこの歴史的事実を了解してもらいました。
そして、イスのデザインにおいては商品化が相当に難しい領域ですから、
あくまでも展覧会での招待作品として、
こうした日本の歴史性とともにプロトタイプを発表してきました。
とりわけ、イスのデザイン表現では、
彫刻的なまでの象徴性=シンボライゼーション=効能性が求められます。
したがって、イスにおいてはすでに、
歴史的評価デザインでインテリアが決定されています。
リートフェルト、ミース、コルビジェ、ジオポンティなど、
作家的なイス存在が空間の質を決定します。
「一脚のイスは一つの建築空間設計より難しい」と言われる所以です。
これが私のインテリア空間への基本的な造形デザインへの姿勢と態度です。
赤いイスは機能性表現であり、
その他は効能的な存在性の造形表現です。

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「最小リモコン=徹底的な黄金比の適用と実装設計」


   


     2月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

液晶TVやその周辺機器のリモコン=リモートコマンダーは、
複雑怪奇なモノが氾濫しています。
私は、リモコンは画面上に
オン・スクリーン表示のインターフェイスがあれば、
四つのボタンSWで操作可能だと考えています。
EIZOブランドで国内初のHD(High Definition)モニター、
PCと地デジTV・FORIS.HD用のリモコンです。
マウス機能と背面には音量・チャンネルセレクト、
その他最小限機能ボタンだけのリモコン。
正円マウスは成功しないというタブーに臨みました。
発売直後は商品批評でメチャメチャに叩かれました。
それはマウスだということと実機使用無しの批評でした。
無論、視覚情報で全てのデザイン機能性が伝わることが大前提ですが、
これはリモコンの特殊解でした。
特殊解商品が売れるためには、確かな広報広告が必要です。
この造形デザインにおいては、
黄金比・黄金分割の教科書になるほどの寸法決定をしています。
造形設計で最初に意図したわけでなく、
感覚的な設計をつきつめて実装設計との合理的な合致性を求めれば、
当然の結果となる筐体デザインの造形が決定されていくのです。
したがって、プラスチック成型においても、
実装性=回路基板や電池収納などには
徹底したオリジナリティを仕組む結果になりました。
現在、国内の液晶TVメーカーの衰退は著しく、
国際的競争力低下ゆえの減益報道がありますが、
基本は、徹底した「設計思想とその実務としての具現化」に
オリジナリティが欠落しているのです。
私自身、TV大好き人間ですから、
自宅の視聴覚システムは徹底的に最高を求めています。
その限りにおいては、リモコンに象徴されるがごとく、
国内外のメーカー、すべての商品には大不満です。
造形デザインは必ず徹底したサイズ決定と実装設計が必然だと考えます。

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「防潮堤工事は土木工学ではありえず」


   


     12月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

大津波は海から襲いかかってきました。
その高さは想像を絶していました。
それよりも注目すべきは、押し寄せて来た時よりも、
「引き浪の力」がどれほど強かったかは
以前も書きました。
あらためて陸と海岸線での痕跡を見ると、
防潮堤の高さも当然ながら必要ですが、
バリア形態設計が誤りだったことを確認できます。
海からの大津波を受け止める力より、
引き浪でコンクリートは海側に歪んでいます。
この防潮堤に叩き付けられていた遺体が多かったと聞きます。
陸上では、道路路側帯のポールが地面に叩き付けられています。
それほど巨大で暴力的な力だと考えるべきです。
今回、土木工事の杜撰さも明らかになりました。
まさに土建事業と行政既得権の横暴さは罰せられるべきものです。
それは東京浦安地域の埋め立て地でも明らかでした。
液状化も手抜き工事そのものであり、
徹底した地盤工事の東京ディズニーランドはOK。
むしろ江戸時代の埋め立て地は大丈夫でした。
港湾工事が土木工学に頼ってきた制度設計そのものを再検証すべきです。
むしろ、港湾工事が土木工学よりも
海事工学・船舶工学が担うべきなのです。
港湾工学は海事システム工学をわが国は制度として受け入れていません。
仙台メディアテークという建築があります。
エレベーター・階段は、船舶工学の溶接技術で建造されています。
あの発想が一つのヒントになると考えます。
行方不明者は海に連れ去られたのです。
大津波で山に追いやられ犠牲となった方は、
高い樹木に留まって亡くなられました。
多くの行方不明者の真実、
生き延びた方々の証言からも海への引き浪の力でした。
したがって、
コンクリートの防潮堤設計は根本で見直すべきと私は考えます。
引き浪力への流体設計は海事工学であり土木工学ではありえないのです。
防潮堤は、大津波を受け止める形態と引き波力をも拡散させるべきです。
そこには新たな防潮堤と引き潮拡散の造形デザイン、
それが波動とのインターラクションデザインになります。
ともかく土木工学よりも、
海事港湾工学が制度設計の中心だと私は思っています。
これは、私自身が関西海洋教育アライアンスで
海洋デザイン戦略論」を担当してきた知識です。

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