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Posts Tagged ‘金沢21世紀現代美術館’


「資本主義からの逃走」
     「3D技術・Visualizationは民主主義維新になる」


   


     1月 20th, 2011  Posted 12:00 AM

Visualization民主主義維新
Visualizationは「情報化」手法です。
3D・光造形・RP・ホログラム技術の初期。
私には1985年頃からの経験があります。
そして、=「見える化」技術は、情報の共有化確認であり、
ひょっとすれば、民主主義を変革維新できるかもと想像しています。
まずこの前置きから、現実状況の実体験報告でこの予想をまとめてみたいと考えます。
3D-Visualization
今年、「地デジ化が実施」となります。
そこで、3D液晶TVの熾烈な市場競争が起こっています。
3Dの初期、3D-CADをそのまま画面からも3D開発のベンチャーを1990年頃から実体験してきました。
当初、メガネをかけることの抵抗感が相当ありました。
このメガネが良くありませんから。
したがって、各社の3D・TVに興味はありませんでした。
ところが、液晶ディバイスの進化・LEDやCELL技術進化は見事で驚きました。
3D映画もまず「楽しい」と感じました。
だから、3D市場開発が各社、本当に下手だと見つめてきました。
3D.HDは日本が世界をリード
私の実体験は、東芝中央研究所で2005年に「立体VISION」開発を見ました。
ちょうど、2006年・金沢21世紀現代美術館でとても大規模な私の個展を開催することができました。
その時に、東芝から展示用に2台「立体VISION Model」を貸し出していただき、
「人工心臓model」を展示することができました。
ちょうど、モニター開発も、Foris.TVやForis.HDをデザイン開発、商品化することもできました。
しかし、これからのモニター、特にHD(High Definition は世界で最初)は、
スタンドアローンであっては、未来なしという想いを引きずるようになりました。
そうした意味では、現状国内各社のTV開発はまだまだ駄目です。
しかし、韓国メーカーは「眼前の市場」しか見ていませんし、システム化が駄目です。
最近、私の市場調査と自宅システム検証からの確認になっています。
3D.HD Visualization System Network
この分野は、もっと3Dとそのシステム・ネットワーク化を詳細精密精微に開発できるのは、
日本のmade in Japanが世界市場をリードすることになるはずです。
デザイナーがもっとプロフェッショナルに、ネットワークシステム化提案が決め手でしょう。


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『資本主義からの逃走』
「ケータイの人称会話からのオントロジー」


   


     3月 17th, 2010  Posted 2:02 AM

Aristotle
最も会いたい人にプラトンとアリストテレスがいます。
二人とも膨大な言葉に「思考」を載せて残してもらった、
それが私の会いたい人という理由です。
プラトンは、「プラトンのオルゴール」という本と、
作品・展覧会インスタレーションが、
金沢21世紀現代美術館に、永久収蔵されました。
しかし、アリストテレスはまだまだ、私には未知です。
たとえば「メタ論」ということに限っても、
それは膨大も膨大な思考です。
無論、「形而上学」は多分生涯大きな連峰のようなものです。
会話の人称
さて、ケータイは発信・受信で「会話」のツールであり、
メディアであることは明白です。
ケータイでの「会話」には、一人称=私は交互に、
その交互さは二人称が入れ替わるということです。
だから、その「会話」には、一人称と二人称が交差します。
ところが、その二人の会話に、
「ところでさぁ、あいつのことなんだけど・・・」というのは、
三人称が入ってくるわけです。
「会話」が膨らんでくる、と言ってもいいでしょう。
その会話内容には、次のことが起こっているのです。
Inclusive & Exclusive
包括的な話題=InclusiveなContentsがケータイ会話で、
コミュニケーションされている状況です。
では、そのケータイ会話を取り囲んでいるのは、
除外的な話題=Exclusiveなことです。
一人称・二人称・三人称を包括していない除外性、
あるいは、そうした会話に独占されていない状況があります。
私は、このInclusive性とExclusive性の間、
その介在的な存在を「ケータイ」というモノとするなら、
「存在」そのモノを「メタ=本質性と事実性」には、
明らかに「人称会話」のモノという「存在論」が浮かんできます。
私は、ケータイを「会話」=「人称」=「存在」で、
その思考学域に「オントロジー」を配置してみたいのです。
その中核存在=ケータイの存在論から、
ケータイデザインを発想するということはまだ試されていません。


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_14


   


     5月 8th, 2009  Posted 9:50 AM

このところ、「多忙」です。
これはとてもいいことではありません。
体調=心臓の負担も自覚できるようでは、
不安になってしまいます。

そして、最も不安なことは、
「パンデミック」がとうとう起こってしまいました。
私の直観は当たってしまいました。
「ワクチン・シリンジ」の開発、
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それは、PKD(Peace-Keeping Design)という世界的なデザイン運動の
具体的デザインとして提案し、マスコミにも取り上げられています。

そして、今、金沢21世紀現代美術館で、
「愛についての100の物語」という大規模な企画展に招待されて、展示をしています。
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講演にも行く予定です。

さて、このブログはむずかしいと周囲に言われています。
しかし、この程度ぐらいは読みこなしてほしいのです。
なぜなら、「貿易立国・日本」は、
すでに、「産業の方向性」を間違っていることを指摘しておきたいのです。
たとえば、「マクロ経済」と「ミクロ経済」という分類がありますが、
この分類はすでに時代遅れなのです。

簡単に私的解説をしてしまうと、
「マクロ経済」は、世界経済・市場論・貨幣論を語ってきました。
「ミクロ経済」は、日常生活での市場論と大雑把に言っておきます。

私は、「市場論」と「貨幣」について、
「スピード論」が決定的に欠落しているのです。
「貨幣のスピード」について見届ければ、
たとえば、「都」と「鄙」、
すなわち、「都市=大都会」と「地方=田舎」での
「貨幣価値」に速度性があるということです。


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