kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ゲーテ’


『「形態学序説」からのデザイン原論思考が必要』


   


     12月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

ヘシオドス(ヘーシオドス)の「神統記」は、
西洋の知の起源の一つ、「ギリシア神話」や「ローマ神話」など
これらの源になっています。
そして、デザイン原論の代表としては、
パウル・クレーの「造形思考」のカオス論や、ゲーテの「色彩論」
そして、「形態学序説」Morphologyにもその体系は繫がっています。
まず、人間が最も不明としていた、カオス=混沌と死は、
タナトス=死の神の設定であり、その兄弟には眠り=ソムナス。
そして、ゲーテはソムナスの子どもであるモルフェー=白日夢を
形態学の入り口に文字通りモルフォロジーと名付けています。
タナトスやソムナスは西洋絵画にも描かれてきました。
そして白日夢であるモルフェーは、今も、薬の名前に残っています。
モルヒネは、まさにうとうとと眠りと夢見心地を誘発する薬名です。
では、果たして白日夢という朦朧とした状況ではなくて、
妄想から幻想という想像力=イメージの世界観を明確にする命題は
生物学的に、まず、形に注意しそれは器官や構造にまで至ります。
形態発生学のなぜ、「その形に至るのか」という論理は、
生物学・言語学やがては都市形態学や数理形態学にまで拡張します。
したがって、デザインにとっての形態学はまだまだその論理は
残念ながら読み解く才能が不足していることは認めざるをえません。
パウル・クレーが、イメージはカオスから生まれてくることから、
根本的には芸術作品はすべからく「見えるように表現する」という、
この結論に至ります。
だから、あえて私は、デザインが造形から解放されるためには、
見えている形態から、その構造や機能、さらにはその発生の逆読みが
絶対に必要だと考えているからです。
多分、そろそろ、自分の職能であるデザインのその原論、原則論を
語るには、モルフェーの白日夢に浮かんでくる造形発想が必要です。
つまり、デザインで造形をイメージする根本には死と眠りと白日夢、
これらから見えるようにしていく表現が、
見えない制度までをデザイン発生させる思考論理を求めています。

「Morpheusの白日夢から」


目次を見る

「暗闇に光をというのは・・・」


   


     8月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

“mehr light”
「もっと、光を」、
1832年、ゲーテの最期の言葉です。
1749年生まれですから、
私が1949年、200年前に生を受けた人物。
彼の業績、特に「色彩論」はまさに光との格闘でした。
それだけにこの最期の言葉には重量感がありますが、
これは、薄れていく命が暗闇にあったからでしょうか。
私は違うと思っています。
生命の最期には確かに「闇」に投げ出されていますが、
光は遠景に絶対にありますから、
この言葉は彼を神格化する創作物語だと思っています。
“mehr light”とは他の解釈で訛り口調だったなら、
意味は「全てが虚実だ」という説もあるほどです。
この方が実は彼らしいと私は思っています。
つまり、光ある世界は虚実世界・虚像世界であり、
私たちが視覚で視ていること、
それは真実ではないのかもしれません。
生ある世界の虚実を言い残したのでしょう。
なぜなら闇・暗闇には次元があるようでわかりません。
私はここがポイントだと思っています。
ゲーテは、色彩を論じるための「光」の正体とは
壮絶な闘いをしていたと思います。
つまり光の反極にある闇を見つめていたと想像すれば、
おそらく死期の寸前にこの言葉はありえないでしょう。
闇の反極が光なのかどうかも死を迎え無い限り不明です。
まず、闇を再検討するための前提としておきます。
私が闇を視覚ではなく聴覚から確認するのはこの前提です。

目次を見る

『資本主義からの逃走』
   「『形態学序説』と『資本論』は西洋的論理の結語論」


   


     6月 13th, 2010  Posted 12:00 AM

結語・結論の論理
人間が「自然支配」を念頭に置いたのは、西洋的論理観に顕著です。
ゲーテの「形態学序説」は、その書き出しから、その論理観が明快です。
自然を支配しようとしつつも、その自然を熟知しようとすればするほど、
人間の被弱さや脆弱さを認識させられる、その結論を書いています。
マルクスも同様に、
人間の支配構造の変質化、
その起因性をかかげながら、その結論の論理でした。
大は小に、小は大へ
私は、「ガリバー旅行記」の作者,
ジョナサン・スウィフトの次の言葉が念頭にあります。
「象は実物よりも小さく描かれ
蟻は実物よりも大きく描かれる」

この指摘は、当然です。
象を実物大で描くには相当に大きな用紙が必要です。
だから、普通の紙に描けば輪郭線で表し詳細まで描くことは困難です。
蟻は小さいので、大きく描きますが、
実物が小さいためにその詳細を観察して描くことはむずかしいということです。
そこで、論理で象でも蟻でも熟知するには、
概念と観念での描写はその成果として、
象も蟻も捉え直すことができます。
これはゲーテも同じ事を言っています。
なぜなら、その論理によって理解をしようという自分、
つまり人間存在を自問自答する試みが、
いわば歴史的伝統的な定本になってきたのでしょう。
したがって、もう一度次の詩を読み直しておきます。

長年、精神はよろこばしくも、
自然がいかに生を創造するのか、
探究し、知ろうと
熱心に努力してきた。
多様に自己を啓示するのは、
永遠の一者。
大きなものは小さく、小さなものは大きい。
すべて独自の仕方で。
たえず変化しながら自己を保持する。
近くて遠い、遠くて近い、
形成し、変化しながら。
私は驚嘆して眺めるばかりだ。

        ゲーテ・『紙の世界・「パラパーゼ」』

私もここで、ゲーテを引用するのは、
「資本主義からの逃走」という論理を打ち立てようというよりは、
むしろ、現代に至るまでの基盤思想、経済論理に対するデザインという手法が、
未来を決定していく位置を確保したいと考えています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「Morpheusの白日夢から」


   


     6月 7th, 2010  Posted 12:01 AM

Morphe
昨日は、うろ覚えだったMorphesは間違いでした。
ひたすら、このブログは毎日の思いつきや思い込みをメモっていますので、
くれぐれもご海容ください。
そこで、
Morpheus; Morpheという人物の存在性に、
私の「幻視」あるいは「幻想」を重ねます。
むしろ、彼の存在、その発想を共有したいと考えるからです。
これは幻想です。しかし、妄想ではありません。
モルヒネ
モルヒネ」という麻薬があります。
まさに、その薬名の由来に関わっている人物です。
人物というより、登場人物と言っておくのが正しいでしょう。
ヘシオドスの「神統記」にはギリシア神話からの話があります。
Thanatos=タナトスに纏わる話です。
タナトスは「死」を司る人物(神)となっています。
この兄弟にSomnus=ソムヌス(Hypnos=ヒュプノス)がいます。
ソムヌスは「眠り」を司る人物(神)です。
そしてこの息子に、まさしく「眠り」の中でも、
白日夢
「白日夢」を担当?している息子がいるわけです。
この人物が、Morpheus; Morpheです。
「白日夢」だけに「日中もうつらうつらしている」のです。
この目覚めてもいない、と言って眠ったもいない状況から、
麻薬;モルヒネという呼称が生まれました。
さて、このタナトス、ソムヌス、モルペウスから、
ある幻想的な発想を引き出したのがゲーテでした。
1817年、彼は自費出版した書物というよりパンフレットがありました。
形態学序説
「Morphology Introduction」=「形態学序説」です。
このいわば幻想、あるいは、カオス的な状況から「形態」が生まれるという話は、
パウル・クレーの「造形思考」にまで繋がっているのではないかというのが、
私なりの解釈です。
私は、本来、「形態学序説」こそ、デザイン造形学の定本と考えてきました。
ところが、「形態学序説」は、医学領域で「形態発生学」、
あるいは「形態発生論」に伝統的な連続性を蓄積しています。
これは、「なぜ、内臓の形態が誕生してからある形態に至るのか」ということです。
私はむしろ、デザイン造形すなわち、
「形態造形」はゲーテの発想に大きなヒントがあると思い、
そんな発想論=白日夢的な中でぼんやりと、
観念的、概念的に浮かび上がってくる「形態」を当てはめたいと考えてきました。
前置きが長くなりましたが、
「資本主義」という「形態」から逃走して「どんな次形態」に入り込むべきなのかが、
このブログの考察メモ結果です。
「形態学序説」は「形態学」=Morphologyを提言してくれたのです。
私はあくまでもデザイナーという立場から、
Morphologyという背景を、あたかもMorpheusのように、
幻想から、確実な発想の持ち込みたいと考えている次第です。
私は、このブログの次の下敷きに「形態学序説」を置きます。


目次を見る