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Posts Tagged ‘デザイン能力’


『存分なデザイナー能力が性能・効能・機能を編集表現』


   


     4月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

編集者としてのデザイン、デザイナーとしての編集、
あるいは、デザイナーという編集者には
いわゆる
写真・イラスト・グラフィック・タイポグラフィ・レイアウトという
あらゆる表現手法が、デザイン発想を支援する性能があります。
これは小誌の性能を感性刺激としてくれるもう一つのデザイン能力です。
その代表誌は、いわゆる一般的なデザイン誌ではありません。
つまり、表現者がデザイナーであるという効能性を担保している小誌です。
これは著名であるデザイナーN氏の才能が可能にしている
デザイン戦略です。
したがってN氏と自分との年齢差は丁度10年という大先輩ゆえに、
これからの10年を指示してもらうと同時に
やはりデザイナーになるためのトレーニング時代はほとんど同一でした。
とてつもない厳しさに耐えてこそ、デザイン能力が鍛えられてきました。
この同一な体験があるからこそ
この小誌が訴求している全てを受容できます。
デザイン表現がデザインの性能をしつらえ、
デザイン効果がデザインの効能を仕組んでいることを知ってこそ、
初めてデザインが常に機能性で語られる一般性を拒否出来ます。
これからの自分の10年、その大きなヒントを得ています。
編集者でありデザイナーであるからこそ仕上がっている小誌には
デザインの性能と効能があるからこそ、
デザインと機能の関係が明白です。

*『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
*『ようやく出版されたDEO=デザイナーのあるべき職能観』
*『ロゴタイプ書体その基本ルールには伝統がある』
*『誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決』
*『デザインは機能美ではありえない』


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『デザインディレクター・職能名の定義をしておきたい」


   


     1月 31st, 2015  Posted 12:00 AM

「デザインディレクター」という職能名が一般化してきています。
そこで、よく、私が聞かれることに、
「デザイナーとディレクター」とはどう違うのですか?ということ。
これはまるで異なっています。
デザインディレクターということについては、
丁度バブルが来る直前に、
数名が毎月ある会合をしてきた時期がありました。
だから、デザインディレクターという職能名を決めていたメンバーは
限られていますし、その時の事情を知っている工業デザイナーです。
工業デザインも、インダストリアルデザインから、
プロダクトデザインに変わってきていました。定義が違います。
当時は、「日本D機構」の組織化をねらって議論をしていたのです。
実際は、ある著名グラフィックデザイナーにマーク一連を依頼し、
その周辺も出来上がっていました。そのメンバー達だけが、
このデザインディレクターという職能名を知っています。
まず、デザインディレクターとは、工業デザインが主であること。
工業デザインは、少なからず、10年は必要になると考えています。
その工業デザインを含んでさらにデザイン全体価値を監督可能なこと
これが最も大事なことであり、それは限られた才能と実績が必要です。
製品デザインから、製造プロセスから商品化すべてでの
製品・商品の全体価値、その創造と管理運営が出来るコトです。
したがって、安易にデザインディレクターと自称している輩は、
すぐにバレるでしょう。スケッチも描けない、情報化環境もできない。
ましてや、金型製造から管理、商品計画の展開も出来ない、
そんなデザイン職能は、決して長続きしませんし、
その人物のデザイン能力すら疑われると私は判断と評価をしています。
先般も、「これデザイナーに頼んだのですが・・・」と
私に尋ねられると、私は即座に断言決着を言い渡しています。
「これはデザインどころか、ましてディレクターの仕事ではありません」。
もし、心配なら、当時議論をしていたメンバーに問い合わせ下さい。
それって、誰?、そして間違い職能者?、いづれ書き残します。

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『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』


   


     6月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

iOS7はジョブス氏の置き土産だったと思っています。
私はこれが画面表示技術の進歩が裏付けであり、
それこそカリグラフィーに表れていたことを言ってきました。
MacOS Xも進化してきましたが、
この二つのOSには棲み分けはもともとありません。
iPhoneとiPad、そうしてMacbookそれぞれの使い勝手でした。が、
私の期待はiOS8で進化したかも知れませんが革新は起こらずです。
折角、米国から最新状況を届けてもらえる方々には、
この評価と判断の基盤は知りつくされているのでしょうか?
無論、マイクロソフトには無関心であればあるほど、実際は、
iOSとMacOS Xがなぜこれら二つのOSが必然であったのかは
分かっていると私は判断しています。
基本は、XcodeでのJohn the Ripperを読み解く能力を
果たしてどれほど進化させているかが私は問題だと思っています。
根本は遠隔操作とその回線、パスワードファイル管理です。
私は次世代デザイナーによって不可欠なこととして、
Mac上でのプログラミング能力養成を言い続けてきました。
しかし、プログラミング能力はデザイン能力にはなりません。
これだけは強調しておきます。
なぜなら、このことを勘違いしている輩をやたら見かけるのです。
プログラマーはデザイナーには決して成り得ません。
デザイナーがプログラマーを基盤にしたところで、そんな輩には
決して、コンピュータの中に美を創出することは不可能です。
私が主張していることは、デザイナー能力にプログラミング能力、
この教育養成が必要だということです。
したがって、iOS8と新たなMacOS Xから革新的なディバイスと、
ネットワーク、特にパスワードファイルが生まれることです。
それが果たしてApple社からかどうかはまだ未明なことでした。
まず、MacユーザーもiPadユーザーもKeynoteを使うことです。
それをiOS8が支えてくれることを私は評価しています。
なぜなら、それが遠隔操作の表示インターフェイスでは、
この想像力がこれからもMaxと自分を分別していくでしょう。

『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
『Programmingが整ってきたのはMacの世界になったから』


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