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Posts Tagged ‘フクシマ原発事故’


「政治主導の脱原発は闇の新神話」


   


     8月 16th, 2011  Posted 12:00 AM

終戦記念日を再認識します。
敗戦がもたらしたこと、
このトラウマと果敢な抵抗が日本を
パラダイス国家にしてきました。
それは現在、日本という制度を
今回の東日本大震災とフクシマ原発事故で失って、
ようやくパラダイスだったと気づかされた感があります。
もっとも、阪神大震災のときにも、
「国家は天災についてはなんら個人保証はしない」、
(1995年5月19日参議院予算委員会での発言)
当時の首相の言葉でした。村山談話などすべてが、
代議員なのに「反国家体制づくりのリーダー」発言。
そして、「政権交代」へと大衆は希望を託しました。
しかし私は半分は社会主義的イデオロギー残存する基盤、
この政党政治には辟易感あり政権交代は失敗予知を確信、
「少なからず、政治は社会構造を変えられない能力」
ということにほぼ決定解を持つようになっていました。
日本人の良さは、一つの方向でまとまりますが、
これは長所であれば、時には短所になります。
東日本大震災でものの見事に政治能力は不全なことを、
私たちに知らしめてくれました。
終戦記念日です。すでに当時の方々は高齢者です。
父たちの世代が復興・復活してくれた日本制度は、
国際的にもとても優れていましたが、
もはや全滅状況に追い込まれています。
現首相は哲学無き「脱原発」を宣言しています。
安全神話で国民には騙されてきた思いが強いだけに、
なんだかこれには国民は追随していますが、
果たして?、この首相のふらついた意思決定を信頼?
具体的に言えば、ソーラーや風力などまだまだ未完成。
このような代替エネルギーに電力依存という話は、
あらためて政界の指導者発言にはもっと疑念必要だと
私は考えています。
私の発言は反「脱原発」=原子力推進派と思われますが、
もっと新エネルギー技術には、
ソーラーの大欠点や風力での未熟技術を知るべきです。
さらに、現首相と政商との会談が日本のベクトルなんて
とても信頼できません。
まして、新電力開発にはデザインが不可欠です。
被災地である阿武隈丘陵地帯あたりの方言があります。
「までい」という言葉だそうです。
「までい」=丁寧に、じっくりと、という意味です。
イタリア発祥の「スローライフ」に近い意味印象です。
この4ヶ月「東日本復興デザイン計画書」づくり。
{物質・情報・エネルギー・水}に対して放射能問題。
Smart Grid・ Smart Meter・ Ambient Allianceなど、
カタカナ英語があたかも未来への希望に見えますが、
これは「東京流発想」です。
私はふるさと・福井県の伝統工芸に飛び込んだとき、
ほとんど東京流デザイン用語を使っていて、
産地のみんなからは、
賛同を得ることができなかった経験があります。
したがって、私は少なからず「現場のことば」、
たとえば「までい」という意味性を受け止めて、
これを現代の先端技術+デザイン=復興技術化へという
そんな復興デザイン計画発想が不可欠だと考えています。
そして、政治が語り始めている「脱原発」などには、
仕組まれ隠避された「闇の新神話」があると判断しています。

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「世界各国の2030年計画は壊れた」


   


     5月 14th, 2011  Posted 12:00 AM

2030年が目前です。
だから世界各国には、
2030年に向かっての
各国が国際的に互助関係にいたるべき
問題提起とその解決方針が書かれています。
当然わが国にも、真摯ないわゆる官僚作成計画があります。
最近、官僚はほとんど悪人扱いがこれもある種の風評。
私はかっては国の委員などした経験もあり、
審議会後、議事録の「霞ヶ関文学」に幾たびも文句をつけました。
よって、おそらくブラックリストの一人なのでしょう。
以後、霞ヶ関に出かけることはまったく無くなりました。
だから御用学者ではありません。
墓場に持って行くわけにはいかない話はすべて書き残す覚悟です。
でも2030年計画には理想主義的計画は確かにいっぱいありました。
というわけで、2030年の様々な計画書を見ると、
特に、CO2問題、エネルギー問題、電力と情報ネットワーク問題、
こうした計画は、今回のフクシマ原発事故で、
すべて見直しになったものと考えます。
そして、私はわが国の現政権は、
少なくともわが国の2030年計画は白紙となって、
あとは「思いつき」で被災地と原発問題に対応しているだけです。
というより、代議士はじめマスコミも、
2030年問題解決の各国提案を本当は読んでもいないのでしょう。
世界人口が100億人になろうとしている事態に、
民主主義や資本主義などは、
すべからく「民衆主義=ポピュラリズム」に代替されています。
「反原発」が「脱原発」へ、
これも浅はかなポピュラリズムにすぎません。
私は、「解原子力=新生エネルギー」であるべきと考えます。
2030年計画では、「再生エネルギー+原発」思想が目立ちます。
この程度が人類の発想=空想エネルギー論であっては、
「思いつき」と「思い込み」であって、創造性を喪失しています。
フクシマ原発事故=人災が突きつけていることは、
本当に21世紀を生き延びる本当の科学と技術をベースにした、
人類の知恵を修練し結集せよという啓示だと私は認識しています。
勉強不足のマスコミ、ひたすら専門馬鹿の評論家や御用学者、
彼らのポピュラリズムに惑わされてはいけないのです。
2030年計画を厳粛に読み直し、修正とさらなる創造性、
これがデザインテーマだと私は考えています。

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「エネルギーの邦訳を決定するためには」


   


     5月 2nd, 2011  Posted 12:00 AM

[物質・情報・エネルギー]=世界要因です。
明らかに世界がこの三つで構造化され、
その中で、生物、動植物、人間の日常があります。
私にはどうしても
エネルギーが日本語であってほしいと思います。
物質とエネルギーを徹底して熟考し、
よりやさしく伝えようとしたのは寺田寅彦でした。
そして彼は、天災や事故、
科学での解明を最も随筆や報告として書き残してくれています。
私の世代は、彼の文章は受験問題になっていたこともあり、
親しみがあると同時に、
物理の本質を数式ではないことばで解説されていました。
したがって、あらためて読み直してみれば、
津波や天災の記述が本当に多いことを再認識させられます。
「天災は忘れた頃に」というフレーズも彼の発言でした。
さて、エネルギーというのは、
今回、具体的には、電力・ガソリン・人力でした。
しかもこうした要素因は、
「仕事力」という具体結果に結びついていたことです。
まさしく、寺田寅彦著作である「物質とエネルギー」には、
エネルギーを「仕事をなす能」とし、
かつ物理学者のBegriff=Concept=概念にすぎないために、
世俗的には理解困難な概念にも関わらず、
自然力との関係が不明な原因になっているという指摘は
今なお引きずっています。
少なからず、エネルギーとしての「放射能」も、
その能力の限界を未だに人間は把握していません。
すなわち、概念=Begriffというドイツ語の語源は、
包括する、把握するという意味です。
つまり、私たちは物理学的にもエネルギーは、
まだ概念に過ぎず、包括することはもちろんのこと、
把握することもできていないことを、
今回のフクシマ原発事故から、人類すべてが、
充分に学びとり自省しておくべきことだと考えます。

*寺田寅彦「物質とエネルギー」は「青空文庫」で読むことができます。http://bit.ly/ifEMKn


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