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Posts Tagged ‘切る’


『ハサミを鋏から「刃裟美」としての相対論の記述』


   


     9月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

ここ5〜6年、ハサミの進化はめざましいと言っていいでしょう。
これは日本文具大賞の審査委員長としての明確な印象です。
刃先=ブレードの形、その素材質、仕上げから、
指かけリング形状、ダブルインジェクション(二色同時成形)での
そのプラスチック性質の質感が
極めて明確さがあり、授賞を認めて表彰してきました。
それは、日本文具大賞に選ばれれば必ず大ヒットすることになっています。
けれども、私には、私がデザインで最も追い求めている美しい性能、
美しい存在という効能、
その性能は越前打刃物が750年でのビッカーチ硬度は世界トップ、
幾何学的には、簡素で簡潔な形態で、
素材はブレードはステンレスサンドイッチされた高品位ステンレス鋼、
そしてフィンガーグリップは、ステンレスのみを「刃裟美」として商品化。
もう30年前の作品で商品です。
どこに売っていますか?という質問を受けますが,
そういうことは分からないのです。
だからタケフナイフビレッジにあの商品これだけ送って?とかで電話すると
「今は造って無いよ、半年後だったら」と言われる有様。
しかし、これがハサミを「刃裟美」としてデザイン史に歴然残すことでした。
なぜ、人類がハサミを必要としたのでしょうか?
それは紙を切ること、あるいは何らかの対象物を切る使い勝手を
知恵で現代にまで進化させてきたのです。
それは紙では無くて体毛、人間ならば髪の毛だったことです。
さらに、刃物の切れ味は、段ボールを切ること、
そのためにブレードにアール形状は進化の一つです。
むしろ、ティシュペーパーのような薄紙をぬらして、
下方から上方に5mm程度切れば、
詳細な検分をすれば、5mm+1〜2mmは裂けているのです。
これが性能と効能であり、使い勝手基本の機能性なのでしょう。
この原点に、最も簡素で簡潔な形態の最大公約数はデザインに
しっかりと私は引き出したという、その形態だと確信しているのです。
おそらく伝統工芸での歴史的な技を、
現代の科学的にも行き着いた素材での回答事例を
かたちとことばにして、記述したことです。
それこそがハサミ=鋏に美=刃裟美としたことです。
このブログ記載も
ささやかなかたちとことばの相対論的な記載だと伝えます。
ハサミの原点の回答はこれであり、
今商品としてのモノはまだまだ応答商品でしかないのです。

#『日本文具大賞・機能部門グランプリが示していること』
# 「まだまだ見つけ出すことがある、ようだ。」

* 『伝統工芸での和包丁には間違いがあり過ぎる』
* 『親方二人目の褒章受勲・タケフナイフビレッジ』
* 『腕時計というモノの機能性、その反射・代謝・照射ゆえ』
* 「モダンデザインによる製造の完成度アップ」
* 「伝統とは『裏切る』ことへのアプローチ」


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『日本文具大賞・機能部門グランプリが示していること』


   


     7月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

「日本文具大賞」では、デザイン部門と機能部門二つに分野を分けています。
正直、私は最初は1部門、つまりデザインだけで十分と思っていました。
しかし、最近は2つの部門で、性能・効能・機能によって最終的な「美」、
その有無でこれは機能部門グランプリ。
私自身、私デザインでのハサミは海外美術館にパブリックコレクションが
それこそあるだけに、刃物、さらにハサミについては一家言あります。
なぜ、ハサミが人類に必要であったかは、伸びる髪の毛を切る道具でした。
いわば、刃物という文明をさらに進化させたモノでした。
このところおそらくハサミを進化させているのはわが国・日本です。
また、この文具大賞は連続受賞であっても、
モノの優れていることが当然であれば、
その賞品を選ぶことになっています。
このメーカーは、他分野からの経営者が変わってから、
格段に文具業界に新しい風を吹き込んでいるメーカーに変身しました。
また、日本だからこそハサミは進化を相変わらず遂げてきています。
さらに、このメーカーは「売れているという市価」への拘りがありません。
正直、ハサミはまだまだこうして進化する方法があったものと思いました。
ハサミの切れ味は、水で濡れているティシュペーパーを空中にぶらさげて、
それを下から切れるだろうか、と、
もう一つは、これも濡れている強靱な和紙が和紙を持たずに切れるか、です。
ところが、このハサミは厚さ3mmもあるステンレス鋼で、切るということに、
「切り落とす」という性能の存在性、これを使い勝手という機能にまで、
見事に昇華させていたことでした。
このメーカーは経営者にデザインセンスの判断が明解でした。
残念ながらデザイン部門では、もう一歩でしたが、他の応募作では、
おどろくばかりの文具設計での、従来では考えもしなかった検査結果があり、
このメーカーは日本の文具づくりを根本で変えていく
企業存在性が生まれてきているようです。
それは経営者の理念が変われば、文具への技術革新があるということを
見事に商品の機能性で証明してもらったと評価しました。

* 『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
* 『売れるより売る文具大賞グランプリ』
* 「散髪がシステムデザインされているから気に入っている」
* 「まだまだ見つけ出すことがある、ようだ。」
* 「日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき」


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『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』


   


     3月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

私は彼のいけばなの舞台を間近で見ています。
その日の感激と感動はぬぐいようもなく、私に張り付いてきました。
「花」には美しさがある。美しい「花」というものはない。
この言葉は、小林秀雄のことばですが、
小林秀雄は、
私が受験時代に最も現代国語の問題で引用された作家でした。
とのこともあってか、彼の著作は確かに沢山読んだ記憶があります。
しかし、それよりもデザイナーになって、
「花」と「美しさ」の対照化は自然・人工物と美の問題に直結し、
このことにとらわれてきましたが、彼のいけばなは、
生け花、活け花、いづれとも明確な違いが体感できることでした。
早速、彼のいけばな画集で何度もその確かめました。
ところが、彼自身も、3.11 東日本大震災と対峙して、
彼の「一日一花」は一年毎日のいけばなで、
私もまた、震災と人災で台無しにしてしまった事件と向き合い、
そして、また彼のいけばなによって、
美しい花というようなものではなく、花を美しくする文字通りの
自然の花茎から生花を切り離しながらも、
花を生ける、花を活かす、切ることの大事さこそ、
私は見事な「大切さ」の具体パフォーマンスだと認識しました。
特に、彼が毎日毎日、花の美しさをもう一度、
美しい花にする大切さの体現化は、毎日毎に知らし直されています。
彼と私は同世代だということもありますが、
「大切さ」は、美しい花があるからこそ、花の美しさを体現化する、
その手法には、日本人だからこそ見いだした手法だと思います。
私はデザイナーゆえ、人工物のモノ、
美しいモノを、モノの美しさすら本来皆無ゆえにこそ、
美しいモノをものにしていかなければなりません。
その極致が、「大切さ」を受け止める力が自分にあるかどうかです。
一日一花ならば、一日一スケッチが今、私の日常作法です。

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「まだまだ見つけ出すことがある、ようだ。」


   


     5月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

日本の文房具は、本当に、とても優れています。
「日本文具大賞」の審査委員長になって以来、
このことをつくづく思います。
私自身の作品にも「ハサミ」がありますから、
ことさら、「ハサミ」の新製品を見続けてきました。
人類が「切る」道具を見つけ出したことが文明の起点です。
特に、「ナイフ」と「ハサミ」はどれほど心血を注いで、
人類は新製品を見つけ出そうとしてきたでしょうか。
私の作品は、海外美術館に永久収蔵されていますが、
まだまだ見つけ出すべき事があると思い続けてきました。
だからプロトタイプのまま、まだ何かが欠落している、
そんな思いを残して試作品にしているモノがいっぱいあります。
そうしたら、最近、この「ハサミ」には脱帽です。
刃先角度が常に30度になる刃先カーブを発見した結果商品です。
そして、プラスチックもダブル射出成型です。
「切れ味」と「使い勝手」は、現在は最高でしょう。
刃物メーカーを知っていますから流石の実力を認めます。
文房具業界の切磋琢磨の企業競合状況の活性的な活動に敬服です。
「世界でナンバーワン」は、日本の文房具業界でしょう。
私は、このカーブ刃先のハサミとここまでミニチュアなハサミ、
とても素晴らしい商品にまとまっています。
今年の文具大賞の選考会がとても楽しみです。
たかだか「ハサミ」とは言えません。
これほど日常的なモノほど、改良・工夫が必要とされています。
まだまだ、私たちは「智恵をめぐらして」発明していくべきことが
いっぱい残されていると思います。
このハサミを追い抜く「ハサミ・デザイン」をめざします。

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2月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 22nd, 2011  Posted 10:00 AM

2月22日 友引(戊申)

「大切さ」を守るためには、
デザインで時代と社会を
「切る」つもりだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


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『資本主義からの逃走』
   「包むことと詰めることの大きな違いを知った頃」


   


     7月 8th, 2010  Posted 12:00 AM

産地で知った動詞
「包む」ことの意味を知ったのは、ふるさと福井。
越前和紙の産地に関わったことでした。
東京でのデザイン活動に「負けた」という想いと、
車椅子生活でどうやって「生きていく」のかという時に、
出会った言葉がありました。
「切る」・「包む」・「打つ」・「漉く」・「磨く」・「塗る」など、
すべてが伝統工芸産地に入って行った時の動詞でした。
こうした動詞から形容詞をMac関連雑誌に連載していました。
「デザインの極道論」などという物騒なタイトルで出版もしました。
この動詞を形容詞にしていく、これが「直感」でした。
直感から公案
私の「直感」は、こうした言葉と向かい合うことで、
「直感」は「直観」になり、
「公案」という論理を「造形」の背景になる、という想いしか無かったのでしょう。
「和紙」は包む素材になるのです。
しかもそれは「真っ白」でなくてはならないのです。
その「真っ白」は、楮・三椏・雁皮は陽に晒されば晒されるほど、
「真っ白」になることを知りました。
「真っ白」に水引きで締めて閉じることが「贈る」ことの作法だということでした。
詰める
それなら、「詰める」というのは、
日本的には、「追い詰めたり」、「詰め込んだり」ということで、
あまり良い印象の言葉ではありません。
「詰め込み」・「缶詰」・「腸詰め」、これが欧米的なパッケージでした。
そして、つましい・つつましいというのは、
自分の生活は「追い詰められているのではない」、
「つつましい日常であるべき」ということで、
「生きていく」作法があるのでは、と確信したわけです。
それから、日本経済、
福井からは東京での喧噪が、「変だ!」と思えるようになりました。
ちょうど、その頃、Apple社との仕事で、
いわゆる「バブル経済」は傍観できる立場だったのです。
「包む」とは「包まれている」ことの記憶の言葉です。
まさしく、胎児が母親の子宮に包まれている象形があります。
「詰める」とは、口を締め付けて閉じる象形からも、
厳しい言葉で責めなじることまでの意味があります。
包む、という言葉から「つつましい」という言葉に出逢いながらも、
私は自分を追い詰めていました。
つつましさと美しさ
あれから30年、自分を追い詰めること、他人を追い詰めることへの大きな反省があります。
だから、今、敢えて私自身がもう一度、
「包む」こと、「包まれてきた」ことに立ち戻りたいと思っています。
「つつましい」という、伝統的日本人の感性・直観公案として、
デザイン表現の「つつましさ」は、
きっと、「美しさ」に連鎖し連動するという、直観があります。


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