kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘悲しさ’


10月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 10th, 2023  Posted 12:00 AM

10月10日 先負(辛丑)

言い逃れ的なデザインと化す
エコデザインの悲しさを再確認してしまう。
エコデザインこそ、
ポストモダンデザインで
なければならないのではないだろうか。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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11月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2019  Posted 12:00 AM

11月10日 大安(辛亥)

言い逃れ的なデザインと化す
エコデザインの悲しさを再確認してしまう。
エコデザインこそ、
ポストモダンデザインで
なければならないのではないだろうか。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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『光陰へはただ祈るだけだと思い想っています』


   


     5月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

「光陰矢のごとし」というレトリックがあります。
かつては時間の過ぎ去る早さだと思っていましたが、
60代になると知人・友人、その周囲の人が、
突然、逝ってしまう事が増えました。
その度に「会えなくなる」という無念さで胸がつまります。
「長友啓典」氏といえば、デザイン界、
それもイラストレータの大御所です。
いつかは逢えるはず、と思っていました。
インテリアデザイナーの森田恭通氏の紹介で彼の主宰する雑誌で対談し、
その後の食事でもう親友のごとく大仲良しになり、
次回会えることを心待ちにしていました。
ところが突然逝ってしまいました。
今年は、後輩、インテリアデザイナーの大御所、
デザイン界で最も大事な社長、仲間の母上は高齢でしたが、
彼にとっては母ですからその空しさを語りあい、
さらにはエッ!、教え子のこれからの娘さんの事故死と、
人生という光陰の瞬間性を思い知らされています。
あるクレジット会社の広報誌に、
作家である伊集院静氏のエッセイには、
彼の挿絵:イラストレーション最後の作品、
そして伊集院氏の彼への思い、
その文章には、もう本当に、逝ってしまった人たちへの想い、
それを引き出されて泣きました。
逝ってしまった人への思いは心の中にしまい込んでいただけでした。
「もう、逢えない」という悲しさと哀しさで、
まさに光陰、陽明と陰影が、襲いかかってくるのです。
長友氏とは、たった一回しか逢っていないのですが、
FBメールでは心割ってやりとりができました。
いわゆる「あの世」への思いと想いは祈ることだけです。
でも、自分の人生に光陰を与えてくれた人へ、、
あらためて私は祈るだけです。

* 「光陰の下で佇む姿勢」
* 『もう絶対に逢えない、今日は母の命日』
* 『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』
* 「人は『闇』に生きていく」
* 『羊と鋼が調律の要だった、それを実証した友人』


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5月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 18th, 2011  Posted 10:00 AM

5月18日 先勝(癸酉)

悲しいから、
悲しさはどうにもならない噴出できない
心中の痛みである。

この鎮痛薬としてのデザインを
もし発見し、具現化できるなら、
それを目標にしたい。

『デザインという先手』つまれたいたみ


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5月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 12th, 2011  Posted 11:50 PM

5月12日 丁卯(先勝)

悲しさと哀しさは、
その内実がまったく異なっている。

悲しさは、出口が見つからない
積もりつもった痛みである。

哀しみは、いっぱいに籠っている
哀れみである。

『デザインという先手』つまれたいたみ


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5月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 7th, 2010  Posted 10:26 PM

5月7日 仏滅(壬子)

デザインには、
コスメティック(お化粧的)なデザインが
「売るための」デザインとなってしまう
悲しさが潜んでいることを
忘れてはならない。

『デザインは言語道断』感得


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