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「書くための万年筆の真の意味」


   


     4月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

「衣・食・住」は日常生活の基本です。
私はこれに、「医・職・趣」を付加します。
衣食住は文明です。
着て食べて住まうことで人はまず生きることができます。
そして医療・職業・趣味は、まず健康でありたい、
職業を持って社会での役割を自己確認します。
その上で、自分なりの楽しみとしての趣味を持つことで、
生活は文化性を帯びるというのが簡単な私なりの解説です。
私はすでに40年デザイナーという職業を持ってきました。
しかし、医療に関しては車椅子であり心臓障害を持っているために、
いつも不安感を持っています。
私の文化観は常に揺らいでいるのでしょう。
それだけに「趣味」の世界に没頭しているのかもしれません。
とりわけ、文房具、それも「万年筆」には中学時代から憧れがありました。
小説家になりたいと思い出したのが中学時代、
それも万年筆と原稿用紙への単純な憧れがあったからです。
最も、万年筆を収集し出したのは、40代に入ってからでした。
おそらく万年筆のコレクションは相当になりました。
だから、もうこの程度で辞めておこうと思いつつも、
最近、アウロラの新製品(写真)をやっぱり手に入れました。
だからその類いの雑誌も精読するほどです。
ただ最近は、万年筆=「書く」ということには二つの意味を求めています。
一つは、「書く」ことと「描く」こと、
結局スケッチを描くのに最適な万年筆を求めています。
そしてもう一つは「書く」というのは「欠く」ということが原意ですから、
何がまだまだ自分に「欠けているのか」、
それは
「欠落していること」に十分に気づいておきたいと真剣に考えています。
だから、新しい万年筆を手に入れると、ともかく「文字を書いてみます」。
おそらく、「文字を書く」という行為が、
自分の中にある「ことば」を紡ぎ出すことで、自分には無い「ことば」、
欠落していることを見つけ出そうとしている、
本能なのかもしれないと思うのです。
そして、スケッチを描く=スケッチを書くと言うこと自体が、
できる限りの発想を吐き出そうという行為、
すなわち、欠落=「欠いているアイディア」をともかく紡ぎ出す行為だと
自己解釈しています。
そういう意味こそ、「趣味」の核心だと思っています。
「欠落している自分」を探し出す行為なのでしょう。
それが不安な健康・医の世界への
大きな抵抗力にもなっていると判断しています。


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『資本主義からの逃走』
   「解答とSolutionとの狭間にみえること」


   


     10月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

解答←・・・・・→Solution
問題=Problem:対:解答=Solutionは対訳です。
したがって、解答=Solutionには日英(米)訳語関係があります。
ところが、仏・独・伊・西・での解答・答には、
いわゆるreply的な言葉が多いと思います。
reponse(仏) ・amtuort(独)・risposta(伊)・ respuresta(西) です。
無論正直なところ、こうした「答」を表す単語の由来までたどりついているわけではありません。
私が、応答=replyや回答=answerを詳細に検討し、解答=solutionなら、
これにはsolveという原義との距離感をみておくべきではないかと考えるわけです。
理由は、私は解答の「かたち」を一文字「容」としました。

問題の溶解=解答ということ

それは、まさしく問題の分解と溶解をしていく行為過程や結果の効果が答、解答の質であり、
それがあらためて問題の本質になっているからだと思うからです。
私は日本語の「解決」に私は三つの過程があり、
答にも応答・回答・解答が、それぞれに問題に対する「容(かたち)」があるとまで断言しました。
ところが、英米語のSolutionには、
問題を「溶解してしまった結論」=解答・答があるということです。
少なからず、これは問題意識に対する文化観、哲学感、
さらには宗教観があるのではないかと考えざるをえません。
したがって、私は問題認識ということには、
民族性、国民性、宗教性、政治性が反映していると思うのです。
デザイナーとして、デザインが問題解決とするなら、
国際的にはreply的要因のある応答的な形態による解決が、
一般性と価値性を持っているのかもしれません。
あらためて、「答」から、「問題とは何か、何が問題か」を突き詰める必要があると思っています。


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