kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘毛皮’


「ハプティックス・アクチュエーターの実現まで」


   


     12月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

「COOL LEAF」というキーボードを商品化しました。
まったく新素材の鏡面に静電センサーで、
LED発光の文字が浮かび上がります。
しかし、もっと目指していたことは、
キーボード打鍵の感覚が
フィードバックしてくる感覚を創り出すことでした。
それは、「ハプティックス」という概念の実現化でした。
たとえば、マウスに触るだけで、毛皮の感覚、手触り感があることです。
キーボードの開発と平行していたのが、国家プロジェクトでした。
ロボットに手術をさせるインターフェース開発をしていました。
最も、このプロジェクトは5ヶ年でしたが、
あの「仕分け」で素人的な判断評価を受けてつぶされました。
その素人評価を私は今も許せません。
脳外科・循環器外科・消化器外科などの手術にも対応できる、
手術環境と手術ロボット、手術操作卓の開発であり、
これは貿易国家として新たな輸出産業を促すきっかけになるはずでした。
たとえば、ピンセットで患部に触れた感覚が、
ピンセットにもどってきて、
患部の柔らかさや硬さもわかる開発を、
九大・阪大・名大・名工大・東大・慶応大・慈恵医科大・産技研がチーム、
医師・エンジニアにデザイナーなど、
日本では有数のメンバーが3年取り組んだことを
一人の女性議員のパフォーマンスで全否定されました。
このことを書き出すと、また、怒りが戻ってきますが、
「ハプティックス」に関して、
デザインが問題解決をどう主導するかを存分に考え、
提案を様々にすることができました。
そして、この手術用インターフェイス開発と同時進行で、
私はキーボード開発をし、発表し、商品化はwindows対応から始めました。
発表直後は大きな話題になりましたが、
私は、Mac対応では、
必ず、打鍵感覚がまったく平面なのに、
すっきりと指先に戻ってくる実装部品開発を技術部門に強く要求しました。
それが、見事に開発を終えました。
実装部品は新たなアクチュエーターとして、
特許だけでも約40件は申請できるということです。
これで、
これまでのようにキーボード打鍵スタイルは一新できると考えています。
さらに、私のなかでは、「ハプティックス」のあり方や、
フィードバック感覚は必ずしも、柔らかさがそのままではなくて、
音・振動・その他の感覚移植などが考えられると思っています。
来春、Mac用キーボードを発売することになるでしょう。
さらに、鏡面に限らず、
ハプティックス感覚を表現する新素材のあり方が見えています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「商人の商売、その物が商品」


   


     3月 6th, 2010  Posted 12:01 AM

商人
殷=商の時代も歴史は周人によって滅ぼされていきます。
当然、商人はさげすまれて賤民となっていくのです。
集落も失いました。
そこで、彼らは行商という、これは技能です。
商売
「商売」を手に入れていくことになります。
「商売」技能とは、計算能力だったり、
多言語に精通していくことだったわけです。
簡単に説明をしてしまえば、
流民、いわばジプシーとなった彼らは、
農産物と畜産物を交易する仲介の立場になるわけです。
農産物をつくる人の環境では、
牧畜によって皮革や毛皮を得ることは出来ません。
反対に、畜産物を産出している人には
農産物は不可欠でした。
商品
だから、この取引の中間に彼らの存在があり、
「商人」、「商売」、「商品」という言葉が
認識されていくのです。
そして、現代に至る歴史まで、
この言葉は継承されてきました。
彼らは、そのまま「商人」と呼ばれ、
彼らが商いする物を
「商品」と言うようになったということです。
売る、ということ!
ところで、「商人」というのは、
「売る」ということがそのまま商売になりました。
「売る」という行為は、
うさんくささがつきまとってくるようになります。
つまり、彼らはただ、物=商品を持ってきて、
なんらかの言葉で、
その物の売り込むだけで儲けていることになります。
農作物を季節に合わせたり、
畜産のために労働をしているとは思われないのです。
いわゆる中間的な利益だけで、
金儲けをしている人々であるということになるわけです。
仲人口というのがあります。
見合い結婚などで、結婚するのに、
いかに良い相手であるかということを、
「売り込む」ための手法だと思います。
「商人」の役割は、
どれだけ自分が物=「商品」を持ち込んできて、
買ってもらうには、
これだけの価値があることを「売り込む」ことが、
商人の役割であり、権利であったわけです。
当然ながら、
その「商品」に対する責任を持つことが義務でした。
「商品」が買っただけの価値がなかったとするなら、
その商人の信用は大きくくずれ、
彼は商売が不可能になるということが、
商道徳の基本になります。
商慣習と商道徳や商倫理になっていくのです。


目次を見る