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Posts Tagged ‘深さ’


2月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 12th, 2022  Posted 12:00 AM

2月12日 赤口(丙申)

『寛容としてのデザイン』

モノを媒介した
人間関係で
コミュニケーションの
お互いの態度の深さ、
尊敬にいたる
「寛容としてのデザイン」
は、
ますます
膨大となっている情報に
おぼれない効果が
あるはずだ。

artificial heart:川崎和男展


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『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』


   


     6月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

次世代デザインを提示していくのは、現在デザイナーの使命です。
しかし、現実には、デザイン系大学のほとんどの教員は、
自分のデザイン経験だけを教示しています。
それはデザインの根本に大きな間違いがあるのです。
「デザインとは何か?」を自分の経験だけで、しかも成功体験があれば、
それこそ「何がデザインになるか?」ということには
接近できないからです。
「コンシリエンスデザイン」を提案しています。
その原語はすでに死語化していますが、
探り出したsilienceについて、ここに書きとどめることから
改めて思考の深度に近づいてみます。
silienceとは、
人間には日常、その思考に深さがあることには気づかないことがあります。
たとえば、気づかされることもなく、褒められることも無いけれども、
時には感心せざるをえない熟考された確実で正当な考え方があるものです。
それは、通りすがりなのに饒舌に語られている批判とか、
大道芸でありながらも感心せざるをえない名も無き芸人の大技、
あるいは無名だけれどもすぐれた芸術的な才能に
はっとするようなことです。
これはまったく匿名的で、誰かに賞賛を浴びるものではないにしても、
いわゆる市井に潜んでいる知恵・知識として
見過ごすことができないのです。
silienceということばに近いほど、
沈黙の中に閉じ込められているということです。
こうした、決して光り輝きを自らが発するわけではない、
日常的、匿名的、無名性の中でも、知恵の集合体をあえて掘り出して、
なおかつ、こうしたことを「結合させる」ことは、
konvinationと言ったシュンペンターに繋がっています。
これが新結合=innovationであったことに極めて近い発想論理です。
silienceが結合することは、
隠れた知恵・知識がconsilienceだということです。
デザインが匿名性=アノニマスで支持されたことを再復活させることです。

*『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』
*『「KK塾」キックオフはテクノロジスト・濱口秀司氏』
*『技術革新以前の問題解決=デザインがある!』
*『ベンチャー企業を再考する!・カンブリア宮殿特番に出て』
*『リアル・アノニマス・デザイン=労作だと思う』


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『「葉巻」にはダンディズムが確かに宿っている』


   


     11月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

私は45歳で完全に禁煙をしました。そして、盟友たちには、
会えばすぐに執拗に禁煙を強調していましたが、
私自身60代になってからは禁煙をすすめることをすっかり止めました。
今なお、喫煙を絶対に止めない盟友たちは、日本の才能です。
私が禁煙したときには、喫煙の道具、パイプも捨ててしまいました。
今になって、喫煙が体に悪いというサイエンスの証明は、
とんでもないサイエンスだと言わざるをえません。
私自身、初老になったら、絶対に「葉巻」なんだと思っていました。
だから盟友たちに見習ってもう喫煙も構わないだろうと思っています。
おそらく、この話を書けば、ワイフはじめ叱られそうですが、
最近は「葉巻」のイロハを習っているくらいです。
葉巻は癌に無関係であって欲しいと思っていましたが、やはり喫煙。
サイエンスを恨まざるをえませんが、
葉巻の香りはアロマセラピーだと思っています。
そして、無論、人類が喫煙に目覚めてその文化は本当に豊でした。
しかし、禁煙はそれをすべて壊してしまいましたが、
もはや、葉巻とその葉巻周辺のモノの歴史はダンディズムです。
したがって、タイムレスプレッシャーという喫煙の一服は
人類が培ってきた確かな文化だと言わざるをえません。
それこそ、湿度を70%で自然物である葉巻の管理から、その周辺に、
私は心を惹かれていますし、それこそ、カーボン製のモノまでが
すでに出来上がっていたのをみると、これは喫煙ではないとさえ、
私は主張したくなりますが、まだまだ私には知識がありません。
先般も葉巻の専門店で話を聞いていて、その深さに圧倒されました。
そこで、もう唯一になってしまったジッポーのライターを、
部品一つ一つから、すべてをやり直しました。
先般も、盟友と食事をしたときに、たばこと葉巻をプレゼントして、
彼はびっくりしていましたが、
「もう、人生も最期だから」と言ったら、深く納得していました。
私は、絶対に人生の最期までに葉巻への知識は存分にします。

『きっとまた心配されると思うが・・・ダビドフの文化』


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