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『資本主義からの逃走』
   「現実と虚構の狭間での均衡」


   


     11月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

夢のまた夢・虚構
あの秀吉が辞世で詠んだらしいのです。
「人生は夢のまた夢」と。
私は車イス生活になって以来、現実は虚構だと言い聞かせてきました。
なぜなら、「歩いていた私はいません」。
車イスから見える視界は、かっての私が見ていた世界ではありませんから、
努めて、歩いていた川崎和男はもう死んでしまったことにしておこうと考えてきました。
名古屋で大学人になるとき、親友が癌で入院していました。
最期の別れで彼を見舞いました。
「あの世で、また会おう」と言い合いました。
幸い、彼は癌をひきずりながら、今も元気で生きています。
交通事故直後に、私は「君は40歳まで」と言われました。
ところが、41歳になってから、「あれっ」て思い出したぐらいです。
それなのに、もう20年私は生きながらえています。
情報は虚構にすぎない
私は、日常空間は虚構だと思う方が極めて楽です。
さらに、情報は虚構にすぎないと思っていた方が気楽です。
肝心なことは、現実と虚構の狭間です。
その狭間の均衡を自分に身体化していく術が重要だと考えることにしています。
私が、これは現実と認識するのは、「病」の時です。
本当は高熱で夢現(うつつ)ですが、その苦しみほどの現実感はありえません。
だから、私は「いのちと向き合う」デザインは、
現実そのものに自分の想像と創造を委ねることができるのです。
現実と虚構の狭間
おそらく、私がこの場で「虚構」についてメモ書きを始めた内容は難解だったと思います。
情報=空間に虚構が張り付いているとか、
現実政治の虚構性や、三島由紀夫事件の予想という虚構が、
やはり現代日本の現実になっている話をしてきました。
私は、情報操作こそ、虚構をいかにも現実だと思わせることが可能だと思っています。
大衆は、虚構に逃げ出し癒されるものです。だから映画を見、音楽を聴き、小説を読むのでしょう。
仮想現実とは虚構を表現しているにもかかわらず、
実は、現実を明確に手に入れる手法・技能・技術になっているということです。
すなわち、情報操作とは、現実と虚構の狭間をコントロールする力があるということです。
デザインは、現実と虚構の狭間から、現実を取り出す技術と考えることも可能です。


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