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Posts Tagged ‘経済性’


3月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 9th, 2021  Posted 12:00 AM

3月9日 友引(丙辰)

『黙示としてのデザイン』

それだけに記憶と制御を、
効率や合理性を、
経済性で決定評価する
限界のなかで
様式化したモノでしかない。

artificial heart:川崎和男展


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10月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 25th, 2020  Posted 12:00 AM

10月25日 大安(辛丑)

『寓話としてのデザイン』

想像力をメディアに、
やがて、
モノの経済性と政治性を
管理することが
「寓話としてのデザイン」、
その目標となるだろう。

artificial heart:川崎和男展


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6月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 26th, 2020  Posted 12:00 AM

6月26日 仏滅(庚子)

『文学としてのデザイン』

工業システムの経済性を背景に、
デザインの真実を
「かたち」で語り直すこと。

artificial heart:川崎和男展


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6月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 25th, 2020  Posted 12:00 AM

6月25日 先負(己亥)

音楽でもジャズとなると、
私には、友人が要る。
それが、私を
「奮起」させている。

artificial heart:川崎和男展


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6月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 22nd, 2020  Posted 12:00 AM

6月22日 赤口(丙申)

公衆衛生的な
「清潔さ」がホームワークに
とっても向いている。
「HUSAT」
Human User Science of Advanced Technology
これが「清潔」を生み出す。

artificial heart:川崎和男展


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6月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 9th, 2020  Posted 12:00 AM

6月9日 先負(癸未)

『文学としてのデザイン』

「かたち」の持つ機能性、経済性、社会性が
見事にデザイン意図されているという
評価が、デザインの正義であった時代は、
いま終焉の時をむかえている。

artificial heart:川崎和男展


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『賢明で懸命であることから始めた=社会人最初の実習で』


   


     9月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

美大時代、当時の就職は一人に40社はあったはずです。
私も2社見つけて、教授に報告に行きました。
「君なら両社とも合格するだろう。合格してきなさい。」
「ありがとうございます」
「しかし、両社受かっても卒業は出来ない!から」
「エッ・・・」、このような時代であり、教授命令で就職しました。
大学人になって、「行きたくないから断って下さい」。
私は数社にお断りの書状を幾たびか、書いたものです。
新人になって、販売実習先は関西の大手量販店でした。
当時最も人気のあった「スカイセンサー」が山積み、たった2台の
東芝「ナナハン」をどう販売するか、さらに、関西ゆえに、
競合からは松下「クーガ」が勢いを持って売れていました。
一週間で、曜日と時間毎の来客数、決定権は奥様にあることを知り、
ラジオ・テレビ・冷蔵庫・当時流行のウインドファンを売りました。
東芝が対する相手は、先進性とデザインのSONYと地域力の松下。
どこか気負い過ぎで、展示商品数も限定されているなかで、
私が販売で工夫を重ねたことは、音質や技術性であり、
このパフォーマンス性と経済性で売りまくった経験があります。
確か3ヶ月に販売実績は、西日本でも表彰されるほど売りました。
だから量販店からは東京に戻らずにこの会社に残れとまで言われました。
正直、デザイナーとして入社しながら、デザインどころか社員研修、
工場実習や関東での売る込み営業と工場での集団生活は、
いやでいやでたまらなかったことを思い出しますが、
山積みされた流行との戦い方に、毎日賢明さを見いだして、
あとは、いづれ東京でデザイナー仕事になるという懸命さでした。
大学入学とともに、最初に学んだことは、
「一所懸命」と「一生賢明」だったことは今も私を支えています。
しかし、あの流行のスカイセンサーは今も伝説ですが、
ナナハンやクーガは忘れられているようです。


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「海と速度とその気泡掃気技術」


   


     7月 11th, 2013  Posted 12:00 AM

航海することと航空することには特別な単位があります。
一時間に一海里を進む速度のことです。
一海里は1852メートルですから、
それを1ノットの速度と呼びます。
私は、単純に1ノットは時速2km/h程度というイメージです。
そしてこの海里は地図では海図が用いられますから、
私は戦艦大和の最高速度が27ノットだから、
あの当時最大の大きさで時速は50km/hだったというイメージです。
したがって、審査会では常に高速性を求めていることには、
ハッとすることが多いのです。
航海とは、速度を求めるのではなくて、
航海する余裕の時間が重要だということです。
しかし、経済性を考えれば、速度性は技術開発の要点になります。
私が審査委員になって、初めて女性がプレゼンターでした。
正直、プレゼンはとても好感が持てるものでした。
ひょっとすれば女性がプレゼンすれば印象は良いのかも・・・
ところが、この審査会は実に詳細な質問があります。
それでも今年のグランプリは、この大型輸送船「双洋」です。
船には「喫水」という船舶と海面のインターフェイスがあります。
この船はその喫水を求めて、
ペンギンの泳ぎ方を参考にしたということです。
つまり、ペンギンは水滴で泳ぐように、
この船底に水泡を掃気するというわけです。
この開発はこれまでにもありました。
いきなり、船底に海水があるのではなくて、
水泡を掃気して高速性を求めようということでした。
結果、
省エネ効果があるという空気循環効果の最大化を求めたのです。
私はペンギンの泳法には水泡とペンギンの破毛効果だと思います。
それでも、船底での気泡流の最適化は、
大型貨物船の速度という経済性は審査委員全員が賛同しました。
これからの日本の造船開発、
その方向を提案したものとしてグランプリ船舶になりました。


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『資本主義からの逃走』
   「情報化の逃走訓練には資格条件あり」


   


     8月 1st, 2010  Posted 12:00 AM

情報による資本主義の変貌
生産・消費での資本主義は、大きく変貌しています。
変貌の具体的内容は、変質・変容・変態です。
大きな一つは、資本を「能力・才能」としたときには、
能力や才能が「情報」と対峙できるかどうかです。
それは能力ある人なら、
情報リテラシーの管理と統合が無論可能であることは当然です。
しかし、私は能力の情報化と才能の情報化には差異性があるものと判断します。
それは特に学生たちを相手にしていると、
能力があるにもかかわらず、
自分探しに翻弄されていることを観察してしまうのです。
また、能力が評価できないのに、本人は自尊心こそ能力だと錯覚しています。
そのうえで、才能ということになれば、
私は、才能というのは自分では決して認識できるものではない、
という経験値があります。
才能は「周囲が認めてくれて」こそ、自分にはあるかも知れない、
という自己期待感の中で自信を勇気づけるものだと考えます。
私はここで、能力・才能のさらに情報力の能力・才能に焦点化してみたいと思います。
新たなこれからの「資本としての能力・才能の情報力強化」という訓練こそ、
資本主義から逃走する体力的な知力だと考えるからです。
したがって、「逃走訓練する条件」の一つに、
「情報」に関わるさらなる能力と才能のトレーニングということを提示したいからです。
条件をあげてみます。
● 共時性の保持力
情報と自分を対峙させるハード・ソフト・ネットワーク、
その驚異的な進化速度に自己を適合、
ある意味では流行性とも共時できること。
● 進化性の予測力
ハード進化・ソフト変化・ネットワーク変容、
これらに対して想像力が常に拡大や拡張し、
自己予測力を常に働かせることができること。
● 経済性の持続力
新商品化されるハードやソフトを購入し,
基本的なネットワークを個人的に整備できる
可処分所得内での購入費用は常に確保ができること。

そして、いつでも情報環境の時代変化に興味を持ち続け、
流行現象に押し流されることはあってはならないと思います。
好き嫌いの価値感には囚われず、
「自分流」なりの自己リテラシーを構築する精進を
地道に積み上げることだと考えています。


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『資本主義からの逃走』
 「景気循環論から離脱させるデザインをめざす」


   


     12月 22nd, 2009  Posted 10:00 AM

循環させるための付加価値

資本主義でほとんど完全防御されていた経済性の循環。
しかし、「循環」には、必ず、異変が起こります。
そのことは、マルクス以後、様々な経済学者によって、
また様々の資本の投機と回収、あるいは資本の貸借など、
その手法論や合理的な運用が論理化されてきました。
私は、「モノづくり」の初期段階で、
デザイン」を投機してきました。
それは「回収」されるべき利益構造が、まったく、
資本論はじめ経済的な論理では説明も解釈も困難でした。
そこで私が見つけたのは、「感覚」で受け止める「価値」、
モノの「存在」でした。
私の資本主義からの離脱はこの発見時から始まったのす。
まず、大きな疑問が常にありました。
「特殊解」と受けとめられる「かたち形態」には、
決して、「価値」、それこそ「付加価値」であろうが、
「全体価値」であろうがその「存在」が意識化されません。

特殊解的な形態

したがって、
そうした「特殊解」的な「かたち」には、
一般的な「価値」すら生まれず、「存在」させた、という
「事実」だけが残りました。
この「事実」だけがデザイナーの「労働対価」だとすれば
デザイナーには、
「景気」というある種の指標は無関係だということです。
この構造が、
とりわけ、日本の企業にとっては好都合だったのです。

景気からの離脱

デザイナーの存在、頭脳的、感覚的、時に芸術的労働者は
「付加価値を創出」する職能集団に仕立て上げることが、
最も容易に組織化することができました。
だから、デザインを「付加価値」と言い切ったのです。
その「付加価値」は、「欲望を刺激」して、
「欲しい」、「買いたい」、という、
流行ファッション・風俗・サブカルチュアに、
仕立て上げました。
私は、この一見、
文化へと交代させたかのような「循環」と「代謝」から、
私のデザインを離脱させることで、
「景気」とは無縁の「モノづくり」のデザイン職能を
めざしてきたと思っています。


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