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Posts Tagged ‘言語道断’


01月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 22nd, 2018  Posted 12:49 AM

01月22日 大安(甲寅)

願わくは、
デザイナーをめざす次世代の若者に
「言語道断の世界にこそ、
 かたちが生まれてくる」
ということを伝えたい。

『デザインの極道論』あとがき


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01月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 21st, 2018  Posted 12:00 AM

01月21日 仏滅(癸丑)

言語道断なる美を、
デザインで作り出していきたい。

それが必ずや、
より善であり、
義なる生き方に
つながっていると信じる。

『デザインの極道論』


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7月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 5th, 2013  Posted 9:30 AM

7月5日 壬申(先勝)

言語道断なる美を、
デザインで作り出していきたい。
それが必ずや、
より善であり、
義なる生き方につながっていると信じる。

『デザインの極道論』


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7月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 4th, 2013  Posted 7:09 PM

7月4日 辛未(赤口)

言語道断なる美を、
デザインで作り出していきたい。
それが必ずや、
より善であり、
義なる生き方につながっていると信じる。

『デザインの極道論』


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「造形の言語道断」


   


     2月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

私のデザインは、簡潔な「造形」をめざします。
多分40年間でデザインしてきたモノのデザインは、
徹底的な造形、その簡潔さ=Lessにつきると思っています。
オーディオから始まり、伝統工芸から制度設計まで、
デザイン対象領域の拡大を図ることで、
デザインの本質的な目標と目的、
その社会的意義に倫理性と美学性を求めてきました。
その代表作が、タケフナイフビレッジを設立し、
伝統工芸にデザイン導入を図り、
その作品としての「商品化展開」をしてきました。
それは素材開発から造形にモノは集約しますが、
全体的な産地存在性を明確にするコトのデザインにつないできました。
今あらためて、その中のモノ=作品としてこの「fluctus」には
簡潔な象徴性があると私自身が納得をしています。
時折、私は何にこだわって、
あるいは何をめざしてデザインをしていますか?という質問を受けます。
その回答は、「自分が一番欲しいモノ」に他なりません。
そして、デザインの目標=ゴールと目的=オブジェクトが
合致しているのは「簡潔さ」です。
それは、シンプルさを超えた意義までという意味です。
だから、「Simple is best」では済まされないことです。
「Less is more」にまで至っているかどうかということになるでしょう。
それを実現するには、多分、「最大公約数的な一人称」と言っておきます。
つまり、自分の言葉=造形言語の言語道断さまで
自分を追い詰めることだと考えています。

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7月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 30th, 2011  Posted 9:30 AM

7月30日 丙戌(大安)

「言語道断なる美」の
連鎖環の中に夢と希望がある。
まだまだ、
精進をしていきたいと思っている。

『デザインの極道論』あとがき


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7月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 29th, 2011  Posted 9:30 AM

7月29日 乙酉(仏滅)

言語道断なる美を、
デザインで作り出して行きたい。
それが必ずや、より善であり、
義なる生き方につながっていると
信じる。

『デザインの極道論』あとがき


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7月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 21st, 2011  Posted 9:30 AM

7月21日 丁丑(友引)

言語道断の世界から
解放されながら、
それでも言語の連載環の中で、
「道断=言わず」と想いつつ、
かたちで言い尽くしたい!

そこに
デザインの世界があるはずである。

『デザインの極道論』あとがき


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7月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 20th, 2011  Posted 9:30 AM

7月20日 丙子(先勝)

願わくは、
デザイナーをめざす次世代の若者に
「言語道断の世界にこそ、
 かたちが生まれてくる」
ということを伝えたい。

『デザインの極道論』あとがき


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・『ことば』への行学」


   


     12月 27th, 2010  Posted 12:00 AM

「ことば」とかたちの相対論
私の行学は、「ことば」ありきです。
「行学」としての私のデザイン、
まっすぐに「ことば」と「かたち」、
その相対的な構造性・関係性を修練研磨する学域として求めています。
「かたち」に私の美意識を希求する基盤はなんといってもことばです。
そして、ことばではとても表現仕切れないこと、
それこそコンセプトになりきらない造形が極値造形と呼んでいます。
これは「言語道断」(道元)への修練ゆえ行学目標です。
今年は、いくつかのことばの再考と定義確約、さらにあらたなことば定義を求めています。
これを私は、「ことばの行学」だったと考えます。
とりわけ、このブログで使用する語彙がサーチワードとして一日200語近くなったことは、
一つの成果だったものと判断しています。
いくつかの言葉がありますが、なんといっても、「名詞+名詞」という英語表現、
「情報」がやっと整理できました。
「アプロプリエーション」を徹底検証しました。
これをデザイン用語に持ち込み法学への提示になったことは成就成果だったと自負しています。
また、今年は、わが国日本の政権交代にどれほど、
現政権はじめ、政治という「制度」に落胆したことでしょうか。
この落胆から自らを解放するにも、「ことば」の問題がありました。
私は、島国日本を「花綵の国」と呼んでいます。
一言語一民族ながら資源無き国家の歴史観はすべからく「言語体系」に依存してきました。
したがって海外語が邦訳されてこそ、
日本の文化観から文化感が形成されてきたものとさえ認識することができます。
「情報」も「情勢報告」であったり、
「経済」も「経世在民」であったりという邦訳が正確だったのかは、再確認が必務です。
特に、歴史観でのことばの曖昧さに気づいています。
この語彙集編集が最も重要かもしれません。
「明治維新」の「維新」というのは正しい表現用語だったのだろうかという疑念があります。
そのまま「維新」を引きずれば、226事件「昭和維新」を想起します。
だとするなら、「平成維新」という言葉表記には、
相当の甘えと曖昧さがあることを指摘しておかなければなりません。
そんな中で数学術語も、私にとっては「かたち」への近接手法ですが、
いくつかの邦訳自体の誤訳かもしれないことをを見つけていることを告白しておきます。
来年は「ことば」の行学を、デザイン実務の下敷きにしていく所存です。


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